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4月3日(8) 『立派な大人になるためだよ』の巻

 塔の最上階の床や壁、天井には様々な文字や図式で埋め尽くされていた。

 多分、魔法陣なのだろう。

 その魔法陣と思わしき模様の中心美鈴が寝そべっている。

 彼女の顔面は青痣塗れになっており、額から血が流れていた。

 

 金郷教教主を名乗る男を見る。

 彼は戸惑いを表に出さないよう、拳を力強く握り締めていた。

 彼の拳に赤い血が付着している。

 恐らく彼が美鈴を殴ったのだろう。

 いつもだったらかなり激怒している状況であるにも関わらず、今の俺は自分でも驚くくらい落ち着いていた。

 

 いや、男の困惑と悲しみが入り混じった表情に毒気を抜かれてしまった。

 改めて教主の顔を見る。

 彼はどう見ても悪人には見えなかった。


 美鈴をこのような目に遭わせた教主は、引き攣った笑みを浮かべると、動揺が悟られないように取り繕い始める。


「まだ神器に操られているのか、お前は。いい加減、自分の意思で動いていない事を自覚したらどうなんだ?」


 奴は興奮しているのか、何故か早口で俺を捲し立て始めた。


「ここまで来れた事が自分の実力だと思っているのか?魔法も魔術も扱えないお前が特別な力を持つ者達に勝てたのは必然だと思っているのか?それは違う。お前は神器のバックアップがあったから、ここまで来れたのだ。意思も力もなく、ここまで辿り着けたのは全部神器のお陰だ。お前は神器の意思で都合良く動かされたロボットなんだよ」


 昨日会った時と違い、彼は動揺していた。

 俺は彼の言葉に反応する事なく、いつでも喧嘩を始められるように身構える。

 教主は顔を顰めながら、俺の姿を注意深く観察する。

 そして、深呼吸を何回か繰り返したかと思いきや、奴は俺に以前会った時と同じ質問を繰り出してきた。


「おかしいと思わないのか?たかが1日2日の付き合いでしかないこいつらの為にお前は命を賭けている事を。赤の他人と言っても過言じゃ無い奴のために血だらけになっているんだぞ、お前は。この状況を、この現状を、この惨状をおかしいと思わないのか?」


「いや、全然」


 俺は視界を今にも塞ごうとする血液をジャージの袖で拭いながら答える。

 奴は俺の返答が気に食わなかったらしく、唇を噛み締めると、また早口で俺を罵り始めた。


「じゃあ、お前は自分の意思で全人類が幸福になれる機会を不意にしようとしているのか?今、世界中で不幸な目に遭っている人を見て見ぬ振りをして、目の前の可哀想なこいつらを助けようとするのか?」


「そういう事になるな」


 俺の返答が更に気に食わなかったらしく、彼は苦悶に満ちた表情を浮かべる。


「お前があの神器を助けようとするだけで、多くの人が不幸になるんだぞ!?貧困に苦しむ者、戦争により大切な人と生き別れになった者、理不尽な事故で植物状態になった者、先天的な身体特徴により生まれた時から差別を受けている者、生まれてすぐに虐待を受ける者や上級階級の保身のために犠牲を強いられている者、それらの人々を見捨ててまで、お前は神器を助けたいのか!?」


「ああ、そうだな」


 またしても奴の述べる不幸な人像は在り来たりで妙に薄っぺらく感じた。

 多分、あいつは本当にその人達を救いたい訳じゃないだろう。

 けど、救いたいという気持ちだけは本物だという事は伝わった。


「お前は自分が何をしているのか自覚しているのか!?何故、出会って数日も経っていない奴のために命を張る!?自分の行動にどれだけの価値があると思っている!?自分の行動により、どれだけの願いが踏み躙られると思う!?」


