他国の地で約束を
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御呼び出しに応じたユディト、ジルの元へ参ります。
自国より南とは言え隣の国。そんなに劇的に気候は変わらない。それに、早朝は寒い。
でも、芯から凍る冷えはやってこない。違う場所に来たんだって実感が、じわじわ来る。
ルーニアが用意してくれた落ち葉のような色のストールが役に立った。
「意外と、寒いわ」
此処が、ルーザーズとネテイレバ。
来たことは有ったが、こんなに静かだったか。
もっとゴミゴミした街が広がっていた筈、だよな。あの遠くの茶色と白と赤の派手な建物何だろう。城?よく分からない。
大半が澄んだ水に浸かってるからかもしれない。
氾濫した後、浄化が上手く行ったことは見て取れる。
隣り合わせの支配国と、搾取される国は何処が境界線なのか分からない位、大きな湖となって穏やかに広がっている。
この澄んだ湖の下には、建物がチラホラ。
水棲の獣人……体に特徴が大きく出た事で迫害される者達が住まいを築いている、らしい。
水中でキラキラ光って移動する……あれは、誰かの鱗か。
泳いでいる下半身が蛇のような少年と目が合った。
「……」
めっちゃ逃げられた。
そんな怖い顔してるつもりないんだが。
もう少し覗き込もうとすると、肩に手が置かれて引き寄せられた。水を縫って泳ぐ鱗が遠ざかっていく。
「泳げない方は湖を覗き込まないでください。この深さでは俺だけで助けられない」
「あの時だって子供には酷な深さ、だった筈よね」
ふふ、と笑い声で耳朶を擽るのはたった2月だけ離れたのに懐かしい声。
駄目だ。ジワジワと、寂しさが溢れてくる。
「知恵と工夫が有れば、他の能力ですり替え出来るんですよ」
「……じゃあ、どうして私から離れたのよ」
本当は優秀だった、なんて。お話じゃ有るまいに。
「私の為に遣うのが嫌になったんだ」
「どうしたんです、ユディト。昔みたいに泣き虫ですね」
誰が泣かしてるんだよ。
そうだ、私はメソメソ泣く自分が嫌いだった。親に見棄てられて更にメソメソするなんて、本当に惨めだったもの。
「だから、私を棄てるんでしょう」
「精神的にも昔みたいになってますか?」
ぐしゃり、とジルの手が私の頭を撫でて……折角侍女に纏めさせた髪が解かれた。頭に空気が入って、開放感で肩から力が抜けていく。
「落ち着いてください、愛しいユディト」
「だって」
「ユディトに言ったんですけど忘れました?俺が結婚を申し込むって。なのに反故にするんですもんね」
「……覚えてない」
指輪をくれるって言うのは思い出したけれど、どうしても結婚を申し込みたいなんて思わないもの。
私の方が身分が上だから、私がしなきゃって思ってたのに。
「だからって、国出ていくことないだろ!?棄てられたかと思ったじゃねーか!!」
「あ、戻った」
「ジル!!」
「よしよし、涙流しながら怒らないでください」
後ろから抱き締めてきたジルの指が私の顔を遠慮なく擦って行く。
折角綺麗に化粧したのに無遠慮に擦られて、顔に当たる金属が痛い。
「……金属?」
「あ、指輪です。此処でユディトの髪の色の石採ってきて貰いまして突貫で作って貰いました」
「……指輪」
……何で、指輪なんてしてんのよ。
「いや何で追加で泣くんです?俺のですよ、ユディトのはこっち」
「い、嫌」
「は?」
「何でそんなに無理矢理なんだ。嫌だ」
つか、何だその顔。
何でそんな信じられない顔で私を見る。
結構な非常識押し付けてるって自覚ねーのかよ。
「指輪だって、私も用意してた」
「ユディトが?俺の?どれです?」
「用意してた」
「……過去形で言わないでください。処分してないですよね?」
「……」
処分は、してない。
今、袖の中に糸で止めて仕込んである。
でも、何というか。ジルを困らせてやりたい気分がすげー有るわ。これほど私を振り回して、コイツ謝ってすら居ないんだぞ。
そりゃ、私がジルとその、色々有った過去を忘れまくってたから?
結婚を申し込もうと内緒にしてたから?
……まあ、落ち度はあるけどさ。
だからって、国籍変える程の事なのかよ!?
