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4月9日(20) VS馬娘の巻

 聖十字女子学園の制服を着たケンタウロスは右手に金属バットを持ちながら、俺と四季咲を交互に見る。


「さて、ここを通りたければ、私を倒してからにするが良い。負けぬ限り、私はここから一歩も退かぬぞ」


 芝居かかった言い回しをしながら、彼女は金属バットを剣道でいう中段の位置に構える。


「四季咲、喧嘩が終わるまでの間で良いから、できるだけ俺らから離れてくれ」


「待て、その前に確認だけを取らせてくれ」


 彼女はそう言うと、馬娘に質問を投げかける。


「花絵、君は本当に自分の意思でここにいるのか?」


「うむ。会長、私は生徒会長会計でもあり、剣道部主将でもある。貴方に守らなければならないものがあるように、私にも守らなければならない者がいるのだ。なに、安心しろ。女王は会長達を生捕りにしろと命じている。この場においての命だけは保証しよう」


「どっちにしろ捕まったらアウトじゃねえか」


 勝てば前進、負ければ死。俺好みのシンプルなルールだ。


「なんじゃ?怖気ついたのか?」


「いや、全然」


 四季咲の前に立った俺は馬女を睨みつける。

 と、同時に腹から変な音が聞こえてきた。

 額に脂汗が滲み出る。

 何だ、この腹から込み上がってくる痛みは。

 括約筋が刺激されるような激痛は。

 腹から間抜けな音が聞こえる度に耐え難い痛みに襲われる。

 まさか、これが馬女の力と言うのだろうか。


「だから、あれ程アイスを食べるなと言っただろ!!」


 四季咲はお腹を押さえる俺を見て、呆れと衝撃を帯びた叫び声を発する。


「い、いや、これは違う……!これは多分、あの馬女の魔法だ……!俺の便意を増幅させる事で喧嘩に集中できなくする魔法なんだ……!」


「なっ……!?そうなのか!?」


「んな訳なかろう、バカタレが。私は魔法とか一切使えんぞ」


 馬女の一言で俺の腹痛がただの自業自得である事が暴かれる。


「やっぱり、さっきのアイスが原因じゃないか!?どうするんだ!?」


「だ、……大丈夫だ。この下は川だからな。──いざいう時の覚悟は、もうできている」


「川で用を足すつもりか、君は!?」


「もし最悪の場合が起きた時、その時は全部水に流してくれ」


「上手いことを言ったつもりか!?全然、上手くないぞ!!」


 時間が経つ度に腹の痛みが増していく。

 一刻でも早くトイレに行かねば、俺は人としての尊厳を失ってしまう。

 今までで1番と言っても過言ではないピンチが脈絡もなく訪れてしまった。

 トイレ休憩に行かせて欲しい。

 そう思いながら、俺は馬女を縋るような目で見つめる。


「言っておくが、私を倒さぬ限り、トイレには行かさんぞ」


 ダメでした、うん、分かってたけどさ。


「トイレに行かさないと、グーで殴るぞ!!グーだぞ!!それでも良いのか!?」


「グーで結構。私達生徒会メンバーは女王と共に先程のお前と優香里の闘いを見ててな。優香里を一方的に倒したお前を見て、私はこう思ったのだ、"本気のお前と闘いたい"と」


