4月1日(11) 『全ての人に祝福を』の巻
右腕を犠牲に光線を捌き切ろうとした瞬間、美鈴の叫び声が閑散とした住宅街に響き渡る。
その瞬間、右腕が俺の意思に反して勝手に動き始めた。
唐突に跳ね上がった心臓が右腕に夥しい程の熱を送り込む。
右腕に焼き爛れる程の熱が溜まったかと思いきや、何処からか現れた鉄の帯が右腕に巻きついた。
13本の鉄状の何かは籠手のような形状になると、白色の電撃を発し始める。
「な、なんだ……これ……!?」
迫り来る無数の光線は軌道を変え、雷を纏った籠手に直撃してしまう。
だが、白雷に直撃した途端、光線は煙のように消え去ってしまった。
「「なっ……!?」」
俺と奴の驚きの声が重なる。
何故なら、俺も奴もこの展開を予想さえしていなかったから。
「……なるほど、神器の力か……!」
先に冷静さを取り戻した奴は籠手が現れた理由を一瞬で把握する。
奴の一言で俺も籠手が現れた理由を理解することができた。
美鈴の力だ。
彼女がそう願ったから、俺は魔法の力を獲得したのだ。
ゴミ捨て場から驚いたかのように目を見開く彼女を見た俺は、そう結論づける。
「が、その程度の力では私には敵わない!」
アスファルトの地面が隆起する。地面を覆っていた黒い膜を突き破って出てきたのは、2体の土蛇。
今にも襲いかかってきそうな蛇達を撃退するために、俺は電撃を飛ばそうと右腕を振った。
しかし、何も起こらない。
「どうやって使うんだよ、これ……!?」
白雷の火花を散らす籠手は俺の意思通りに動いてくれない。
動揺している隙に大蛇は俺に突進を仕掛けて来た。
奴の瞳に俺と美鈴が映っているのを見た俺は、避けられない事を──美鈴に危害が及ぶ事を即座に把握する。
一か八か俺は蛇の突進を籠手で防ぐ事を選択した。
「うおおおおっ!」
情けない掛け声と共に右の籠手で蛇の突進を食い止める。
籠手から放たれた電撃は瞬く間に土蛇を喰らい尽くした。
粉々になった土蛇を見て、俺は思わず目を見開いてしまう。
「なっ……!?私の魔力を雷に……!?」
奴は瞬時に俺の魔法を分析すると、驚愕する。
その間に俺は電柱の裏にいる少年の下に向かうと、彼に逃げるように伝えた。
少年は泣きながら、首を縦に振ると、我武者羅に走り始めた。
俺は少年の後ろ姿を見届けると、奴との間合いを詰め始める。
そして、途轍もない破壊力を秘めた右拳ではなく、ただの左拳を握り締めた。
呆けた面をしていた奴は、我に返ったような表情を浮かべると、倒れていた電柱を再び盾にするため、魔法を行使する。
けれど、今回は俺の拳の方が断然速かった。
全力の左ストレートをがら空きだった彼の腹に叩き込む。
しかし、俺の一撃は奴の意識を刈り取る事ができなかった。
理由は至って明瞭。
一刻でも早く決定打を打とうと焦り過ぎた所為で踏み込みが足らなかったのだ。
彼は数歩後退すると、足元に転がっていた電柱を操り始める。
「ぐ、おっ……!!」
辛うじて右の籠手で襲い来る電柱を受け止める。
だが、籠手から出た白雷は電柱を破壊しなかった。
倒壊した電柱を壊せなかった事実に驚きながら、慌てて後退する。
奴はそんな俺に攻撃を加える事なく、ただただ茫然と立ち尽くした。
「な、……なるほど、その白い雷は物理的破壊力を持ち合わせていないようですね。つまり、魔力に依らない攻撃には滅法弱いという事……ならっ!」
地面を覆っていたアスファルトは不思議な力で剥がされてしまう。
剥がされた破片は夜空に広がる無数の星のように宙を浮かぶと、一斉に俺目掛けて飛来し始めた。
「言われなくても分かってら……!」
両腕で顔面を隠しながら、雨のように降り注ぐアスファルトの破片の波に突っ込む。
