4月1日(16) VS名もなき少女の巻
田圃の中に足を突っ込んだ啓太郎から目の前の敵に視線を移す。
少女は背後にいる美鈴同様、怯えていた。
「大人しく神器を渡して下さい……!その子がいないと私達は困るんです……!」
「断る。願いを叶えてもらうだとか全ての人に救いを与えるだとか、そういった抽象的な動機なんかでこいつを犠牲になんかさせない」
「そう、ですか……」
震えが止まった瞬間、少女の足元にある地面が唐突に盛り上がる。
俺が身構えるのも束の間、周囲の地面は突如、宙に浮かび出した。
否、足元の地面は新たな形を得ようとしていた。
「なら、力ずくで奪います……!」
彼女の宣言と共に地面は瞬く間に壁へと変化した。
壁は瞬く間に俺達の周囲を取り囲んでいく。
「美鈴っ!壁の外目掛けて走れっ!!」
美鈴の退路を確保するため、俺は右腕に篭った雷で変形していく地面を壊していく。
新しく構築された壁に電撃を流し込む度に、地面の変化の速度は緩やかなものになっていった。
「その雷が厄介ですね……なら、………!!」
俺の足元が突然、宙に浮かび始める。
慌てて浮き上がった足元から飛び降りるが、飛び降りた先の地面も宙に浮かぼうとしていた。
「無理矢理、それを使えない状況にまで追い込むまでです……!」
彼女は地面にある土を空飛ぶ箱に変形させると、そのまま俺共々、自分を土の箱の中に収めてしまう。
箱の中に美鈴がいない事にほっとしたのも束の間。
このまま空に浮かび上がったら不味いと判断した俺は慌てて箱の壁を壊そうとする。
「今壊したら、貴方は高さ80メートルの所から落下する上、お仲間も神器も巻き添えになりますよ?それでも良いんですか?」
「……脅しなら利かないぞ。これくらい、余裕で飛び降りる事ができる」
「脅しと思って貰って結構です。私も貴方のハッタリを聞き流しますから」
「もしあいつらが巻き添えになるなら、お前は……いや、お前達は真っ先にあいつを殺していた筈だ。お前もキマイラ津奈木もあいつは回収するって言っていたからな。つまり、美鈴を殺したら計画がおじゃんになる訳だろ?」
「あの風の魔法使いより頭が回るんですね。そうです、貴方の言う通りです。私達は神器を殺す事はできません。ただ……、」
周囲の壁から柱のようなものが突き出る。
俺はその攻撃を右腕で受け止めず、身体を思いっきり捻る事で回避した。
「貴方があの子を見殺しにできるとは思えません」
質量保存の法則が適用されているのか、柱が登場した影響で、彼女の背後にあった壁に穴が空いてしまう。
その穴から夕空が垣間見えた。
「疑うならお見せしましょう」
背後の壁が唐突に開く。
その穴から豆粒大の大きさになった美鈴の姿が見えた。
「……随分、俺を信頼しているんだな」
「そりゃ信頼しますよ。貴方は出会って1日も経っていないあの子のために命を賭けているんでしょう?」
棘のある言い方だった。
俺は右の籠手でうっかり壊さないように気をつけながら、箱の外から見える風景を一望する。
この土の箱はどういう理屈か、風船のように浮き上がっているらしく、今も尚浮上していた。
何の装備もなくこの高さから飛び降りたら、ただじゃ済まないだろう。
もう少し早いタイミングで飛び降りれば良かったと後悔する。
彼女みたいに背中に翼を生やしたりしない限り、自力での脱出は不可能に等しい。
今、俺の命は彼女の手に委ねられているのだ。
「逃げられませんよ」
彼女は分かり切った言葉を口に出す。
だが、その言葉は俺が思っていたのと正反対の意味だった。
「今の私の魔力量では、翼は生やせませんから」
「なっ……!?」
驚く俺に構う事なく、彼女は四方八方の土壁から槍のようなものを生み出すと、一斉に俺目掛けて放つ。
飛来する土の槍を俺は懸命に避け始めた。
