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今宵、君は踊り僕は詠う  作者: 空蒼久悠
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第十四話


 猫はうつろうものである。

 そう教えてくれたのはほかでもない。彼女にとっての初めての友人だった。

 いつものように真っ白い。しっぽの先だけがほんの少し桃色に染まった猫を撫でながら、独り言のように小さな声だった。

 もしかしたら、ただ本当に独りごちただけなのかもしれない。

 百首の歌が書かれた四角い紙と、散らばる桜花。格子で隔てられた狭い世界。

 そんな世界が彼女の世界であったのに、彼女は少女よりも多くのことを知っていた。

 外を自由に動き回ることのできる少女よりもはるかに膨大な知識を持っていた。

 この花はどんな匂いがするだとか。この歌はこんな意味があるだとか。この薬草はこうやって使うのだとか。

 本に載っていることから、本に載っていないことまで。彼女はたくさんのことを知っていて、少女にそのことを教えてくれた。


「きっとこの子たちにはわかっているの。この場にいるべきか、そうでないか。人も同じ。出会っても別れはやってくる。望んでようと望まざろうと」

「我はどこにも行かぬ。お前のその時が来るまで傍にいると誓うた」

「誰も運命には逆らえない」


 人には必ず決められた道があって、人はその上を進んで生きていく。

 確かに自分で選んだ道も、本当はもとからそうなると決められていたもの。

 「運命を変える」ことすらその人の運命の一部で、決められたこと。

 一見イレギュラーのようにみえて、実は生涯決まっている道の上にきちんと存在していたことだ。


「約束したじゃろう」

「やく、そく……」


 見上げる。少女とは違った紅色の瞳。

 不安げに揺れるそれには、強気な少女の顔が映し出されている。


「アタシがどこかに消えても、君は探してくれる?」


 止めた手の内からするりと猫が抜け出す。格子を難なくすり抜け、少女の横をとんととんと流れるように通り過ぎて行った。


「もちろんじゃ。主がどこにいようと我が探し出す」


 そうしてまた、少女と彼女は約束を交わした。



◇◆◇



 少し明るめの黒髪。

 十二単のような、重量感のある着物。春をイメージしているのか、桃色と白と緑が主になっている。

 絵に描いたような大和撫子。

 けれど、振り返り見えたのは薄茶色の猫のような瞳。

 見覚えのあるその瞳に、蓮はその人物の名を呼んだ。


「おう。俺だよ。あぁ、そっかこんな格好してるからわかりにくいんだな」

「何してんだ?」

「劇の練習。言っただろ? 文化祭で劇をするって」


 そういわれてみれば、言っていたような気がする。


「この格好は……劇でその、ヒロインやることになってな……」

「お前声高いからな」


 優の声は男子にしては高い部類に入る。先ほど聞こえてきた声のように、男にしては高く女にしては低い中性的な声をしている。


「そういえば、さっきの歌はお前が?」

「ん? あ、あぁ。台本係がはりきってて、純和風で百人一首をモチーフの話になる予定なんだと」


 ミュージカルだと言っていたのにそれでいいのか。


「……これ、貸出リクエストしてた本だ」

「あれ? 俺委員長さんに頼んでなかったっけ?」

「用事があるらしいから俺が頼まれたんだ。……その劇に使うのか?」


 ずっと問いかけたかった疑問を問いかける。

 その言葉に優は長い髪に隠れた耳の裏をかきながら、うんと一言頷いた。

 

 

◇◆◇


 


「ひとまず、あやつのパートナーという線は消えたみたいじゃな」


 日が傾きオレンジ色に染まった道路を進みながらテレスが口を開く。

 進歩でもあり、後退でもある今日の成果に、どこか満足そうだ。


「いいや、あれは嘘だ」


 その喜びにくぎを刺す。

 まっすぐ前を見て歩みは止めない。カツコツと、学校で上靴として使っていた革靴と少し違う音を鳴らした。


「じゃが、劇で使うと言っておったではないか」

「だからそれが嘘なんだよ。あいつ最後に頷くとき耳の裏を掻いていただろう。あれがあいつの嘘をつく時の癖だ」


 発する言葉にため息が交じる。

 なんじゃと、と目を見開くテレスを横目に蓮は頭を掻いた。

 優が、嘘をついた。

 劇に使うのかという問に対する嘘。それはつまり、あの百人一首に関する本たちは劇のために使われないということ。

 じゃあ、一体何のために……?


