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4月2日(1) ロクな大人になりたくないの巻

 気がついたら俺は河原にいた。

 俯せの状態で河原に寝そべっていた俺は隣で寝ていた美鈴の存在に気づく。

 彼女の目は真っ赤に腫れ上がっていた。

 どうやら俺は名もなき少女から逃げ切る事に成功したらしい。

 上半身だけを起き上がらせる。

 たったそれだけの動作で全身に痛みが走った。


「痛っ………!」


 俺の声に驚いた美鈴は身体をビクッと震わせる。

 起き上がった彼女は俺と目が合うや否や顔を歪ませた。


「……ごめんなさい、お兄ちゃん……私、……」


「別にこんなのどうって事はねえよ。ヤクザやヤクチュウと喧嘩した時の方がヤバかったし」


 俺はジャージのポケットに入れていた包帯を取り出しながら、虚勢を張った。

 今の時点で、ヤクザやヤクチュウと喧嘩した時──数ヶ月前に起きた桑原麻薬売買事件や桑原学園理事長主導の人体実験事件──よりもダメージを貰っている。


「でも………」


「ほら、泣きべそかいてないで、とっとと移動するぞ。いつ追手が来るか分からないし」


 俺は新しく怪我をした箇所に包帯を巻きながら、“本当に俺は自分の意思で美鈴を守っているのだろうか“という疑問を再度保留にする。

 今、そんな事で悩んでいても意味がない。

 彼女が俺を操っているにしろ操っていないにしろ、金郷教の追手が来ている。

 神器である彼女が奴等に捕まったらロクな目に遭わないのは確かだ。

 何故俺がここにいるのか、俺は自分の意思で動いているのかなんて疑問は後で考えても答えが出る。

 けど、彼女を助けるのは今しかできない事だ。


「……お兄ちゃん、ごめん……私、……」


 だが、もしかしたら、この考えこそが彼女の力の影響そのものかもしれない。

 答えを後回しにする事こそが彼女が望んでいる展開かもしれない。

 そんな事を考えながら、俺は彼女の謝罪を適当に流す。


「別に謝らなくて良いって、お前は何も悪い事してねえし」


「……でも、私の所為でお兄ちゃん、ボロボロに……」


「いいの、いいの。お前が俺をお兄ちゃんと呼んでいる間はお前の味方でいてやるからさ」


 色々考えたが、納得できるような答えは出なかった。

 ならば、答えが出るまで彼女の味方でいよう。

 もしも彼女が俺を利用して美味しい蜜を吸うならその時は止めれば良い話だ。

 何も分からないなら、分かるまで彼女の為に奮闘するのが俺の性に合っている。

 難しい事を考えても仕方ない。

 とりあえず、俺は彼女が悪ではない事を信じる。

 今はそれで十分だ。

 そう自分に言い聞かせる。

 自分に言い聞かせる事で答え出すのを後回しにする。


「……私を犠牲にしたら何でも願いが叶うんだよ?」


「そんな方法で願いが叶っても後味悪いだけだって。いいか?願いってのは、願いを叶える為に頑張った過程がなきゃ価値がなくなる……んだと思う、多分。ほら、ロールプレイングゲームでも最初からレベル99で無双しても面白くないだろ?コツコツレベリングする事でそのゲームをしたっていう事実に価値がつくってもんだ」


