罪の巻
『神宮、誰かのために頑張れる大人になれ』
遠くにある山の方から鳥の鳴き声が聞こえて来る。
4月であるにも関わらず、肌を撫でる風はまだ冷たく、俺の冷え切った身体を更に冷やした。
空を仰ぐ。
空には満天の星と月が浮かんでいた。
それを眺めながら、俺──神宮司は月明かりに照らされた田舎道を一人で歩く。
『この世界にはな、助けを求めたくても求める事ができない人達が沢山いる。助けての一言も言えずに死んでいく人達が山程いるんだ。だから、神宮。その人達を助ける事ができる人になれ。……そして、どれだけ裏切られようとも、どれだけ詰られようとも、どれだけ蔑まれようとも誰かの幸せを心の底から願えるような人になってくれ』
頭の片隅に残っている先生の言葉を思い出しながら、白い息を吐き出す。
あの時の俺──当時、小学生だった俺──はこう思った。"物凄く重い答えが返ってきやがった"と。
『自分を犠牲にしてまで他人に尽くせとまでは言わない。けど、誰かのために走れる事は……誰かの笑顔のために頑張れる事は……立派な事だと思わないか?……先生は、……先生は、今でも、そんな大人になりたいと思っている』
あの時の俺にとって先生は"立派な大人"だった。
だから、先生の口から出た"大人になりたい"という発言はかなり衝撃的なものだった。
だから、あの時の俺は聞いた。
"先生は立派な大人じゃないのか"と。
『…………ああ、私は立派な大人ではない』
あの時の先生は今にも息絶えそうな面持ちで、俺の質問に答えた。
だから、俺は眉を顰めてこう言った。
"俺にとって、先生は立派な大人だよ"と。
「……いや、私は立派な大人ではない」
"どうして"と尋ねた。
『……君が大きくなったら否応なしに理解できるだろう。私が最低で最悪な大人であることを……』
改めて白い息を吐き出す。
とうの昔に分かっていた。
先生が最低で最悪な大人である事くらい。
なのに、何でこんなに落ち込んでいるんだろう。
再び溜息を吐き出しながら、村の中を練り歩く。
歩いて、歩いて、歩き続けて。
いつの間にか俺は河原に辿り着いていた。
「……で、どうだ?世界を救った感想は?」
遠くから脳筋女騎士──アランの声が聞こえて来る。
声の方に視線を向ける。
岩か木の陰に隠れているのだろうか。
ここからでは脳筋女騎士の姿が見えなかった。
「……感想も何もオレは足を引っ張っただけだ」
教主様──フィルの声が聞こえてくる。
「お前が化け猫の視界を眩ませたお陰で、何とか倒す事ができたんだ。もっと胸を張れ」
恐らく脳筋女騎士と教主様は秘密の話をしているんだろう。
彼等にバレないように俺は息を潜めると、彼等の会話に耳を傾ける。
「だが、……」
「で、どうだ?救世主になった気分は?夢だったんだろう? 見殺しにした妹や友人達に報いる事ができたか?」
いつもと違って、脳筋女騎士の声は優しいものだった。
あ、これは聞いちゃいけない系のお話だ。
シリアス度かなり高めのお話だ。
そう思った俺は足音を立てないように彼等から距離を取ろうとする。
「それは、……」
「無理に答えなくていい。貴様の言いたい事は分かっている」
彼等の会話が途切れてしまう。
川の流れる音が俺の鼓膜を優しく揺らした。
「かつて私も貴様と同じように『救世主』になる事を目指していた」
森から出る音に掻き消されるように小さい足音を立てながら、俺はゆっくり脳筋女騎士と教主様から離れる。
彼等にバレないようにしている所為で、ゆっくりにしか動けなかった。
「救世主になろうとした理由は至って単純。過去の過ちを拭うためだ」
聞いたらいけない話が耳に届く。
耳を塞ぐのは簡単な事だった。
が、耳を塞ぐ事ができる程、好奇心を押し殺せる程、俺は大人じゃなかった。
バレていない事を良い事に俺は脳筋女騎士の身の丈を傾聴する。
「私は剣と魔法の世界で生まれ育った。生まれた時から才能に恵まれていた私は、周囲の期待に応えるため、騎士団に入り、日々精進し続けた」
何の虫か分からない鳴き声が聞こえて来る。
が、その虫の音で掻き消す事ができる程、脳筋女騎士の声は小さくなかった。
「ある日、私の前に『人造始祖』が現れた。私は国を守るため、人造始祖と死闘を繰り広げた。最善を尽くした結果、私は自分以外の全てを失った」
「……人造始祖とやらに負けたのか?」
「いいや、勝った。だが、勝つのが遅過ぎた。私が人造始祖に勝ったのは、自分が生まれ育った世界が滅びた後──大切な人達が全て死んだ後だった」
自嘲混じりの脳筋女騎士の声が夜風に掻き消される。
彼女のか細い声は俺の胸を強く締め付けた。
「家族や友人、そして、生まれ育った世界を守る事よりも人造始祖を倒す事を優先した。目の前の脅威を排除する事で、少しでも被害を減らそうとした。……自分にできる最善を尽くした。その所為で、私は自分が生まれ育った世界を滅ぼしてしまった」
教主様の息を呑む音が聞こえて来る。
「あの時の選択に悔いはない。もしアレを放置していたら、他の世界にいる人達に危害が及んでいただろう。恐らくもう一度同じ選択肢を突きつけられたら、迷う事なく私は同じ選択を選ぶだろう。より多くの人を救うために」
「……本当に悔いはないのか?」
教主様の弱々しい声が葉の擦れる音で遮られる。
が、無駄に耳のいい俺は彼の声を聞いてしまった。
「人造始祖との闘いの後、私は自分が生まれ育った世界を後にした。そして、自分の過ちを拭うため、他の世界を救い続けた」
聞こえなかったのか、或いは聞こえた上で無視しているのか。
脳筋女騎士は淡々と身の丈を語る。
「だが、幾ら世界を救っても、救世主と呼ばれる程の偉業を成しても、私の罪悪感は消えなかった。フィルとやら、これがお前の抱いている願望の果てだ」
夜風に煽られた川面に波紋が広がる。
その波紋は俺の胸中を軽く掻き乱した。
「──罪は拭えるものじゃない、背負い続けるものだ。偉業を成した程度で拭い切れる程、軽いものじゃない」
脳筋女騎士──アランの声が木々を騒つかせる。
俺は敢えて足音を立てると、先生のアパートに向かって歩き始めた。
いつも読んでくれている方、ここまで読んでくれた方、ブクマしてくれた方、評価ポイントを送ってくださった方、そして、新しくブクマしてくれた方、新しくいいねを送ってくださった方に感謝の言葉を申し上げます。
次の更新は来週4月22日金曜日22時頃に予定しております。
再び公募用小説を書き始めるため、週一更新になるかもしれませんが、必ず番外編を完結させるので、これからもお付き合いよろしくお願い致します。




