4月2日(3)金魚掬いと見えない地雷の巻
出店で買ったものを食べ終わった俺達は、再び出店が立ち並ぶ桜並木を歩き始める。
美鈴も俺と同じく花より団子タイプだったらしく、春空を埋め尽くす桜吹雪ではなく、様々な出店を見て興奮していた。
「お兄ちゃん、見て!小さい魚が沢山!!美味しそうだよ!!」
「美鈴、それは金魚って言ってな。その魚は鑑賞用であって食用ではないんだよ」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。焼けば何でも食べられるから」
「人類が思っている程、火は万能じゃねぇよ」
昔、実家にいる母は言っていた、“熱を通した程度ではフグの毒性は抜く事ができない“と。
何でもフグの毒は熱に強いらしい。
火を通せば何とかなると思ったら大間違いなのだ。
「金魚を使った料理はあまり聞いた事ねえから、多分、食えないと思うぞ。食えたとしてもかなり不味いに違いない」
「“百聞は一食に如かず“だよ、お兄ちゃん。すみません、それ1つください!」
「お前のその食に対する貪欲さ、一体どうなっているんだ?」
金魚を食のカテゴリーに分類した美鈴は駆け足で金魚掬いの出店の前に向かう。
そして、彼女は小さい器の中にいる金魚と睨めっこし始めた。
「おっちゃん、網1つ」
「あいよ」
針金の枠に薄い紙を張った道具──正式名称は知らんと──お椀を出店の主人に手渡された俺は、彼女にお手本を見せる。
「美鈴。金魚掬いってのは、こうやってやるんだよ」
水面近くまで浮上した金魚を紙の網に収めようとする。
が、俺の稚拙な技術では金魚を捕獲する事ができず、薄い紙にぽっかり穴が空いてしまった。
「なるほど、その道具で掬った金魚を器の中に入れるんだね」
俺の下手なお手本だけでルールを把握した美鈴は、店主から正式名称不明の例のアレを受け取ると、食べ頃の金魚を目で探し始める。
「この赤い奴は歯応えありそう……」
「おい、お嬢ちゃん。もしかして、金魚食う気でいんのか?」
主人は若干引き気味に質問を投げかける。
一応、念のために俺は主人に金魚が食べられるか聞いてみた。
「ぶっちゃけ、金魚って食えるんですか?」
「食える事には食えるが、生臭くて食えたもんじゃねぇぞ。食べるなら食用のフナの方が良い」
「だってさ、美鈴」
「じゃあ、おじさんは何のために金魚を私達に提供しているの?」
「そりゃペットとして飼って貰う為だよ。と、言っても殆どの金魚は売れ残っちまうがな」
「売れ残った金魚はどうなるの?」
美鈴は少し悲しそうな声色でおじさんに質問を投げかける。
彼は憐むかのような目で呑気に泳ぐ金魚達を見ると、気まずそうな様子で呟いた。
「可哀想な事に大型魚の餌になっちまうんだな、これが」
「へえ、大型魚飼っているんですか?」
「いんや、売れ残った金魚はペットショップに餌として売るようにしているんだよ。燃えるゴミに出すのは倫理的にもあれだし。大型魚の餌になった方がこいつらも浮かばれるって訳だ」
「じゃあ、運が良い奴しか長生きできねえって訳だ」
金魚掬いの"掬い"は救いと掛かっているかもと思いながら、美鈴の横顔を伺う。
美味しそうな金魚を厳選していた筈の彼女は何故か知らないが、涙目になっていた。
「……決めた、私、この子達をペットにする」
「美鈴……?」
「私、この子達を全部まとめて掬い上げてみせる」
突然、態度を一変させた美鈴に少しだけ驚いてしまう。
彼女は集中力を高めて金魚を掬おうとする。
が、金魚掬い初経験の彼女では金魚1匹救う事さえできなかった。
「おめでとう、お嬢ちゃん。レア中のレアだ」
店主は美鈴が掬ったミドリガメの子ども1匹を水の入った袋に詰めると、それを美鈴に手渡す。
彼女はそれを涙目で受け取った。
「……よくミドリガメ掬えたな」
金魚よりも難しいミドリガメを掬えた美鈴を素直に称賛する。
というか、ミドリガメいたのかよ。中にいる金魚食ったらどうするんだ。
「大丈夫だ、坊主。この亀はまだ小さいから金魚喰わねぇよ」
考えていた事が表情に出ていたらしく、店主は俺が抱いた疑問を瞬く間に解消する。
「……この子しか掬えなかった」
売れ残る殆どの金魚に何か思い入れがあるのだろうか。
