第十七話
「よいか蓮。主の能力はこの場にあるものを使って物語を紡ぎだすことじゃ。物語を、言葉を頭の中で紡げ。さすれば手に持ったペンが物語を本へ綴り、その物語に合わせて我の体が動く」
「意外と不便なんだな。わかった。けどブランクがあるからな。あんまり期待はするなよ」
ペンを握る右手が震えている。
武者震いだと言い聞かせて、強く握りなおした。
「ようやくやる気になってくれたのね。陵くん」
「委員長……」
「はじめようお嬢。アタシと君のこれからを決める戦いよ」
「チェスト……」
カツコツカツコツと響いていた音が止む。
前を見据える蓮とテレスの瞳に、二つの影が映し出された。
シンっと静まり返る。
窓の外のグラウンドからは運動部が今日もせっせと練習する音が、校舎側からは文化祭の準備で走り回る人や文化部が生み出す音が微かに聞こえた。
図書館の中からは四人の息遣いだけが響いている。
互いに互いの出方を覗うようにじっと対面する相手を凝視した。
ピチョン。
テレスの髪を伝って一滴の雫が落ちる。
その微かな音を合図にして、声が響いた。
「『このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに』」
中性的な音。
男性とも女性ともとれないその声はチェストのものだ。
その音に重ねるようにパァンと紙をはじく音が響いた。
チェストがあわせて扇を振るえば、はらはらと赤、黄、緑の紙ふぶきが舞う。かと思うと、次の瞬間にその紙ふぶきは同じ色をしたもみじへと変化する。
風もないのに強風に煽られたようにもみじが空を切り、蓮とテレスへ襲いかかった。
「―――っ」
寸でのところでその赤い風を避ける。
「蓮! はよう物語を紡げ。でなければ我が戦えぬ」
「わぁってるよ」
怒鳴り声をよこすテレスに蓮も怒鳴り声で返す。
もう一度ペンを握りなおして本と向き合った。
うまくできるだろうか。そんな不安が浮ぶ。
いいや、うまくできずともやらなくてはいけないのだと、叱咤した。
使えるものはこの空間にあるもの。この空間に存在しているもの。大量の本と本棚。それに本を読む為のイスや机に掃除用のほうきやちりとりの入った掃除用具ロッカー。
そういえば、貸出し台のところにはカッターや筆記用具、貸出すときに使うスタンプもあったな。
頭の中で考えをめぐらせる。何が使えるのか。どうやって使えるのか。
昔の自分ならどんな物語を紡いだ。多様に見えてそこまで広がりのないこの登場人物たちを生かす。
「……違う。昔なんて考えるな。俺は、今の俺に紡げるものを紡ぐんだ」
大きく息を吸い込みゆっくりと吐き出す。
大丈夫。できるさ。やってみせる。
「『ほうきとして使われなくなった。先端がとれ、棒だけになったほうきが、用具ロッカーから抜け出し、宙を舞う。共に踊ろうと、少女の手をとった。』」
手にしたペンで真っ白なページに物語を綴っていく。
同時に口にした言葉に従うように、掃除用具ロッカーから棒だけになったほうきが飛び出し、テレスの手に吸い付くように飛んでいった。
「これが、俺とテレスの能力……」
力が発動したのを目の当たりにしてごくりと喉が鳴る。
本当に蓮が言葉で紡いだ通りにほうきが動いた。
「蓮。ほうけている場合ではない。次が来るぞ」
「こちらも武器を出したほうがいいようね『淡路島 かよふ千鳥の なく声に 幾夜ねざめぬ 須磨の関守』」
「そうですね」
チェストの言葉に委員長が相槌を打ちながら札をはじく。
ぱたぱたと仰いでいたチェストの扇が形を変える。数秒と経たないうちに扇は大きく形を変え、朱塗りで黒い線の入った大きな弓となった。
「あいつらの能力って……」
「先にも言うたじゃろう。やつらの能力は紡いだ百人一首の歌をはじくことによって発動される。我らが主の紡ぐ物語を基盤として戦うように、やつらは百人一首に紡がれた物語を基盤として戦うのじゃ」
