第十五話
絡ませた小指と小指。
これが彼女の世界での約束の契りなのだと。
桜色の髪を持った彼女は照れたように笑った。
一度目の契りは桜色の彼女から漆黒の彼女へ。外を歩く『はじめて』を共にすごすこと。
二度目の契りは漆黒の彼女から桜色の彼女へ。どこにいても必ず見つけ出すこと。
お互いをお互いの約束で縛った。
二人はそれでも窮屈ではなかった。
二人はお互いにお互いを必要としていたから。
一人は、はじめてをくれた大切な存在として。
一人は、はじめてを与えた大切な存在として。
どちらにとっても互いに絶対的な存在だった。
そうして、少女は毎日毎日彼女のところへ通った。
今日はいったいどんな話をしてくれるのだろう。
今日はいったいどんなことを知れるのだろう。
何より、彼女と、はじめての友人と会えることが少女の胸を躍らせていた。
いつか、彼女が外に出るその日が来たら、何をしようか。
二人で砂埃のたつ通りを歩いて、いつも話をしていたものをたくさん見に行こう。
話していた通りだと笑い合おう。
いろんなことを確かめて、もっといろんなことを知っていこう。
知識が正しかったか、そうでなかったか。
想像していた通りか、違っていたのか。
脳裏に浮かぶのは、いつかの未来。
「今日もきたぞ」
「いらっしゃい。今日は何の話が聞きたい?」
そうして、二人今日も話をはじめる。
◇◆◇
蓮が優に本を届けて二週間近くが経った。
今日も蓮は採寸だ何だと追い掛け回してくる女子生徒をかわして図書室に身を寄せている。
そろそろやることも決まり、図書室にも用事がなくなったのだろう。
教室や外で作業をする生徒が主になり、図書館には蓮とテレスの姿しか見られない。
「今日は、委員長きてないな」
「そのようじゃの」
あの日から毎日のように図書室に逃げ込んでいるが、必ずといっていいほどの頻度で委員長が先にいて、頼んでもいないのにいつのまにか百人一首講習会のような会が開かれる。
けれど、今日はまだ来てはいないらしい。
丁度いい機会だ。そう思いながら蓮はいつもの窓辺の席に腰を下ろす。
「なぁ、テレス。ずっと聞きたかったんだけど」
「なんじゃ」
とんとんと、もはや日常の一部になってきた百人一首に関する本達を正して、机の端に寄せる。
「最初に俺が『相手もお前みたいに誰かに憑いているのか』と聞いたときお前はそうだと答えたよな」
「じゃから憑いているわけではない」
「今はそこが問題じゃないだろう。どうなんだよ」
「……そうじゃな。言ったぞ」
蓮が座る向かい側の机に腰を下ろしてテレスが頷く。
「お前が俺にとり憑いているように相手も誰かにとり憑いていてもおかしくない。確かに俺もそう思った」
机に両肘を置いて掌と掌を合わせる。きゅっと互いの手の甲を握り締めた。
あの時納得したのは確かだ。
その考え方を理解できないとは言わない。
自分がそうなら相手もそうだと考えてしまうのが普通だ。
「けど、そこには少なからず『かもしれない』がつくんだよ。普通の人間はあそこまで断定できない」
「…………」
「なぁ、テレス。お前は、本当にこの世界に来るのがはじめてなのか? こうなることがはじめてなのか?」
思い返せば、怪しいことはいくつもあった。
自分が蓮以外に見えていないことを確信していたこと。
彼女の本があるところでしか動けないことを知っていたこと。
あまりにも当然のように言うものだから、蓮もさほど気にはしなかった。
けれど、ここ二週間。蓮はさまざまなことを考えてきた。考えざるを得なかった。
優のこと、残された言葉の意味。そうして考えているうちにふと疑問に思った。
どうして、彼女はあそこまできっぱりと断言することができたのか。
もしかしたら、彼女がこの世界にやってくるのは、誰かが物語から抜け出すのは、はじめてのことじゃないのではないか。
考え出したらきりがなかった。
つぎつぎとテレスの不審な点が思い浮かぶ。はじめて彼女と顔を合わせたときも混乱していた蓮と裏腹に彼女は落ち着き払っていた。普通ならありえないことだ。
どうなんだと、しっかりテレスの存在をその空色の瞳に映して蓮が問う。
「…………」
テレスは何も答えなかった。
うんともいいえとも、頷きもかぶりをふりもしなかった。
ただ、ワインレッドの瞳をかすかに揺らして、まっすぐ見つめる蓮から少し視線をそらした。
それが、答えだった。
「やっぱりな。それで前回はうまくいったわけだ」
肩をすくめる。
「相方は、父さんだったんだろう」
ビクリとテレスの肩が揺れる。
反射的にあわされた瞳がどうしてと語っていた。
考えれば、簡単なことだ。
必要なのは曾祖父の血を継いでいること。つまり、蓮の他には父か祖父という選択肢になる。
前回があることが彼女の態度から確かになった今、答えは一つに絞られる。
ヒントは、久しぶりに顔を合わせた父親から与えられていた。
『彼女は働き者だろう』
あの言葉は、委員長をさしていたわけじゃない。
テレスをさしていたのだ。そう考えたほうがあのタイミングで言われたことにも合点がいく。
なぜ父がテレスを知っていたのか。
それは、過去にテレスと父の間に今の蓮とテレスのような繋がりがあったから。
全ては仮定だった。
けれど、テレスの反応をみるに、この考えは断定に変わる。
「結局、誰でもよかったんじゃねぇか」
発した言葉は自分でも驚くほど搾り出しそうな音だった。
揺れる彼女の瞳に情けない顔が映る。
「それは――っ」
「違うっていえるのかよっ」
静かな図書室に蓮の怒鳴りが響く。
反響して、何度もテレスの鼓膜を揺らした。
「お前は俺が、俺だからできるといった。けど、実際はどうだ? お前は過去に父さんと組んで同じことをやってのけたじゃないか! 俺じゃなくてもよかったんだ。あの人の血を継いでいれば、誰でもよかった。結局お前も俺じゃなく、あの人の血縁関係しか求めてなかったんじゃないかっ」
ガタンッ。立ち上がった拍子に座っていたイスが後ろへ音をたてて倒れる。
言葉にしてはじめて、蓮は自分がそれだけテレスに『自分』を必要とされたことが嬉しかったと気づいた。
ずっと望んでいた。心の底から自分を、自分だけを必要としてくれる人。
他の誰かじゃ務まらない。自分だけにしかできないこと。
けれど違った。
結局テレスが見ていたのも曾祖父を通した。曾祖父と血の繋がった自分だった。
誰でもよかった。曾祖父と血が繋がってさえいれば。
父でも祖父でも。自分じゃなくても務まることだった。
「もういい。やめる、やめてやる。この世界がどうなろうとお前たちの世界がどうなろうともうどうだっていい!」
「蓮っ違う! 我は――っ」
「あら、陵くんやめちゃうの?」
不意に別の音が響いた。