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激戦! VSゴキブリ大戦争!

作者: 日暮宙

中学時代に家庭科の授業の一環として描いた絵本が見つかったので、それを小説にしてみました。

 

「ギャアアァァァアアアアアア!!」


 ――ある日、私立エリンギ幼稚園にて町谷(まちや)先生の叫びが響き渡った。


 多くの園児がのびのびとおままごとや怪獣ごっこを繰り広げる遊び場の中、先生は膝をつき、体をのけぞらせ、頭を抱え絶叫した。

 その光景はまさに絶体絶命。

 この世の終わりでも迎えたかのような先生の様態に、誰もが戦慄した。


 とはいえ、ここは幼稚園。

 園児たちは一瞬の沈黙の後、不安そうな顔をしだした。

 しかし、先生は相変わらずゾンビとデメキンとニホンザルを合わせたような顔で叫び続ける。

 まさに、先生にあるまじき醜態だ。

 そして挙句の果てには、


「世界の終わりよおぉぉぉ!!」


 なんて意味不明なことを言い始める始末。


 一体何があったというのか?


 先生と園児だけのこの部屋でそれを聞く者はいなかったが、心の中でそのようなことを思った者はいるだろう。

 だが、その答えは思いのほかすぐに判明した。

 というのも、先生の足元に黒い小さな影が見えたのだ。

 小さな影はカサカサと地を這って素早く蠢き、先生の股の間を抜けて部屋中を動き回った。

 かくして、その正体は――


「ゴキよ!! ゴキ!! 誰か助けてっ!!」


 そう!

 ゴキである!


 汚物に全身を沈め、それに愉悦を感じる狂気、穢れし汚虫、悪臭の権化。

 その黒光りの艶やかなボディと、カサカサというおぞましい動きで吐き気を呼び起こす、凶悪な人類の敵。

 少なくとも、この日本という国であれば、大半の人はゴキブリに対してそのような評価をしているのではないだろうか。



 そして、


 そんなゴキが今、


 大の虫嫌いの、


 町谷先生の前に、


 現れたのだ……!


 ――ッ!


「――ギャアアァァァアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!?!?」


 先生大ピンチ!

 ただでさえみっともない格好をしていた先生は、再度ゴキの存在を確認すると、さらに壮絶な格好をしだした。

 仰け反った上体を捩じって、腰に悪そうなポーズをとる。

 かと思えば、今度は全身をくねらせ、そのロングヘアをブンブンと振り回す。


「終わったわ!! マジで!! 世界オワタわ!!」


 狂気。

 先生の有様に、もはやそれ以外の言葉が出ない。

 ひょっとしたら、汚物に突っ込むゴキブリよりも危ないかもしれない。

 と、そのとき、


「うわああああああん!」


 園児の一人が泣き出した。

 これは後日談だが、この時泣いた理由は先生の顔が怖かったからだそうだ。


 笑い話に聞こえなくもないが、これが意外とそうじゃない。

 この時の先生の顔は酷いもので、漫画のように真っ白で、なぜか急速に頬が痩せこけていき、まるで死人のようだった。

 この時、このまま先生を放置したら、命の危機にさらされていたかもしれない。

 そう思わせるほどとてつもない顔である。


 だが――



「せんせい! だいじょうぶ!?」


「ぼくたちがきたよ!」



 ――だがそんな時、『彼ら』は現れた。


 いつの間にか先生の前に立っていた二人の園児。

 一見するとごく普通の男の子と女の子だが、先生は二人を視界にとらえると、表情を変え、感動のあまり全身を震わせた。


 彼らは普通の園児などではないのだ。

 このエリンギ幼稚園に君臨する、二柱の『王』たる人物。

 全児童166人の頂点に立つ強者(つわもの)

 その威厳は、半ば放心状態の町谷先生に幻聴を聞かせる。


『このせかいをおびやかす、やみのマジュー・ゴキぶーりは、ぼく(わたし)たちがたおす!』


 今、希望は開かれた。

 先生の真っ黒の心に差し込んだ一筋の光、その可能性は無限大に広がっていき、やがて希望が世界を満たす。

 もう……もう大丈夫だ!