三つの攻撃の前に聴こえた歌は全て百人一首の歌だった。三つの攻撃と三首の歌。それらが関係していることは蓮も気づいていた。
「あら、お嬢。ちゃんとアタシの戦い方を覚えていてくれたのね」
「百人一首好きのそなたに似合いの能力だと思うておったからな」
「嬉しいわ『あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む』」
パシンとまた音が響く。
今度はチェストの扇からではなく、その弾いた札自体が形を変えて数本の矢になった。
「チェストさんと私は、百人一首を全て暗唱できる上にその意味もきちんと覚えているの。覚えていない人はもっと札を弾くのに時間がかかるかもしれないけれど、私たちにそれはありえない。意味を考えれば次に弾かれる札は決まってくるし、全てを詠まなくても頭文字だけ確認すればどの歌を歌っているのかは判断できるわ」
中に浮く矢を手に取る。
蓮に向かって微笑んで、委員長はチェストに矢を渡した。
それから、漆黒の髪を結っていた髪ゴムの一つを取り出し、高く一つに結い上げる。
「何で今ので矢なんか出てくんだよ」
「おそらく鳥から連想させたのじゃろう。矢羽は鳥の羽じゃからな」
ふー。とテレスが息をつく。しっかりと蓮がテレスに渡した棒を握りなおした。
チェストが委員長から受け取った矢を番え、弓を引く。
流れるような美しい動作に蓮は見惚れそうになった。が、見惚れている場合ではない。
はっと我に返り、ペンを走らせた。
「『少女は棒と共に舞う。その姿はまさに薙刀を手に舞う武人。力強く、艶やかに。向かいくる矢をしっかりと捉え叩き落とした』」
一本。放たれた矢がテレスを襲う。
それを、テレスはしっかりと捉え、棒で叩き落としていく。
「『かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける』」
ふっと。まるで吹き消されたように全ての電気が消える。
開いていたはずのカーテンもいつのまにか全て閉じられ、暗闇が図書室全体を覆う。
普段なら少しはカーテンから日が透けるのに、今は全くそれがない。
テレスの位置も、委員長とチェストの位置も蓮の目には確認できなかった。
「厄介なことになったの」
思ったより近くでテレスの声がする。
どうやら暗くなるとわかった時点で蓮と距離をつめていたらしい。
「こっちが見えてないならあっちも見えてないだろ。次の攻撃を考えるただの時間稼ぎじゃないか」
「あの女子はそうじゃろう。じゃが、チェストは夜目が利く」
「てことは、あいつには俺らが見えてるってことか」
「そうじゃ」
ひゅぅっと風が空を切る音が聞こえる。
目が利かないからか、耳が敏感になっているようだ。
蓮は反射的にテレスの肩を押した。左右対称的にわかれて地面に倒れる。
トスンと音がした。目を凝らしてみれば、貸出し台に矢が一本刺さっている。
どうやらテレスの言っていることは本当らしい。
さて、どうしたものか。
夜。見えない。目が慣れるのにもまだまだ時間がかかりそうだ。
けれど、目が慣れるまで待ってくれるほど相手も優しくない。
ここにあるのは、本と掃除用具とある程度の筆記用具。
何ができる。この暗闇を打破するために、何が必要になる。
考えている間も攻撃をやめてくれるわけはなく、矢が降り注ぐ。
音だけを頼りにして、テレスがなんとかしのいでくれてはいるがそう長くは持たないだろう。
どうすればいい。
懐中電灯なんてないし、火気厳禁だから火を熾せるようなものもない。
なにか、なにかないか。
暗闇、夜、星。
「そうか!」
暗闇のなかまともな字がかけているかはわからない。感覚だけで蓮はペンを走らせた。