 昔お世話になった恩師──教頭先生の言葉を自分なりにアレンジしながら、彼女に伝える。


「ごめん、お兄ちゃん。私、ゲームした事がないからその例え、分からない」


 今まで世間と隔絶された空間で生まれ育った彼女は俺の例えを理解できなかったようだ。

 いや、多分、俺の伝え方が下手だったのだろう。

 俺は頭をガシガシ掻くと、無理矢理話を明るい方に切り替えようとする。


「じゃあ、落ち着いたならとりあえず逃げようか。啓太郎達とも合流しないといけねぇしな」


 美鈴は再度顔を曇らせてしまう。

 俺は彼女が言いかけていた何かを察する事なく、何の考えもなしに森から抜け出そうと試みた。



 森から抜け出した俺達が先ず向かったのは、全国展開している某アパレル店だった。


「お兄ちゃん、何でここに来たの?お洋服屋だよ?」


「美鈴、今の俺達の格好を見ろ。ただの不審者だ」


 そこら中穴だらけになった上着に血塗れになった長袖シャツを着た俺は、泥だらけのワンピースを着た彼女に常識を教える。


「このまま移動していたら金郷教の信者達よりも先に警察に捕まってしまう。俺達は近隣住民の方に通報されない為にも、即急に服を買い換える必要があるんだ」


 そう言って、俺はボロボロの上着に入っていた財布から1万円エロ本を買う為の軍資金を取り出し、店の中に入る。

 田舎だったので店員は1人しかいなかった。


「いらっしゃいま…………」


 1人しかいない店員は俺達──特に俺の様子を見て絶句する。


「待て、通報しないでくれ。山遊びしていたら派手に転んだんだ。事件性は皆無なんだ」


「か、替えの服がないので服を買わせてください、お願いします!!」


 美鈴は戸惑う店員に向かって頭を下げる。

 並外れた美貌を持つ美鈴に気を許した店員は"そういう事なら……"と言うと、俺達を不審に思う事を止めた。

 俺は店員の気が変わる前に自分が着る無地の長袖黒シャツ──白だと傷口から血が滲み出るかもしれないため、黒のシャツを買った──、そして、美鈴が着る服選んだのは着用する美鈴本人を購入する。


「な、何とか1万円以内に収まった……」


 小銭と化した軍資金を眺めながら俺は安堵の溜息を吐き出した。

 歩きながら財布の中を覗く。

 残りは3万円。

 この3万円はもしもの時に財布の中に入れておいた俺のお年玉だ。

 この3万円で残り2日乗り越えなければならない。どうしようかと悩みながら、俺は店の外に出た。


「お兄ちゃん、これどう?似合う?」


 安っぽい服に身を包んだ彼女は嬉しそうに自分の姿を俺に見せつけた。


「あー、似合う、似合う。超かわいい」


 女子の美的センスがわからない俺は適当に美鈴の格好を褒め称える。


「……お兄ちゃん、今、いい加減に答えたよね」


「仕方ねぇだろ。健全な男子高校生ってのは、エロいかどうかでしか判断できないんだから」


「……エロ?」


 どうやら金郷教の信者にはエロという概念がないらしい。


「生殖本能の事だよ」


「生殖……?」


「赤ちゃん作りたいっていう気持ちの事だ」


「え?赤ちゃんって作るものなの?聖なる儀式をやる事で神様から授かるんだよね……?じゃあ、作るんじゃなくて貰うっていう表現が正しいんじゃ……」


 どっぷり宗教に浸かっていた弊害なのか、彼女の口から漠然とした生殖方法が飛び出す。

 このままでは良くないと思った俺は、彼女のコウノトリ系子作り観を遠慮なくぶち壊す事にした。


「いいか、美鈴。俺は大人じゃないから単刀直入に世界の真実を教えるぞ。赤ちゃんはな、<放送禁止用語>して作るものなんだよ。<放送禁止用語>ってのは、○○○を△△△に挿入する事で作るんだ。その<放送禁止用語>をやりたい思いこそがエロなんだ」


