4月9日(3)<一匹狼>の巻
(3)
放課後、靴箱に入っていた果し状の指示の下、俺は生徒立ち入り禁止区域に指定されている屋上へ足を踏み入れる。
果し状の差出人はある程度予想できていた。
多分、朝ぶっ飛ばした自称番長だろう。
俺はなるべく喧嘩を買わないようにしているが、自称番長から売られた喧嘩はなるべく買うようにしている。
もし俺が自称番長との喧嘩を買わなかったら、彼は調子に乗って、他校の番長に喧嘩を売り出し始めるのだ。
そうなると、俺だけでなく学校の人達に被害が出てしまう。
1回それで大きな事件が起きてしまっているのだ。
だが、彼はあの時の事を全く反省していない。
馬鹿だから。
そういう事情もあって、俺は彼の抑止力として喧嘩を買わないといけない訳で。
(この学園の平和は、──俺が守る……!)
無理にモチベーションを高めた俺は、屋上に繋がる扉を開く。
ドアを開いたその先に待ち受けていたのは、泡を拭いて倒れている自称番長とその子分達の姿だった。
「遅かったじゃない。待ちくたびれたわよ」
凛とした声が俺の鼓膜を揺らす。
この声にも聞き覚えがあった。
「げ、"一匹狼"……」
「その渾名、あまり好きじゃないんだけど」
屋上の貯水タンクの上に乗っていた短髪の少女は、上機嫌な態度で俺の呟きに反応する。
……口ではああ言っているが、多分、"一匹狼"という渾名を気に入っているのだろう。
「これ、お前がやったのか?」
「そうよ、邪魔だったから」
委員長に続いて理不尽な暴力に晒された子分達に同情してしまう。哀れ魚座の民。
「これであんたも心置きなく私と闘えるでしょ?」
そう言いながら、彼女は給水タンクの上から飛び降りる。
貯水タンクから屋上の床まで結構な高さがあったにも関わらず、彼女は足を痛めた素振りを見せる事なく着地した。
「だから、お前とは喧嘩しないって言っているだろ」
「はっ!最初に会った時、私を思いっきり投げ飛ばしてくれたじゃない」
「それは何度も顔合わせる度に謝ってるだろ、俺が悪かったって」
彼女と出会ったのは約半年前。
東雲市で不良達を血祭りに上げている彼女を偶然目にしたのが、ファーストコンタクト。
あの時の彼女は、しつこくナンパして来た不良達に鉄拳制裁を与えていたらしく、彼女からしてみると、あの暴力は正当以外の何者でもなかったらしい。
……側から見たら弱いもの虐め以外の何者でもなかったが。
で、ボコボコにされている不良達に同情してしまった俺は彼女を止めるために喧嘩を売ってしまい、つい流れで彼女を背負い投げして、気絶させてしまったのだ。
その事がきっかけで、俺は彼女の恨みを買ってしまい、今現在このような状況に陥ったという話である。
「それについては怒ってないって何回言えばいいのよ。私はあんたに喧嘩を売って負けた。ただ、それだけの話じゃない」
「じゃあ、何でお前は俺と顔を合わせる度に喧嘩を売るんだよ」
「顔を合わせる度に喧嘩売ってたら、朝の時点で売ってるわよ」
"一匹狼"の言葉が巧く呑み込めず、首を傾げてしまう。
今朝、俺は彼女と顔を合わせただろうか。
記憶を探る。
物覚えの悪い俺でも顔見知りと顔を合わせれば、それなりに覚えている筈なのに。
なのに、俺は彼女と会った記憶がない。
彼女を視界の片隅に少しでも入れた記憶がない。
一瞬、考え込んでしまうが、すぐに答えらしき答えを獲得する。
「そういや、教室の片隅でずっと寝た振りしていた短髪の同級生がいたんだけど、もしかして、あの時間を持て余して暇そうにしていた孤独な女の子ってお前だったのか?」
俺の何の悪気もない一言は、どうやら彼女の逆鱗に触れてしまった。
彼女は俺の顔面目掛けてハイキックを唐突に何の遠慮もなく打ち込もうとする。
「うおっ!?」
上半身を少し逸らし、彼女のハイキックを躱した。
「わ、私に群れなんて必要ないっての!私は群れを作る程、弱くないんだから……!!」
"一匹狼"の2つ名に相応しい発言をしながら、彼女は連続的にキックを放つ。
その蹴りはとても鋭く、とてもじゃないが帰宅部が繰り出す蹴りではなかった。
「じゃあ、何で俺に絡むんだよ!?俺を群れに加えたいのか!?」
「私はね!私より強い雄の存在が許せないの!!」
「どんな言い分だよ、それ!?」
彼女の動きが徐々に人間離れしていく。
彼女は慣れた動作で蹴り技を放ち続ける。
その姿は狼というより白鳥のように見えた。
しかし、繰り出される攻撃は肉食獣の牙の如く。
重く鋭い一撃を両腕で受け止める度に、俺の腕は軽く痺れた。
(この感じ、どっかで感じたような……)
4月4日、金郷教教主が潜伏していたガラスの塔に特攻を仕掛けた時の事を思い出す。
あの塔の中にいた魔法使い達と今の彼女は、何か似ているような気がする。
雰囲気が漠然と似ているというか。
纏うオーラが似ているというか、身体から発する目に見えない力が同じというか。
頭が悪いので何が似ているのか、何が同じなのかよく分からないが、とにかく今の彼女はあの魔法使い達と同じ感じがするのだ。
(もしかして、こいつも魔法使いなのか……?)
華麗に舞いながら蹴りを放つ彼女の攻撃を捌きながら、俺はある推論に辿り着く。
すると、避ける事も受け止める事もできそうにない程、重く鋭い一撃が俺の右頬に入ろうとしていた。
深く考える暇もなく、俺は迫り来る彼女の足を"掴む"。
「んなっ……!?」
理性的に避ける事も受け止める事もできなかったが、本能的に掴む事はできる。
俺はそのまま、衝動に身を委ね、彼女の身体を投げ飛ばしてしまむた。
彼女は洗練された動きで受け身を取ると、楽しそうな表情を浮かべながら、即座に体勢を整える。
「やっぱ、あんた強いわね…!そうじゃないと張り合いがないってもんよ!!」
「俺は張り合いなんて求めてねぇけどな」
地面に着地した彼女は興奮した様子で再度俺との距離を縮める。
そして、再び俺に蹴り技を放ち出した。彼女の攻撃は徐々に熾烈に、当たれば無事では済まない代物に変貌していく。
これ以上の手加減は不可能だ。
かといって、わざと負けるのもリスクが高過ぎる。
今の彼女の攻撃を喰らってしまったら、下手しなくても病院送りだ。
(よし、逃げるか)
俺は自身と彼女の身の安全を守るため、この場からの逃走を図った。
彼女の渾身の蹴り技を躱した俺は屋上の柵に向かって駆け出す。
そして、難なく柵を乗り越えると、俺は地面目掛けて飛び降りた。
「ちょ、……!」
地上15mくらいの高さから飛び降りた俺は着地の衝撃を体の各部位に分散させる──"五点着地"という受け身のやり方で、地面に着地する。
上手く受け身を取る事ができたので、俺は怪我を負う事なく、着地する事に成功した。
「なっ……!?」
上の方から彼女の驚く声が聞こえて来る。
俺は制服についた砂埃を払いながら、慌ててその場から逃げ出す。
「ちょ、待ちなさいよ!!」
背後から彼女の声が聞こえて来るが、無視する。
これ以上の厄介事は面倒だ。
俺は振り返る事なく、そのまま寮に向かって走り始めた。