 あの時と全く同じ言葉を感情的になりながら、奴は独り言のように呟く。

 まるで自問自答しているかのように。

 そして、あの時と全く同じ疑問で俺を詰った。


「お前は全人類を不幸にしてまで、自分の我儘を押し通そうとするのか!?」


「ああ、その通りだよ、教主様。俺は自分の我儘のために全人類を敵に回す。そのために、ここまで走って来たんだ」


 あの時、答えられなかった解答を彼に突きつける。

 たったそれだけの言葉で奴は絶句してしまった。


「あんたから言われて色々考えたけどさ、結局、俺という人間はさ、全人類の幸せよりも自分の思いを優先する身勝手で我儘な人間らしい」


 何を言っているか分からないといった表情で彼は俺の話に耳を傾ける。


「あんたの言う通り、俺と美鈴は出会って数日の関係だ。命を賭けるまで守るような仲じゃないのかもしれない。そもそも俺は美鈴がどういう人間なのか、何で金郷教から逃げ出したのか、何で俺に嘘を吐いていたのか、何で俺の事をお兄ちゃんと呼んだのか、これっぽっちも知らない。いや、知ろうとしなかった」


「なら、何で神器の味方であり続ける!?何も知らない癖に、彼女のステータスに何の価値も見出していない癖に!!」


「立派な大人になるためだよ」


 美鈴は1度も自分を救ってくださいと俺に頼まなかった。

 多分、俺以上に自分の我儘で全人類の幸福を踏み躙って良いのか考えていたから、迂闊に助けを求める事ができなかったんだと思う。

 でも、彼女は頑なに俺の事をお兄ちゃんと呼び続けた。

 まるで赤ん坊が泣くみたいに。

 きっと彼女なりのSOSだったんだろう。

 これは俺の予想で真実でも事実でもない。

 ただの妄想かもしれない。

 ただの希望的観測かもしれない。

 彼女にとって今の俺の行為は邪魔で迷惑でお節介なだけかもしれない。

 人の気持ちなんて想像する事はできても、100パーセント理解する事はできない。


 だから、俺は彼女のためではなく、自分のために動く事にした。


「俺はさ。誰かのために走れるような大人になりたいんだよ。美鈴を見捨てたら、立派な大人になれなくなる。だから、俺はここにいるんだ」


 美鈴の気持ちを理解できていない以上、今俺がやっている事はただの独り善がりだ。

 だから、この行動の意味を彼女に求めたりなんかしない。

 俺は自分のために──たとえ子ども1人生贄にする事が絶対的な善だったとしても、子ども1人見捨てるような大人になりたくないという理由で、これから全人類が幸せになれる可能性を踏みにじる。

 俺は自分の願いのためだけに、全人類の希望を打ち砕く。


「誰かに言われた訳でも、誰かに操られている訳でもない」


 どこからか吹いてきた晩夏の風が、俺の背中を優しく押す。


「俺は自分のために、ここにいるんだ。──自分の願いを叶えるために」


 緊張感が求められる場面であるにも関わらず、俺はつい笑みを溢してしまう。

 そんな緩み切った俺の顔を見た途端、信じられないものを見るかのような目で俺と自分の手を交互に見始めた。


「……全人類が幸せになれる道を、そんなちっぽけな願いで否定するのか、お前は……?」


 奴は唇を震わせながら、俺を睨みつける。


「正論を突きつけるならまだ分かる。違う方法を提示してくれるなら、まだ分かる。……なのに、お前はオレに正論を突きつける訳でもなく、違う道を示す事なく、ただただ自分の我儘だけで、自分の都合だけで、世界中の人々が幸せになれる道を踏み躙ろうとしているのか……?」


「ああ、そうだ」


「ふざけるな」


 奴の怒声が儀式場全体に響き渡る。

 その言葉は途轍もない程の感情が込められていた。


「そんなのが許される訳がないだろ?自分さえ良ければそれで良いのか?自分の幸せのためなら不幸な目に遭っている人を見捨てていいのか?お前が言っているのはただの暴論だ。幼稚で稚拙で本能的で酷く醜い言語の羅列だ。お前は知っているのか?救いを願っているのに救われない人達の実態を?裏切られ、踏みにじられ、蹴落とされてきた信者達の姿を知らないからそんな事を言えるんだ。信者達が抱えている闇を知らないから、そんな身勝手な事を言えるんだよ、お前は」