 我ながら思春期を迎えていない女の子に何を言ってんだと思うが、これくらい直球で言った方が伝わるだろう。

 性知識は年相応でなければ、どこかで歪みが生じてしまう。

 あり過ぎても困るけど、なさ過ぎるのも困りものなのだ。

 だから、俺は今の自分を気持ち悪いと自覚した上で、美鈴に最低限必要な性知識を教え込む。


「……よく分からないけど、エロとラブって同じ意味って事なの?」


「エロとラブが直結する奴もいれば、エロとラブが直結しない奴もいる。いいか、美鈴。エロってのは、奥が深いんだ」


 多分、<放送禁止用語>の意味も分かってないだろう。

 美鈴は目を点にして首を傾げていた。


「とりあえず、何か食うか?俺、さっきから腹減って仕方ねぇんだよ」


 漠然と歩いていた俺達は、いつの間にか人通りの少ない寂れた商店街に辿り着いていた。

 肉屋でコロッケが売っていたので、それを買わせて貰う。


「おばちゃん、コロッケ2つ」


「あいよー、ってあら。あんたら見かけない顔だねえ。もしかして日々山の桜を見に来たのかい?」


「まあ、そんな所っす」


「なら、ここから数分歩いた先にバス停があるからそれに乗りな。20分くらいで日々山登山口前に着くから」


「分かった、ありがとう、おばちゃん」


 代金を払った俺は美鈴にコロッケを手渡す。


「折角だし桜見に行くか」


「え、そんな寄り道していいの?お兄ちゃんの実家に行くんでしょ?」


 美鈴はコロッケを齧りながら抗議する。味が気に入ったらしく、ハムスターが種を貪るような素早さでコロッケを消費し始めた。

 俺もコロッケを齧る。

 口の中に広がる鉄の味と身体中に走る激痛の所為で、何を食べているのか、さっぱり分からなかった。


「金持っている啓太郎と逸れてしまったからな。あいつと合流するのも難しそうだし、とりあえず、今は人の多そうな所に行くか」


「へ?何で人の多い所?逆に見つかるんじゃ……」


「こういうのは堂々としていたら、案外バレないもんなんだよ。それに、ほら、魔法は一般人にバレたらいけないんだろ?なら、人が多い所に行けば魔法使いが喧嘩売って来るのを避けられるかもしれない」


 鎌娘がキマイラ戦の時に人払いの魔法をやっていたのを思い出す。

 もし俺達が人通りの多い所に行けば、奴等は不思議な力で人払いをやる筈だ。

 人の量が不自然に減ったら、奴等が近くにいる事に気づく事ができる。


「まあ、美鈴があいつらの探索方法知っているなら別だけどな。何か知っている事があるか?」


「……知らないよ」


 美鈴は今にも泣き出しそうな顔で俺に嘘を吐く。

 俺はモヤモヤした気持ちを解消する意味合いを込めて、食べてかけのコロッケを口の中に放り投げた。


 商店街を抜けた俺達はおばちゃんが言っていたバス停に到着する。

 薄汚れたベンチに座った俺達はバスが来るまで、ぼんやり待ち続けた。


「……ねえ、お兄ちゃん」


 特に面白味のない町風景を眺めながら身体に走る痛みを誤魔化していると、美鈴が恐る恐ると言った感じで俺に話しかけて来た。


「お兄ちゃんはさ、どんな人生を送って来たの?」


「どんなって、そんなの普通……」


 普通の人生を送って来たと言いかけた俺は彼女が特別な人生を送って来たのを今更ながら思い出す。


「聞いても面白くないと思うぞ。何せ浮き沈みが全くない人生だからな」


「それでも良いの。お兄ちゃんの事を少しでも良いから知りたいから。お兄ちゃんは、どんな所で生まれ育ったの?」


「関東の片田舎だよ。娯楽施設は近所のババアが経営するスナックくらいしかない所で俺は生まれ育った」


「お兄ちゃんが生まれ育った場所は、スナックって所以外には何もなかったの?」


「娯楽施設はな。後は古臭い個人経営の商店、小屋みたいな小学校、村人が住む民家と田畑くらいしかなかった。本当、誇張抜きで何もない村だった」


 都会の人はよく田舎には都会にないものが沢山あると言うが、そんなもんは幻想だ。

 あるのは大量の自然と虫、そして、無駄に広い土地だけだ。


「へえー、お兄ちゃんはどういう子供だったの?」


「どういう子供だったか……そうだな、わんぱく小僧だったかな。朝は外で虫捕りして、昼は近所の友達と野球して、夜は親が趣味で集めていた洋画を連続視聴するような子供だった」