「『完全な暗闇など存在しない。夜には月が、月を見守るように星がきらめく。満月は強く光りその周囲の星の光をも飲み込んでしまう。それでも、星は自らの存在を示すように強く光り輝いた』」
かたかたと音が鳴る。どこからか飛び出した本が蓮の目の前にぷかぷかと浮んでいる。
ひとりでに本は開き、本に描かれた星や月たちが外へ飛び出した。
ぼんやりと光が宿り、どこになにがあるのかが見えてくる。
満月の光ってすごいな。と蓮は感心した。
「なるほど、この状況を逆に利用したのか」
「ここの蔵書はわりと豊富だからな。星の本くらいあると思ったんだよ」
「んー隠れられなくなっちゃったわね。それじゃあ『みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし わならなくに』」
「なるほど。数打ち当たるですね」
札が弾かれる。
それを合図にしてまたチェストが矢を一つ番え放った。
数打ちって一本しかないじゃないか。と思った瞬間その矢がまるで枝分かれするかのように十数本に分かれる。
まるで雨のように、テレスと蓮に降り注いだ。
「おい、蓮! さすがにその量は無理じゃぞ」
「わかってるよ! 『少女は一歩身を引き、彼女の前にまるで壁のように本が連なる。びっちりとすこしの隙間もない。鋼鉄のように硬いその表面は一本の矢も通さなかった』」
先程天体の本が飛び出してきたときと同じように本棚から本が抜け出す。
一冊だけでなく数十冊飛び出したそれは、蓮の言葉通りテレスの前に本がびっちりと隙間なく列を成した。
「チェストさん駄目ですっ『天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも』」
チェストではない。委員長の声が歌を詠み同時に札を叩く。
本の壁の前にその壁と同じくらいの山がそびえ立ち、矢を防いだ。
「は?」
「なっ」
蓮とテレス、両方の口から驚きで間の抜けた声が漏れた。
「ちょっと、どうして邪魔するのよ」
「諸事情です。大丈夫です。もう一度お願いします」
チェストにもわけがわかっていないらしい。
焦ったような二人の言いあいが聞こえる。
防ぐ為に用意した本の壁は崩れ、もとの本棚へ戻っていく。
完全に本の壁がなくなった頃には、彼女の召喚した山も消えていた。
チェストの呆れたような顔が二人の瞳に映る。しかたない。とチェストがもう一度矢を番え放った。
先程と同じように一本の矢がいくつもの矢にわかれ蓮とテレスに降り注ぐ。
「少女は一歩身を引き、彼女の前にまるで壁のように本が……」
「無駄じゃ!」
先刻と同じ文章を紡ぎだそうとする蓮の言葉をテレスの焦ったような声がさえぎる。
邪魔をするなと蓮がテレスを睨んだ。
「言葉も生きておるのじゃ。同じものは使えぬ。やつらはさまざまな種類の百人一首の札を使って何度も同じ攻撃ができるが、我らの能力はその場、その瞬間の刹那を生きる言葉じゃ。再度使うことは叶わぬ」
「はぁ? だったらこれどうやって防ぐんだよ」
「それを考えるのが創者の役割じゃろうが!」
怒鳴りあう。
その間にも確実に矢は二人を捉えその距離を縮める。
本は使えない。
だったら他に、使えそうなもの。
なにか、なにかないのか。
きょろきょろと周囲を見渡した。
視界に入ったのは、茶色い、本を読むためのテーブル。
「これしかねぇか『数個のテーブルが、少女の前に聳え立つ。まるで彼女を守る結界のようだ。木のテーブルはその原材料のようにどっしりと重く、しっかりと少女の身を守る。』」
今度はテーブルが宙を舞いテレスの前に立ち塞がる。
二人に向けられた攻撃と二人を隔てるようにたったそれは、今度はしっかりとその役目を果たした。
とすっとすっとすっ。と、矢が木に刺さる音がする。
「今度は、遮らなかった……」
いったい、どういうことだ。
本のとき、委員長は焦ったように山を召喚して自らの攻撃を防いで見せた。
