4月3日(10) 『届かない言葉/中身のない言葉』の巻
決着はあっという間に着いた。
教主は意識があるにも関わらず、起き上がろうとせず、大の字の状態で寝そべり続けた。
……なんて声をかけたらいいのか、分からなかった。
殴打の痕が色濃く残る教主の姿と血に濡れた拳を交互に見ながら、俺は魔法陣らしき模様の上で眠っている美鈴の下へ向かう。
先程、無理に身体を動かしたため、塞がっていた傷口は全部開いていた。
その所為で頭も腕も腹も足も血に塗れている。
いつ意識を失うか分からない。
それでも限界が訪れるまで走り抜こうと覚悟を決めた。
「おい、美鈴。起きろ、迎えに来たぞ」
教主達に暴行を受けた所為なのか、彼女の頬は腫れていた。
出血量は少ないため、出会った時程、手荒な真似をされていないのだろう。
それでも、彼女の傷は酷い事には変わりない。
……早く病院に連れて行かねば。
美鈴の身体を軽く揺さぶる。
眠りが浅かったのか、ちょっと揺さぶっただけで彼女は目を覚ました。
「……お、にい、……ちゃん……?」
「お、目が覚めたか。立てるか?立てるんだったら、さっさとここから出るぞ」
美鈴は起き上がると、倒れている教主を見て息を飲む。
そして、血だらけになった俺と自分の掌を交互に見ると、俯きながらこう言った。
「……何でここに来たの……?」
「自分のためだよ」
俺は彼女を刺激しないように、優しく諭すように呟く。
「……違う」
美鈴は俺が出した答えを即座に否定する。
彼女は俺に顔を見せないように俯きながら、否定の言葉を口に出した。
「お兄ちゃんが私を助けるのは、私がそう仕向けたからだよ。お兄ちゃんの意思なんかじゃない。私がそう思うように神器の力で操ったから。だから、お兄ちゃんは出会って数日も経っていない、赤の他人でしかない私を助けようとしたんだよ」
「でも、助けて欲しいって思ったんだろ?」
美鈴の言葉を遮った俺は、自分の価値観を押し付ける。
「なら、それで良いんだよ。たとえ洗脳だろうが何だろうが。苦しい時はどんな方法でも良いから助けて欲しいって伝えるべきなんだよ。そうしないと、誰もお前の気持ちに気づいてやれない。どんなに辛くても、どんなに苦しくても伝えないと誰も気づいてやれないんだ。だからさ、美鈴。お前は正しい事をしたんだよ。たとえ不思議な力に頼ったとしても、ちゃんと助けを求める事ができたんだから」
「……でも、私の我儘で私はお兄ちゃんを殺しかけたんだよ……私が、素直に神器になっておけば、誰も傷つかずに済んだのに……そんな我儘で身勝手な私を、私は評価しても良いのかな……?」
「良いんだよ、お前より我儘で身勝手な人間がここにいるから」
彼女の悩みが吹き飛ぶ事を祈りながら、俺は彼女の頭を雑に撫でようとする。
しかし、自分の拳が血で濡れている事に気づいたため、俺は慌てて右手を引っ込めた。
それを見た美鈴は、喜び半分悲しみ半分といった表情を浮かべる。
「……じゃあさ、私に操られていないんだったら、何でお兄ちゃんはここに来たの?」
「…………立派な大人になるためだよ」
俺がこんな発言をしてもいいのか、血で濡れた自分の手で美鈴に触って良いのか、俺は少しだけ考えながら呟く。
「俺はさ、いつか誰かのために走れるような大人になりたいんだ」
血で濡れた右手を見つめながら、立派な大人とは言い難い自分の姿を見て、俺は自嘲する。
「だから、お前の事を見捨てる事ができなかった。お前を見捨てたら、俺は2度となりたいものになれなくなると思ったから。だから、ここまで来たんだと思う。……いつか誰かのために走れる人になるために」
「……結局、それって、自分のためとか言ってるけど、私のためじゃん」
「自分のためだよ」
俺は美鈴と同じ目線で話すため、膝を地面につける。
「俺が尊敬している先生はこう言った。"善行も悪行も巡り巡って自分に返ってくる"って。だから、俺達人間は悪い事をしたらいけないし、将来、自分が幸せになりたいなら、善行を積まなければいけないらしい。だから、多分、俺は見返りが欲しくて、誰かのために走っているんだと思う」