美鈴は露骨に落ち込みながら金魚達を見つめる。
「そんな悲しい顔するなって、お嬢ちゃん。俺もなるべく余らせねぇように頑張るからさ」
「……でも、……」
「美鈴、おじさんの言う事信じよう。ここで仮に全部捕まえても持って帰る事できなきし。結果的に見殺しにする事になる」
「なら、お兄ちゃんは金魚達を見捨てるの……?」
「……お前、嫌な所を的確に突くのな」
溜息を吐き出しながら俺は、店主から借りた紙とペンで自分の電話番号を書くと、それを彼に押しつける。
そして、もし金魚が余ったらここに電話するように頼み込んだ。
「お前がいいなら別にいいんだけど……分かった。秋までにこいつらを捌けなかったら電話する。それまでに飼育環境整えとけよ?」
「だってさ、美鈴。今回はそのミドリガメで勘弁してくれ」
美鈴の未練を難なく断ち切った俺は金魚掬いの出店から離れる。
隣を歩く彼女は居心地が悪そうな顔をしていた。
「……ごめん、お兄ちゃん。我儘言って」
「勘違いして貰っちゃ困るが、金魚も亀も飼うのはお前だからな」
「……え?」
「“え”じゃんねぇだろ。もしかして、お前、俺に金魚を押しつけるつもりだったのかよ。俺、そいつら飼えないぞ。ペット飼ったらいけない所に住んでいるから」
現在進行形で寮の規則を破っている事を棚に上げ、俺は美鈴に命の尊さを説明する。
「いいか?1度ペットを飼うって決めた以上、お前は死ぬまでそいつらの世話をしなくちゃいけねぇんだよ。それが飼い主の責務であり、命を預かるって事だ」
「でも……、」
「“でも“も糸瓜もない。お前はさっき殺処分される金魚が可哀想って思ったから掬い上げようとしたんだろ?けど、飼い主がそんな曖昧な覚悟じゃ殺処分されるのと変わらない。何が起きても守り続けるみたいな覚悟持たないと、純粋な善意がただの自己満足になっちまう」
昆虫ゼリーの事を万能物質だと本気で思っていた小学生時代を思い出す。
あの時の俺は昆虫ゼリーさえあれば、虫籠1つで甲虫15匹飼えると信じていた。
その慢心が尊い命を奪ってしまう事に気づかずに。
あの頃の俺は、ただ、昆虫ゼリーの万能性を盲目に信じていた。
あの時の失敗を2度と繰り返したくない。
自分が犯した罪を思い出しながら、俺は美鈴に命の尊さを説く。
「昆虫ゼリーを与える事がゴールじゃない。ペットにとって過ごしやすい環境を与えて、ようやく飼い主はスタートラインに立てるんだ。とりあえず桑原に戻ったら水槽を買おう。そして、亀の飼育方法を一緒に調べよう」
ここまで言って、俺は当初の目的を思い出す。
当初の目的──金郷教の追っ手から逃げる事を俺はすっかり忘れていた。
「その前にこの状況をどうにかしないとな。飼育環境整えようにも住所不特定じゃ整えられないし」
俺の言葉を聞いた美鈴は顔を曇らせると、地面をじっと見つめ出した。
気まずい雰囲気が漂う。
俺はこの空気を変えようと、近くにあった屋台を指差した。
「……お、今川焼き売っているじゃん。美鈴はあれ食べるか?中に今川さんが入っている訳でも、今川さんの形を象っている訳でもないけど」
「いいよ、お腹いっぱいだから」
「大体承知。じゃあ、ちょっと移動しようか」
そして、俺と美静は特に言葉を交わす事なく、淡々と歩き続ける。
これ以上、美鈴の過去を掘り下げても、彼女の顔を曇らせるだけだと思った俺は口を閉じ、黙々と歩き続ける。
暫く黙って人混みの中を歩いていると、美鈴は顔を真っ青に染め上げた。
「人酔い……した、のか?」
美鈴の顔色が優れていない事に気づいた俺は、つい反射的に彼女の体調を確認してしまう。
美鈴は首を横に振るだけで口を開こうとしなかった。
「どこか悪いところがあるのか?遠慮なく言ってくれ。我慢は身体に毒……」
美鈴の表情を見た瞬間、本能的に自分の選択ミスを悟る。
彼女は動く人体模型を見るかのような怯えた目つきで俺をじっと見つめると、徐々に後退し始めた。
俺はこの時、初めて“思い通りにできる力”に恐怖心を抱いているのは、自分だけではない事に気づく。
美鈴は俺に背中を見せると、そのまま何処かに向かって走り出した。
「おい、待てって!」
彼女を追うため、慌てて俺は地面を蹴り上げた。




