第一話 本嫌いの少年
「……ったく、何で俺がこんな事……」
放課後の図書室。本の並ぶ棚に挟まれながらぶつくさと文句を垂れる声が聞こえる。
腕に抱えている本を一冊一冊手に取り本棚に直す度、彼の金髪が窓を透かして射しこむ紅の光によってオレンジに揺れた。
キラキラと輝く夕暮れ色。日本ではその色と不良は度々イコールで繋がれるが、彼の風貌は髪の色以外それとはかけ離れていた。
学校指定の白い半袖のポロシャツのボタンを上から一つだけ開け、その上からさらに学校指定の淡いベージュ色のベストを羽織っている。同じく学校指定の紺色のズボンも腰パンと言われているようなことはせず、キッチリと腰の位置で茶色いベルトによって止められていた。
彼の服装は、模範的な優等生だ。それに加え、日本人離れした整った顔が金色の髪を引き立たせ、西洋人のようにも見える。
「陵くん。追加の本、貸し出し台に置いておくわね」
「あ、はい。わかりました」
図書委員長の女子生徒の声に、内心まだあるのかよ。と文句を言いつつも、ひょこりと本棚の間から顔を出してにこやかに返事する。
彼、陵 蓮。英名、レン・ライオネア・テクニス。
日本人離れした顔立ちの彼の体の中には、僅かながらも西洋人の血が通っていた。
日本人の母、日本人の祖母を持つが、祖父は西洋人。父は西洋人と日本人のハーフという、歴とした日本人と西洋人のクォーターだ。西洋人のように鼻の高い顔も、金色の髪も、空色の瞳も、全て西洋人の血を引く祖父から受け継いだものだ。
とは言っても彼自身は日本の高校に通う男子高校生。
正直、この髪の色を疎ましく思うことなど数え切れないほどあった。
いくら現代社会の中で染めている人が多いといっても、黒髪や濃い茶髪が大半を占める日本人の中で、この金色の髪は嫌でも目立つ。
それだけなら無視していればいいだけの話なのだが、一番疎ましいのは校内で行われる頭髪チェックだ。地毛登録しているにもかかわらず必ずといっていいほど引っ掛かる。
毎回毎回それに引っ掛かるのが面倒で、一度は髪を染めようとしたが、やれ髪が痛むだの、偉大な祖先から受け継いだものを粗末にするな、などと両親に反対され、最後の策として蓮は優等生を演じることにした。優等生を演じてさえいれば大抵の教師は「真面目な生徒が染めるはずない」と納得してくれるからだ。
実際、高校に入ってから一年数か月経った今では頭髪チェックに引っ掛かる回数は中学の頃と比べると面白いくらいに激減している。それでも、やはり何処にでも口うるさく言ってくる教師はいるわけで、そういう教師に引っ掛かる度に蓮はこの髪が疎ましくて仕方なくなる。
「あー、何で俺こんなクソ面倒くさい事してんだろ……」
腕に抱えている本を一冊取り、本棚へと戻す。
ため息にも似た声色で紡がれた言葉は先刻紡がれたものとほとんど同じものだ。
いま彼が行っている作業は、この高校の図書室にある本の書架整理である。 新しく入った本を書架番号通りに並べ、古くあまり読まれることがなくなった本を手に持ったリストを見ながら取り除いていくと言う、本好きでなければ何とも苦痛な作業だ。
そんな書架整理は基本的に図書委員の仕事である。そして、現在進行形でその作業を行っている蓮は例外なく図書委員だった。
特別本が好きなわけでもない蓮にとって、この書架整理は苦痛以外の何者でもない。
そもそも、本好きでない蓮が何故図書委員になったのかと言うと。
「全部全部、あのクソ家族の所為だ」
吐き捨てるように言葉を紡いだ。カタン。と言葉を紡ぐと同時に本棚に直した本が鳴る。
そう、本好きでない彼が図書委員をしているのも、図書委員としてこの広大な図書館の書架整理をしているのも全てこの高校、キャデル学園の現理事長であり作家でもある父と、このキャデル学園の現校長で同じく現役作家の祖父。そして、編集会社の女社長を勤める母と大手売本屋を営んでいる祖母の所為である。
蓮の家系が代々本関連の仕事に就くのにはそれなりの理由があった。
祖父の父、つまり蓮にとっての曾祖父が地球に存在するほとんどの国々で有名な、ある小説の作者であるからだ。
作家だった曾祖父に影響され、祖父は童話を書きはじめた。今度はその祖父に影響され、父が小説を書きはじめ、今では二人ともある程度名の知れた作家になっている。