その所為で身体の至る所に破片が突き刺さってしまった。
「なら、右腕で殴っても効果がねぇよなっ!」
迷う事なく、奴の右肩に電撃を纏った拳を叩き込む。
すると、奴の胴体と右腕の繋ぎ目の間に亀裂が走った。
奴の脂肪に塗れた左腕が蜥蜴の尻尾みたいに千切れてしまう。
苦し紛れに奴は俺の右脇腹を蹴ると、再び俺との間合いを開ける。
「まさか……お前その身体、魔法で繋ぎ止めているのか……!?」
奴の身体中の繋ぎ目から夥しい程の血液が零れるのを見て、俺は驚愕の声を漏らす。
「闘っている人の心配をするなんて、大した余裕ですね……!私は貴方を殺そうとしているのに……!」
「……もう降参しろ。その出血量で喧嘩していたら死んでしまうぞ」
「思い上がるなよ、子羊……!私は既に死の恐怖を捨てている……!本当に怖いのは……我らの大願……全ての人に祝福を与える機会を永遠に喪失してしまう事だ……!」
「全ての人に祝福、を……?」
「そうだ!その為にはあの神器が必要なのだ!あの神器に大天使ガイアを降す事で人類は救われるのだ!!貴方は最大多数の幸福を己の感傷1つで不意にしてしまっていいのか……!?」
奴の勝手な言い分に胸の内から怒りが込み上がってくる。
俺は知っている。
美鈴が肉塊になる程、殴られていた事を。
あいつらがそれを躾と称して正当化した事を。
「ふざけるな!!何が"全ての人に祝福を"だ!!こんなか弱い子どもを寄って集って追い詰めてただけじゃねぇか!!そんなんがお前らにとっての祝福なのか!?」
衝動的に声を荒上げてしまう。
「回収班が神器に暴行を働いたのは、我らの大願を果たす為だ!!意思を持った神器に神は宿らない!!だから、神を宿らせる為には神器の心を暴力で壊す必要があるのだ!!全ての人に祝福を与える為には必要な事なのだ……!!!」
「じゃあ、こいつはあんたらが言う全ての人に含まれねぇのかよ!?」
背後で俺らを見つめる美鈴を指差しながら、彼に問う。
"お前は彼女を犠牲にするのか"と。
「あ……あれは人間ではない!!神器として魔術的に加工された器なのです!!……祝福を与える対象ではないのだ!!」
今にも泣き出しそうな瞳で奴は俺を睨みつける。
その所為で、俺の頭に上っていた血は、完全に引いてしまった。
冷静な口調で、俺は彼に疑問の言葉を送り届ける。
「……本当に、そう思っているのか?」
俺の言葉を聞いた途端、彼は息を詰まらせる。
そして、俺から──いや、現実から目を逸らした。
「黙れぇええええええええ!!!!!」
閑散とした住宅街に彼の叫び声が響き渡る。
「言われなくても分かっているんだよ!!その子も救わなきゃいけないって事は!!!でも、こうするしかなかったのだ!!全ての人を救うには神に縋るしか方法がなかったのだ!!」
彼の瞳から涙が零れ落ちる。
その涙で彼の本質は善人である事を理解した。
「私如きの力では人々の理不尽な不幸を拭い去る事が出来ない!!私如きの力じゃ誰も救う事が出来ないのだ!!お前に分かるかっ!?私のこの無力感を!!どれだけ努力してもどれだけ奇跡を祈っても、たった1人さえ守れない!!だから、縋るしかなかったのだ!!!!何でも願いを叶えてくれる神に!!!」
その言葉の裏に途轍もない悲しみと後悔が隠されている事に俺は気づかされてしまう。
彼がどれだけ重い過去を背負っているのか知らない。
どれだけの悲しみをその継ぎ接ぎだらけの身体で抱えているのか知らない。
でも、俺は止まれなかった。
彼の主張を認めたら、1人の女の子が不幸になるから。
彼が抱えているものが、どれだけの価値があるのか俺は知らない。
