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4月9日(28) 自分の我儘を貫くためにの巻


 咄嗟の判断で五点着地した俺は、何とか墜落死を避ける事に成功した。

 だが、腹に空いた傷の所為で上手く身体を動かす事はできない。


(くそ………、万全の状態なら魔女を倒せていたのに……)


 上の方から四季咲の声が聞こえて来た。

 彼女は今にも泣き出しそうな声で俺の名前を呼び続ける。

 とてもじゃないが、彼女の声に応える事はできそうになかった。

 この状況を切り抜ける術を模索する。

 今のままだと失血死してしまうのは間違いない。

 早く血を止めて、魔女を殴り飛ばさなければ。

 勝ち誇った表情を浮かべる魔女の顔を想像するだけで苛々する。

 くそ、お前は漁夫の利得ただけだろうが。

 俺がミスしなきゃ勝ってたんだぞ、コラ。

 上から感じ取っていた禍々しい雰囲気と共に四季咲の声が煙のように消えてしまう。

 多分、魔女が四季咲を連れて、どっかに行ったんだろう。

 早く四季咲の下に行かなければ。

 とりあえず、病院に行って腹の傷を塞いで貰わおうと考えながら、俺は匍匐前進を始める。

 血が全部流れでないように祈りながら前へ進むと、上から何かが降り落ちた。

 音源の方に視線を向ける。

 すると、そこには蜘蛛の形をした人間が立っていた。

 顔は蜘蛛のものであるため、どういう表情をしているのか分からない。

 それでも、悲しんでいる事は何となく分かった。


「だ、い……じょうぶ、だから、……」


 途切れ途切れになりながら、蜘蛛女を安心させるために声を掛ける。

 だが、幾ら強がっても腹から血が漏れ出てしまう。

 それを見た蜘蛛女は音もなく何かを発した。

 何を伝えたいのかは分からない。

 それでも、彼女が罪悪感に駆られている事は容易に想像できた。

 これを塞がない限り、彼女を安心させる事はできないだろう。

 ふと、俺は蜘蛛女が火の魔法を扱える事、そして、漫画のキャラクターが火で傷口を塞いでいたのを思い出す。

 一瞬、俺の頭に"死"の単語が過った。

 指先が震えるのを感じ取る。

 それでも、俺は生き残るため、前に進むため、覚悟を決めた。


「……なあ、くもおんな、……火の魔法、使える、か……?」


 俺は仰向けの態勢になると、傷口を指差しながら、彼女に酷な事をお願いする。


「この傷さ、……火の魔法で塞いで、くれない、……かな?」


 それを言った途端、俺の心は死の恐怖に支配される。

 焼いてもらっている最中、痛みに耐え切れず、死んでしまうかもしれない。

 今感じている痛みよりも、もっとキツイ痛みが俺に襲いかかるかもしれない。

 それでも、覚悟を決めるしかなかった。

 たとえ死ぬのが怖くても。

 何もしなかったら、しなかったらで死んでしまうから。

 蜘蛛女は無音で何かを発しながら、必死になって頭を横に振る。

 こうなる事をある程度予期していた俺は続け様にこう言った。


「……俺はさ、ここにくるまでの間、沢山の思いを踏み躙った、…….んだよ」


 左手で傷口を押さえながら、自分の気持ちを素直に吐露し始める。


「俺は、……自分の思いを優先させてまで、あいつらの人間でいたい思いとか自分を犠牲にしてでも誰かを守りたいっていう思いを、全部踏み躙った。……お前の夢だってそうだ。……俺は自分の都合のために、お前らを不幸にしたんだ。……だからさ、俺は責任を取らなきゃいけないんだよ。好き勝手やってきた責任を、………」


 蜘蛛女の顔を見ながら呟く。彼女はヘアバンドのように頭部の前面に並ぶ8個の単眼で俺をじっと見つめていた。


「今まで、……好き勝手やって来たんだ、そのツケを払うのは当然の事だろ……?だから、こんな所で寝ている暇は、ないんだ。……魔女を、倒して……お前らを助けなきゃいけないんだ……頼む。……大丈夫、……俺が、何とかするから」