その父が一人息子である蓮も同じように文学の道を選んで欲しくて、幼い頃から何百、何千もの物語を読み聞かせ、読ませてきた結果。
「本なんて、見たくもねぇのに」
父の期待とは正反対の文学を毛嫌いする人間ができあがってしまった。
そうして、なんとか蓮の本嫌いを治そうと祖父と父が経営するこの学園に半ば強制的に入学させられ、したくもない図書委員をやらされているのである。
かと言って一度引き受けたことを途中で投げ出すと言うのは彼の理に反している。
なにぶん根が真面目なのだ。例え強制的にやらされていることでも途中で辞めるなど言語道断。一度やり始めたことは最後までやり通す。
それが蓮の思念であった。
かれこれ、図書委員の仕事も今年で二年目になる。
最初は戸惑っていた書架整理も悲しいことにとっくの昔に馴れ、書架整理にかける時間は当初の三分の一にまでになった。なってしまった。
「本当に嫌になるな」
妥協を許さない自分。完璧主義者な自分が、どうしても存在してしまう。
自嘲にも似た言葉を紡ぎながら最後の一冊となる本を本棚へと戻した時、不意に足元に転がっている一冊の本が視界の端に映る。
――……誰だよ。こんなところに本を置いたのは。
心の中で悪態を付きながらもこのままにしておくわけにはいかないので膝を折り、本を拾い上げる。
いつから置かれていたのか、真冬の雪のようにほこりが積もっている。表紙に被ったほこりを手で払えば、隠されていた本のタイトルが露になった。
「『Story in the dream』」
普段はほとんど貸し出し中で図書館に居ない本だというのに、どうしてこんな形でこの場におかれているのだろうか。そもそも、この本がほこりをかぶって、こんな奥の本棚の隅に置かれているという状況が不可解だ。
箔押しされたタイトルをなぞり、そこに書かれている言葉を口にする。
幼い頃、幾度となく読まされた本。
この世界に存在する本の中で一番嫌いな本。
そのくせ今でもその内容はしっかり頭に残っている。
曾祖父の作り上げた最高傑作の物語。
ふと頭の中をよぎった言葉と同時に光源もないのに本が光りだす。
あまりのまぶしさに蓮は瞳を硬く閉じた。
数秒もしないうちに光は消え、本棚で少し陰った電球の光と自然が産み出す光が戻ってくる。
「な、なんだったんだ今の……」
突然の出来事に首をかしげながら蓮は手にした本をコトン、と小さな音を立て本棚へと直す。
「ふむ、久しぶりに手にしたかと思うたらなにやら辛気臭い顔をしておるな」
凛とした声が、ふと自分の後ろから聞こえた。
今この場を担当しているのは自分だけのはずだ。
不思議に思いながら振り返ればそこに存在していたのは、巫女が着ているような赤い袴を身に纏った月のない夜のような漆黒の髪を持つ少女。
そんな彼女の存在を瞳で確認し、蓮はギョッとした。
今まで誰もいなかったはずの背後に人がいた。とか、彼女の現代人離れした服装やら話し方に、ではない。そんな単純なことではなかった。それよりももっと、不可思議なことが彼の目の前で起こっていた。
「あんた、なんで…。」
“宙に、浮いてるんだ……”
驚愕した瞳で少女を見つめ言葉を紡ぐ蓮に対し、少女はワインレッドの色をした瞳を少し細め高度を下げてさらに蓮へと近づく。
この少女に蓮は見覚えがあった。
袴に黒髪。そしてこの特徴的な話し方。
蓮が消したくても消すことのできない記憶の中に彼女は存在していた。
幼い頃、蓮は毎日のように彼女に会いに行ったのだ。
毎日毎日、飽きることなく。
「ふむ、その問いの答えは単純明快じゃな。我がテレス・セクリアの名を持ち……」
そう。毎日毎日、飽きることなく。
幼い空色の瞳を輝かせて。
「我がこの世の存在ではないからじゃ」
―――……たった一冊の本を抱え、大切に、大切にページを捲った。
彼女、テレス・セクリアは、蓮の曾祖父である作家、セスク・リストの最高傑作である小説、『Story in the dream』の主人公。その人だった。
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