4月1日(9) VS魔法使いの巻
土塊の大蛇は鋭利な牙を剥き出しにすると、宙を這うような動作で俺との間合いを詰めていく。
不可解かつ摩訶不思議な光景に呑まれた俺は恐怖と驚愕により、頭の中が真っ白になった。
「お兄ちゃん!!」
美鈴の呼び掛けにより、現実を正しく認識した俺は直撃寸前の所で地面を蹴り上げる。
紙一重で大蛇の行進を躱した俺は立ち上がると、深く考える事なく走り始めた。
そして、瞬く間に拳が届く距離まで詰めると、ガラ空きだった男の鳩尾目掛けて拳を振るう。
「なっ!?」
だが、俺の拳は歪に変形したレールにより遮られてしまった。
男は軌条だった鉄の塊を自在に操ると、俺の胴体に鉄塊を叩き込む。
「ぐおっ……!」
咄嗟に背後に飛び退いたお陰でダメージを軽減できた。
しかし、かなりの衝撃だったため、呼吸がままならない。
息を吸おうとする度に激痛が走ってしまう。
浅く呼吸を繰り返しながら、直撃した箇所を触る。
どうやら腫れているだけで骨は折れてなさそうだ。
(これなら、まだ闘える……!)
「……もしかして貴方、魔法を扱う事ができないのか……?」
呼吸するのが精一杯だったので、俺は男の質問に答える事なく、じっと睨みつける。
「……まさか神器が小羊を選ぶとは思いもしませんでしたよ。だが、これも天使から科せられた貴方の試練。私はその試練の立役者として貴方に立ちはだかりましょう」
奴は震えた右手から炎を発すると、俺から目を背ける。
「さあ!懺悔の悲鳴を漏らすが良い!!」
炎の波が俺目掛けて押し寄せて来る。
反射的に俺は拳を握り締めると、駄目元で炎の波を殴ろうとした。が。
「いっけええええ!!!!」
炎の波は空気を読まない緑の風によって掻き消されてしまった。
風の砲弾を放った張本人を見る。
そこには、いつの間にか拘束から逃れた鎌娘がいた。
「ふっふー!あんたのピンチ、私が助けてあげたんだから感謝しなさいよね!!」
「てめえ!金郷教の中には魔法使いはいないって言ってたじゃねぇか!?普通にいるじゃん!!」
「へ?魔法使いはいないわよ。あいつは魔術師であって、魔法使いじゃないし」
「どっちも似たようなもんだろ!!」
腹部からの痛みに耐えながら抗議の声を上げる。
鎌娘は心底信じられないと言いたげな表情を浮かべると、俺に反論してきた。
「はあ!?魔法使いと魔術師の違いも分からないの!?これだから教養のない暴力男は!!いい、魔法使いと魔術師の違いはね……ほぎゃあああ!!!!」
説明する直前、彼女の身体は銀色の風により吹き飛ばされてしまう。
彼女は十数メートル先にあった電車の車体に減り込んでしまった。
「邪魔なんですよ、特に貴方みたいな半端に力を持ったガキは」
男はそれだけを言うと、空中に無数の魔法陣を展開させる。
漫画やゲームみたいな光景を目にした俺は魔法陣を思わず二度見してしまった。
俺以上に鎌娘は驚いており、様々な色をした魔法陣を見るや否や素っ頓狂な声を上げた。
「な、何よ、それ!?そんな多種類の属性を使えるなんて、世界一の魔術師”絶対善”でも無理なのに……!?あんた、まさか……!!」
「ええ、そのまさかですよ!!」
魔法陣から無数の光線が放たれる。赤、青、黄……様々な色の光線が鎌娘の身体を射抜くためだけに突き抜けた。
鎌娘は魔法を駆使した身軽な動きで光線を避けると、そのまま敵に背を向け逃走を図る。
「こんな頭おかしい奴、相手してられるかっ!!私は逃げさせてもらう!!」