 何て言ったって彼らが来てくれたんだ!


 この幼稚園で、彼らよりも頼りになるものはいない。

 ゴキなど、ものの数秒で木っ端みじんに吹き飛ばされ、宇宙のちりとなり果ててしまうだろう。



 一人は寝癖の酷い男の子。


 好きな食べ物はイナゴ。嫌いな食べ物はクサヤ。

 お気に入りのおもちゃはダンゴムシ!


 エリンギ幼稚園の『最強勇者』こと、小林将(こばやしまさ)君!



 そして、もう一人は頭につけた大きなリボンがチャームポイントの女の子。


 好きな食べ物はキャビア。嫌いな食べ物はトリュフ。

 お気に入りのおもちゃはデッキブラシ!


 エリンギ幼稚園の『ファンタスティックレジェンダリーゴッデス』こと澁谷奏(しぶやかなで)ちゃん!


 園内最強の二人がそろって、人類の敵・ゴキぶーりと対面したとき……




 この幼稚園(世界)の命運をかけた戦いが幕を上げた!






 ◇◆◇






「まてー!」


「ゴキのくせにすばしっこいやつめ! ぼくがつぶしてやる!」


 カサカサ、カサカサッ!


 ゴキが発見されてから、10分が過ぎようとしていた。

 だが、当のゴキはいまだに捕まらず、園内を走り回っている。



 先生の元に現れた将君と奏ちゃんは、真っ先にゴキを捕まえようとした。

 だが、そう簡単に捕まることもなく、気が付くと園内全てを舞台とした追いかけっこが始まっていた。


 追いかける将君と奏ちゃん。

 逃げ惑うゴキブリ。

 荒れ狂う三者の争いは、次第に苛烈を極めてゆく。


 将君の、変なポーズと「フォーー!」という奇声による威嚇攻撃。

 奏ちゃんの、持ち前のデッキブラシで思いっきり叩きつける攻撃。

 将君の、『奥義・勇者ハンドプレス』なる、素手で叩き潰す攻撃。

 エトセトラ……


 それらのすべてを見事にかわし、ゴキはいまだに園内に恐怖を振りまいている。



 ちなみに、将君が素手でゴキを潰そうとしたとき、先生が、


「素手はダメええぇぇぇええええ!!!」


 と絶叫したようだが、将君の耳には届かなかった。

 残念でした。



 それはそれとして、今はゴキだ。

 ただのゴキが10分間も捕まらずに逃げられている現状。

 これはなかなかの快挙なのではないだろうか。


 いくら相手が幼稚園児だとはいえ、ゴキブリはただの小虫だ。

 追いかけてくる人間に速さで勝てるわけがない。

 しかもその相手があの将君と奏ちゃんであるならばなおさらだ。


 では、なぜゴキは逃げ続けることができているのか。

 その解は、二人の王者が持っていた……



「くっそぅ! このままじゃらちがあかない!」


「ゴキちゃんのくせにわたしのひっさつわざをなんどもよけて……っ! ゆるさないわよ! ぺちゃんこにしてやる!」


「しかたがない。こうなったら、ぼくのだいにのおうぎをかいほうするぞ! おうぎ――」


「もうおこったんだから! ぐちゃぐちゃのへにょへにょのどろどろトリュフリゾットにしてやる! うりゃあ――」


「『ヘッドスライディングプレスずつき』!!」


「『デッキブラシサンダー』!!」


 二人から、またよくわからない名前の技が放たれる。


『ヘッドスライディングプレス頭突き』は、その名の通りヘッドスライディングで対象に向かって頭突きをし、額で叩き潰す技だ。

 この攻撃を平気でゴキにするあたり、将君の精神力の高さがうかがえる。

 いや、この場合異常性というべきか。


 一方、『デッキブラシサンダー』は、奏ちゃんが愛用する武器であるデッキブラシを、天から落ちる雷のごとく凄まじい速度で槍投げのように投げる技だ。



 話は変わるが、奏ちゃんはいつもデッキブラシを持っている。

 なぜかというと、その原点は彼女が生まれた瞬間までさかのぼらなくてはならない。

 とはいっても、そんなに難しい話でもない。

 彼女が生まれるとき分娩室にデッキブラシがあり、生まれた直後にそれを見た彼女は、デッキブラシを親だと勘違いしただけだ。


 …………まあ、意味不明だと思ったのならばそれでいい。

 キミの感性は間違っていない。


 ただ、それ以降彼女はデッキブラシとともに人生を歩んできた。

 それだけの話だ。


 そして、彼女が手に持つデッキブラシ。

 名を『ディザスター・クライシス』という。

 なんだか危なっかしい名前だが、彼と奏ちゃんの絆は本物だ。


 そんな彼女たちが放つ『デッキブラシサンダー』。

 それから、将君が正に全身でぶつかっていく『ヘッドスライディングプレス頭突き』。

 仮にそのどちらかを食らったものなら、ゴキなどひとたまりもない。


 のだが――


「ぶぇ!? いで!」


「あぁ! ディザくん!」


 ……そのいづれも、ゴキに命中することは無かった。


 将君のヘッドスライディングの軌道上にデッキブラシが投げつけられ、衝突事故が起きてしまったのだ!

