食堂「パラドクス」にて
「聞いたか。黒狼隊の一隊が街の外で、正体不明の何者かに殺された、って――」
「ああ、街中その話に持ちきりだ。そうなるとここで商売するのは不安だな……犬族で治安が守られているから、俺たち〈人〉も安心して商売できるっていうのに」
「まあ、そんなに警戒しなくてもいいと思うが。どうせ、内輪もめだろう? 黒狼隊は、あまり評判は良くないからな。根に持った犬の誰かがやったんだろ?」
「確かに、な。黒狼隊は、王の庇護下にあることをいいことに、好き放題しているからな。恨みを買ってはいないと思うが……ちっ、思い出したら腹が立ってきた」
「ああ、そういえばお前、黒狼にいちゃもんつけられて売上取られたんだよな……ありゃひどい話だった」
「思い出させんなよ。ちっ、別の店で呑み直そうぜ」
「ああ、悪かった。一杯おごってやるぜ」
酒場の一席。仲良く肩を並べて出て行く〈人〉の商人の後ろ姿を、僕は見つめていた。
ここは〈人〉と〈犬〉が入り交じる酒場兼宿屋〈パラドクス〉――にぎやかな場所であり、尚且つ〈犬〉の街の中であった。
あの戦闘から一夜。僕は近くの小川で返り血を流しながら、泳ぐようにして上流に向かった。そして、痕跡や匂いを完全に消してから、素知らぬ顔で街道沿いに歩いて行き、〈犬〉の街に入った。幸い、商人の一団がいて、それに紛れ込むことで関所の手続きを上手くごまかし、街の中に入り込めている。
その中で、黒狼隊とも出くわしたこともあったが、バレていないどころか誰何されないところを見ると、完全に〈人〉はノーマークらしい。
こうして、僕はこの〈パラドクス〉を拠点にし、しばらく腰を据えることに決めた。ここなら〈人〉の客にも肝要であり、何より飯が美味いのがいい。
木製のジョッキを口に運ぶ。塩味が利いた酒が、口の中でふんわりと広がる。
鬼の酒ほど強くはないが、コクのある良い酒だ。ここの店で仕込んでいるらしく、ここでしか飲めない。そう店員に聞かされ、ここの滞在を決めた。
路銀も、実はある。あの人狼たちの死体の懐を探り、頂戴したものが結構ある。
まずは、しばらく、ここで滞在して耳目を澄ませるか……。
そんなことを考えていると、目の前の小さな皿が置かれ、思わず顔を上げた。
「はい、サービスですよ。ユウくん」
ぴょこん、と犬耳が跳ねさせながら、その少女は小さく笑顔を見せてくれる。
目の前に置かれた肉と野菜の炒め物を見て、僕は笑顔を返す。
「ありがとう。リアちゃん……でも、いいのかい?」
「はい、どうぞ召し上がってください。今日も、いろいろ手伝ってもらっちゃったので」
そういう少女は、犬耳を生やした〈犬〉族の一人。リア=パラドクス、という。
エプロンドレスを身に着け、愛嬌のある、無邪気な笑顔が魅力的な店員さんだ。
彼女の父が、この店を経営しており、その手伝いに毎日駆けまわっている。重たい荷物も、頑張って運んでいることが多いので、それを手伝うこともしばしばある。
お礼ということなら、ありがたくいただこう。
僕は礼を言いながら、その野菜炒めを口に運ぶと、リアはもじもじしながら、何か伺うように上目遣いでじっと見つめてくる。
「どう、ですか……?」
「ん、そうだな……」
ごくごく普通の野菜炒めだが、この店の肉はとても肉厚だ。シンプルな塩コショウの味付けが、脂と野菜を引き立てている。少し塩味が濃いようにも思えるが――。
「うん、好きだな。この味付け」
「そ、そうですかっ? よかったぁ……」
ほっとしたようにリアが胸を撫で下ろすのを見て、僕は首を傾げる。
「ん、もしかしてリアちゃんが作ってくれたの?」
「はい、お礼がしたかったので、厨房を借りて……他の人には、内緒ですよ?」
こっそりと唇に人差し指を当てて、片目を閉じる。可愛い仕草に、僕は思わず目を奪われていると、どこからか声が飛び込んできた。
「リアちゃーん、こっちにもオーダー」
