4月7日(2)『言っただろ、あんたと同じ事を願うって』の巻
寮長にボコボコにされて身動きが取れなくなった俺は、ベッドの上から見える窓の外を眺める。
窓の外は沈み行く夕陽しか見えなかった。
「……お兄ちゃん、大丈夫?」
「……大丈夫じゃないかもしれん。後日、委員長に血祭りに上げられる予定だから」
「どんな所業をしでかしたら、そんな物騒な予定が入るの……!?」
「もうじき分かる」
「ごめん、分かりたくない」
金郷教から解放されたばかりの美鈴は理解を拒む。
「……ひょっとして、外の世界じゃ血祭りって結構頻繁に起きているの?」
「週1のペースでな」
「まさか外の世界がこんなに物騒だったなんて……!!」
聞いていたのと違うと頭を抱える美鈴。
ふと、俺はずっと疑問に思っていた事を尋ねてみた。
「そういやさ、美鈴。何でお前は俺の事をお兄ちゃんって呼んでいるんだ?」
茜色に照らされた美鈴は少しだけ恥ずかしそうに呟く。
「教団にいた頃にさ、仲の良かった女の子にお兄ちゃんがいたの」
彼女は懐かしがるように昔話をし始める。
「そのお兄ちゃんはさ、妹を守るためにどんな事もやったの。辛そうな妹のために修行を肩代わりしたり、妹を守るために魔術を習ったり。妹は結局、修行についていけなくて、数年前に死んじゃったけど、その子のお兄ちゃんは最後の最後まで妹の味方だったの」
美鈴は俺の瞳をじっと見つめる。
その瞳には夕陽が映り込んでいた。
「だから、私、ずっとお兄ちゃんが欲しかったんだ。どんな時でも私を守ってくれるお兄ちゃんが」
美鈴の一言で俺が何故あの日、あの神社を通ろうとしたのか理解する。
多分、美鈴が心の底から願った結果、神器としての機能により、俺を呼び寄せたんだろう。
何故、俺が選ばれたのか。それは彼女の願い通り、最後の最後まで美鈴の味方であり続ける素質を持っていたから。
けど、この理解はただの憶測でしかない。
もしかしたら、美鈴は最初から神器の力を使えなかったかもしれないし、逆に彼女が無意識のうちに神器の力を使いこなした結果、今に至ったのかもしれない。
彼女が神器の力を使えなくなった今、それを証明する手段は何処にもない。
けど、証明する必要はもうないだろう。
たとえ彼女の思惑通り動いたとしても、俺は自分自身のためにここまで走って来たのだから。
「だからさ、あの時、お兄ちゃんが私を助けてくれた時、本当に嬉しかった。最後の最後まで私を守ってくれると信じたかったんだ。だから、私はお兄ちゃんをお兄ちゃんって呼び続けたの」
「で、お前のご期待通り、俺は最後までお前のお兄ちゃんであり続けたって訳か」
「うん、お兄ちゃんは最後まで私を守ってくれた」
彼女は心の底から微笑む。
いつもみたいな何処か悲しみを含んだ笑みじゃない。
正真正銘の満面な笑みで俺に微笑んでくれた。
「目が覚めた時から、ずっと考えていたんだ。どうしたら、お兄ちゃんにこの恩を返せるかなって」
“返さなくて良いぞ”、と俺が言う前に彼女は気兼ねなく笑いながら言葉を続ける。
「今の今まで答えは出なかったけど、やっと答えが出た。私、お兄ちゃんが助けて良かったって思えるような人間になるよ。……お兄ちゃんが誇りに思えるような大人になってみせるから」
美鈴は両手で俺の右手を掴む。
その手はとても暖かいものだった。
「今の私はお兄ちゃんが助ける価値がない人間かもしれない。今の私は人を思い通りに動かせる最低最悪な悪女かもしれない。でも、私はお兄ちゃんが私にしてくれた事はとても価値あるものだって思っているし、これからも思い続ける。だから、私は立派な大人になる事で、お兄ちゃんのやって来たことの正しさを証明してみせるよ」
彼女は興奮した様子で満面の笑みを浮かべる。
その笑顔だけで、その決意表明だけで、俺は自分がやった事に価値を見出す事ができた。
世界を救えたのかどうかなんか知らない。
もしかしたら、誰も幸せになれなかったかもしれない。
けど、俺は1人の女の子を笑顔にする事ができた。
それだけは確かにこの手で実感する事ができた。
それだけで俺は満足する事ができた。
「これなら、この恩を返せるでしょ?」
これから待ち受ける大きな困難に怖気つく事なく、彼女は気兼ねなく微笑む。