 将君は額を木に打ったことで勢いを失い、デッキブラシはあらぬ方向へ飛んでゆく。

 ゴキに届く前に、攻撃の威力は失われてしまった。


「いでで…………あーいたいなもう! ちょっとかなちゃん! もうすこしまわりをみてこうげきしてよ!」


「それはこっちのセリフよ! ディザくんにきずがついたらどうしてくれるの!? べんしょうだけじゃすまないわよ!」


「それ、かなちゃんにだけはいわれたくないね! いつもブンブンとふりまわしてるじゃないか!」


「わたしとディザくんにはふかいきずながあるからいいの!」


「りゆうになってないし!」


「なによ! なんかもんくあるの!?」


「あるよ! かなちゃんらんぼう!」


「ぐぬぬ……!」


「むぎぎ……!」


 ――喧嘩……

 それが、ゴキがいまだに捕まっていない原因と言えるだろう。


 どうやら、園内最強の二人は馬が合わないらしく、いつの間にか”どちらが先にゴキを潰せるか”という戦いが始まっていた。

 結果、お互いが技を邪魔し合うこととなり、ゴキは逃げ延びることができているのだ。


「というかユーシャじゃま! どっかいって!」


「なっ! かなちゃんこそじゃまだよ! ぼくのてにかかればゴキなんてひゃっぴきだろうがせんびきだろうがワンパだよ!」


「なにバカなこといってんの!? そんなことできるわけないでしょ! やっぱユーシャはガキンチョよ! ガキンチョ!」


「そうだよガキンチョだよ! ピチピチのようちえんじだよ! かなちゃんこそげんじつをみろ!」


「みてるわよ! わたしはユーシャとちがってもうりっぱなオトナ、せいそなシュクジョだもん!」


「はあぁぁ!? デッキブラシふりまわしてるくせによく『せいそなシュクジョ』とかいえるね!」


「うっさいわね! わたしよりよわっちいくせにくちごたえしないでよ!」


「――!」


 突如、二人の足が止まった。

 ゴキブリがどんどん遠のいていくのにもかかわらず、お互いに睨み合う。

 そこには先ほどまでとはまた違う、緊迫した空気があった。

 将君と奏ちゃんが放つ威圧的なオーラが場を支配する。


「…………ぼくが、かなちゃんよりよわいだって?」


「なによ。わたし、なにかまちがってることいった?」


「……ぼくのほうがかなちゃんよりつよいぞ」


「ねごとはねていいなさい。ユーシャがわたしよりつよいとか、わらえないジョーダンよ」


「ならしょうぶだ」


「……いいわ。シュンサツしてあげる」


 バチィィィッ! と、雷光が迸る幻覚が見えた。

 一触即発の危機感は、やがて現実へと昇華し、二人の間に決定的な亀裂が走る。



「はあぁぁぁあああああ!!」


「やあぁぁぁあああああ!!」



 ――そして、とうとう始まってしまった。

 無意味な戦いが。

 無謀な戦いが。


 こうなれば、もう誰にも手を付けられない。

 誰にも、結果を予測できない。


 エリンギ幼稚園の戦いは、不測の事態へと、駒を進め始めた……









 一方、将君と奏ちゃんから少し離れた位置で、彼らを茫然と見守る人物がいた。

 二人のクラスであるエリンギ幼稚園『イカの塩辛組』の担任である、町谷優香(ゆうか)先生、26歳独身だ。


 彼女は、途方に暮れていた。


(えっとぉ…………どうしてこんなことになったんだっけ?)


 目の前には、激戦を繰り広げる将君と奏ちゃん。

 そして、この部屋のどこかにはゴキがいるのだ。


(……あれれ? どうしてこうなったんだ?)


 再度、同じ自問を繰り返す。

 意味のないことだが、先生は考えずにはいられなかったのだ。


(確か……10分ちょっと前にゴキが現れて……)


 そのゴキを見た先生が、全力で発狂したのだ。

 それを聞きつけた将君と奏ちゃんは、一目散に彼女の元へ飛んでいき、追いかけっこが始まった。

 それから…………なんということでしょう。


 いつの間にか二人が喧嘩を始めているではありませんか。

 どうやら彼らは、”どちらが先にゴキを潰せるか”で競い始め、挙句の果てに直接対決に至ったのです。


(……私、別に悪いことしてないよね?)


 不安そうに、心の中でつぶやく先生。


 彼女は悪いことをしたわけじゃないのだ。

 ゴキが突然現れ、それを将君と奏ちゃんが勝手に追いかけだし、勝手に喧嘩しだしただけだ。

 彼女は決して悪いことをしたわけではない。

 彼女に一切の非は無いのだが――



(……きゅっ……きゅきゅっきゅきゅ、給料……減らされたり、しないよね? げ、減給とかななっ、ないよねっ!?)



 ――その『自身に非は無い』という事実は、彼女にとって現実逃避のための材料でしかなかった。


(や、ヤだよこれ以上…………これ以上減給されたら、私もう、もやし以外食べられないじゃないっ!)


 そう、彼女にとって、ここで減給されたとしても、それが初めてのこととはなりえない。

 そして、その原因は無論将君と奏ちゃんである。


 二人の暴挙は、何も今日始まったものではない。

 今までもたびたび彼らは暴走し、その度に園全体を巻き込んだ。

 先生は、その責任を取り続けてきて、園長先生からの長いお説教と減給を何度も食らってきたのだ。


(ヤダ……減給ヤダ…………コワい、減給……減給コワい、ガチホラー…………マジまんじ……)


