人狼の強襲
五感に、何かが触れてきた。いつの間にか、意識は覚醒している。
静かな真夜中。僕とクレハも、もう木陰で眠り――数時間、といったところか。
静かに目を開き、息を殺しながら辺りを伺う。雲に薄く隠れた月がぼんやりと光を投げかけており、木々が不気味な亡霊のように立っている。
辺りは静かで、何もいるようには思えない――不自然なほど。
だからこそ、その気配に気づける。息を潜めて、近寄っている何かがいることに。
凶暴な、何か。悪意を秘めた何かが、来ている……!
「クレハ……!」
小声で傍に眠る少女に呼ぶ。ん、と彼女は微かに声を漏らし、やがて薄く目を開けてとろんとした瞳で僕を見つめ――目が合った瞬間、彼女は気づいたように目を見開く。
だが、その気配を察したように、何かが、動いた。
「ちっ!」
掌を地に当て、突き飛ばすようにして跳ね起きる。クレハも素早く跳ね起き、小刀を抜き放つ。二人が構えを取った瞬間、周りの木立から無数の影が飛び出した。
地を蹴る影が、飛び掛かってくる――狙いは、クレハ。
「させねえッ!」
僕はクレハの前に跳ぶと、腰の太刀を掴む。着地と同時に、腰の捻りを加え抜刀一閃。
宙を舞う、血飛沫。どさり、と地面にその影は音を立てて落ちる。正眼に構え直しながら、それを見やり、思わず眉を寄せた。
「人狼……?」
「ん、気をつけて。これは〈犬〉の軍勢だよ!」
クレハが応えながら牽制するように小刀を突き出す。気が付けば、獰猛な唸り声をあげ、四つ足をついて構える犬のような人間が周りを囲んでいる。
肌を刺すような、殺気。これを同時に相手するのは少し、面倒だが――。
軽く視線を隣に投げかける。それだけで目が合い、クレハは淡く微笑んでくれる。
信じている、とばかりに。
示し合わせたように、僕たちは自然と背中合わせになっていた。
「じゃあ――頼むよ。クレハ」
「うん、任せて。ユウマ」
頼もしい一言だ。なら、安心して戦える。
前面に集中する。正面に向かい来るのは、三人の人狼――いずれも地に伏せるようにして、飛び掛かる準備をしている。大した気迫だな。
僕は冷静にそう思いながら正眼に構えた太刀の切っ先を、わずかに下げる。
瞬間、三人ほぼ同時に地を蹴った。正面と、回り込むように側面から、一気に突っ込んでくる。ほぼ考えずに僕は身体を反応させていた。
一歩引いて正面の敵から距離を取りつつ、右からの鉤爪を肘で跳ね上げる。そのまま、身を低くして、左から迫る鉤爪を掻い潜りざま、下段から斬り上げる。
したたかな、手応え。振り上げた刃をそのまま、右の人狼に振り下ろした。体勢を崩した人狼を、唐竹割りに斬り倒す。
爆ぜ飛ぶような血飛沫。それに紛れるように、爪が光った。直感頼みに、身を傾ける。
頬を掠め、爪が駆け抜ける。その一瞬で、敵の場所が分かる。
ならば、後は、斬るのみだ。
下段から迸る燕返し。したたかな手応えと共に、さらに血花が咲く。その斬撃に、血煙の向こうの敵が怯んだ、気がした。一瞬で、地を踏み込む。
血煙を踏破。滑るように相手の懐に飛び込む。怯えるような目つきが、見えた。
だが、躊躇はしない。振り上げた太刀に、力を込める。
一閃。
静かに太刀を振り下ろし、降り注ぐ血の雨を浴びる。残心を経て、静かに姿勢を起こす。
辺りは、何の喧騒もない。ただ、血の苦々しい香りだけが、満ちている。背後で、何か重たい物を投げ捨てる、湿った音が生々しく響いた。
「――終わったね」
「ああ、終わった」
言葉を交わし合いながら振り返ると、クレハは身体中を血飛沫に染め上げた姿で静かに立っていた。素手で相手を抉ったのか、べっとりとその腕がどす黒い色に染まっている。
何を抉ったかは――考えたくはないな。
クレハは肩で息をつくと、申し訳なさそうに眉尻を下げ、小声で告げた。
「ごめん、ユウマ……捕捉されていた。〈犬〉の軍勢を甘く見ていた」
「いや、仕方ない。こっちも敵襲を予想していなかった――だが〈犬〉全体にバレているとは思えないな」
ちらり、と草原に散らばる人狼の骸を数え上げる。七つ。小隊規模。それに武装は革の胸当てや臑当て――かなり、軽装。察するに、偵察部隊だろう。
「巡回している部隊に、たまたま接触した、と考えるべきだな。運が悪い」
「そうだね。しかも、また近くに巡回の人狼がいれば、血の匂いを嗅ぎつけられる。早く場所を移らないと……」
「ああ、クレハはここから離れてくれ。当初の計画通りに動こう」
僕がそう告げると、クレハは軽く目を見開いた。
「まさか、ユウマ、このまま潜入するつもり?」
「ああ、逆を言えばこれは好機だ。相手の内部を、混乱させることができる」
巡回部隊が、皆殺しにされた。そんなことがあれば、街の外の警戒を深めざるを得ない。そして同時に、お前らを殺せる存在がいるぞ、と警告することになる。
人狼たちは手強かった。恐らく、並大抵の人間では倒せない。仮に倒せる存在がいるとすれば、それは――〈鬼〉だろう。
「敢えて〈鬼〉の存在をちらつかせて〈人〉の警戒を薄くさせる……ってこと?」
「そういうことになる。それに、街の外に兵力を釣りだし、内部を手薄にさせる、という目的もある――これに乗じて、上手くやるしかないさ」
クレハは、どこか心配するようにじっと僕を見つめ――だが、静かに小さく頷く。
「分かった。だけど、絶対に無理はしないで。窮したら〈鳩〉を使って。どこにいても、絶対に助けに行くから」
「ああ、任せてくれ。クレハも、見つからないようにな」
視線が交り合う。もしかしたら、これが今生の別れになるかもしれない。
そう思うと、不意に、胸の奥が疼いた。それをごまかすように、強引に視線を外し、踵を返す――それを 合図に、クレハも木々の合間に駆けて行く音が聞こえた。
その音が聞こえなくなると――僕は、一人になった。
一人。そう、一人だ。孤立無援、誰も助けてくれない。
たった一人――それが、こんなに心細いとは、思わなかった。
昔も、助けてくれる人がいて、今もクレハがいてくれたのに――。
「――ん?」
ふと、今、前のことを思いだした気がして、足を止める。だが、それを意識した瞬間、傍にいたはずの誰かが、感じられなくなっていく。
いや、今はそんなことを考えるべきじゃない。僕は首を振ると、足を速めて動き出す。
早く血の匂いを落とし、街へと接近しなくては。
僕は夜の中、たった一人で駆け出した。