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今宵、君は踊り僕は詠う  作者: 空蒼久悠
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第二話


 少女は、いつも独りだった。

 強がる性格の為、誰にも頼ることができず、誰にも理解されなかった。

 ずっとずっと、心がおかしくなってしまうほどの長い時間。

 少女は街外れの家に、たった独りで住んでいた。


 そんな彼女の姿が自分と重なり、彼女だけが唯一の自分の理解者だった。

―――……僕なら、君を独りにしないのに。理解ってあげるのに。

 自分だけが、彼女の理解者だと思っていた。

 遠い昔の幼心。僕は毎日彼女に呟く。

 決して届くはずのない、曾祖父の描いた物語の中に生きる彼女へ。



◇◆◇



「テレス……セク、リア」

「うむ。久しいな。陵蓮。否、レン・ライオネア・テクニス。そうじゃな……主が本を読まなくなって悠に十年は経ったか?」


 蓮の目前に降り立つ。胸の前で腕を組み、ふんっと見下すように笑った。

 唖然と立ち尽くす男子生徒の前に、若干床から足が浮いた、時代錯誤な服装をした少女が一人。他から見れば珍妙な光景であろう。いや、当事者である男子生徒。蓮にとってもこの光景は珍妙以外のなにものでもなかった。

 目の前に居るのは遠い昔に恋焦がれた、大好きだった物語の主人公。現実に現れるはずのない。書物の中の存在。曾祖父が創りあげた架空の存在。


「――って、えぇぇぇぇぇぇぇっっっっ」


 静かな図書室に蓮の叫び声が響く。

 おそらく、何十という本棚の間を抜け、教室三個分の広さに値する図書室の端から端までその音は響き渡っただろう。

 彼の目前にいる絶叫の原因である彼女は、心底嫌悪した表情で両手を使って両耳を塞いで蓮を睨みつけている。

 入り口付近から、委員長の「どうしたのー?」と問いかける声が聞こえるが、今の蓮にはそんな声は届かない。届いていたとしても応えている余裕はなかった。

 みっともなくガクガクと震える指で彼女を指差す。


「なんじゃ。人を指差すなど、無作法な男に育ったものじゃの」


 昔の主は純朴で可愛らしかった。何をするにも瞳が輝いていた。誰にでも従順で、疑うことを知らなかった。などと、くどくど過去の彼の姿と現在ある彼の姿を比べ、文句の言葉を並べる。

 確かに、性格がひん曲がる前の蓮は自他共に認める純朴な少年だった。

 父の望みどおりに与えられた本を読み、彼らが望むままに小説を書いた。

 彼らが必要としているのは『息子としての自分』ではなく、『曾祖父の才能を受け継ぐ自分』と言うことに気付くまでは。


「陵くん?」

「――……っっ」


 カツコツと皮製の靴が図書室の床を叩いて近づいてくる。

 とっさに蓮はテレスの腕を掴み、自分が背を向けている本棚の裏に彼女を隠した。

 一瞬感じた彼女の温もり。生きている人間の温もり。彼女の存在を、蓮の中で肯定させる温もり。

 すぐに離した温もりを名残惜しく思いつつも、彼女に少し黙ってろ。と命令し、くるりと身体を反転させて元居た場所へと戻った。


「陵君? 大声出してどうしたの?」


 元居た場所に戻り、わざわざ一度直した本を再び抜き取る。

 その本たちを腕に抱えてもう一度その本たちを先程抜き取った場所へと戻していると、蓮の前にある本棚の一つ後ろ、図書室の出入り口に近い本棚の端から、ひょこりと胸まである長いお下げ髪を持った眼鏡の女学生が顔を出す。