 怒りに任せた物言いで奴は俺を詰る。

 それを見て、ようやく俺は彼の事をちょっとだけ理解できた。


「なんだ。あんたは世界中の人々を救いたいんじゃなくて、自分の所の信者を救いたかったんだな」


 俺の一言を聞いた瞬間、彼は鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をした。


「何を言って……」


「あんたはさ、多分、俺と同じで、ただ目の前にいる人達のために走りたいだけなんだよ」


 最大多数の最大幸福を求めた結果、自分の限界を思い知り、挑戦する事を初めから諦めて、神に全てを任せようとした"もしもの俺"が目の前そこにいた。

 多分、俺と彼は根本的な所は変わらないだろう。


「知ったような口を叩くな、子羊……!!」


 彼は俺から奪ったアイギスの鎧を全身に身につける。


「お前、自分が何をやっているのか分かっているのか!?その出会って間もない女のために世界を敵に回すつもりか!?みんなが幸せになれる道を自分の都合だけで捻じ曲げるのか!?」


 彼と俺の相違点は、諦めたか否かだけだ。

 それ以外は何も変わらない。

 守りたい対象も守るべき信念も。

 彼は自身の無力を言い訳にして、神様に全てを託そうとしているだけだ。


「世界だろうが何だろうが敵に回してやるよ。それが身勝手で我儘な俺という人間の覚悟(こたえ)だ」


 神様任せの姿勢が気に食わない。

 確かに人間には限界があるかもしれない。

 全ての人を救うなんて所業は神様にしかできないかもしれない。

 けど、無力はできない言い訳になり得ないのだ。

 挑戦する事を諦めたら、可能性は可能性のまま終わってしまう。

 挑戦して、失敗するかもしれない。

 挑戦した結果、悪い結果を招くかもしれない。

 でも、動いてみないと何も分からない。

 走り出さなきゃ、何も知る事ができない。


「俺は自分のために走り続ける。それが俺の答えだ」


「はっ!じゃあ、お前は自分の我儘で他の人を不幸にするつもりか!?自分の身勝手な感情論の所為で地獄に叩き落とすつもりなのか!?」


「だから、走るんだよ」


 これは自問自答だ。

 俺は彼の中にある無数の思考1つであり、彼は俺の中にある無数の反論の中の1つ。

 だから、この問答は相手のためにやっているのではない。

 自分のこれからの行動がどれだけのものを招くのか、どれだけのものを背負う事になるのか、再確認しているのだ。

 だから、俺は絶対に引かない。

 無力を言い訳に自分の思いを踏み躙る事なんかしない。

 ここで引いたら誰も救われない。

 美鈴も彼も、そして、俺自身も。


「自分の願いを叶え続けるために」


「それは挫折を知らない者の言い分だ……!お前も失敗したら自分の限界を思い知る……!そう都合良く人が人を救える訳がないって事が……!!」


「かもな。けど、やってみなくちゃ何も答えは出ないだろ。挑戦してみないと結果は出ない。覚悟を決めないと何も残らない──いや、何も残せない」


 今の俺の言動が“立派な大人”のものではない。

 けど、美鈴を見捨てたら、より一層“立派な大人”から遠ざかる。

 そんな気がする。

 ここで自分の気持ちに蓋をしてしまったら、一生俺は“立派な大人”になれないような気がする。

 なら、俺はここから逃げる訳にはいかない。

 それが俺のやりたい事でなりたいものだから。


「あんたはそうやってやる前から何もかもやる前から諦めるのか?」

 

 彼に1歩だけ歩み寄る。

 上から目線の発言をしながら。

 自分がこんな言葉を吐き出す資格がない事を知りながら。

 俺は衝動に赴くまま、口から言葉を吐き出し続ける。


「自分の気持ちに蓋をしたまま、生きていくつもりなのか?」


 俺が1歩近づいた途端、彼は1歩だけ退いた。


「ああ……!お前と話していると頭がおかしくなる……!」


 彼は両の籠手を俺に向かって突き出す。

 それ以上、1歩でも動いたら撃ち抜くぞと言わんばかりに。


「これから全ての人はガイア神によって救われる。お前がどう思おうが、どう動こうが、何も変わらない。お前は神器を救う事ができず、挫折を味わう事になる。いや、オレがお前に人類という矮小で惨めで愚かな個体の限界を教えてやる……!!お前から奪ったこの兵器でな!!」


 彼の右手から白雷が飛び散ると共に彼の右手は籠手に覆われる。

 俺はそれを見つめながら、こう言った。


「──教主様、あんたじゃ俺には勝てねぇよ」


 俺は右の拳を握り締めると、ガラスの床を思いっきり蹴り上げる。それが開戦の合図だった。

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