 彼女は中段の構えを解く事なく、俺に闘気を向ける。


「これでも剣道家の端くれだ。強い者と闘いたいと願うのは当然の事だろう?」


「じゃ、先にトイレに行かせてくれよ。そしたら、幾らでも付き合ってやるからさ」


「それじゃ、本気で闘ってくれないだろう?」


 意地でもトイレに行かせたくないらしい。

 この戦闘狂めが。

 お前の所為でこっちはやばい状況に陥ってるんだぞ。


「このケンタウロスの状態なら、男と女の体格差も覆る。女だからって舐めてかかったら痛い目に遭うぞ」


「なら、御託は良いから早く始めようぜ。こっちは一刻でも早く体内にあるおにぎりを出したいんだよ」


 四季咲が遠くに離れたのを確認した俺は右の拳を握り締める。

 本当は彼女みたいな善人を殴る趣味はないが、今は緊急事態だ。

 彼女も殴られるのを承知で挑むから、遠慮なくぶん殴る事にする。


「いざ、尋常に………」


 彼女は馬版クラウチングスタートの態勢をとると、大きな溜めを作る。

 俺は棒立ちのまま、彼女が突進するのを待った。


「……勝負っ!!」


 馬女は蹄が石橋に減り込む勢いで地面を蹴ると、人間ではあり得ない速度で俺との間合いを詰める。

 俺も馬女に向かって駆け出した。


「……っ!?」


 俺の前進を見た途端、彼女は一気に減速する。

 減速の理由は大体予想がつく。

 俺に金属バットを当てるためだ。

 彼女は剣道家故、剣で闘う事に拘ってしまったのだ。

 俺は走りながら、斜めに潜るように低い姿勢を取る。

 そして、減速した馬娘の突進を躱した。

 側から見たら──バスケ経験者が見れば、俺は馬女をダックインして抜き去ったように見えただろう。

 たったそれだけの動作で、彼女は俺を見失う。

 何故なら、彼女の目は馬のものではなく、人間のものだったから。

 もし馬だったら横に逃げた俺を草食動物特有の広い視線で特定できただろう。


「お前の敗因は3つ。1つは剣での攻撃に拘った事。それの所為で馬の脚力という長所を潰してしまった。2つ目はお前が人間だからだ」


 橋の欄干に飛び乗った俺はすぐさま馬女に向かってジャンプする。

 俺の声により、居場所を特定した馬女は上半身だけを俺の方へ捻る。

 だが、もう遅い。

 避けるよりも速く俺の拳が先に届く。


「そして、最後の3つ目だが、──ごめん、特に思いつかなかった」


 馬女の顔面に右ストレートを叩き込む。

 確かな手応えが俺の拳に響いてきた。

 だが、それだけでは彼女は気絶しなかった。

 半人半馬となった事で耐久力も上がったのだろう。

 俺は振り切った右の拳を再度握り直すと、拳を振り切った状態のまま、彼女の顳顬に肘打ちを喰らわす。

 そして、確実に意識を落とすため、彼女の顎を拳で撃ち抜いた。


「ぐがっ……!」


 そこまでして、ようやく馬女は意識を失う。

 彼女の巨体が地に伏せるのを確認した俺は着地するや否や一目散にトイレに向かった。


「うおおおおおおおお!!!!」


 河川敷の近くにあった公衆トイレに駆け込んだ俺は腹痛を解消するための作業に移行する。

 薄汚い個室に俺の絶叫が響き渡った。

 数分間悶え苦しんだ後、俺はようやく腹の痛みから解放される。

 スッキリした俺はトイレットペーパーを取ろうとした。

 だが、トイレットペーパーホルダーの中に紙はいなかった。


「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!」


 これまでに無い絶望感が胸を締め付ける。

 それでも、俺は僅かな希望を信じて、個室の中を見渡した。

 だが、紙は何処にもいなかった。


「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!」


 紙に見放された俺は便器の上に座りながら絶望する。

 不意に今朝聞いた占いを思い出す。

 俺はあの時、叫んだ内容を一字一句間違う事なく、正確に思い出した。


『健康運は腹に気をつけろ。金運は思わぬ出費するかもで、仕事運は動かない方が吉!?唯一点数ついた恋愛運も"巡り合った美女に全財産奪われるかも!?美人局に要注意!"って、全然嬉しくねえんだけど!?』


「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!」


 そういや、今週の魚座はお腹がウィークポイントだった。

 馬鹿か、俺は。

 それさえ忘れなければ、こんな腹痛に見舞われていなかったのに。

 最後の希望を信じて、持っていた財布の中から紙を見つけ出そうとする。

 だが、俺の財布の中には千円札3枚しか存在しなかった。


「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!」


 思わぬ出費とはこういう事か。

 まさかお札としての役目を果たす事なく、金を消費する事になろうとは。

 深い絶望感に襲われる俺。

 もう全財産この3千円しかないんだぞ。

 尻を拭くために使いたくねえよ。

 当然、財布の中にはレシートとかない。

 俺はレシートを貰わない主義だから。

 ポイントカードも持っていない。

 もう俺はこの千円札3枚で尻を拭くしかないのだ。


「そうだ!啓太郎の財布なら……」


 啓太郎から奪い取った財布で尻を拭こうとする。

 だが、彼の財布はここに来る前に四季咲に預けてしまっていた。


「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!」


 最後の希望さえ絶たれてしまった。


「認めたくねえよ!認めたくねえよ、こんな事おおおおおお!!!!」


 俺は血の涙を流しながら、千円札を凝視する。

 俺が助かるのはこいつを犠牲にするしかないのか。それが俺の運命なのか?


「なあ、教えてくれよ、英世。俺はどうしたら良いんだ……?」


 お札の偉人は何も答えてくれない。

 もう運命を受け入れちまえよと言っているように聞こえた。


「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!」


 意を決した俺は英世1枚を犠牲にする事を選択する。

 そこから先の事はただの作業だ。

 決断しちまえば、それから先の事はただのおまけ。

 俺は血の涙を流しながら、叫ぶ事しかこの痛みに抗う事はできなかった。

 公衆トイレから出た俺は馬の形と化した人となった馬女と今にも泣きそうな四季咲の下へ戻る。

 四季咲は露骨に落ち込んでいる俺を見るや否や泣きそうな表情から悲しそうな表情に変わってしまった。

 そして、戻って来た俺に、悲しそうな声色のまま、質問を投げかけた。


「…………漏らしたのか?」


「違うわい」


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