4月3日(1) 「お前は何になりたいんだよ」
気がついたら、見覚えのある白い個室にいた。
起き上がろうとする。
が、身体中に激痛が走り、起き上がれなかった。
「全治3ヶ月の大怪我だってさ。暫く固形物は食べられないくらい内臓にダメージを負っているらしい」
横から布留川の声が聞こえて来る。
その声により、俺はここに来る前の事を全て思い出した。
「美鈴はっ!?」
上半身を無理に起き上がらせた俺は、呑気に林檎の皮を剥く彼に疑問を呈する。
無理をした所為で俺の身体に激痛が走った。
「無理に動くな。治りが遅くなるぞ」
自分の身体の状態を一望する。
沢山の管が身体に突き刺さっており、見るからにTHE・怪我人だった。
ちょっと身体を動かすだけで鈍い痛みが全身を駆け巡る。
どうやら、俺が思っている以上に、この身体はダメージを負っているらしい。
「まあ、まだお前は比較的マシな方だけどな。お前と一緒に運ばれた他の連中はもっと酷いぞ」
「他の連中って……バイトリーダーや雫さんの事か!?」
「ああ、バイトリーダーは今日のお昼頃に無事退院。雫さんは頭にたんこぶができて、泣きべそかいたらしい。他の連中も昼頃に退院した」
「俺より軽傷じゃねえかっ!?」
「ああ、無事で何よりだな」
「その通りだけど………って、布留川、今日は何日だっ!?」
「4月3日だ」
時計を見る。
時刻は18時半過ぎ。
神堕しとかいう儀式が行われるまで残り12時間を切っていた。
「もうあまり時間がねえじゃねえかっ!!」
身体中に突き刺さっていた管を引き抜いた俺は、慌てて病室から飛び出す。
廊下に出た瞬間、顔見知りの看護師さん(40代バツ2の子持ち)と出会ってしまった。
「「あ」」
看護師さんは驚き半分呆れ半分みたいな表情を浮かべると、腹の底から怒声を上げ始める。
「また病室抜け出そうとしてんな!!このクソガキが!!!」
「ぎゃあああああああ!!!!」
看護師さんから全力で逃げる。
しかし、俺が想像していたよりも桑原病院関係者の団結力は凄まじかった。
看護師さんの怒声を聞きつけたお医者さん達は血眼になって、俺を追いかけ回す。
必死になって逃げ惑うが、10分も経たない内に俺は捕まってしまった。
病院関係者達に捕縛された俺は強制的に病室に引き戻されると、ベッドに括り付けられる。
「もう動くんじゃねぇぞっ!!このクソガキ!!」
最初にエンカウントした看護師さんは俺の頬を往復ビンタすると、病室から立ち去った。
室内に残ったのはベッドに括り付けられた俺と布留川だけ。
俺は悔しさの余り、思わず負け惜しみの言葉を呟いてしまった。
「傷と包帯さえなければ、逃げ切れたのに……」
「入院着のままじゃ、逃げ切った所で警察に通報されるのがオチだろ」
そう言いながら、布留川は持って来た紙袋を俺に差し出す。
「何だ、それ?果物か?」
「お前に必要なもんだ」
彼は俺を拘束していた紐を解くと、紙袋を俺に向かって放り投げた。
飛んできた紙袋をキャッチした俺は袋の中を漁り出す。
中から出て来たのは学校指定用のジャージだった。
「大体の事情は雫さんに聞いた。あの子を助けに行くんだろ?」
布留川のその一言で俺という人間がどのように認識されているのかを理解する。
それと同時に胸の中のモヤモヤが再燃した。
入院着からジャージに着替えながら、俺は彼に質問を呈する。
「……なあ、布留川。今の俺は、いつも通りの俺か?」
「たった1年の付き合いでしかい俺に尋ねる質問か?そんなの故郷にいる両親とかに聞いた方が良いと思うぞ」
布留川は暗に“俺に聞くな“と言った。
