4月1日(14)ドライブしようの巻
「で、何処に行けば良いんだ?」
運転席に座る啓太郎は後部座席に座る俺と助手席に座る鎌娘に至極当然な質問を尋ねる。
俺は啓太郎から貰った包帯を巻きながら、彼の質問に答えた。
「金郷教の本拠地に……」
「「行かない」」
啓太郎と鎌娘の声が重なる。
今の満身創痍な自分の状態と啓太郎達の意思を汲み取って、俺は今すぐに殴り込みに行きたいという気持ちを押し殺す。
「……とりあえず、俺の実家だな。あそこは桑原と同じくらい田舎だし、余裕で人目を避ける事ができる」
俺は全身に走る激痛に耐えながら、いつも通りの口調を意識して、啓太郎の質問に答える。
「君の実家って関東の方だろ?そこまで車で行けって言うのか?」
「いや、九州から出たら新幹線か飛行機に乗り換えよう。流石に幾ら人数が多くても、九州外の駅や空港までマークしていないだろう。そっちの方が手早く移動でき、かつ信者の魔の手から掻い潜れる筈だ」
「てか、外国に逃げた方が良いんじゃないの?地球の裏側に逃げたら流石にあいつらも追って来ないでしょ」
「確かにお嬢さん、君の言う通りだ。だが、外国に逃げられない理由は3つある。1つは美鈴ちゃんは、身元不明であるため、パスポートを所得できない。2つ目、パスポートを所得できたとしても新しく作る必要があるから最低1週間はかかる。そして、3つ目は現在、日本では一般人の海外渡航は認められていない。今の世界情勢は冷戦とかテロとかで非常に不安定だからね。海外に行きたくても行けないんだよ」
「だったら、そこの神器を捨てて海外に不法入国すればいいじゃない」
「それ、本末転倒な上に美鈴捨てる必要性ねぇじゃねぇか」
「なるほど、その考えはなかった。麗しいお嬢さん、君は聡明な頭脳の持ち主のようだね。この事件が終わったら僕とディナーに行かないかい?」
「おい、啓太郎。お前は女なら何でも良いのか?こんなアホでもおっぱいついていたら、女に見えるのか?」
「うっさい!電撃ビリビリ男は黙ってなさい!!で、ディナーは何処に連れてってくれるのかしら!?」
「駅前のラーメン屋」
「あ、この話はなかった事に」
彼等の恋愛は啓太郎の無神経さにより、呆気なく終わってしまった。
半ば呆れながら、隣に座る美鈴を横目でチラ見する。
彼女は真っ青な顔で俯いていた。
今にも泣き出しそうな表情とキマイラ津奈木を前にした彼女の反応から、俺は彼女が嘘を吐いている事──本当は記憶を失っていない事──を確信してしまう。
何故、嘘を吐いたのかは分からない。
けど、彼女にとって嘘を吐く価値があったのだろう。
「どうした、車酔いか?」
敢えて彼女の吐いている嘘に気づいていない振りをする。
美鈴は俺の質問に答える元気さえもないようで、唇を微かに震わせていた。
トラウマに苦しむ彼女に何て声を掛けて良いのか分からなかった。
俺は誰もが認める通り、平々凡々な人生を送ってきた。
普通の両親の下に生まれ、何処にでもいる誰かとして、普通の価値観下、普通に恋をして、普通に失恋して、普通に生きてきた。
そんな普通の人生を過ごしてきた男がどの面下げて、特殊な人生を送った彼女を慰めれば良いのだろうか。
どんな綺麗事を言ったとしても、有名なポエニストの言葉を剽窃したとしても、彼女の心に届かない。
そんなもんで癒せる程度の心の傷なら、とっくの昔に塞がっている。
『ある男はこんな事を言っていたよ。"無力はできない言い訳になり得ない(キリッ"と」
俺が傷口から生じる熱に苦しんでいると、上機嫌な女性の声が車内に響き渡った。
声の主の方を見る。
車に内蔵されたカーナビの画面にバイトリーダーの姿が映し出されていた。
『はいはーい!皆さん大好きバイトリーダーだよ!……って、司くん、もうボロボロみたいだけど、何か進展あったみたいだね』
「バイトリーダー……!?」
「彼女が君に話したい事があると言っていてね。ビデオ通話をカーナビに繋いだのさ」
「話したい、事……?」
画面に映る彼女は画面端にいる誰かを手招きする。
そこから現れたのは布留川君だった。
『神宮、花見する場所って何処だったっけ?』
「話したい事ってこいつの迷子の事かよ!?」
『神宮、俺は迷子じゃない。道に迷っただけだ』
「それを人は迷子って言うんだよ!てか、お前スマホどうした!?それで委員長に電話かけろよ!!」
