帰宅の巻
4月30日──図書館記念日とか国際ジャズ・デーとか誰かにとって特別な日であるが、俺にとってただの平日でしかないある日の夜。
俺──神宮司は桑原神社で寝転がっていた。
「あー、やっと帰って来れたか」
身体を起き上がらせながら、周囲を見渡す。
先ず目に入ったのは、寝転がっている美鈴と啓太郎、そして、犬みたいな生き物だった。
感覚的に把握する。
この犬みたいな生き物が始祖ガイアの分体の成れだ、と。
眠っている彼等から目を背け、周囲を見渡す。
脳筋女騎士と酒乱天使の姿は見当たらなかった。
金郷教元教主──フィルの姿も見当たらない。
肌寒さを感じながら、ポケットに手を突っ込む。
ポケットに手を入れた途端、右人差し指に『何か』が触れた。
何かをポケットの中から取り出す。
『何か』の正体は一枚のメモだった。
「……なんだ、もう帰ったのか」
取り出したメモは元教主──フィルが残したものだった。
メモに書かれた一文を一瞥する。
そこに書かれていたのは、愛嬌も可愛げもない一文だった。
「ん……あり? ここ、……どこ?」
美鈴が上半身を起き上がらせた後、啓太郎も上半身を起き上がらせる。
俺は息を吐き出すと、彼等に事実を突きつけた。
「そうか。元の世界に戻れたんだな」
長い溜息を吐き出しながら、啓太郎は肩の骨を鳴らす。
疲れているのか、彼は眠そうな顔をしていた。
「さて。僕らが平行世界にいた間、この世界はどれ程の時間が経過して……」
「空の様子や月の満ち欠けを見る限り、多分、1時間も経ってないと思うぞ」
藍色に染まった夜空を指差しながら、美鈴の方を見る。
疲れているのか、立ち上がったばかりの美鈴も眠そうな顔をしていた。
「だと良いんだが」
欠伸を浮かべながら、啓太郎は俺の顔を一瞥する。
そして、俺に質問を投げかけようとして──止めた。
「疲れた。僕は帰らせてもらう」
「おい、お巡りさん。美鈴を送って帰れよ」
「残念だったな、司。今の君を甘やかす程、僕はお人好しじゃない」
悪戯っ子のような笑みを浮かべた後、啓太郎は目を細める。
彼の瞳に映る俺の姿は、少しだけ大きくなったように見えた。
「またな、司。背伸びは程々にしとけよ」
そう言って、啓太郎は俺に背を向ける。
彼の気取った背後姿をぼんやり眺めながら、俺は胸に詰まった息を口から吐き出した。
真っ白に染まらない吐息を見て、夏が近い事を改めて実感する。
「帰るか」
「……うん」
眠そうに目を擦る美桜に話しかける。
彼女はゆっくり首を縦に振ると、右掌を俺に見せつけた。
「おんぶするぞ」
「いいよ」
そう言って、美鈴は自分の右手を突き出す。
「自分の足で帰りたい」
満面の笑みを浮かべながら、美鈴は俺の顔を仰ぐ。
今の彼女の顔は、何処からどう見ても年齢相応の女の子にしか見えなかった。
「大体承知」
美鈴の手を握る。
俺の体温を感じ取った途端、美鈴は肺の中に溜まっていた生暖かい空気を吐き出した。
◇
歩いて、歩いて、歩き続けて。
俺と美桜はバイトリーダーの家に辿り着く。
今時珍しい木造アパートの2階の一室まで直行した俺と美鈴は、インターホンを鳴らす事なく、玄関のドアを開ける。
鍵はかかってなかった。
勢い良くドアを開けると、靴を履こうとしていたバイトリーダーと遭遇してしまう。
俺と美鈴を見るや否や、バイトリーダーは安堵の溜息を吐き出す。
そして、帰ってきた美桜の頭を撫でつつ、意地の悪そうな目で俺の顔を見つめ始めた。
「つ・か・さくん、今何時だと思っているのかな〜?」
「20時くらい?」
「22時だよ。まったく、こんな時間まで美鈴ちゃんを連れ回すなんて、本当非常識だよ。まさか美鈴ちゃんにエッチい事していないよね?」
「する訳ねぇーだろ、脳内ピンク女」