「おい、テレス……」

「お帰りなさいませ。坊ちゃま」


 お前はどう思う。そう問いかけようとした言葉は別の声によって遮られる。

 考え事をしている間に家まで辿り着いたらしい。気がつけば見慣れた門の前に黒い執事服に身を包んだ男性が立っている。


「どうしたんですか」


 見えないとわかっていて、ついテレスを隠すように彼女の前に立つ。

 珍しい。いつもはただ玄関先で迎えるのに、ここまで出てくるなんて。


「旦那さまがお呼びです。帰られましたらすぐに書斎に来るように言伝を預かっております」


 手を下腹部で合わせて四十五度体を前に傾ける。


「わかりました。すぐに行きます。わざわざありがとうございました」


 淡々と、形式的な言葉を並べる。彼が開けてくれた門をくぐって屋敷の中へ歩みを進めた。


 珍しいことが続く。と言うよりは、珍しいことが起こったから彼がこの場で蓮を迎えたのか。

 顔を合わせるのは一体いつぶりになるだろうか。一ヶ月二ヶ月ぶりなんてもんじゃない。もっと顔なんて合わせていない気がする。


「何が悲しくて自分の親に会うのにこんな緊張しなくちゃならねぇんだよ」


 茶塗りの扉の前に立つ。右手を挙げて、扉をノックしようとしたところでもう一度手を止めて手を下ろした。

 一度瞳を閉じてゆっくりと息を吸い込む。十分に新鮮な空気で肺を満たしたところで時間をかけてその息を吐き出した。数回その動作を繰り返して再び瞼を持ち上げる。

 顔なんて合わせたくないな。

 部屋に帰って頭を休めたい。

 ただでさえややこしい状態なのに。

 父さんになんてあったらまた何か言われるんだろう。

 いつもそうだ。

 久しぶりに顔を合わせ会話をしても、物語の中に見たような微笑ましい家族の談笑なんてありはしない。

 勉強は滞りないか。本は読んでいるのか。小説は書かないのか。

 押しつけにも似た言葉の羅列を浴びせられるだけ。


「どうした。開けんのか」

「開けるよ。ちょっといろいろ頭を整理していただけだ」


 どうしたって避けられない。

 ここで無視したところで、どうせあとからまた呼び出されるのだ。

 それなら早く終わらせよう。後回しにすることほど面倒くさいことはない。

 意を決して再び重い腕を持ち上げる。

 最後にもう一度深く深呼吸をしてコンコンと茶塗りの扉を軽く二度叩いた。


 失礼します。の言葉を合図に扉を開く。

 少し薄暗い。部屋の壁全てが本で埋め尽くされた部屋。

 文学作品から歴史書、数学理科の参考書や心理学に関する書籍。さまざまな分野の本がきちんとしたルールに乗っ取って本棚に収められている。

 中央より少し部屋の奥に本を読んだり、作業をするための木製の茶色いデスクが扉に向かい合う形で置かれている。

 部屋の中央にはいわゆる応接セットと言われるような低めの白い長方形のテーブルと深紅の二人掛けのソファーが二つ、テーブルを挟んで向かい合うように置かれている。

 その内の片方、蓮から見て左手側に蓮より少し暗い髪色をした男性が座っていた。


「おかえりなさい。お父さん」

「あぁ、ただいま」


 社交辞令にも似た言葉とともに部屋の中へ入る。音をたてないように気を付けながら父親が座るソファーと対面の位置にあるソファーの左後ろまで歩みを進める。

 座りなさい。と父親が促す言葉を聞いてからソファーに腰を下ろした。


「どうだね。学校は」

「運動勉強ともに問題ありませんよ」

「図書委員の仕事は?」