けど、どんな理由があったとしても、どんな高尚な大義があったとしても、人1人を犠牲にするやり方は許せなかった。
「だったら、人1人の犠牲にして良いのかよ、大多数の幸福のために少数の幸福を切り捨てて良いのかよ。たった1人の女の子の声を無下にして、あんた自身は納得するのかよ」
右の拳を握り締める。
こんな台詞、赤の他人である俺が言う資格はない。
それに、俺の言葉は中身が伴っていないため、軽く薄いものである事も理解していた。
もしも聖人だったら、いや、立派な大人の言葉なら、説得に成功していただろう。
しかし、未熟な俺が紡ぐ言葉は彼の心に届かなかった。
独り善がりの説教だけでは、彼を止める事はできなかった。
けれど、言わないといけない。
たった16年しか生きていないクソガキだとしても、聖人でも何でもないただの高校生だとしても、ここで言わなきゃ誰1人救われない。
ここで退いたら、美鈴の事も彼が掲げている理想も守れない。
「あんたはそれで良いのか?全ての人を救いたいと思っているのに、たった1人の女の子を犠牲にして?そんな方法で全ての人が救われるとして、あんた自身は納得できるのか?」
「………分かっている!………分かっているんだよ、貴方なんかに言われなくても、そんな事は……!でも、……でも……!!」
喧嘩慣れしている俺には分かる。
彼みたいな真面目で融通の効かない野郎は殴らなきゃ止まらない事を。
彼は自分で自分を止められないくらい、追い詰められているのだ。
その事実を認知した途端、俺は覚悟を決める。
そして、暴力で捻じ伏せる事でしか、相手を止める事ができない自分を心の底から呪う。
「……もう分かった」
右手に纏わり付いていた籠手を左手で強引に引き剥がす。
その所為で右腕の皮が剥がれてしまった。
「あんたが止まらないって言うなら、俺が止めてやるよ。身勝手で幼稚で我儘な言い分で、な」
俺は力一杯地面を蹴り上げると、無防備な彼に向かって走り始める。
「……いや、私は貫く……!どんな犠牲を払おうとも……!!私たちは、もう後には引けないのだから!!貴方に勝つ事で私は自身の正しさを証明する!!」
彼は反射的に光線を放った。
俺はそれを避ける事なく、素直に受け入れる。
両脇腹に光線が掠め、右太腿に光線が突き刺さる。
皮膚を焼き焦がす痛みが脳を揺さぶった。
それでも俺は構わず前進する。
ここで止まったら、美鈴は不幸になってしまう、彼は2度と戻れなくなる。
ただそれだけの理由で俺は足を懸命に動かし続ける。
「く…!?」
キマイラ津奈木は攻撃の手を止めると、一瞬だけ躊躇いを見せる。
身体中に走る痛みが思考の邪魔をした。それでも、俺は足を動かし続ける。
困っている人を見過ごすような大人になりたくない。
苦しんでいる人から目を逸らすような大人になりたくない。
たとえこの行為が価値観の押し付けだったとしても、正しくない行為だったとしても、根本的な解決になり得なくても、俺は止まらない。
止まりたくない。
美鈴を守るという身勝手で幼稚で我儘な言い分を胸に秘め、俺は懸命に足を動かしていく。
キマイラ津奈木は俺を止めるために、再び魔法陣を展開すると、光線を撃とうとした。
「無駄だ、言っただろ」
今にも倒れそうな身体を無理に動かし、俺は拳が届く距離まで詰める。
そして、何も身につけてない、何の変哲もない右拳を力強く握り締めた。
「あんたじゃ俺には勝てないって」
そのまま、勢いに逆らう事なく、俺は魔法を今にも放とうとする奴の顔面目掛けて右の拳を振るった。
彼は抵抗する事なく、俺の拳を受け入れる。
仰向けになって倒れる彼を見届けた俺は、今度こそ決着が着いた事を確信した。