「……左袖の裏に、何か有るんですか?」
「……ない」
やべ、気にしすぎて袖触ってたか。無駄に察しが良くなってる気がする。いや、元々察しが良いけど見て見ぬふりしまくってた奴だったな。
「あのねユディト。俺が作ったのは、右の人差し指。見てください」
急に焦った口調になったジルは、目の前に自分の手をぐいぐい押し付けてきた。
「近えな!!……寄り目になるだろ!!」
「ハイハイ、寄り目でも離れ目でも可愛いですよ。見てください」
「……」
「俺の手を取る仕草、可愛いですね。新発見です」
「早く見せろ」
……何かグチャグチャ言ってるがどうでもいい。ジルのカサ付いた手を確認すると、ああ、確かに右手の人差し指だ。
何でか、切り傷が多い。
「……納得しました?ユディトの指輪の予行演習に作らせたんですよ」
「何でそんな回りくどい真似するんだ」
恨みを少し声に滲ませてしまうと、バツの悪そうな声が返ってきた。
「……あー、悪かったですよ。ちょっと、ユディトの泣き顔が可愛かったので」
「……ジル、嫌い」
自分の欲しか追いかけないジルなんか、ジルなんか。
私は、何でこんな奴を。
苛める奴なんか、離れていく奴なんか、子供の時から嫌いなのに。
「……こっち向いて、ユディト」
顔を背けたら、頬っぺたを強引に掴まれた。口の中に、有無を言わさず舌が入り込んでくる。何時ものように、上顎を舐めて、舌を絡めて私を何も考えさせなくしてくる。
無理矢理唇を合わせてきやがった。
……腹立つ。
誤魔化してるみたいで、本当腹立つ。私も口づけしたかったから、本当に嬉しいのも腹立つ。
涙が止まらない。
「……雰囲気良く結婚を申し込みたかったんですけどねえ」
「嘘、だろ」
早朝の湖は綺麗だけど、雰囲気なんか。私を苛める奴なんかに作れっこないわ。
もっと、甘くて優しいものじゃないの。
「俺のお嫁さんになって、ユディト」
ちゅ、ちゅ、顔や手にジルのキスが降り注いでいく。
「約束したでしょう。俺だけの姫様」
ゆらゆらと。水面のように揺れる紅茶色の瞳が、懇願するように私だけを見てる。
「ねえ、ユディト」
左手を取られて、金属の輪が爪に当たる。
……頂点に淡い赤みがかった茶と、水色の石が並ぶ金色の輪。
「承諾してください。でないと今度は俺ごと沈ませますよ」
脅して来た割に、切羽詰まって。
耳まで真っ赤になって。
私は思い出した。
「ずっとずっと一緒よ、ジル。私が死んだら、直ぐ死んでくれる?」
お祖父様の館の側。
小さな森の、大人には浅い湖の畔で、訳も分からぬ最初が有って。
「誓ってくれたら、私も直ぐに死ぬわ」
疎んだ母にこの身を沈められても、私を助けたジル。
寒くて冷たくて、すがり付いた私に彼は何と言ったか。
「破滅願望は止してください」
冷たい言い方なのに、泣きそうだった。
今も鼻を赤くして、涙を堪えて私を睨んでる姿が、あの頃と被る。
「俺は、ユディトとジジババになっても賑やかに暮らすと決めてるんです。死になんか、憧れないで」
過去と科白は違うけど、ああ私のジルだ、と心に落ちた。
無駄に私に尊大で、意味分からない程物識りなのにそれを隠して、私の為長年枷を付けられて、苦手な荒事をこなし、騎士になってくれた。
「貴方のお嫁さんになるわ、フランジール」
恐らく、これからの道だってそんなに平坦じゃない。
親世代だって未だ残っているし、私と同世代は殆どが跡取りで、家の問題だって、片付いていない。
「直ぐに嵌めて」
「うん」
金色の指輪は薬指の爪から関節を抜けて、最奥に留まった。
私の用意したジルの指輪は、金属の金は同じだけどツルリとした表面でなく、裏によく光る薄い黄色の石が埋め込んである。
……流石に金の石はない、けど私の目に似た石を頑張って選んだ。
「対の魔術掛けますよ」
「は?何だそれ」
「詳細を語りたいところですが、端的に言えば浮気したら体が光になる光魔術です」
……は?
いや、ええ?
いや、どういうことだ?
