回顧録・幕間1
「へぇ……それで垣内さんが王様というわけですかぁ」
胸の前で両手を合わせて、感心したような声を百井が漏らす。相変わらず彼女の相槌はとても絶妙で、その仕草はひどく男受けしそうだと思う。
「まあ、そういうことだ」
ここぞとばかりに僕は深く二度、三度と頷いた。
「そういうことだ、じゃねぇよ。完全にお前主観の話じゃねぇか」
しかしどうやら垣内にはお気に召さなかったらしい。
「だって仕方ないだろ? お前は僕のことを大げさにフィクサーなんて言ったけど。実際振り返ってみたら、やっぱり僕の影響力なんて、ほんの小さなものでしかない」
「お前の悪だくみが本格化するのはこの後からなんだよなぁ」
「悪だくみって……人聞きの悪い」
「分かってるんだぜ。お前がわざわざこのタイミングで話を中断した理由。ここから先は百井に聞かれたくないからだろ?」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
「知る人のみぞ知る、大車輪の活躍だったもんなぁ。格好良かったよなぁ、あの時の秋葉は」
「おい、いい加減調子に乗るのも」
にやにやしながらそんなことを宣う垣内を僕は牽制するけれど。
「俄然その先のお話が気になってきました」
ずいと、百井が前のめりになる。
「だろ? 百井がこう言ってるなら話すしかないんじゃねぇの?」
分かってはいたのだ。こうやって百井の気を引く言葉を並べ立てながら、じわじわと僕をからかって遊ぶのを彼は楽しんでいる。
「気が乗らない。そろそろ、組織染色のブロッキングが終わる時間だ」
だとしたら、僕のとる行動は決まっている。彼の玩具にされることを分かっていながら、大人しく座っているのは馬鹿らしい。
「だ、だめなんですか? 私は、もっと秋葉さんの昔の話、聞いてみたいなと思ったのですが」
立ち上がった僕のシャツの袖が弱い力でくいと引かれる。
思わず振り返ると、百井の黒目勝ちな瞳とばちりと視線がぶつかって、ぐらと自らの意思が傾くのを自覚した。けれどもここで、ぱちぱちと大きな瞳を瞬かせ、じっと僕の顔を見つめる百井のあからさまなおねだりに気を良くして。それを誤魔化すように不承不承といった様子を装いながら再び席に腰を下ろすことは、ひどく僕の生来の生き方に反しているような気がした。
つまりは、辛うじて僕はまだ、彼女に骨抜きにはされていないらしい。
「百井。そんなやり方じゃ秋葉相手にはだめだ。こいつを手っ取り早く動かしたいときのコツは、何かをしたいと思わせるんじゃなくて、何かをしたくないと思わせることだ」
「どういうことでしょう?」
こてりと日奈は首を傾げていた。
「ま、その辺りも含めて、さっきの研修の続きもちゃんと教えてやる。秋葉は忙しいみたいだから、ここで退席みたいだけどな。いない方が話しやすいこともあるだろうし」
「垣内さんの秋葉さんレクチャー。それは是非聞いておきたいところですね」
一歩踏み出しかけていた僕の足がぴたりと止まる。
「余計な事を吹き込むんじゃないだろうな?」
「気になるなら、もう少しここにいればいいだろ?」
「否定はしないんだな」
「さぁ」
垣内は大げさに両手を広げて首を振る。
「僕がいなくなったら、余計な事を吹き込むかもしれないと?」
「別にそうは言ってないだろ? ただお前の大車輪の活躍を、事実そのままに……」
「あ、あとちょっとだけだからな」
「くくっ。組織染色はどうしたんだ?」
「……よく考えたら、時間を少し間違えていた」
「ブロッキングなんて、最初から何分延びても実験に影響はないんだよなぁ」
その一言で、僕は白旗を上げた。結局のところ、彼は最初から何でも見通しているというわけだ。