 蓮とは反対の、蓮が何よりも望んでいる真っ黒な髪。分厚いレンズの丸眼鏡の奥から覗くのは、少し垂れ目な漆黒の大きな瞳だ。

 そんないかにも文学少女な容姿を持つ彼女は、不思議そうに首をかしげて蓮より文庫本一冊ほど低い場所から蓮を見上げるようにして見つめている。


「あ、はい。ネズミがいきなり出てきて少し驚いてしまって……」


 図書室で大声を上げてしまってすみません。と完璧な微笑を彼女へと向けた。もちろん、優等生を演じる上で身につけた対人用の笑みだ。

 そんなことを露も知らない彼女の顔は、みるみる真っ赤に染まっていく。


「え、あ……うん。そっか……えっと、その……怒ってる。わけ……じゃない、から」


 本来注意すべき立場に居る彼女の方が申し訳なさそうに、しどろもどろになって言葉を紡ぐ。


「罰として残りの仕事は俺がしておきます。委員長はもう帰っていただいてもかまいませんよ」


 完璧な笑顔を崩さないまま、蓮がまるで唄う様に滑らかに言葉を紡ぎ出せば、委員長と呼ばれた女子生徒は茹蛸のように真っ赤に染まったその顔を、ぶんぶんと大きく上下に振る。

 ひとこと蓮に向かって別れの挨拶を済ませたかと思うと、脱兎の如くこの場から去っていってしまった。


――……いや、委員長が図書室内を全力で走っちゃ駄目だろ。まぁ、けどこれ以上人が介入して、こいつの姿見られたら今みたいに良い言い訳浮かばねぇし助かったかな。


 遠くでドアが開き、閉まる音を確認し今まで顔に貼り付けていた作った笑みを消す。

 図書室の中に響く音に耳を傾けた。

 聴こえてくるのは、蓮自身の呼吸音と本棚の裏に押し込んだ彼女の呼吸音。

 窓の外からは野球部やサッカー部、その他の運動部が夕暮れの空の中、熱心に部活動に取り組む声。

 反対の廊下側からは合唱部や吹奏楽部が高らかと声やら楽器やらを響かせる音。

 けれど、この図書室の内から聴こえる音は、彼女と自分が刻む音だけだ。

 どうやら自分や委員長と同様に書架整理をしていた図書委員の面々は、いつの間にか仕事を終え、彼らが此処に居たと言う痕跡も残さず、帰路についてしまったらしい。


「おい。もう出てきて良いぞ」

「なんじゃ、あの眼鏡の小娘に向けた笑みを我には向けてくれんのか」


 嘲る様に本棚の端から姿を現したテレスが鼻で笑う。何度見ても慣れない服装だ。

 腕を組んで、カラカラと下駄の音を鳴らしながら蓮のもとへと近づく。すっと手を伸ばし、蓮の頬に触れた。

 手を伸ばした為に露になったその腕は、雪のように白く触れてしまえば折れてしまいそうなほど細い。その手は、まるで母親が愛しい子を宥める様に、あやす様に何度か蓮の頬を撫で、やがてゆっくりと離れていった。