「遊んでばっかじゃん」


「子供は遊ぶ事が仕事なんだよ」


「でも、キマイラさんは外の子供達もちゃんと勉強しているって言っていたよ!」


「ああ、ちゃんと勉強していたぞ。主に夏休み最終日とかテスト前とか」


「その単語の響きから全然勉強しているように思えないんだけど……」


「まあ、小学校時代は遊んでいた記憶しかないな。あ、高い所から落下した事もあったっけ」


「な、何で高い所から落ちたの……?」


「細かい事はよく覚えてない。気づいたら病院に入院してた。医者曰く、遊び過ぎて頭パァになったらしい」


「頭パァになるなら、遊んでばっかはダメじゃん」


 美鈴が少し大人になったと同時にバスが来る。

 バスの中には子連れの家族が沢山乗っていた。

 俺達は空いていた1番背後の席に座ると、中断していた会話を続ける。


「そんな俺も中学時代はこのままじゃロクな大人にならないと思って、真面目に勉強しようとしたんだ」


「じゃあ、お兄ちゃんは中学生の時は勉強一筋だったの?」


「いや、気がついたら中学3年間、喧嘩ばっかしていた」


「何で喧嘩ばっかしていたの……?」


「最初は先輩に絡まれた友達を助ける為に喧嘩したんだよ。そしたら、何故か番長を名乗る先輩と喧嘩する事になって。で、その番長倒したら、今度は他校の番長と喧嘩する事になって。そんな事を延々と繰り返していたら、いつの間にか暴走族300人相手と喧嘩する事になった」


「暴走族ってヤバい人達の集まりの事だよね?何でそんなヤバい状況に陥るの?外の人達にとってそんな状況に陥るのは当たり前の事なの?」


「雫さんも学生時代は暴走族と喧嘩していたって言っていたし、割とよくある事だと思うぞ」


「よくある事なんだ……!?」


「と、まあ、そんな感じで中学時代は喧嘩ばかりしていた。このままではロクな大人になれないと思った俺は、高校からは心機一転、知り合いが誰もいない場所でやり直そうと決意したんだ。で、英語が得意なのもあって、何とか今の高校に受かる事ができた俺は──」


「勉強に明け暮れる日々を送り始めたんだね」


 美鈴はようやく俺が真人間の道を歩み始めたと勘違いしたのか、キラキラした目で俺を見つめる。俺はそれを含みのある笑みで一蹴すると、淡々と高校に入ってからの事を話した。


「入学式当日、番長を名乗る男に絡まれる布留川君を助けた俺は、不良というレッテルを貼られてしまった」


「違う土地で同じ過ちを繰り返してない?」


「その所為で数多のヤンキーに絡まれるようになってしまった俺は、日暮市無差別強姦事件に巻き込まれた事がきっかけで、警官である啓太郎と雫さんと知り合った所為で、これまた勉強できない状態に陥って。2学期は2学期で、理事長の陰謀に巻き込まれて再び勉強できない状況に。3学期こそ勉強頑張るぞーって思っていたら、桑原麻薬売買事件に巻き込まれてしまって。やっとの思いでヤクザ一家との闘いに終止符を打ったかと思えば、今度は変な宗教集団に追われているって訳だ」


「……その間、勉強してなかったの?」


「ちゃんと勉強していたぞ。主に夏休み最終日とかテスト前とかに」


「……その響き、勉強してないように聞こえるんだけど」


 美鈴は死んだ魚のような目で俺を見つめる。気まず過ぎて、俺は彼女の目を見て話す事ができなかった。


「いや、ちゃんと勉強しようと思ったぞ。けど、何故か勉強する時間がなかったというか何というか……」


 通知表は英語以外オール1だったという事実は敢えて伏せる。春休み前の補習を受けてなかったら進級さえ危うかった事を知られたら失望されるに違いない。


「……何でお兄ちゃんはロクな大人にならないように頑張っているの?そこまで勉強しないんだったら、無理に頑張る必要がないんじゃ……」


留年しかけた事実を伏せたにも関わらず、美鈴は半ば俺に失望しかけていた。


「うーん、どうしてだろうな。何でかロクな大人になりたくないんだよなぁ……多分、立派な大人になりたいんだと思う」


 夏風が俺の鼻腔を擽る。何故ロクな大人になりたくないのか、幾ら考えても答えは出なかった。


「お兄ちゃんは、立派な大人になりたいの?」


「うーん、多分、そうなのか、な……?」


そんな感じで俺の平々凡々な人生を語っていると、バスは目的地に着いてしまった。


「お、着いたみたいだぞ」


 隣に座る彼女の顔を覗き込む。何故だか知らないが彼女は何故か上機嫌だった。


「どうした、美鈴?」


「いや、お兄ちゃんはそんな人間なんだろうなって」


「それ、どういう意味だよ」


 バスから降りた俺達の間に春風が通り抜ける。

 僅かではあるが、俺は美鈴との物理的距離が縮まっていた事に今更ながら気づいた。

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