彼の言っている言葉は、よく理解できるし、俺も彼の立場なら同じ事を言っているだろうけど、今、そんな答えを言われてもどうしようもなかった。
暫く病室に静寂が流れる。先に口を開いたのは布留川の方だった。
「……自分らしさってのは、考えて出るもんじゃねえ。行動に移す事で滲み出るもんだ。今までのお前の行いがお前という人間を形成しているんだよ」
「おいおい、名言っぽい事言っているじゃねぇか。じゃあ、布留川。俺はどんな形をしているようにみえるんだ?」
「高性能人間地雷処理機」
「地雷全部踏んでいるじゃねぇか」
「尿で消火活動やり切る男」
「俺の膀胱は貯水タンクかなんかか?」
「紐なしバンジージャンプのリピーター」
「ただの自殺者志願者じゃねぇか」
「まあ、俺が知っているお前は気に食わないからという理由で化物やヤクザに喧嘩を売る大馬鹿ものだ。今回だってそうだろ?お前はあの子のために、そして、自分のために喧嘩していたんだろ?」
「ああ、多分、な……」
「なら、それで良いじゃねえか。誰もが納得する大層な理由捏ねて動くお前よりも単純な感情論で動くお前の方がお前らしい。ごちゃごちゃ言ったが、俺が言いたい事はこれだけだ。"お前が今1番やりたい事をやれ"。それで今まで上手くいっていたんだろ。結局、お前は他人のために走り続けるんだろ?なら、今回もやりたいようにやれば良いだけだろ」
「やりたい事をやれ、か」
着替え終わった俺は脱ぎ捨てた入院着をベッドの上に放り投げる。
「……俺は今までやりたい事だけをやって来た。誰かを救いたいとか、世界を良くしたいとか思って走っていたんじゃない。俺は自分が満足するために、自分のためだけに走り続けた」
俺が美鈴を助けたのも、金郷教の追手から彼女を守っていたのも、"助けなかった事を後悔したまま生きたくないから"。
そんな単純な理由で動いて来たのだ。
それは今までして来た喧嘩と同じ理由。
暴走族に喧嘩を売ったのも、ヤクザに喧嘩を売ったのも、全ては俺自身の納得と満足のため。
後悔しないように生きて来た結果がこれだ。
覚悟なんて決めた事はない。
ただ、自分のために走ってきた。自分が後悔しない道を選び続けた。
だから、今の俺には全人類を敵に回してまで自分のやりたいようにやるなんていう身勝手で我儘な覚悟を持つ事なんてできない。
今回の場合、どちらを選んでも後悔が残るだろう。
美鈴を優先するにしろ、全人類の幸せを優先するにしろ。
「今まで覚悟なんて決めた事なんてなかった。覚悟なしにここまで生きてきた。ただ自分の満足のために気に入らない人間を殴り飛ばしてきた。だから、分からないんだ。俺は自分のやりたい事を優先すべきなのか……それとも、他の人を優先すべきなのか……」
そこまで考えて、再び自分で自分を責め始める。それを解消してくれたのは布留川だった。
「お前は何になりたいんだよ」
布留川の言葉で恩師──教頭先生の顔が脳裏に浮かび上がる。
それと同時に、先生の言葉──“誰かのために頑張はしれる大人ひとになれ”という言葉が脳裏を過った。
それで俺が今まで走ってきた理由をようやく自覚する。
そうだ、俺は立派な大人になりたいのだ。そんな大人になるために走りたいのだ。
「なりたい人間になれば良いじゃねぇか。いや、お前はなりたい自分になるために今まで走り続けたんだろ?なら、最後の最後まで自分の納得と満足のために走り続ければいいじゃねぇか。お前が間違っている時は俺が止めてやるからさ」
どこかで聞いた事があるような言葉が布留川の口から出てきた。
