4月31日(22) 青い線/青い光球の巻
「来るぞっ!」
茶髪の幼女の声が荒野と化した街に響き渡る。
その声に応えるかの如く、全長100メートル程の化け猫──純粋悪"魔猫"が動き始めた。
奴の巨体が動く度、大地は枯れ果て、空間が萎縮し、形あるものは崩れ去る。
奴の巨大な脚が大地に減り込む度、悲鳴に似た地鳴りが骨の髄まで響き渡る。
歩く災害。
動く災厄を
ただそこにいるだけで遍く生命に牙を剥く存在を前にして、俺はようやく純粋悪という概念を理解する。
アレはただ目の前にあるものを破壊するだけの存在──厄災を獣の形にしただけの存在だ。
ガラスの竜のような人類の繁栄を阻む"絶対悪"と違い、"純粋悪"は人類だけでなく凡ゆる生命に仇を為す。
純粋悪は人や獣のように欲を満たすために他者を害するのではなく、理由もなく他者を害する。
まさに純粋悪。
理由もなく全てのものに害を与える存在に善性を見出す事はできそうになかった。
「■■■■■■■!」
化け猫の雄叫びが大気と大地を震撼させる。
その雄叫びを聞くだけで身体が押し潰されそうになる。
「ぐ、ごぼぉ……!」
「教主様っ!?」
鼻と口から血が溢れ落ちる彼の姿を見て、俺は平静を保てなくなる。
「おい、英雄志望。今すぐ全身に魔力を張り巡らせろ。じゃないと、瞬殺されるぞ」
茶髪の幼女は呆れたように溜息を吐き出すと、教主様の背中を持っていた本で叩く。
たったそれだけの行為で教主様の青くなった顔は元の状態に戻った。
「よし、その調子だ。んじゃあ、用意も整った事だし、そろそろ小さい方のジングウにレクチャーでもしてやるか」
化け猫が歩くだけで大地は縦横無尽に揺れる。
地面が揺れる度、俺はバランスを崩しそうになる。
「レクチャーって具体的に何する……」
俺の疑問は化け猫が吐き出した超巨大な光球によって遮られる。
直径100メートル規模の光球。
それが法定速度並みの速さで押し迫る。
それを目視したガラスの竜は空間に穴を空けると、その中に俺達を誘導した。
「うおっ!?」
空間に空いた穴を通過した俺達は、再び空に投げ出される。
しかし、今度は落ちなかった。
ガラスの竜が作り出したガラスの床に着地する。
そして、彼女が作ったガラスの床越しに真下にいる化け猫を見た。
化け猫から少し離れた所では火柱が上がっていた。
さっきまでいた場所が灼熱の炎によって焼かれる光景を見て、背筋が凍てつく。
とてもじゃないが、俺が多少強くなった所で太刀打ち出来る相手じゃなかった。
「で、ここからどうするつもりだ?」
いつの間にか武器を捨て、素手になった脳筋女騎士が茶髪の幼女に方針を尋ねる。
「小さい方のジングウに化け猫が纏う炎の鎧を剥がさせる。そうしないと殆どの攻撃は無効化されるからな。鎧を剥いだ後はお前の好きにしろ、脳筋」
「え、アレ、俺が剥ぐの?」
拳を鳴らす脳筋を宥めつつ、俺は疑問の言葉を口にする。
黒い炎を身に纏う化け猫は大地に向かって火球を吐き続けていた。
上がる爆炎と生じる火柱。
何だ、アレ。
地球を破壊するつもりか。
「そうじゃないと赤光との約束を果たせないからな」
「俺の籠手じゃ、あのどデカい炎を消せそうにないんだけど……」
全長100メートル超えの化け猫を見下ろしながら事実を告げる。
「安心しろ、小さい方のジングウ。お前がその気になれば、アレを破壊できる」
「じゃあ、さっさとその気にさせてくれよ」
「なら、その眼で奴をよく視てみろ」
幼女に促されるがまま、化け猫の方を見る。
化け猫は地球でも破壊するつもりなのか、大地に向かって攻撃を放ち続けていた。
「誰が普通に見ろって言った。もっと深く、より綿密に、そして、全てを見透かす勢いで敵を見据えろ。じゃないと、心器を完成させたとしても使いこなす事はできん……」
──化け猫の視線が上空にいる俺達に向けられる。
その瞬間、足場であるガラスの床が砕け散った。
「嘘だろ……!?ただの睨みだけで砕いたのか……!?」
教主様の驚きの声が同時に響く。
「お前、本当に驚いてばっかだよな。リアクション芸人かよ」
「んな呑気な事を言っている場合かっ!?」
黒い炎を纏った8本の尾が迫り来る。
たった1本の尾を振るうだけで街1つ吹き飛ばしそうな一撃。
そんな災害級の一撃が俺達の方に押し迫る。
「ちょ、私、もう魔力ないっての!」
ガラスの竜の焦った声が虚空に響き渡る。
脳筋女騎士──アランの方を見ると、彼女も額に脂汗を滲ませていた。
「小さい方のジングウ、よく見ておけ」
俺の注意を惹きつけながら、幼女は手に持っていた本を開く。
「これがお前が目指す到達点の1つだ」