「そうだよね、ツカサ君の好みはロリじゃなくて、おっぱいデカイ子だよね」
己の胸に視線を誘導するようなポーズを取りつつ、バイトリーダーは悪戯っ子みたいな笑みを浮かべる。
そんな彼女を見た途端、俺は平行世界で遭遇した『美桜』の顔を思い出した。
「なあ、バイトリーダー」
バイトリーダー……いや、この世界の美桜の瞳を真っ直ぐ見つめる。
そして、疑問を口に──しようと試みた。
けど、背伸びしている所為で、疑問は口から出て来なかった。
「どうしたの、ツカサくん?」
「……あー、いや、なんでもない」
踵を返し、美桜──改めバイトリーダーに背を向ける。
今更になって痛感した。
俺よりもバイトリーダーの方が大人である事を。
それを痛感した途端、なんだか気恥ずかしくなってしまった。
「んじゃ、俺、寮に戻るから」
「うん。おやすみ、ツカサくん」
家を出ようとした途端、美桜──改めバイトリーダーの優しい声が、俺の鼓膜を微かに揺らす。
振り返る。
大人のフリをしている普通の女の子が、優しげな笑みを浮かべていた。
胸の中にあった疑問が泡のように弾け飛んでしまう。
疑問を呈するまでもなかった。
美桜がどんな物語を送って来たのか知らない。
けど、今の美桜の姿が教えてくれた。
──俺が求めていた答えを。
「ああ、おやすみ」
そう言って、俺はバイトリーダーにVサインを送る。
バイトリーダーは一瞬だけ真顔になると、ちょっとだけ頬の筋肉を緩めた。
「──っ」
一瞬。
ほんの一瞬だけ視線を感じ取る。
急いで『別の世界』に逃げ込んだのか、俺が振り返った瞬間、『彼』の視線は煙のように消え失せていた。
「どうしたの、ツカサくん?」
美桜をお姫様抱っこしている美桜改めバイトリーダーと視線を交わす。
俺は首を横に振ると、頭の中を埋め尽くしていた背景を外に追い出した。
「いや、なんでもない」
◇
「さて、これをどうしようか」
桑原神社に戻ってきた俺は犬みたいな生き物──始祖ガイアの分体だったモノを見つめる。
まだ意識を取り戻していないのか、平行世界の『美桜』から力を全て奪われたソレは、寝息を立てていた。
「とりあえず、寮に連れ帰るか。このまま放置しても、面倒な事になりそうだし」
寮長に始祖ガイアだったモノの世話を押しつけよう。
そう思いながら、俺はアホ面晒して眠り続ける犬みたいな生き物を拾い上げる。
その瞬間、背後から人の気配を感じ取った。
「バイトリーダー……いや、この世界の美桜に挨拶しなくて良いのか?」
振り返る。
そこには俺の容姿と少しだけ似ている男──ジングウが立っていた。
「……」
ジングウ──平行世界の俺──は口を開く事なく、俺と始祖ガイアの分体だったモノを見つめる。
そんな彼を見ながら、俺は自らの推測を口にした。
「数年前、金郷教が行った神堕しっていう儀式により、この世界の美桜──バイトリーダーも始祖の力を得た。そして、神の力を得て暴走したバイトリーダーを平行世界から来たジングウ(おまえ)が止めた。違うか?」
ジングウは否定の言葉を口にしなかった。
ゆっくり息を吐き出しながら、彼は俺をじっと見つめる。
感情に蓋をしている所為で、彼が何を考えているのか分からなかった。
「……伝言あるんだら、何か伝えとくぞ」
「いい」
誰かと喧嘩でもしていたのだろうか。
額から垂れ落ちる血を右腕で拭いながら、ジングウは提案を拒絶する。
「もう俺の用は済んだ」
その言葉を残して、ジングウは姿を消してしまった。
煙のように消えてしまった彼の姿を見届けた後、俺は犬みたいな生き物を抱え、寮に向かって歩き始める。
息を吐く。
案の定、吐息は真っ白に染まらなかった。
次の更新は本日20時です。
最後までお付き合いよろしくお願い致します。