 いまや先生にとって、減給は人生最大のトラウマ。

 その絶望は心の中だけでは納まらず、顔に現れ、やがて頭を抱えだした。


「……あぁ…………あぁあぁああ………………あぁぁあああああぁぁぁあああ! アアアアアアアア▲♪%¥?◎&×!#●$」


 何を言っているのか分からない。

 絶望のあまり人語を忘れてしまったのだろうか。

 その様子はまさしくホラーである。


 現に、先生の近くにいた児童は、


「ど、どうしたのせんせい。キモイよ……?」


 などとぼやき、


「ゴキゴキ……」


 なんとゴキ氏までもが、心配そうに先生へと寄ってきていた。


 だが、先生の頭にはもう何も入ってこない。

 ゴキを目撃する衝撃よりも、減給のショックのほうが大きいのだ。


 そして、さらに彼女に追い打ちをかけるように、将君と奏ちゃんの声が響いた。



「いくわよおぉぉ~! 『デッキブラシスマッシュ』!!」


「そんなわざ、とめてやる! ――えい! ……いでぇ!?」


「ふふっ! こんなこうげきもよけられないなんて…………ザコね!」


「むぎいぃぃぃっ! ならしかえしだ! 『ひっさつひゃくれつガトリング』!!」


「そんなよわっちいこうげきなんて、きかない! ――って、どこさわってるの!?」


「え!?」


「せんせい! いまユーシャが『ひっさつひゃくれつガトリング』とかイミフなこといっておっぱいさわってきました! セクハラです! セクハラ!」


「なんだようるさいなぁ! セクハラってなに!? おいしいの!?」


「なに? そんなことも知らないの!? やっぱりユーシャは”テイノ―エロメガネ”だ!」


「ぼくメガネしてないけど!?」



 周りがどうなっているかも知らないで、騒ぎまくる二人。


「……もうヤメテ…………ワタシのために争わないデ……」


 そんな彼らを見た先生は、茫然自失に呟き、


「ゴキゴキ……(最近の人間のガキ、コワい……)」


 先生の隣にたたずむゴキは、呆れたように呟いた。


 もうこの空間に、パッピーな者はいない。

 重たい空気が横たわっている。



 ――だが、それは決して不幸なだけのことではなく……


「……もう…………もう帰りたい……」


「ゴキ、ゴキゴキ……(そうだな。もう帰りたいぜ……)」


「あ、分かります?」


「ゴキゴキ!(勿論だぜ!)」


 ……ある一つの奇跡を起こす、きっかけとなった。


 ……。


「え?」


「ゴキ?(え?)」



 そう!

 本来交わるはずのなかった二者の心が、通じ合ったのだ!


 言うなればそれは、『奇跡の出会い』!

 土壇場だからこそ、彼らの間にある”種族の壁”は急速に取り払われ、信頼が生まれた!


「あ、あなたはっ!」


「ゴ、ゴキ、ゴキゴキ!(お、おまっ、お前さんはっ!)」


 彼らの胸に、熱がよみがえった!