死亡フラグ染みた負け台詞を躊躇う事なく吐き出した鎌娘は俺らの事を気にも留めず、この場から走り去ろうとした。
「逃がしませんよっ!!」
鎌娘の足元から砂の大蛇が現れる。
大蛇は瞬く間に彼女を捕食すると、そのまま土煙を上げながら地面に潜り込んでしまう。
「鎌娘っ!?」
裏切り者かまむすめは無様に頭だけ露出して、それ以外の箇所は土に埋もれてしまった。
側から見たら打ち首になっているようにしか見えない。
「さて、あの魔法使いでさえも私に手も足も出ないと分かって頂けましたか?」
「あいつはただのアホだからな。アホに勝った所であんたの価値に箔がつく訳ねぇだろ?」
「あんたではありません。私の名前はキマイラ津奈木。以後お見知りおきを」
「キマイラツナギ……?変わった名前だな」
「渾名ですよ、昔の名は捨てました」
奴と話しながら、突破口を頭の中で模索する。
奴が厄介な点は多様な魔法──魔法と魔術の区別つかないから不思議な力は全部魔法扱いする──を行使できる点だ。
奴の目をしっかり見ていれば、どこに飛んで来るのかは大体把握できる。
銃弾よりも遅い。
銃撃よりも殺傷能力は低い。
故に冷静ささえ保てれば、十分躱す事は可能だ。
落ち着け。
見慣れない攻撃だからと言って動揺するな。
俺は息を短く吸い込み、冷静さを取り戻すと、時間を稼ぐためだけに目の前の敵に話しかける。
「こんな事をして、あんたらに何の得があるんだ?」
遠回りに情報を収集しながら、周囲に何か有効打がないか探す。
「何の得かと申しますと……私達、金郷教の目的と言ったら分かりやすいでしょうか。私達はガイア神を降ろす事を目的に動いているんですよ」
俺の足元に拳大の石が落ちている事に気付いた。
奴に悟られないよう、蹴り上げるのに最適な場所を確認した俺は、瞬時に石から目を逸らす。
「ガイア……?あんたら、金郷教なんだろ?何でガイア教の唯一神を降ろそうとしているんだ?」
「何たる無学。私達、金郷教はガイア教と仁教をミックスした新新興宗教なのですよ?そんな事さえも知らないのですか?」
ふと、彼の発言により鎌女が美鈴の事を神器と呼んでいたのを思い出す。
"神の器"、つまり奴等の目的は──
「あんたら、美鈴の中に神様を入れようとしてんのか?」
「ええ、今の所は。しかし、神器が人間性を取り戻したので今のままでは神を器の中に入れる事は出来ないでしょう。回収したら調整をしないといけないでしょうね」
奴は美鈴を血塗れになるまで殴った男と同じ事を言いのけた。
「あんたらはあんな小さな子を、また痛めつけるのか?」
「意思を剥奪するのに有効なので」
奴は顔を顰める。
その隙に俺は落ちていた拳大の石礫を蹴り上げた。
「大体承知。なら、是が非でも勝たせてもらうぞ」
キマイラ津奈木は飛んで来た飛礫を寸前の所で避けた。
「こんなもので私を傷つけられるとでも──っ!?」
奴が飛礫に気を取られている間に俺は拳が届く距離まで入り込む。
しかし、先程電車事故で受けた傷が疼き、拳に込めた力がパンクした車輪の空気のように抜け落ちてしまう。
「ぐっ……!」
奴の顔面に俺の拳が入る。
だが、一瞬の隙を与えてしまったため、会心の一撃にはなり得なかった。
この一撃が綺麗に入っていたら、奴を気絶させる事ができただろう。
千載一遇のチャンスを不意にしてしまった事を心の底から悔やむ。
キマイラ津奈木は歯茎から血を溢すと、懐に入り込んだ俺の胴体を思いっきり蹴り上げようとする。
咄嗟の判断で背後に跳んだ俺は奴の蹴りを間一髪の所で避ける事ができた。
(ん……?蹴り技……?)
