4月9日(39) <天使ラファエル>の巻
何とか圧死を避ける事に成功した俺は瓦礫の下で、何度目か分からない自問自答を始める。
(何でここにいる……?どうして拳を握り締めている……?)
遠くから聞こえて来る爆音は今の俺にとってどうでも良い事柄だった。
四季咲達を見捨てる理由は沢山ある。
赤の他人だからとか、あいつらの不幸を俺が肩代わりする理由はないとか、挙げればキリがない。
見捨てない理由の方が少ないくらいだ。
そもそも、俺は何でここにいる?
それは四季咲が信じてくれと頼んだから。
俺の所為で人間性を奪われた奴がいるから。
そもそも、俺は何で拳を握り締める?
何で蛇女、馬女、鳥女、蜘蛛女、そして、魔女と闘った?
助けたいと思ったから。
自分の気持ちに嘘を吐きたくなかったから。
苦しんでいるあいつらのを見たくなかったから。
助けての一言さえ言えずに、黙って耐えている四季咲が笑顔になる結末を提供したいから。
ここに来て俺が何をしたいのか、ようやく理解できた。
ただ目に映る困った人を片っ端から救いたいだけなのだ。
苦しんでいる人を見ると嫌な気持ちになるから。
困っている人を見捨てると自分を嫌ってしまいそうだから。
立派な大人になれないと思ったから。
ただ、それだけの理由で俺はここに立っている。
ただそれだけの理由で俺は走り続けている。
誰かのために走り続けるような大人になりたい。
ただそれだけの理由で俺は右の拳を握り締める。
それだけで良かったのだ。
俺が走り続ける理由なんて。
なのに、俺の身体は幾ら力を込めても立ち上がろうとしない。
拳を握り締める事をしない。
元々、限界だった身体を無理に酷使し過ぎた所為だ。
もうそんな体力さえ残っていない。
もうそんな気力さえ残っていない。
意識が徐々に闇の中に沈んでしまう。
目蓋が重くなり、視界は真っ黒に染まってしまう。
すると、上の方から月の光が差し込んできた。
目蓋の向こう側に照らされる優しい光を知覚する。
誰かが瓦礫を退かしたんだろう。
頭上から感じるのは人の気配。
誰のものかは分からない。
そいつは血に塗れた俺の身体を見て、短い悲鳴を上げる。
そして、俺の掌を力強く握り締めた。暫く沈黙が走る。
瓦礫が除去されたお陰で爆音がよく聴こえきた。
少女達の悲鳴がよく聴こえる。
俺の身体は音に釣られて、少しだけ動いた。
少女の息を呑む音が聞こえて来る。
彼女は短い嗚咽を漏らすと、俺の手を握りながら、こう言った。
「………助けてくれ」
その声は四季咲のものだった。
今の今まで、誰にも縋ろうとしなかった彼女が本音を漏らす。
「……どれだけ酷な事を言っているか自覚している。どれだけ酷いお願いをしているのかも理解している。けど、君しかいないんだ……頼む、私達を、いや」
四季咲は今の今まで言えなかった一言を絞り出すように呟く。
「私を、……助けてくれ」
立ち上がるには十分過ぎる理由だった。
限界を迎えた筈の身体は生まれたての獣みたいな動作で立ち上がる。
服に染み込んだ血液が鉛のように重い。
至る所に損傷を負った身体は俺の意思通りに動こうとしない。
それでも、俺は四季咲を助けるために動き出した。
色々考えた。
ここにいる理由だとか闘う理由だとか。
けど、どんな理由も建前も助けを求める声には敵わなかった。
四季咲が助けてと言った。
たったそれだけで、俺は拳を握り締める事ができる。
走り続ける事ができる。
霞んだ視界は今俺がどういう状態なのか、世界はどういう状況なのかさえ教えてくれない。
息を呑む音が聞こえる。
嗚咽を漏らす音が聴こえる。
驚愕する声が聞こえる。
多種多様な音が感情と共に鼓膜を揺さぶる。
鼻腔は血の臭いで埋め尽くされており、視覚同様当てになりそうにない。
身体は何処が痛いのか分からないくらい激痛が走り続けていた。
1歩歩くだけで身体から血が零れ落ちる。1歩歩くだけで痛みが波のように脳に押し寄せる。
それでも、俺はまだ動く事ができた。
「─────」
空から無機質な声が聞こえて来る。
なんて言っているのか痛みの所為でよく聞き取れなかった。
それでも敵意だけは感じ取れた。
それだけの情報で右の拳を握り締める。
周囲のものが浮き上がるのを肌で感じ取った。
多分、俺を確実に殺すために、空にいる敵は右の籠手で描き消せない攻撃をするつもりだろう。
ふと、今朝の占いを思い出した。
『恋愛運3点で残り全部0点じゃねえか!?健康運は腹に気をつけろ。金運は思わぬ出費するかもで、仕事運は動かない方が吉!?唯一点数ついた恋愛運も"巡り合った美女に全財産奪われるかも!?美人局に要注意!"って、全然嬉しくねえんだけど!?』
(……動かない方が、吉か)
ずっと不思議に思っていた。
何故、ガイア神や魔女の物量任せの攻撃を裁く事ができたのかを。
何故、あの無数の攻撃は軌道を変え、右の籠手に集中したのだろうか。
その答えは何となく予想がつく。
多分、この籠手から発する白雷は魔力を引きつける性質があるんだろう。
雷磁石が鉄を引きつけるみたいに、この籠手は魔力でできたものであれば、何でも引きつける事ができるんだと思う。
だから、飛んで来る無数の攻撃も捌く事ができた。
物凄い速さで飛翔する魔弾を正確に受け止める事ができた。
そう考えると色んな事に説明がつく。
確証なんてない。
考証なんてしていない。
全部、俺の憶測で推測だ。
それでも、賭けに出るには十分過ぎた。
ゆっくり歩きながら、空に浮かぶ敵意の方に向かって歩き続ける。
宙にいる何者かは瓦礫を俺目掛けて飛ばそうとした。
その瞬間を狙って、俺は右の籠手で正体不明の敵を引きつける。
「────!!??」
宙に点在していた敵は驚愕の声を上げながら、俺の方へ寄って来る。
霞んだ視界で迫り来る敵の姿を見る。
歪な形をした人型は右手を剣の形に変えると、俺目掛けて剣を振り下ろした。
無造作に放った右の裏拳が奴の剣を引きつけると、呆気なく武器を破壊する。
「引っ込んでろ、じゃじゃ馬野郎」
右の拳を思いっきり握り締める。
老人のような顔つきの敵は恐怖で顔を痙攣らせると、慌てて俺から距離を取ろうとした。
が、右の籠手から発せられる白雷が奴の撤退を許さない。
躊躇う事なく、容赦する事なく、アイギスの籠手は歪んだ天使を俺の下に引きつける。
「──あんたの椅子なんて最初からねぇんだよ」
俺の拳が奴の顔面に突き刺さる。
ありったけの電撃を流し込まれたじゃじゃ馬は何も成し遂げる事もなく、跡形もはく無残に無意味に消え去ってしまった。
天使の力から解放された男──魔女だった男は、地面の上を無様に転がる。
それを見届けた後、俺は意識を手放した。
いつも読んでくれて本当にありがとうございます。
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これからもよろしくお願い致します。