先生の言葉を引用した所為で、自分の気持ちがボヤけてしまった。
本当はこんな事を言いたい筈ではないのに。
だから、俺は思った事をそのまま口に出す。
「いや、違うな。……俺、思うんだ。誰かのために何かをやるって事、誰にもできないんじゃないかなって」
血に濡れた右の拳を見つめながら、自分の心情を素直に吐露する。
「だってさ、誰も人の思考や感情を完璧に知る事なんてできないだろ?幾ら相手の事を思い遣ったとしても、相手が望んでいなかったら、ただの自己満足だ。たとえ、どれだけ思い遣ったとしても、どれだけ相手の幸せを願って尽くしたとしても、誰も求めていなかったら、誰のためにもならない。ただの独り善がりになってしまう」
頭が良くない俺は、自分の言いたい事がよく分からないまま、自分の気持ちを探るためだけに、言葉を紡いでいく。
「結局さ、相手の頭の中を覗き込まない限り、誰かのために何かをやるって事は誰にもできないんだと思う。実際、俺は美鈴の気持ちも考えている事も予想はできても、完璧には」
無駄に言葉が長くなる。無駄に説教臭くなる。
こんな重みも何にもない言葉しか紡げない自分が嫌になってしまう。
「……それじゃあ、誰もお兄ちゃんが言う立派な大人になんかなれないじゃん。誰かのために走るって事は、本質的にできないんだから」
「そうかもしれないな」
美鈴と話している間にも体力は削られていく。
脳内に激痛という名のアラートが鳴り響き、開いた傷口から焼けるような熱が発生し始める。
そろそろ動き出さないと、この塔降りる事できずに気絶してしまうだろう。
霞んだ視界で美鈴の顔をぼんやり眺める。
「確かに美鈴の言う通り、立派な大人にはなれないかもしれない。それでも、俺は誰かのために走れるような大人になるために頑張るよ」
あの時、先生が言っていた言葉──自分は立派な大人ではない──を少しだけ理解できたような気がした。
「だって、それが俺のやりたい事で、なりたいものだから」
「……なら、尚更、私のために走るべきじゃないと思うよ」
俺の言葉を遮るように、美鈴は自分の感情をそのまま吐露する。
「……だって、お兄ちゃんが命を賭ける程、私という人間に価値はない」
美鈴はさっき教主が言っていたのと全く同じ言葉を吐き出した。
……多分、彼等は金郷教の大人達から"価値はない"という言葉を掛けられ続けたのだろう。
「私は自分が助かるために嘘を吐いた。本当は記憶があったけど、記憶がないフリをした。自分の身を守るために、私はお兄ちゃんを利用した」
美鈴の身体に白銀の稲妻が走る。
「私は自分が助かるためだけに嘘を吐いた。人の善意を利用した。私が神器としての役割を果たさなかった所為で、多くの人を……私のために走ってくれたお兄ちゃんを傷つけてしまった」
美鈴の身体から生じる白銀の稲妻は徐々に大きくなっていく。
それを見て、確信した。
美鈴が自分を責める度に、ストレスを募らせる度に、美鈴の身体に神様が降りようとしている事を。
俺の軽くて薄い言葉なんかじゃ彼女の心を救えない事を。
「美鈴……!」
美鈴の手を掴もうとする。
けど、血に濡れた右掌を見て、一瞬、俺は動きを止めてしまった。
「そうだよ……私は自分の幸せなんか祈っちゃいけない人間だった。幸せになっちゃいけない人間だった。だって、私は人間じゃないから。神様を降ろすための道具なんだから。だから、お兄ちゃんみたいな善人に助けを求めるべきじゃなかった。お兄ちゃんみたいな人に嘘を吐いてまで、自分を助けて欲しいなんて祈るべきじゃなかった……!!」
突如、美鈴の身体から爆風が生じる。
俺の身体は勢い良く壁に叩きつけられた。
「がはっ……!?」
突然の事だった。
何が起こったのか分からない。
地面に横たわりながら、状況を確認しようとする。
途端、部屋の中にあった魔法陣や文字が妖しく輝き始めた。
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