「絶対的に正しい道なんてない。だから、俺らは道に迷うし、道を踏み外してしまう。お前は昔、俺にこう言ったぞ。“間違ってもいい、駄目な時は俺が止めてやるから”って。だが、神宮、今のお前は道に迷う事と道を踏み外してしまう事に極度の恐れを抱いてしまっている。間違う事を恐れ過ぎて、二の足を踏んでしまっているだけだ」
過去の自分と布留川に痛い所を突かれてしまう。
「それはお前らしくない。お前はもっと自分に自信を持つべきだ。それと同じくらい俺と友達になれた事を誇りに思え」
「何で俺がお前と友達になれた事を誇りに思わなきゃいけねぇんだよ」
いつも以上に大胆不敵な彼の態度に思わず苦笑してしまう。
彼は恥ずかしがる事なく、平然とした態度でこう言った。
「お前が俺の友達だからだ」
その一言で俺は美鈴との関係性を考えさせられる。
俺と美鈴は赤の他人だ。
けど、彼女は俺の事をお兄ちゃんと呼んでくれた。
何で俺の事をお兄ちゃんと呼んだのか理由は分からない。
けど、彼女は最後までずっと俺の事をお兄ちゃんと呼んでくれた。
動く理由はそれだけで良いんじゃないか?
布留川は友達だからという理由で俺のために動いてくれた。
俺も彼を見習って、美鈴のお兄ちゃんだからという単純な理由で動いても良いんじゃないか?
あいつがお兄ちゃんと呼んでいる間くらいは守ってやるのが通りなのではないのか。
いや、そんなごちゃごちゃした考えでは納得も満足も生まれない。
ここでそんな単純な答えを持って走り出した所で再び同じ間違いを犯してしまう。
俺はただ美鈴の未来を守りたいだけだ。
彼女を守らなきゃいけない筈の両親に代わって。
俺はただ彼女を見捨てるような大人になりたくないだけだ。
操られようが、偽物の思いだろうが関係ない。俺は自分のために──自分が誰かのために走れる立派な大人になるために、走りたいだけなのだ。
その結果、世界中の人を敵に回しても構わない。
今、ここでうじうじするよりも、走り出した方が後悔しないと思うから。
何が正しいのか、何が間違っているのか、それは走りながら考えればいい。
今、俺がやるべき事は──やりたい事は、ここで立ち止まる事じゃない筈だ。
思考と感情が俺の脳内をぐちゃぐちゃに掻き乱す。
すると、唐突に何の脈絡もなく生じた轟音が病室内に鳴り響き渡った。
「うおっ!?」
「なんだあっ!?」
俺達が驚いている間にも耳を塞ぎたくなる程、不快な破壊音が聞こえて来る。
「待合室の方からか……!?」
俺は深く考える事なく、音源の下へ向かって走り出そうとする。
「布留川っ!お前は安全な所に避難しろ!俺はちょっと確かめに行ってくるから……!」
それだけを告げると、俺は全力疾走で1階に移動しようとした。
「神宮」
彼の声が聞こえる。
反射的に俺の足は止まってしまう。
「1つ聞かせろ。お前は何で自分の命を懸けてまで、誰かのために走ろうとしているんだ?」
「立派な大人になるためだよ」
反射的に俺の口から言葉が零れる。この言葉を言った瞬間、頭の中を掻き乱していた思考と感情は綺麗さっぱりなくなってしまった。
どうやら、これが俺のやりたい事でなりたいものらしい。
「誰かのために走れるのって、立派な大人にしかできないと思わないか?」
布留川は何も答えなかった。
仏頂面のまま俺にサムズアップを送る彼を見て、俺もVサインを彼に送る。
「んじゃあ、行ってくる。布留川、ありがとな。お前のお陰で、助かった」
「おう、行ってこい」
布留川にVサインを送った俺は、未だ破壊音が聞こえ続ける待合室に向かって全速力で走り出した。