 ふと、昔誰かが同じ様に誰かが撫でてくれたようなと、考え込みそうになる心を今はそんなものに浸っている場合じゃない。と律する。

 委員長の乱入のおかげで冷静になった頭で、現在置かれている状況を受け止めた。


 図書委員として仕事をしていた。

 そうしたら偶然、曾祖父の代表作である本を見つけた。

 なんとなく手に取り積った埃を除け、そこに書かれていた懐かしい本のタイトルを呟いた。

 瞬間、本が輝き、その光が消えた時に彼女が宙に浮いて居た。

 名乗りを聞けば、彼女はその物語の主人公だという。

 遠い昔、まだ幼かった頃に恋焦がれていた存在の名前が彼女の口から紡がれた。


 もうこの際、どうして本の中から人が出てきた。とか言う疑問は置いておこう。

 ただのコスプレと言う線もあったが、それは彼女が宙に浮いていたことによって消されてしまった。となれば本から出てきたことを信じざるをえない。

 そうなってしまうと、そんな非科学的なことを証明する能力など蓮には備わっていない。

 考えるだけ無駄だから置いておこうという結論に至ったのだ。


「それで、お前は一体何をしにきたんだ?」


 百歩譲って本から出てきたとしよう。

 なら、彼女は一体何のために出てきたと言うのだ。

 本から出てくるなんで大それたことをしたのだ。何か理由くらいあるだろう。

 それはもう、蓮が納得して頷けるくらいの理由が。

 物語を愛する家柄のためか、柔軟な思考を持つ蓮は、ある程度の予測を立ててから目前に立つ彼女に問いかけた。


「――……お主は、強い想いを注がれた物語が意思を持つ話を知っておるか?」


 冷めた瞳で彼女をまっすぐ見つめる蓮とは反対に、どこか懐かしそうな瞳で、彼ではなく、彼の向こうにある窓の外を見つめているテレスが優しい声色で話しはじめる。


『強い想いを注がれた物語が意思を持つ話』


 その存在を、蓮は確かに知っていた。コクリと、黙ったまま頷きその意を示す。


「けど、それは物語の中の話だろ?」


 そう。忘れたくても体に染み付いて忘れられない。曾祖父の手がけた作品のひとつだ。

 物語を深く愛した書き手が、愛しい人に残した作品。そこに込められた想いを受けた登場人物達が現実世界に現れ、残された主人の愛しい人にその想いを伝える。

 そんな、現実ではありえない話だった。


「じゃが、実際に我はここに存在しておるじゃろう。同じことじゃよ。奴には力があった。己が願いを込めた作品の人物を現実世界に具現化させる力が」


 それ故、我は生まれた。

 窓の外から蓮へと視線を移し、その瞳をわずかに細める。

 ワインレッド色の瞳の中に蓮を捕らえたまま紡がれた言葉は、どこか憂いを含んでいた。


「それで? もし仮にそうだとしたらお前の目的はなんだって言うんだよ」

「あぁ、それはじゃな……」


 漸く本題に入ることができる。

 遠の昔に緊張と困惑で水分を失った喉をゴクリと鳴らし、次に紡がれる言葉に備えた。

 いつの間にか無意識に硬く握られた拳は、握りすぎて感覚すらなくなってしまったようだ。


「残っている生徒。居たら鍵を閉めるので帰り支度を済ませ、すぐに教室から出なさい」

 

 突如響いた第三者の声は、渋みのある中年男性の声。おそらく校内を見回っている警備員の一人だろう。

 ふっと、張り詰めていた糸が切れた。

 今まで彼女に釘付けになっていた視線を自身の手首へと向ける。

 少し腕を上げ、身に着けている茶色い革ベルトでとめられた極一般的な腕時計に目をやれば、なるほど。そりゃ声がかかるわけだ。時計の針は午後七時を指していた。

 何度体験しても、春から夏へと移り変わるときの日の長さの変化には慣れない。

 ほんの少し前までは七時なんて辺りは漆黒に染められていたと言うのに。今はまだ、赤々とした太陽がグランドを、図書室を染め上げている。

 そんなことを考える蓮の横を、漆黒の影が通り過ぎる。

 いや、影じゃない。艶やかな黒髪だ。


「あ、おい。待て」


 その髪の主のことを思い出し、咄嗟に手を掴もうとする。しかし、彼女はそれを難なく交わし、堂々とした様子でスタスタ歩いていく。

 そんな彼女を追いかけ蓮は本棚の影から飛び出した。


「おや、残っていらっしゃったのは坊ちゃんでしたか」


 本棚の裏から夕暮れの色を透かした金髪を揺らして姿を現した蓮に見回りの警備員は声をかけた。


『坊ちゃんだけ』


 その言葉が蓮の頭を廻る。

 前を歩いていたテレスは、立ち止まってこちらを振り返り、そのワインレッド色の瞳を僅かに細める。

 蓮にとってテレスは確かにそこに存在している。しかし、どうにも彼を坊ちゃんと呼んだ警備員にとって彼女は存在していない存在らしい。


「坊ちゃんでしたら、もうしばらく居て下さってもかまいませんが」

「いえ。大丈夫です。そろそろ帰ろうと思っていたところでしたから」


 人の好さそうな瞳で蓮を見つめ、遥か年下の蓮にむかって腰の低い態度で話す警備員に、蓮は混乱する頭を何とか落ち着かせて笑みを作った。

 同時に今まで書架整理の為に机の上――普段は本を読むために設置されている横長の物――に置かれた茶色く硬い学校指定の革鞄を手にとってこの図書室唯一の出入り口へと向かう。

 そして、蓮の方を振り向いたまま歩みを進めずその場に留まっている彼女の横を通り過ぎるとき、蓮は出入り口に立っている警備員に聞こえないような小さな声で呟いた。




「――……話は家で聞く。大人しくついてこい」



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