「はーい! ユウくん、またねっ。あ、ゆっくり食べて行ってね!」
ぱたぱたと元気よく駆けて行くリア。スカートに空けられた穴から出ている尻尾が、上機嫌そうにふりふりと揺れているのを見ながら、僕は野菜炒めを口に運ぶ。
塩味が濃いと、酒が進みそうだ。ジョッキを口に運び、酒を味わう。そして、先ほどを脳内で反芻し、小さくつぶやく。
「街の治安維持組織〈黒狼隊〉は、あまり評判がよくない、か……」
黒狼隊たちの、傍若無人ぶりは時折、話に聞く。
売り物を勝手に取っては食べる。酒場で騒ぎ倒して物を壊す。勘定せずに店から出て行く等々――文句を言えば、適当な罪状で引っ張っていかれるらしい。
それも〈犬〉や〈人〉問わずに。
どうにも、自分は〈犬〉として気高い人狼だ、という自負があり、それ故の傲慢とか。
僕から見れば、犬も狼も見分けがつかないのだけど。
それをリアに話したら苦笑いされた。
『違いは大アリです。人狼さまたちは体毛も濃く、もっと高貴な方だと顔も王様に似通ってくるのです。ユウくんたち人の言葉を借りれば、より犬面になっていくんですね』
と、小声で説明してくれた。考えてみれば、襲ってきた人狼は、毛深かった気がする。
そんな人狼で組織された、黒狼隊だが……今のところ、隙は見つからない。
街の中央に近づくと、毛深い犬――つまり、人狼の数が増え、それでも近づいていくと露骨に視線を寄せてくる。近づく匂いがあれば、バレるらしい。
やはり〈人〉はあくまで部外者だからな……近づけば、そりゃ怪しまれるはずだ。
宝物のことに関しては、まだ探っていない。迂闊に耳に入ると、怪しまれるからだ。
そうして、じっくり情報を集めて、一週間……クレハの方は大丈夫だろうか。少し心配になってくる。いずれにせよ、早く情報を集めないと……。
僕はそう思いながら、残りの料理をたいらげていった。
◇
ユウくんが、店から出て行く。その後ろ姿を見つめながら、思わずため息をついた。
我ながらどうかしていると思う。一人の客に対して、入れ込んでいる、というのは。
それでも、私があの人に惹かれたのは――どうしようもなく、寂しそうな目をしていたからだ。立ち振る舞いは、とても凛としているのに、その目つきは何かを探していて。
『お兄さん、美味しいお酒は、如何ですか?』
つい、声をかけてしまっていた。
そして、彼がご飯を食べ、ここに泊まることを決めて――それで、何気ない日常に、彼が傍にいてくれるようになった。
『重いだろう? 代わりに運ぶよ』
いつも運ぶ、入荷した荷物。それを、どこからか彼がやってきて、ひょいと持ち上げる。
私がいつも三往復して運ぶ荷物。それを片腕で無造作に運ぶ――私も、筋肉に自信があったのに、少し自信をなくすほどの腕の力。
慌てて礼を言う私に、彼は何事もなさそうに笑って首を振り、どこかに行く。
朝は決まって宿の裏庭で、静かに座り込んで動かない。何をしているのか、聞いてみれば『ザゼン』という瞑想の一種らしい。そうやってシンキ? を整えるんだとか。
少し、彼のことはよく分からなかった。
東方の人が着る着物に身を包み、太刀を腰に帯びた彼が、何しに来たのか。
彼自身も、あまりよく分かっていない、というようなことを言っていた。
ただ、探し物を求めて、ずっとここまで来たとも言っていた。
もし、その探し物が見つかったら、彼はここから去ってしまうのだろうか。そう思うと、どこか切なく思えてしまう――こんなんじゃ、ダメかな。
私は首を振って気持ちを切り替える。お客様を出迎えるための、精一杯の笑顔を浮かべよう。いつも通りを、続けよう。
だけど、と私は接客を続けながら、ふと、店の出入り口を見やる。
そこに、寂しそうな瞳をした彼がふらりと現れたら。
いつも通りの余裕をなくし、彼に駆け寄ってしまう――そんな、気がして。
いつもの笑顔に、ちょっと苦笑いが交ってしまうのであった。