レクトとハイム
鬼、というのは、人間たちがつけた蔑称らしい。
彼らももちろん、人種は異なれど人間なのだ。ただ、異種の血が混じっているだけで。
だから、怪力であったり、傷の治りが早かったりするのだが。
同じ人間である以上、主食は肉や穀物であり、まさか同族を食ったりなどはしない。
「だから、俺たちは人間を食ったりはしないんだが……びびらせちまったなら謝るよ」
小さな卓袱台を中央に置いた、畳敷きの和室。
そこで、大柄な鬼は、恐縮そうに身を縮ませながら謝った。
色黒の肌に、縮れ毛の短髪、厳つい身体つきをしている男――レクト。だが、よく見ると、彫の深い顔はどこか人が良さそうに綻んでおり、目つきも優しげだ。
「なんせ、俺たちも正直な話、人間が上流から流れてくるとは思ってもいなくてよ、どうしたらいいか分からなくなって……見て見ぬふりをしようかと思ったんだが」
「そうすると目覚めが悪い故、それに伝承のことも気になっていた。故に、ひとまず助けてから考えようと思ったのだ」
その言葉を引き取ったのは、筋肉質だが、それでもレクトより細身な色黒の青年だった。細い糸のような金色の目をさらに細め、じっと見つめている。
なんだか、値踏みするみたいで居心地が悪い視線だ。
「――ハイムさん? その目つき止めよ? ユウマが怖がっているんだけど」
「……すまない。元からこういう目つきで……それと、長老から本当に予言の男なのか確かめるよう、指示を受けているのだ」
さっとハイムは目を逸らす。表情は動かないが、結構正直な人みたいだ。
クレハはため息をつきながらお茶を三人の前に出し、僕を気遣うように見やった。
「ごめん。ユウマ。この人たち、本当に不器用なの」
「あ、いや、まあ……お構いなく。助けてもらった上に、僕は素性不明な不審人物だし」
「そうかな。ユウマは悪い人には思えないけどね」
クレハはにこにこと微笑む。なんだか気恥ずかしくなって視線を逸らすと、レクトと目が合った。どこか複雑そうな表情で、僕をじっと見ている。
「ん――まあ、悪い奴じゃあなさそうだ。確かに澄んだ目つきをしてやがる。けどな、それにしたって納得いかねえよな。こんなぽっと出の奴に、代々伝わってきた家宝のことを託すなんて――俺たちが行った方が、絶対確実なんだが」
「だが、それは適わない――だからこその、予言の青年なのだろう」
レクトとハイムが意味ありげに言葉を交わす。僕はお茶を飲みながら、首を傾げる。
「その予言――クレハから聞きましたけど、何なのでしょうか。僕に、手伝えることなのでしょうか?」
川から流れてきた青年が、里の宝物を取り返す――それ以外の何人たりとも、宝物を取り返すことは適わない。彼でなければ、ならないのだ。
そう言い残したのは、先代の長老だという。息を引き取る間際、それを遺した。
現代に生きる鬼の一族は、それを信じている。否、信じざるを、得ないという。
何故なら――。
「この里から、完全な、鬼の血を引く者が外に出ようとすると、察知されるのだ」
厳かにハイムは告げる。目を半分閉じるようにし、金色の目を隠して続ける。
「獣の一人である〈雉〉の術式だ。この里は特殊な結果に囲まれている。仮に、レクトが軍勢を率いて東に向かえば――察知され、迎撃態勢を整えられる」
だから我々はここで歯がゆい思いをずっとしているのだ、と憎々しげにハイムは締めくくり、目を開く。その目はわずかに意外そうな色合いを秘めていた。
「しかし、少し訊ねたい。ユウマとやら」
「ん? 何かな」
「おぬしは先ほど、手伝えるか、と訊ねた。つまり――我々に手を貸す気なのか?」
「そのつもりですけど」
「人間が、鬼のために?」
「いや、それ以前に――貴方たちに僕、助けられたじゃないですか。それに、記憶もなく、素性も分からない僕のために看病してくれた。だったら、その恩に報いるべきだ」
そう、自分の心が告げていた。僕は真っ直ぐに言うと、レクトは顔を顰めて言う。
「そう気持ちよく言いきってくれるが、俺たちはお前さんが使えると思って助けた――いわば、下心あってのことだぞ?」
「じゃあ、そういう話で言うならば、これは利害の一致です。僕は記憶も何も持たない。だから、ここから放り出されたら何もできない。だから――当面の面倒と引き換えに、あなた方の宝物を取り返す。それなら、どうでしょう?」
「いや、別にお前さんがこの話を蹴っても、俺たちは少なくとも当面の面倒を見るつもりだが……」
「でも、それだと僕の気が済まない、というか……筋が、通らない、と、思うんです」
相手の好意に甘え、それを踏み倒してはいけない。
そう、誰かが言っていた気がするから。そう、信じていた気がするから。
助けてくれたこの人たちに報いたい、僕はそう思う。
レクトはじっと僕のことを見つめていたが、やがてため息をつき、頬を掻いた。
「なんというか、記憶を失っているとは思えねえほど、しっかりしたやつだな。全く、どうしたもんか……どうする? ハイム」
レクトから話を振られた鬼は、目を半分閉じていたが、すぐに目を開いて言う。
「――長老が、お会いになりたいそうだ」