何、この細かすぎる術式が私の手に吸い込まれていくの。
「俺達は愛し合ってますけど、ユディトは不安定ですし俺も普通に不安です。不安は夫婦生活を蝕むそうですからね、だから古代の光魔術を掘り起してきました。
俺、天才ですから造作もないんですよ」
指輪を嵌めた、その下にじわりと……細かすぎてシミみたいになった紋様が浮かんでいる。
何なのよコレ!!色合いが、スゲーシミみたいなんだけど!?
「何なんだよ手にシミが出来てるじゃねーか!!」
「え、其処ですか?常に光るよりいいかと改良したんですけど」
「常に光るぅ!?」
何だよ、その迷惑きわまりない術は!!
「ええ、良いじゃないですかお揃いの模様」
「かなり近付かないと模様に見えねーよ!!何で指輪に隠せる大きさじゃねーの!?」
「見えなければ威圧にならないじゃ有りませんか」
「……いや、ええ!?ええ!?」
「俺は何処かの公爵みたいに、伴侶に無体をしようとしたら消し炭にする魔力無いですし。
ササヤカで地味なもんですよ」
「え、何処かの公爵って、は?え、ウチの公爵じゃねーよな?」
そんな莫大な魔力持ちいねーし!他国か!?
え、火属性で考え付くのはユール公爵!?アイツ、義妹姫にそんな無体な術式施してんの!?恐ろしい執着だな!?
「あ、結婚式はユディトが主導で采配してください。俺は求婚がやりたかっただけなんで」
「はあ!?け、結婚式!?
そ、そりゃ色々、考えて組んでたけど、それこそふたりで色々語り合うもんじゃねーの!?」
「野郎って花嫁の添え物じゃないですか。参列者は頭に入ってますし、祝辞も5年前に書いてます。
あ、初夜の衣装と部屋の飾り付けは決めてるんで担当しますよ」
「お、お前……」
え、何?
私、滅茶苦茶ジルの掌の上で転がされてるってこと!?
「ソーレミタイナの侯爵位を昨日頂きましたので、暫く昼間は此方で仕事して夜にあの籠で帰りますね。
俺を外せない公務の際は呼んでください。まー、ユディトが臥せってたから他の皆さんが頑張ってますよね。うん、無いでしょう」
「いや、え、ええ!?」
しかも何でウチの体制が変わったこと知ってんの!?お前、2月も居なかったよな!?
「この国の体制が整えば、王配の仕事してあげますから。女王に即位してくださいね」
「ちょっと待て。いきなり別居なの!?」
「何言ってるんですユディト。普通の貴族は結婚するまで別居ですけど?
それに夜には帰りますって、今晩から。寂しがりやさんですね」
そ、そりゃそうなんだけど、そうなんだけど!?
駄目だ。
ジルに勝とうなんて、無理だった。
小さい頃から丸め込まれて大好きにされてたんだから、無理だった。
「取り敢えず、ウサギ姫に報告……は留守でしたね。ソーレミタイナ飛び地の皆さんに見せびらかしに行きますか」
「え、いや、はあ?」
「明日はお休みを頂いてますので、コレッデモンで披露ですね。その際に公式な書類に署名するとして……、ああ、四騎士の皆さんに殺されないよう俺を守ってくださいね、ユディト。
滅茶苦茶重要ですよ」
「……」
明日、休み……?
一発くらい許可してーんだけだな。
め、滅茶苦茶イラッとしてきたんだが。
強引に手を引かれ、着いたのは……湖畔に建つ、民家、か?
……外壁は削れたりしてるが、中は片付いてるみたいだ。
「あ、まだ此方での拠点が無いので無人の民家をお借りしてます。
昼から仕事なんですけど、居ますよね?」
「お前は、いい加減私に!謝って気を遣えよ!!」」
「強引に決められる方が良い癖に」
「!!」
そ、そ、そ……そんなこと、有る訳!!
有る訳、無いのに!!
「真っ赤で可愛い笑顔ですね、俺の婚約者の君。俺を執着させてくださり恐悦至極ですよ。末長く宜しく」
「……よろ、しく」
「……うわ、民家にユディトが居ると違和感なのに。滅茶苦茶嬉しい」
ジルだって、民家にそぐわしくない。民家に失礼だ。似合わない。
……駄目だ。
心が通じ有ったのが嬉しすぎて、此処から離れたくない。
連れて帰るつもり、だったのに。
私、ジルに負けてばっかだわ。
湖畔でのプロポーズで、トラウマを忘れさせたかったのも有りますね。