『マップアプリ使い過ぎて充電なくなっちまった。お前だけが頼りだ、神宮。俺を花見会場まで連れて行ってくれ』
「桑原交番の近くだよ!!一旦、寮に戻れ!そして、寮長に連れてってもらえ!!」
「あいつ、ちょーバカでかいのに迷子になってクソ笑えるんですけど!どうしたらその歳で迷子になれるのよ!!」
『貴方も迷子みたいなものでしょうが、人生っていう迷路の。どうしたら、そんな迷走できるのよ?今からでも遅くないから、真っ当な道を歩きなさい。そして、文明の叡智に触れることで、理性と品格を高めなさい。前頭葉停止女』
「なんですってぇええええ!!私の何処が迷走してるって言うのよぉおおおおお!!てか、ゼントウヨウってなに!?何かの蔑称!?」
鎌娘はカーナビに突っかかり始める。
こういう時のために彼女の背後に座っていた俺は、絞め技で彼女の意識を一瞬で落とした。
『で、神宮。そいつは何だ?』
「ただのアホだ、気にしなくて良い」
『そうか。じゃあ、俺は桑原交番まで行かせてもらう』
「ああ、委員長によろしくな」
『ああ、お前が女を絞め落としながら、警官と一緒に幼女を誘拐しているって事はちゃんと委員長に伝えとくぞ』
「その言い方は悪意あり過ぎだろ!?俺、お前に何かしたか!?おい、布留川!!戻って来い!!」
『てな訳で特別ゲスト、布留川君でしたー!では、また来週!!シーユーネクストアゲイン!』
「え!?話したい事って本当にそれだけなの!?」
今にも通話を切断しそうな彼女に慌てて金郷教について聞き出そうとする。
「バイトリーダー!切る前に教えてくれ!!金郷教が掲げている金郷りそうきょうってのは、一体何なんだ!?」
宗教に詳しく、かつ第3者の視点から語れる彼女に客観的な情報を求める。
奴等が美鈴を使って神を降ろそうとしている事は分かった。
けど、何故神を降ろす事が理想郷に辿り着く事に繋がるのか分からない。
そもそも理想郷とは何だ?
全ての人を理想郷送りにする事は本当に救いなのか?
キマイラ津奈木はそれが全ての人を救う方法だと言っていた。
しかし、俺にはその理想郷とやらがどうしても救いになるとは思えなかった。
ただの偏見なのかもしれない。
だから、聞く必要がある。
宗教に通じている彼女から客観的な意見を。
『金郷教の掲げる理想郷ねぇ………んー、ネットの知識とお昼のニュースがソース元だけど、それで良いなら教えてあげるよ』
「それでも良い。あんたの口から聞きたいんだ」
彼女はいつもとは違う冷静さを俺達に見せつけると、理想郷に関しての説明を始める。
『宗教に関して興味ない司さんは知らないんだと思うけど、宗教でいう理想郷っていうのは、わかりやすく説明すると、"神性を獲得したものが辿り着く最後の場所"って意味なんだよ』
「それって、つまり死後の世界って事か?」
『うーん、少し違うかな。どの宗教においても共通して言える事が、神性を獲得しないと人は理想郷に辿り着く事ができないって事。ほら、ガイア教やイシス教でいう天国・仁教でいう極楽浄土は、善行や徳を積んだ人しか辿り着けないってよく言うでしょ?要はあらゆる生命は神性を獲得するまで地上で生と死を繰り返すって訳』
「それって、良い奴しか理想郷に辿り着けないってことか?」
『まあ、中らずと雖も遠からずって所かな。善行だろうが悪行だろうが、神域に辿り着く奴は辿り着いちゃうし。……と、話が少し逸れてしまった。ここまで言ったら、流石の司くんでも金郷教が何をしたいのか理解できるよね?』
神様と同等ではない者は理想郷に辿り着けない。
そして、金郷教は神を降ろす事で全ての人々を理想郷に導こうとしている。
これが意味する事はつまり。
「もしかして、金郷教は全人類を神様にしようとしている……のか?」
『私の予想が正しければね。彼等は人々の願いを無際限に神様に叶えさせる事で、煩悩を焼失させ、人類すべてを神様に仕立て上げようとしているんだと思うよ。この煩悩がなくなったら神域に辿り着けるって考えは仁教の考えに影響されたんだろうね』
「神の業どころか神そのものを再現しようとしているのはガイア教の考えって訳か。……でも、本当に欲望を満たすだけで人類は神様に……いや、理想郷とやらに行けるのか?」