とてもじゃないが、恩なんか返さなくて良いとは言えなかった。
理由は簡単。
今、彼女が抱いている思いも今抱いている俺の思いも迂闊な言葉で踏み躙ってはいけない大事なものだったから。
「ああ、そうだな」
美鈴の言葉に相槌を打っていると、病室に看護師さんが入って来る。
どうやら面会時間は終わったようだ。
美鈴は看護師さんの下へ駆け寄ると、退室間際、俺に向かって小さく手を振る。
「じゃあね、お兄ちゃん。また明日」
彼女は満面の笑みと再会を願う言葉を部屋に残して去ってしまう。
「ああ、また明日」
俺はそう呟くと、ベッドに全体重を預ける。
その時だった。
キマイラ津奈木が音もなく入室したのは。
「こんにちは」
「……せめて、ノックしてから入って来い。ビビるだろうが」
「いや、面会時間がそろそろ終わるらしくて。ちょっと病室の扉に人払いの結界貼りますね。小羊に聞かれたら、少し不都合な話をしますから」
「人払いの魔術を使うって事は、もしかして魔法や魔術絡みか?」
「ええ。それと貴方への伝言を」
彼は病室の扉にお札を貼り付けると、俺と向かい合う。
「先ずは貴方に感謝の言葉を言わせてください。貴方のお陰で私達は間違わずに済んだ。金郷教を代表して、感謝の言葉を述べさせて頂きます。ありがとうございます」
「感謝の言葉を述べる事自体が間違いだっての。俺は自分のためにお前らの目論見をぶっ潰しただけだ。俺は自分の我儘のために動いていただけだから、感謝するのは筋違い以外の何物でもない。むしろ、恨む方が道理に適っている」
彼は俺の言葉を謙遜と受け取ったのか、軽く聞き流した。
「さて、お礼の言葉を述べさせて貰ったので、貴方が気絶した後の事を報告させて頂きます」
「それなら啓太郎に聞いたけど……美鈴は神器としての機能を失って、金郷教は事実的に壊滅状態になって、あと、金郷教信者達は家族の下に戻ったり、国際なんちゃらに勤める事になったりしたんだろ?それ以外に話す事があるのか?」
「その補足説明です。先ずは今、貴方が置かれている状況についてお話ししましょう」
彼は袋からプリンとプラスチックスプーンを取り出すと、それを俺に差し出す。
俺はそれを有り難く受け取った。
「今、貴方は私が所属している国際魔導機関下部組織にて監視対象認定を受けています」
「俺が神造兵器持っているからか?あれなら……」
「それは秘密にさせて貰っています。貴方の功績を横から掠め取ったようで申し訳ありませんが、ガイア神を撃退したのは私という形で報告させて貰いました。もし貴方がガイア神を神造兵器で退治したと知られたら、……7それはもう、大変な事になりますので」
キマイラ津奈木の青褪めた表情を見て、何となくヤバいという事を察知する。
何がヤバいのかは具体的に聞かなかった。
なんとなく怖いので。
「じゃあ、何で俺は監視対象になっているんだ?」
「貴方が小羊──魔法使いではない一般人でありながら、魔法・魔術の存在を知ったからです。現に貴方だけでなく、啓太郎さんも雫さんも監視対象として認定されております」
鎌娘が以前、一般人に知られたら、第三次世界大戦が起きる可能性が高くなると言っていたのを思い出す。
つまり、今の俺達は魔法使いや魔術師にとって危険因子そのものなのだろう。
「つまり、魔法の存在を口外しないようにすれば良いって事か?」
「ええ。一応書類上では私が貴方の記憶を操作した事になっておりますので、これからは魔法に関して覚えていない振りをしてくれると幸いです」
「俺はそれで良いんだが……啓太郎と雫さんの記憶も消さないのか?」
「はい、彼等の記憶は弄りません。何せ彼等は私と同じ組織に属する事になりましたから」
衝撃的な事実に思わずプラスチックスプーンの封を開ける手を止めてしまう。
「え、何で?」
「啓太郎さんが国際魔導機関の方と取引致しまして。ガイア神の降臨によって不安定になった日暮市を守ってやる代わりに、自分達を国際魔導機関の下部組織に所属させろと交渉したのです。彼のお陰で私含めた金郷教の魔術師達は路頭に迷わず済みました」
さっき優秀な中継ぎがいたんだろうと照れ臭そうに言っていた彼の姿を思い出す。
あれは彼なりの遠回しな自慢だったのだ。
「何で俺だけハブるんだよ!?俺もその国際何ちゃらの組織に入れてくれよ!金出るんだろ!?金をくれ!!」