再び奴との距離が開いてしまう。奴は焦った様子で魔法陣を展開すると、俺に無数の光線を浴びせようとする。
避けようと我武者羅に右へジャンプした。
避け切れなかった攻撃が俺の背中を掠める。
地面に仰向けに倒れた俺は拾った小石を奴に投げつけ、先程の違和感の正体を確かめようとした。
奴は先程操ったレールを魔法の力で軽く動かす事によって飛来する小石を弾き飛ばす。
そして、盾のように扱った鉄の棒を大蛇のように畝らせると、今度は攻撃の手段として活用し始めた。
尻尾のように波打つ鉄棒が俺に襲いかかる。
地面を勢いよく転がる事でレールの襲撃から逃れた俺は、襲い来る第2、第3の攻撃を紙一重で躱し続けた。
が、鞭のようにしなる鉄の塊は避ける事はできず、強烈な横薙ぎの一撃が俺の胴体に情け容赦なく入る。
寸前の所で右腕を盾にした俺は肋骨が折れるのを辛うじて防いだ。
「ぐあっ……!」
が、右腕は今の一撃を受けた事で完全に折れてしまった。
鉄塊の一撃を押し殺す事ができず、俺の身体は美鈴が隠れていた所まで吹き飛ばされてしまう。
「お兄ちゃん、……!!」
変な方向に曲がった右腕を見た美鈴は顔面を真っ青に染め上げると、潤んだ瞳で俺を見つめた。
「大丈夫だ、それよりもう少し離れてろ……!」
絶え間なく押し寄せる激痛に耐えながら、俺は何とか立ち上がる。
「背後に跳んで衝撃を殺す術といい、咄嗟の判断で腕を盾にする術といい、貴方、随分、闘い慣れていますね。魔法に物怖じしない所を見るに、貴方、過去に魔法使いと対峙した事が有るのでしょうか?」
口の中に溜まった血を吐き捨てながら、奴は俺を睨みつける。
「……数時間前にそこのアホと一度な。それに幾ら魔法が使えるからってあんたはただの人間だ。──同じ人間相手に怯える必要があるのか?」
「格を思い知れ小羊。貴方が勝てる見込みがあるとお思いで?」
「そんなの……」
チャンスはアドレナリンが分泌されている間だけだ。
それまでに奴の間合いに飛び込まなければ。
左拳を握り締めた俺は勢い良く駆け始める。
「やってみなきゃ分からねぇだろ」
奴の注目が左拳に集中した事を察知した俺は再び地面に落ちていた小石を奴目掛けて蹴り上げる。
「2度も同じ手にかかりませんよ!!」
奴は魔法陣から発せられる光線により俺が蹴り上げた小石を粉々に砕く。
無駄に破壊力のある光線は地面に突き刺さると同時に地面から土煙が上げ始めた。
周囲は土煙に覆われてしまう。
俺も奴も視界が悪いのは同じ事。
この喧嘩の勝敗はどちらが先に敵を見つけるかで決まる。
先手を打ったのは奴の方だった。
先程俺の腕を折った忌々しいレールが歪曲すると同時に鉄の棒は術者を中心に旋回し始める。
地面と平行になるように振り回されるレールを俺はスライディングで回避した。
奴の懐に滑り込んだ俺は両足にありったけの力を込める。
「この距離なら魔法は撃てないよな」
俺の攻撃射程範囲内だと、奴は魔法を繰り出せない。
何故なら、自身の魔法の巻き添えになるから。
だから、彼は中距離攻撃に徹し、レールを盾のように酷使した。
間合いに入ってきた俺を蹴る事で牽制した。
故に、今の奴に俺の拳を防ぐ術はない。
「くっ……」
額から冷や汗を垂れ流す奴の姿が視界に映り込む。
奴は何とか避けようと後退した。
だが、もう遅い。
「あんたじゃ俺には勝てねぇよ」
全身をバネのように弾ませながら俺は奴の顎に左拳を叩き込む。
キマイラ津奈木は短い絶叫を上げると、無様に口から血と前歯をばら撒きながら、地面に伏せてしまった。