 蜘蛛女は数十秒間、前脚を震えさせると、最終的には俺の傷口を炎で焼いてくれた。

 我慢し切れない程の痛みが津波のように脳に押し寄せる。

 痛みに耐え切れず、何度も意識が飛びかけた。

 何度も声を上げた。

 何度も断末魔を上げた。

 意識が飛ぶにつれ、痛みの所為で何度も現実に引き戻される。

 まるで──人生で一度も経験した事がないから断言できないが──拷問そのものだった。

 気絶する事さえ許されない激痛は俺の精神をズタズタに引き裂く。

 なのに、俺の心は激痛如きで折れなかった。

 むしろ懐かしさを感じるくらい余裕があった。

 焼き爛れた左腹部をぼんやり眺める。

 火傷のお陰で出血は止まっていた。

 ──これなら、まだ動ける。


「ぐ、おおお……」


 額に脂汗を滲ませながら、俺は全身の力を込めて立ち上がろうとする。

 蜘蛛女は生まれたての小鹿みたいに立ち上がる俺を黙って見つめていた。


「ジングウさん!!」


 立ち上がると同時に駐車場の方からキマイラ津奈木の声が聞こえて来た。

 何とか2本足で立ち上がった俺は倒れそうになりながら、女子校へと向かい始める。


「動かないでください!!傷に障りますよ!!」


「ちょうど、良かった。……キマイラ津奈木、蜘蛛女を頼む。俺は……今から、殴り込みに行くから……」


「殴り込みって……そんな傷でどこに行こうとしているんですか!?立つのでさえやっとというのに!!」


「決まってるだろ、……魔女の所だよ。……蜘蛛女、四季咲は、……魔女に連れ去られたで合ってる、よな……?」


 蜘蛛女は怯えた目つきで俺を見ると、顔を縦に動かす。


「……だってさ。なら、さっさと、助けに、行かねえ、とな……」


 歩き出した途端、キマイラ津奈木は俺の袖を掴む。

「……行かせません」


 振り返る余裕がなかったので、俺は彼に背を向けた状態で話を聞く。


「前回と違って、今の貴方は神造兵器がないんですよ?手ぶらかつ満身創痍で魔女と闘うなんて自殺行為そのものです。……本当に死んでしまいますよ?」


「大丈夫、俺、運が良い方だから」


 根拠のない言葉を口に出しながら、前に進もうとする。


「……理解できません」


 けど、彼はそれを許さなかった。

 彼は血に染まった俺の左袖を掴むと、俺の行動を阻止する。


「神堕しの件といい、今回の件といい、貴方は背負わなくていい事を背負い過ぎている。貴方が身体を張る道理は何処にもないのです。逃げても誰も責めません。言い訳しても誰も詰りません。なのに、何で貴方はそんな状態になっても動くのですか?何で貴方は見知らぬ誰かのために命を賭けられるのですか?……私には理解できません。そんなに貴方は……」


「……立派な、……大人になりたいからだよ」


 痛みの所為で上手く考えがまとまらない。だから、思った事をそのまま口に出す。


「ここで見て見ぬ振りをして、こいつらを見捨てたら、……俺は一生後悔して生きる事になる。……それが堪らなく嫌なだけ、……なんだよ。自分を嫌ったまま生きたくない。……誰かの不幸を見て見ぬ振りして生きるような大人になりたくない。ただ、それだけなんだよ、……俺がここにいる理由は」


 我ながら自分勝手な言い分だと思う。

 俺は人の事を考えて動いている訳じゃない。

 ただ自分のために動いているのだ。

 自分の事を好きで居続けるためだけに身体を張っているのだ。

 そりゃ四季咲も失望する筈だ。

 結局、俺は自分の事しか考えていないのだから。

 けど、俺は信じている。

 自分を大切にする行為と相手を大切にする行為は等号関係である事を。

 恩師である先生を。

 そして、自分自身の事を。

 ……信じたいのだ。

 たとえ綺麗事だとしても。たとえ絵に描いた餅だとしても。


「だから、俺は走り続けるよ。だって、それが俺のやりたい事なんだから」


 キマイラ津奈木は俺の右袖から手を離す。

 俺の身勝手な言い分に呆れ返ったのだろうか。

 彼の失望した顔を見たくなかったので、俺は彼と目を合わせないように注意しながら、蜘蛛女の方へと目を向ける。

 彼女は8個の単眼で俺を潤んだ瞳で見つめていた。


「蜘蛛女。ちょっと、そこで待ってろ。……大丈夫、お前の事も、……ちゃんと、俺が何とかするから」


 それだけを告げると、蜘蛛女にVサインを送ると、俺はぎこちない足取りで走り出す。

 足が動く度に腹の傷から痛みが生じる。

 その度にまともな思考力は削ぎ落とされ、激痛で心が折れそうになる。

 それでも、俺は焼け爛れた腹部を押さえながら走った。


 ──自分の我儘を貫くために。


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