「滞りありません。サボらずきちんと仕事をしています」


 問いかけられる問いに淡々と答える。早く終わってくれないかと、自分からは一切話は拡げない。


「小説を書く気は?」


 ほらまた。

 本当に言いたいことはそれだけなんだ。

 運動も、勉強も、図書委員も全部全部その言葉を切り出すための前フリにすぎない。

 結局あんたは俺に書かせたいだけだろう。曾爺さんのブランドを広げたいだけだ。


「おきません。おきるわけがない。僕はもう書かないと決めたんです」


 必要とされるのは、物語を描く自分。この家にとってそれがすべてだ。書けないものは必要とされない。

 全ては我が家を繁栄させた偉大なる曾祖父様のため。

 そんなの馬鹿げている。

 強要されるのなんてまっぴらごめんだ。


「お話は以上ですか? 明日の授業の予習があるので失礼します」


 なるべく怒りを顔に出さないように笑顔を張り付けて立ち上がる。

 コンクリートの上や廊下と違う絨毯の上では革靴は音を鳴らさない。静かながらもしっかりと絨毯を踏みしめて、扉の前に立った。


「それでは、失礼します」


 もう一度父親に向き直り深く頭を下げる。

 父親の視界から去るのにこうやって礼をする子供がいったい世界にはどれだけいるのだろう。

 きっと一握りしかいないだろうな。

 ふと頭をよぎった問いにくだらないと彼に頭の頂を見せたまま苦笑を噛み殺す。

 頭を上げ、体を反転させてドアノブに手をかけた。


「蓮。彼女は、とても働き者だろう」

「……そうですね」


 背中越しに言葉に適当な言葉を返し、顔を見ることなく扉を閉めた。


「疲っれた……」


 父がいる書斎から足早に自室へ戻り、歩いた勢いのままベッドに身を沈める。無意識のうちに入っていた力を抜いた。

 ギシリと音が鳴り、ベッドが重力に身を任せて沈む。


「彼女とは誰のことじゃ。主に想い人などおったか?」

「いねぇよ……」

「では誰じゃ」

「わかんねぇ。……委員長のことかもな。そういう前提で答えを返した」


 委員長の家と、蓮の家には少なからず関係がある。

 委員長は俺が図書委員になる前から図書委員で副委員長をしていた。

 そのときから中心となって動いていたのが今の委員長だ。

 本好きのうちの父にとってそういう人物はずいぶん魅力的なのだろう。

 だから、父の口から彼女の存在が紡がれてもそう不思議じゃない。


「というか委員長しか俺と繋がりのある女子生徒はいねぇよ」

「モテないの」

「……うっせ。黙れ」


 枕に顔を押し付ける。ゆっくりと深い息を吐き出した。


「今日は、静かにしててくれ。少し考えをまとめたいんだ」


 口元を少し浮かせ、ため息にも似た言葉を紡ぐ。

 それ以上テレスは何も言わず、コトンと朱塗りの本が机をたたく音だけが鼓膜を揺らした。


 頭の中がぐるぐるする。

 なぁ、優。お前さ、俺には、俺にだけは嘘つかなかったじゃないか。

 何もかも話していたわけじゃない。

 お互い言えないこと、言わないこともあった。

 けれどお互い、嘘なんてつかなかっただろう。

 それなのに、どうしてはじめてついた嘘が今日あのタイミングだったんだよ。

 お前がそうなのか。

 お前が俺たちの探し人なのか。

 なぁ、優。お前いったい何なんだよ。




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