動く度に傷口に籠った熱が高まる。
傷口から血が零れる。
徐々に身体が鉛のように重くなっていく。
「どうして、貴方はあの子を助けようとしているんですか?」
しかし、彼女の攻撃は動く度に激痛が生じるような身体でも、容易に避ける事ができた。
この現状に違和感を抱く。
もしかしたら、何か狙いがあるのだろうか。
そう考えた俺は時間を稼ぐため、彼女の口車に乗る事にする。
「お前らがあいつを犠牲にしようとしているからだろっ!」
籠手で槍に触ったらどうなるのか分からない。
もしこの箱が壊れでもしたら、術者である彼女も墜落してしまう。
どうにか彼女と共に脱出する術を見つけなければ。
足りない頭をフル回転させながら、突破口を切り拓こうとする。
「貴方は私達の計画は最初から知っていたんですか?最初からあの子が犠牲になると分かっていたから助けようとしたんですか?」
彼女の疑問が攻撃と共に降り落ちる。
だが、避けるので精一杯だったため、俺は彼女の質問に答える事ができなくなった。
「何で貴方は命を賭けているんですか?あの子が美人だからですか?あの子が特別だからですか?」
彼女の言葉に含まれている感情は恐らく嫉妬。
それもかなりの濃度のものだ。
攻撃を避けながら、途切れ途切れになりながら、俺は彼女に質問を投げかける。
「お前は……美鈴と、知り合いなのかっ!?」
"美鈴"という単語を聞いた瞬間、彼女の小さい身体から殺気に似たな感情が迸った。
怒り任せの攻撃が始まる。
先程とは違い、俺に当てる意思は見当たらない。
ただ乱雑に放り投げているだけだ。
まともに直撃するのは、1回の攻勢で1発か2発程度。
それを最低限の動きで躱しながら、身体を動かす度に生じる激痛に脳を揺さぶられながら、いつでも彼女を殴りに行ける距離を保ち続ける。
「美鈴、ですか」
彼女が攻撃を撃ち続ける度に、箱の体積は減り続ける。
天井や壁は虫が喰ったみたいに穴が空いてしまう。
その穴は徐々に拡大していった。
このまま彼女の猛攻が続いたら、遅かれ早かれ俺も彼女も墜落死してしまう。
「私にはそんな普通の名前さえないのに羨ましい事この上ないですね……!」
その瞬間、俺は拳を握り締める事ができなくなった。
薄々勘づいていた。
この少女も美鈴と同じだ。
追うか追われるかの立場が違うだけで、彼女も誰かの助けを必要としている。
誰かが救いの手を差し伸べなければ救われないような子どもだ。
俺にはこの子を殴れない。
もしこの子を殴ったら、原形がなくなるくらい美鈴を殴った奴等と同じになってしまう。
「ああ、ちくしょう……!」
さっさと美鈴を連れて少女の前から逃げるしか方法がなかった。
でも、美鈴を連れて逃げたら、彼女がどうなるのか分からない。
最悪、逃した罰で目の前の少女が血塗れになるかもしれない。
ならば、彼女を説得して俺達と同行して貰えば──。
そんな甘い事を考えていると、少女のか細い声が鼓膜を揺さぶった。
「生まれた時から私にはお父さんもお母さんもいません」
攻撃は止まる事なく、俺に襲いかかる。
が、土の槍は立ち止まった俺に当たる事はなかった。
違和感の正体を理解する。
彼女は最初から俺に危害を加える気がなかったのだ。
「物心ついた時から金郷教に所属していたので、私は普通に学校に通う事も塾に通う事も習い事もする事なく、過ごして来ました」
普通の人生を送って来た俺には理解も共感もできないような経歴。
そんな彼女の過去話を聞きながら、俺は自分の横を通り過ぎる攻撃をぼんやり見つめていた。
「小さい時からずっと修行の毎日でした。私は文字が読めません。私はピアノが弾けません。でも、金郷教の教えを丸暗記しています。金郷教の聖典を丸暗記しています。魔法だって使えます。でも、私は普通じゃないんです」