幼女の持っていた本が眩く煌めき始める。
その煌めきは宝石のように美しく、星の瞬きのような儚さを秘めていた。
「──心器」
幼女の呟きに応えるかの如く、煌めいていた本の中から翅の生えた小人が次々に出てくる。
藍色の光を身に纏う小人達は舞い散る花弁のように儚く美しく、いつ崩れてもおかしくない程に脆く曖昧な存在だった。
「代わり者に光は当たらず」
本から放たれた無数の小人は迫り来る尾に激突する。
小人が尾に触れた途端、尾は藍色の光を発し始めた。
「──恋はまことに影法師」
俺達の方に迫っていた尾が、唐突に軌道を変える。
目に見えない力で押さえつけられているかの如く、尾は荒野に叩きつけられる。
「いくら追っても逃げて行く。こちらが逃げれば追ってきて、こちらが追えば逃げて行く」
翅の生えた小人が尾に激突する度、藍色の光を発し始めた尾は地面に叩きつけられる。
あの藍色の光が鎖の役割を果たしているのだろうか。
俺達の方に押し迫っていた筈の尾は、気がつくと全て地面に縫い付けられたかのようにピクリと動かなくなった。
「とりあえず今俺ができる事は全てやった。後は小さい方のジングウ、お前の頑張り次第だ」
幼女の手中にあった本が音もなく消えてしまう。
全ての力を使い果たしたのか、幼女の顔色は少しだけ青褪めていた。
「頑張り次第って……!頑張って、どうにかなるもんなのか!?」
「なるさ。お前がよく視る事ができたなら、な」
"よく視る"というワードに困惑しながら、俺は落下しつつ、化け猫の方を注意深く観察する。
「目的意識を持って視ろ。お前は何でここにいる?」
世界がモノクロになる。
幼女と脳筋女騎士、そして、化け猫以外の色が喪われる。
すると、化け猫の身体の至る所に青の光点──奴の弱点である箇所を視覚化したもの──が映し出されていた。
あの青い光の所を殴れば、何とかなるかもしれない。
そう思った俺は右の拳を握り締める。
「いや、それだけじゃ足りない」
幼女の一言によって、俺の楽観的推測は間違いである事を知る。
「もっとだ。もっと注意深く見ろ。奴の力の流れを。そして、奴の力の源流を」
幼女に促されるがまま、俺はもっと注意深く化け猫の事を見始める。
すると、両目に熱が篭り始めた。
それと同時に目に映っていた景色も変貌する。
「──っ!!」
化け猫の身体に血管のような青い線が浮き出る。
その線は化け猫の身体の至る所に描かれており、何故か脈動していた。
「な、何だ、あの線は……?」
驚いているのも束の間、化け猫の口から直径100メートル規模の火球が繰り出される。
その火球にも化け猫の身体と同じように青い線が至る所に描かれていた。
その線の源流を視る。
線の源を辿ると、火球の中心部には青い光球が点在していた。
──本能が識らせる。
あの青い線は奴の力の流れを可視化したものである事を。
そして、あの青い光球があの火球の源である事を。
本能に突き動かされるがまま、俺は右の籠手で迫り来る火球を受け止めようとする。
本来なら右の籠手の力でも対処できない一撃。
そんな右の籠手と一緒に腕が溶かされてもおかしくない一撃に触れる。
青い線に白雷──全ての魔を退ける雷──を流し込む。
青い線に流し込まれた白雷は火球の源目掛けて奔り始める。
青い線に沿って駆け抜ける白雷。
白雷が青い光球に触れた途端、直径100メートル規模の火球は一瞬で消え去ってしまった。
「……っ!?」
感覚的に察する。
微量な白雷でも力の源である青い光球を破壊できる事を。
そして、青い光球さえ破壊すれば、どんな一撃でも無効化する事ができる事を。
初めてあの化け猫相手に勝機というものを見出す。
(これならいけるかもしれない……!)
そう思った俺は落下しながら、化け猫の目を直視する。
化け猫の瞳には俺の姿しか映っていなかった。
今まで無差別に破壊し尽くしていた筈の化け猫が破壊対象を俺1人に定めたのだ。
「さあ。ここからが本番だぞ、小さい方のジングウ。俺はやれる事をやった。お前もやれる事をやるんだな」
化け猫の雄叫びが再び世界を震撼させる。
俺は右の拳を握り締めると、化け猫の身体の奥に潜む青色の光球──奴の力の源──を目で捉えた。
いつも読んでくれている方、ここまで読んでくれた方、ブクマしてくれた方、評価ポイントを送ってくださった方、本当にありがとうございます。
次の更新は来週の月曜日に予定しております。
8〜10万PV達成記念「4月31日」をなるべく早く終わらせる事ができるように、これから頑張りますので、最後までお付き合いよろしくお願い致します。