けれど、今回はそうしなかった。
攻撃は彼女に邪魔されることなくしっかりと蓮たちのもとに届き、蓮が召喚させたテーブルの壁に突き刺さった。
なんだ。いったいなにがあった。
何が委員長を止めたんだ。
「蓮っっ」
「――っっ」
テレスが蓮の名を呼ぶとほぼ同時に衝撃が蓮を襲う。
風が吹き荒れるようなその衝撃に弾き飛ばされ、蓮は貸出し台に背中を打ちつけた。
「――っゲホッゴホ」
背中に感じた痛みに咳き込む。
「何をぼうっとしておる! 今は戦いに集中せんか!」
「うっるせぇな。こっちもいろいろ考えてんだよ」
蓮が体勢を崩した隙を狙って矢が放たれる。
吹き飛ばされたおかげでテレスと距離ができてしまった。自分ひとりでは塞ぎきれない。
「『少女は棒を投げ捨て、本を手に取った。野球選手のように大きく振りかぶり、本を少年へ向かって投げつける。まっすぐと、本は少年のもとへ向かい、その身をもって矢を防ぐ』」
「『天つ風 雲のかよひ路 吹きどぢよ をとめの姿 しばしとどめむ』」
また、委員長の声だ。
先程蓮を襲った風の渦が今度は矢を巻き込んで蓮から少しそれた場所に打ち付ける。
「チェストさん。陵くんは私が引き受けます。貴方はテレスさんを。今なら彼女は武器を持っていません。私が陵くんを引き止めますから」
「……わかったわよ」
若干不服そうだが、チェストは委員長に従いテレスとの距離を縮める。
この戦いが始まってはじめて委員長とチェストが離れた。
「陵くん。私が貴方の相手をするわ。もうテレスさんに武器を渡させない」
チェストは未だに弓矢を手にしている。比べてテレスは先程本を蓮に投げるために棒を投げ捨ててしまったので今は丸腰だ。はやく武器になるものを渡さなくてはいけない。けれど。
「もう、必要ないんです」
「――え」
「『幾千の星のように、英知を司る本達。彼女の周囲を囲む札にならい、その間にその身を置く。ぐるりと彼女を取り囲んだ本は、その翼を開き彼女を包み込んだ』」
攻撃がくるとわかっていても、委員長は攻撃を返すことなく、ただどうしようと戸惑いの色をその顔に浮かべる。
やがて羽を広げるように、ぐるりと彼女の周りを取り囲んだ本たちは彼女の全身を包み込んだ。
「貴方は本を攻撃できない。だから、本で攻撃してしまえば貴方に手は出せないんですよ」
ぱたん。小さな音をたてて蓮は手に持っていた本を閉じた。もう使う必要はないだろうとその上にペンを重ねて持つ。
本を閉じた拍子に委員長を覆っていた本たちが消える。
同時に今まで委員長を取り囲むように宙に浮いていた百人一首の札たちが力なく床に舞い落ちた。その様は彼女の戦意が喪失したと表現しているようだ。
若草色の背と、文字と絵のかかれた表がそれぞれ見える百人一首の札たちの中心に委員長は力なく座り込んでいた。
「委員長……」
コトン。小さな音をたてて貸出台の上に本とペンを置く。荒れた息に肩が揺れた。
レン。と名前を叫んで制止を促すテレスを無視して委員長のもとへ歩みを進める。
「委員長。小説が、本が好きなんですね。だから、俺が本を盾にしたときは攻撃できなかった。いやだったんでしょう。本が傷ついてしまうことが」
「……」
無言のままうつむく。
それが答えと受け取って、蓮はさらに言葉を続けた。
「好きなんだったら、どうして物語を壊そうとするんですか」
床においていた彼女の手がぎゅっときつく握り締められる。
蓮とは別の意味で揺れる肩に、蓮は手を伸ばした。
「……君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな」
その手が彼女の肩に触れる数センチ手前で硬く閉じられていた彼女の唇が開かれる。
彼女が一番好きだといっていた百人一首の五十番目の歌。
反射的に手を引っ込める。顔の前で両腕をクロスさせ瞳を閉じ、予想される衝撃に備えた。