『さあ?でも、金郷教の人達は全人類が理想郷に行くにしろ行けないにしろ、どっちでも良いんじゃないのかな。理想郷は神様みたいな人達しか行けない。けど、地上にいる人全員神様になったら、そこは理想郷と言えるよね?』
神様が何でも願いを叶えてくれる世界を想像してみる。
みんなの欲望が何の努力もなしに満たされたら、きっと争いは世界中からなくなるだろう。
椅子取りゲームが行われたとしても、自分の椅子がないと騒ぎ立てる必要もなくなる。
いや、際限なく願いが叶うのなら自分自身が願いを叶える立場にもなれる筈だ。
全人類が神となった世界。
その世界は間違いなく理想郷と言っても過言ではない。
「確かに全人類を神様にするっていう考えは合理的だ。願えば何でも叶う世界、それはとても素晴らしいものだと僕は思う」
人気のない裏道を運転しながら、啓太郎はつまらなそうに呟く。
「けど、何か妙に引っかかる。そもそも本当に神を降ろす事ができるのか?何故、今まで誰も『神堕し』をやって来なかったんだ?」
「今までもやって来たわよ」
いつの間にか意識を取り戻した鎌娘が無遠慮に口を開く。
「どの時代でも時の権力者達はお抱えの魔導師を使って、『神堕し』を試みた。けど、今の今まで成功しなかった。それだけの話よ」
何でそんな単純な事が分からないの、と言いたげに鎌娘は呟く。
「今回は成功の見込みが高いのか?」
「さあ?高いから私に依頼したんじゃないの?」
『まあ、啓太郎の漠然とした引っかかりは置いといて。金郷教はこんな大層な理由を掲げている事が分かりました。では、今度は私からの質問。司くんはこれから誰もが理想的だと思える世界の誕生を防ぐべく、走り続けるのかな?』
美鈴の身体がビクッと震えた。
自分1人犠牲になるだけで全人類が幸せになると言われたら、当然そんな反応をする。
俺も同じ境遇だったら、似たような反応をする筈だ。
いや、俺は彼女と違って、迷う事なく自らを犠牲にするだろう。自分1人が生きているだけで世界中の人々の幸福になる機会が奪われる。そんな事実を突きつけられるだけで、気が狂いそうだ。世界中の人々を敵に回してまで生きていたいとは思えない。だが。
「走り回るに決まっているだろ。美鈴1人を犠牲にした所で、世界が良くなるとは思えないし」
だが、目の前にいる人が全人類の幸せのためだけに死を望まれているなら、話は別だ。
数という名の暴力で1人の本音を封殺するのは間違っていると思うし、何より本当に全人類が幸せになる確証がない。
だから、俺は美鈴の生を願い続ける。彼女が世界中の人からの圧力に負ける事なく、自分の命を自分のために使えるように。
『じゃあ、世界が良くなるという確証が得られたら君は躊躇いもなく美鈴ちゃんを犠牲にするのかな?』
そんな俺の意図を読むことなく、バイトリーダーは意地の悪い質問を繰り出してきた。
彼女の意地悪な問いかけにより、俺の頭は一瞬だけ真っ白になる。
「おい、バイトリーダー。それは流石に意地が悪いぞ」
啓太郎はバイトリーダーに苦言を呈する。彼女はそっぽを向くと、俺に謝罪の言葉を告げた。
『ごめん、今の質問は意地悪だった』
車内に沈黙が走る。俺はさっきの質問を否定する事ができなかった。
俺はどこにでもいる普通の高校生だ。
平々凡々な人生を送って来た俺には、その問いかけは非常に重く、答えられないものだった。
誰だって少数の幸福よりも大多数の幸せを選ぶ筈だ。
かの有名なトロッコ問題──"人を助けるためならば、他者を犠牲にする事は許されるのだろうか?"という趣旨の思考実験──を思い出す。
1人を殺すか複数を殺すか。
今回の美鈴の件はトロッコ問題と全く同じなような気がした。
美鈴を犠牲にして、世界中が幸せになれる道を選ぶか。
それとも世界中の人々が幸せになる道を壊してまで美鈴を守るか。
キマイラ津奈木は美鈴を物と定義し、前者を選ぼうとした。
それを俺は感情に任せに否定してしまった。
“手段が間違っている”、という身勝手で幼稚な言い分で。
バイトリーダーの問如きで動揺する俺がよくこんな台詞を吐けたものだ。
美鈴の方を見る。
彼女は生気のない瞳で俺の事を見つめていた。
何もかも絶望したかのような目をした彼女に気圧された俺はその場凌ぎの軽い言葉を口に出す。
「大丈夫だって、お前は俺が守るから」
その言葉が軽いものだと自覚しながら、俺は目を泳がせた。




