最後の疑問の巻
「……司、お前はどんな大人になりたいんだ?」
頭上を通り過ぎた野球ボールを追いかける。
そして、先生に背を向けながら、ボールを拾いながら、眉間に皺を寄せた。
「先生のような大人になりたかった、……って言ったら、どうする?」
先生に背を向けたまま、意地悪な疑問を口にする。
予想外だったのか、先生は息を詰まらせてしまった。
『嘘だ』と言うのは簡単だった。
けど、この場面で嘘を吐ける程、俺は意地悪な人間じゃなかった。
「……先生は、なりたい大人に……なる事はできたのか?」
答えは知っていた。
それでも、俺は先生に疑問を投げつけた。
先生と決別するために。
「………なれたと思うか?」
14の夏。
先生が遺した最期の台詞が脳裏を過ぎる。
「……君も知っているんだろう? 私が過去に生徒一人殺めた事を」
ゆっくり振り返った俺はボールを放り投げる。
先生はボールをグローブで弾くと、視線を地面に投げつけた。
「………」
ゆっくり息を吸い込み、先生が口を開くのを待ち続ける。
しかし、幾ら待ち続けても、先生は口を開こうとしてくれなかった。
時間が押し迫る。
早くしないと、何もかも手遅れになってしまう。
それは分かっている。
分かった上で、俺は──
「ちゃんと聞くよ」
目蓋を閉じ、自らの願いを自覚する。
「先生が抱えているものを。言い訳だろうが、愚痴だろうが、何だろうが、全部聞いてやる。今の俺なら、聞く事くらいはできるから」
目蓋を閉じたまま、俺は先生を一人の人間として見つめ直す。
そうする事で、やっと先生の事が分かったような気がした。
「…………私は過去の人間だ」
目蓋をゆっくり開ける。
弱々しい姿を見せつける先生の姿が目に入った。
「もう私の人生は終わっている。私が君の人生に干渉できても、君が私の人生に干渉する事はできないのだ」
『救いを求めていない』と言わんばかりの態度で、先生は罪を抱き抱える。
きっと罪を抱き抱える事こそが、先生にとっての贖罪なのだろう。
「その贖罪をやり遂げた所で、一体誰が救われるんだ?」
先生は答えない。
答えようとしない。
先生は分かっているのだ。
この贖罪が誰のためにもなり得ない事を。
「一人で抱え込むだけでは贖罪にはなり得ない。それを続けた所で、苦しみを産むだけだ」
先生がやっている事は贖罪ではない。
問題放棄だ。
問題の根本を有耶無耶にする暴力と大差ない。
「それを続けた所で、誰も幸せにならない。苦しいだけだよ、被害者も、先生の奥さんも、先生の周りにいる人達も、……先生自身も」
自分よりも倍以上生きてきた人に事実を突きつける。
俺は知っている。
金郷教騒動の時に一人で問題を抱き抱えていた美鈴の姿を。
魔女騒動の時に一人で何もかも解決しようとした四季咲の姿を。
人狼騒動の時もそうだ。
あの時も小鳥遊は一人で絶対善を何とかしようとしていた。
「………なあ、先生。先生はどんな大人になりたかったんだ?」
自分の事を棚に上げて、俺は先生に言わなければいけない言葉を口にする。
「……誰かのために頑張れる大人になりたかった」
遠くから硝子の割れる音が聞こえてくる。
春であるにも関わらず、俺達の間に雪崩れ込む風はまだ冷たく、俺の冷え切った身体を更に冷えさせた。
「この世界にはな、助けを求めたくても求める事ができない人達が沢山いる。助けての一言も言えずに死んでいく人達が山程いるんだ。だから、私は、……その人達を助ける事ができる人になりたかった。……どれだけ裏切られようとも、どれだけ詰られようとも、どれだけ蔑まれようとも誰かの幸せを心の底から願えるような人に、なりたいと思っていた……」
先生は困ったような表情を浮かべると、あの時と同じ言葉を口にした。
「誰かのために走れる事は……誰かの笑顔のために頑張れる事は……立派な事だと思わないか?……先生は、……先生は、今でも、そんな大人になりたいと思っている」
春風が俺達の身体を撫で上げる。
脳裏に浮かぶ晩夏の風を思い出しながら、俺は先生に疑問を投げかけた。
「なあ、先生──」
◇
「あ、来たんだ」
平野に辿り着いた俺達は半壊した石像を踏みつける『美桜』──この世界のバイトリーダーと正面から睨み合う。
俺は右の拳を握り締めると、白い息を口から吐き出した。
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今年も定期的に更新していきますので、お付き合いよろしくお願い致します。
次の更新は来週1月13日金曜日22時頃に予定しております。