「だから、貴方の存在が表沙汰になったら困るって言っているじゃないですか!!下手したら、実験動物扱いされてしまいますよ!?」
「その時はマッドサイエンティスト全員殴り飛ばせば良いだけだろ!?」
「どんだけ脳筋なんですか、貴方は!?」
大きな声を出した影響で外から看護師さん達のヒソヒソ声が聞こえる。
慌てて俺達は声のトーンを落とした。
「まあ、話は元に戻しまして。啓太郎さんのお陰で私のような魔術師達は就職することができ、雫さんのお陰で殆どの信者は家族の下に戻る事ができました。感謝感激雨あられです」
彼の口振りから、信者達が家族と再会できたのは雫さんの働きだという事を推測できる。
多分、警察の行方不明届とかで情報をかき集めたのだろう。
「……要するにあいつらが後始末をやってくれたって訳か」
彼等に借りを作ってしまった。
いつか返さないといけないなと考えながら、プリンを口に入れる。
キマイラ津奈木の話はまだ続いた。
「あと、教主様の件ですが。彼はガイア神を呼び出した罪を自ら背負い、幹部達と共に行方を眩ましました。まだ手配されていませんが、国際指名手配犯になるのも時間の問題でしょう」
「何であいつ自ら背負ったんだ……?事故って言えば言い逃れできただろ?」
「恐らく信者達を守るためでしょうね。詳しい事は彼以外分かりませんが。……あと、去り際に教主様から貴方への伝言を頂きました」
「伝言……?」
「シンプルに一言だけ。"挑戦してみる"、と」
「そっか」
「他に聞きたい事はありますでしょうか?」
「いや、何も」
「そうですか……」
伝えたい事を伝え終わったキマイラ津奈木は病室から立ち去ろうとする。
俺は自分の身体に突き刺さっている管を抜くと、ベッドの近くにあった──誰が持って来たのか分からない──ジャージに袖を通した。
「……何しようとしているんですか」
外出の準備を始めた俺を見て、キマイラ津奈木は引き気味に尋ねる。
「山口で会った女の子を探そうと思って。啓太郎に聞いたところ、そいつ行方を晦ましているみたいだし」
外着に着替え終わった俺は、病室の窓を開ける。
窓を開けると、茜色に染まった空が視界を埋め尽くした。
冷たい春風が俺の肌を撫でる。
どうやら夏はまだ先らしい。
あの夏の日──先生と話した記憶を朧気ながら思い出した俺は、つい苦笑いを浮かべてしまう。
今の俺は立派な大人なんかじゃない。
薄っぺらな人生しか送っていないから、俺の言葉に重みはない。
軽薄な言葉であるから誰の心にも届かないし、暴走する誰かを止める事もできない。
言葉で止められないから、暴力に頼るしか方法がない。
……俺は知っている。
暴力では根本的な問題を解決できない事を。
立派な大人は暴力なんか振るわない事を。
誰かのために走ったとしても、誰のためにもならないのなら、それはただの独り善がりに過ぎない事を。
だから、俺は本当の意味で誰かのために走れるようになるために、相手と向き合わないといけないのだ。
相手の考えや気持ちをなるべく理解できるようになるまで寄り添わないといけない。
多分、俺はこれからも間違いを犯すし、今回みたいに失敗してしまうだろう。
それでも俺は走り続ける。
誰かのために走れる大人になるために。
それが俺のやりたい事でなりたいものだから。
「じゃあ、ちょっと走って来るよ。あんたとの約束も果たさなきゃいけないしな」
俺の発言を聞くや否やキマイラ津奈木は頭を抱える。
眉間に皺を寄せたかと思いきや、今度は困ったような笑みを浮かべた。
彼の表情七変化を眺め続ける。
幾ら見続けても彼の心の中は見えなかった。
(見ているだけで心の中が分かるなら、こんな苦労しなくて済むか)
「……行く前に教えてください」
キマイラ津奈木は吹っ切れたような表情を浮かべると、俺と再度目を合わせる。
俺は黙って、彼の口から飛び出てくる言葉を待ち続けた。
「貴方はあの時、あの膨大な魔力に一体何を願ったんですか?」
いつでも病院から脱走できるように窓枠に足をかけながら、彼の質問に答える。
「言っただろ、あんたと同じ事を願うって」
あの時、抱いた願いを取り繕う事なく、そのまま口にする。
「価値あるものに花束を」