 そして、当然のことながら、それを見ていた園児たちは、


「あ、あのせんせい、ゴキとしゃべってるよ」


「そ、そうね。こんごあのせんせいとはかかわらないようにしましょう」


「そ、そうだね。まえからおもってたけど、やっぱあのせんせいあたまおかしいや」


 何てことを言っている。


 が、先生は気にも留めない。

 ゴキと話すのに夢中である。


「あなたを逃がすわ。こんなところにいても危なっかしいだけよ。付いてきて頂戴」


「ゴ、ゴキ! ゴキゴキ? ゴキゴキゴキ!(お、おい! そんなことしていいのか? お前さん、あのガキどもの仲間じゃないのかよ!)」


「いいのよ。私はあなたを助けたいの」


「ゴ、ゴキ、ゴキ、ゴキゴキ……(お、おう、そうか。助かるぜ……)」


「ええ。それにあなたがいつまでもいるとあの子たちがうるさいままなのよ。……まあ、もう二人ともヘロヘロだけどね」


「ゴキー、ゴキゴキ、ゴキゴキゴキ(あーなるほど。じゃあさっさと立ち去るぜ)」


「よろしく」


 淡々とした口調で話す先生とゴキ。

 傍から見ると異常な光景だが、それはこの際無視するとしよう。


 彼らの視線の先には、疲れでフラフラしている将君と奏ちゃんがいた。


「ゼェ……ゼェ……やるじゃないか……ゼェ……」


「ハァ……ユーシャ、もね……」


「……きょうのところは……ゼェ……これでおわりにしてやる……」


「……それは……ハァ……こっちの、セリフよ……」


「……つぎは……ゼェ……かつ……」


「……そ、それも……わたしのセリフ……ハァ……セリフ……とらないでよ……!」


 それだけ言って、将君と奏ちゃんは床に倒れて寝てしまった。



 その光景を、先生は白い目で見つめ、


「……さて、行きましょうか」


 と、あっさりとスルーした。


「……ゴキ?(……いいのか?)」


「いいのいいの。あの子たちタフだから。それよりあなた、さっさと行きなさい」


「ゴ、ゴキ(あ、ああ、分かったぜ)」


「もう二度とこんな場所には来ないことね。痛い目見るわよ」


「ゴキゴキ、ゴキゴキゴキゴキ(そうだな。それは身にしみて分かったぜ)」


「それじゃあね。健闘を祈るわ」


「ゴキ! ゴキゴキ! ゴキゴキゴキ!(おう! ありがとな! この恩はいつか必ず返すぜ!)」


「……さようなら」


 これまた淡白な別れ。

 そして……


「……………………ふにゃぁ…………」


 ……ゴキを見送った先生は、糸が切れたように膝から崩れ落ちた。




 ――こうして、ゴキが現れたことによるエリンギ幼稚園での戦いは、幕を下ろした……






 ◇◆◇






 ……この日のエリンギ幼稚園は、いつもよりも騒がしい一日となった。




 先生がゴキを逃がした後、将君、奏ちゃん、先生の三人が倒れた教室はシンと静まり返った。

 それから、再び事態が動き出したのはしばらくしてからのことだ。


 騒ぎを聞きつけた園長先生がやってきたのだ。

 彼は、この『イカの塩辛組』の扉を開け、部屋を見ると同時に絶句した。