彼女は八つ当たり気味に魔法を酷使する。
けれど、攻撃は当たらない。
何故なら、矛先は俺ではないから。
「私は普通の生活に憧れています。朝、普通にお父さんとお母さんにおはようの挨拶をして、昼、普通に学校でお友達と遊んだり勉強したりして、夜、習い事から帰って来たら温かい夜ご飯が用意されているような、そんな普通の生活を過ごしてみたいんです」
「なら………!」
俺が何とかしてみせる、俺がお前の願いを叶えてやる。
そんな誰が聞いても薄っぺらく、軽い言葉は彼女の抱えているもので容易く掻き消されてしまう。
「この任務が失敗したら、いや、儀式が失敗したら、間違いなく私は殺されます。私は普通の暮らしをする事なく、死んじゃうんです。けど、儀式さえ遂行出来れば、私は死ぬ事も無い上、普通の幸せを手に入れることができるのです」
普通の両親の下に生まれ、平々凡々な日々を過ごして来た俺は言葉を失う。
どうしたら美鈴も目の前の少女も助けられるのか分からなくなった。
「貴方、その神器と会ってまだ1日も経っていないんでしょ?何でその子の味方をするんですか?何で貴方はその子だけを守るんですか?何で私を守ってくれないんですか?普通の生活を送りたいと願う事さえ罪なんですか?」
彼女の詰りが頭の中で周り出す。
悪夢のメリーゴーランドは終わらない。
俺が諦めるまで滞る事なく廻り続ける。
彼女の顔なんて見る事ができない。
見てしまったら、きっと俺は美鈴を彼女に差し出してしまう。
「……本当に美鈴を犠牲にすれば、何でも願いが叶うのか……?」
抵抗の意味を込めて、疑問を絞り出す。
絞り出したものは時間稼ぎにさえならなかった。
「はい、その子を犠牲にすれば間違いなく、全ての人の願いは自動的に叶うようになります」
機械的な物言いに胸の奥から熱のようなものが込み上げてくる。
やり場のない怒りを胸に抱きながら、俺は彼女に問いを投げかけた。
「じゃあ、お前は全人類の幸福の為だけに美鈴を犠牲にするのか?」
「……それの何が悪いんですか?1人犠牲にして残りの人達が救われれば、それが最善でしょう」
「それが……、その犠牲がお前だったらどうする?」
少女の息が一瞬だけ止まったのを知覚した。
それでも、俺は止まらない。思った事をそのまま口に出す。
「お前は自分の幸せを見知らぬ誰かの為に捨てる事ができるのか?」
箱の中の空気が冷たいものに変わったような気がした。
顔を上げると、罪悪感に駆られた少女の顔が目に入った。
目を逸らしたい気持ちを押し殺し、俺は潤んだ瞳をした彼女と向かい合う。
「俺が美鈴の立場なら間違いなく自分を犠牲にしている。だって、それで全ての人が幸せになれるんだから。けど、それは、きっと俺の本心じゃない。ただの同調圧力だ。数の暴力によって捻じ曲げられた本音なんだよ。今、あいつは見えもしない多数派の所為で本音を言いたくても言えない状態なんだ。だから、あいつは逃げ出したんだよ。行動でしか意思を示せないから」
彼女の唇がわなわな震える。
それが怒りなのか悲しみなのか俺にはよく分からなかった。
「今回はたまたま美鈴だっただけだ。もしお前が神器とやらに選ばれていたら、俺はお前のために動いていた。それだけなんだよ、お前とあいつの差は」
「………たまたま、ですか。なら──」
強い揺れが足元から発生する。
破裂寸前の風船のように箱は膨張すると、その形を崩し始めた。
「必然なら、貴方は私を助けて──」
「くそっ……!」
反射的に俺は崩れかけた地面を蹴った。
そうしないと彼女は死んでしまうと直感したからだ。
彼女の足元の床が抜けると同時に、彼女の腕を掴む事に成功する。
だが、引き上げる事はできなかった。
俺の足元の床も崩壊してしまったから。
俺達は重力に引っ張られるがまま、地面目掛けて落下し始めた。