「なっ! なんだこれは! いったい何があったというのだ!」


 園長先生の口から出たのは、そんなちょっと痛いセリフ。

 だが、それも仕方がないと言えよう。

 なんといったって、部屋中のおもちゃや本がぐちゃぐちゃに散らばっていたのだ。

 そして、おまけに三人の倒れた人間。

 これには56歳のおじさん園長も思わずビックリ。


 ちなみに、おもちゃが散らばっている原因は、無論将君と奏ちゃんである。

 ゴキを追いかけている時や、二人で戦っているときにぶつかったり蹴飛ばしたりしてしまったのだ。


 ともかく、そんな光景を見た園長は激昂し、将君と奏ちゃんを保健室へ運ばせ、町谷先生をたたき起こした。


 その後、先生、めっちゃ怒られた。


「まったく! 君という大人がいながら、なぜいつもこのクラスはこうなるのだね!」


「はっ! はいぃ! すいません! 本っっっ当にすいません! ですがどうかお願いします! 減給と首だけは! 減給と首だけはご容赦下さ――」


「減給だ!」


「ぎ、ギャアアァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァアアアアアアッッッッッ!!!!!??!?!」


「うるさい! 首じゃないだけましだと思え!」


 先生は小一時間ほど発狂し、やがて真っ白になり、埴輪のように動かなくなったそうだ。



 そして、エリンギ幼稚園の児童の間では、この日を境にある噂が広がりだした。


「ねえ、しってる? 『イカのしおからぐみ』のまちやせんせいってさ、ひととゴキブリのハーフなんだって」


「へー。って、えぇ!? そうなの!?」


「うん。なんだか、こないだゴキがでたときにしゃべってたらしいよ」


「なにそれ。ヤダー」


「あ! そのはなしおれもしってるぞ!」


「そうなの!?」


「ああ。でもおれはひととゴキのハーフじゃなくて、ゴキそのものだってきいたぞ」


「……さすがにそれはないよね」


「まあ、とりあえずあのせんせいにはちかよらないほうがいいね」


「うん!」


「ああ、そうだな」


 先生の人望は地に落ちました。



 一方、将君と奏ちゃんは倒れたこともあって親に叱られ、それからはあまり喧嘩をしなくなったそうだ。

 めでたしめでたし。




 しかし、なにはともあれこれにて一件落着だ。


 とはいえ、この日の出来事は当事者たちの胸に深く刻まれたのだった。









 さて、最後の教訓だ。


 この一連の事件を踏まえて――





 みんなもっと仲良くしましょう!!!



最後まで読んでいただきありがとうございます!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 人物の設定,物語の進行,言葉の表現が良いと思います。 キャラクターの反応が面白い。 ゴキブリが一番まとも。 [気になる点] 奏ちゃん、親投げちゃうんだ・・・ [一言] 良き。
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