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暗黒魔術師、六条くん。  作者: よしふみ
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第二話   フラれてグレた、史上最強の虎。

第二話   フラれてグレた、史上最強の虎。



 ―――世の中には、色々とうわさ話ってモンがあるもんだよな?この十神高校にもいくつかの噂がありやがる。放課後の校舎が地獄になっているとか、アラサーの女武道家が保健室で叫んでるとか、吸血鬼が体育館倉庫に棲んでいやがるとか、小学生のときに母親をナイフで刺し殺した少年Eが通学してるとか?

 まったく、どれもこれもが下らねえぜ!!

 ほんと、んなうわさ話なんざよ、男のなかの男のオレさまは……この一番坂虎徹さまは、まったく興味の欠片も持たずに生きぬいてきたんだぜ!!

 だがよう。

 ったく……ホント、情けねえぜ。まさか、このオレさま自身が、そんな下らんうわさ話の主役の一人になっちまうとはなァ……っ。

 『三崎茜』。

 それがオレのマイ・スイート・ハニー……だった。ヤツとは幼なじみって間柄で、ガキの頃から同じ道場で汗を流した仲だ。なんでも知っている。いつも一緒だったからな。だから、オレさまは当然の流れで、茜のことを好きになっていた。

 高一の夏。オレさまは三崎茜に告ったんだ!んで、あいつもオレさまの告白を受け入れて、オレさまたちは晴れて付き合うことになった!

 すばらしい夏休みだった!人生が輝いて見えたんだ。オレさまは茜と結婚し、三人の子をもうけ、親父の道場を受け継いで、オリンピックの空手で金メダルを三枚連続で取るつもりだったんだぞ!!

 なのに……クソがああああああッッ!!

「あの女ァ、オレさまのこと、フリやがったああああああッッ!!」

 


 ―――十一月の始めの頃か。急にハナシがあるってんで、呼び出されたら、もう会えないと言われた。オレさまには理由が分からない。なんでフラれるのか、まったく分からない。オレさまのことが嫌いになったのかと聞けば、そうじゃないと言う。

 意味がわからん。

 なんで、泣きながら、まだオレさまのことを好きだと叫ぶ?

 なんで……別れ際にキスとかしやがった?

 なんで……よりにもよって、オレさまの親友だった幸村悠斗とデキちまう?

 正直、悠斗のヤツをぶっ殺そうかと思ったが、あいつもオレさまの幼なじみだ。そうだ、オレさまと悠斗と茜はいつも一緒だった。三人まとめて幼なじみだ。

 ……茜は、悠斗のことだって好きだったのかもしれない。それに、悠斗はオレさまと違って大して強くねえ。オレさまは一人でも生きていける強さがある。ぶっちゃけ装備なしで山に捨てられても生きぬけるが……悠斗はそうじゃないだろう。

 あいつには、オレさまにはないやさしさや慈悲があるんだ。強さの代わりに、オレさまにはそういうもんが乏しい。だから、もしかしたら、悠斗のほうが茜を幸せに出来るんじゃねえかと考えてしまっていた。

 ……んなこと考え込まずに、さっさとアイツをブン殴りに行ってりゃ良かったわ。

 今さら、もう殴れねえ。

 だってよ?悠斗のバカは、もうすぐ死んじまうんだってよ?

 あのバカ、死んじまうほど重たい病気だったのに、ずっとオレさまに黙っていやがった。オレさまだけが知らされていなかった。なんでか?オレさまが混乱するとでも思ったか、親友が死んじまうって聞かされたぐらいで?

 ……ああ。そうだよ。へこむよ。頭おかしくなるぐらいにな!!

 けっきょく、茜はもうすぐ死んじまう悠斗への『同情』であいつと付き合ってやっていたんだ。それは愛しているとかじゃない。いや、ちょっとは愛しているのかもしれないけど、たぶん、それは純粋な恋愛感情なんかじゃねえだろうが。

 ほんと、腹が立つハナシだ。

 どいつもこいつも腹が立つぜ!!

 ヒトの恋人ぶんどったあげく、あっさり死んじまいやがる悠斗のバカも!同情しすぎて、本当に好きなわけでもない悠斗と付き合ってる茜のバカも!

 そんなバカどもがバカこじらせているのにも気がつかず、ただ一人でグレまくって、やくざや不良や暴走族みてえなクソにも劣るカスどもを殴り回っていた、このクソ大バカ野郎の自分自身にもなあッッ!!

 ああ、なんで、オレさまがこんな目に遭わなくちゃならねえ!?

 茜が二股だ?

 大悲恋だ?

「まったく、うるせえぜ……ほんとのこと、うわさ話にしてるんじゃねえよッッッ!!」



「―――お前が一番坂虎徹か?」

 そいつは駐輪場で厳ついバイクに向かって叫んでいる大男のオレさまに、まったく怯むことなく近づいてくると、そう質問してきやがった。

 眼鏡に黒髪の男。眼鏡の下の目は……やけに鋭いな。そこそこ背は高い。体も細いが、オレさまには分かるぞ。死ぬほど鍛え抜いてやがるな。体重は70キロ台ってところか。アスリートか?特待生?ん?……知らねえ顔だな。いや、ちがう何度か見たことあるぞ。

「お前、たしか転校生の……ろく……?」

「六条だ」

「ん。六条。そうだ、六条だったな……んで、どうしたよ?」

「お前にハナシがあるんだ」

 初対面でこのオレさまをお前呼ばわりか。ククク!ぶっ殺されたいのか?……まあ、こんなの殴ってもしょうがねえ。どうせ、教師からの伝言とかだろ?

「そうか。で、何のハナシだよ?」

「お前の周りに、もうすぐ死ぬヤツがいるな」

「……はあ?テメー、それ、悠斗のことかよ?」

「名前は知らない。興味もない。ただ、その人物の居場所を教えてくれないか?」

「……フン!あいつのダチでもねえんだろ?……もうすぐ病気で死んじまうようなヤツんところへなんざ、会いに行ってどうするってんだ?」

「ちょっとした用事がある。お前には関係のないことだ」

「はあ?関係あんだろう。アレは、オレさまの幼なじみってヤツなんだからよ!!」

 ―――だんだん、腹が立って来たぞ。コイツのすました顔はなんだ?ヒトのデリケートな人間関係にズカズカ踏み込んで来やがって。何をどうしたいんだよ?まさか、アレか?このオレさまにケンカ売ってやがんのかァッッ!?

 感情のままに、オレさまはあいつの首根っこを掴みにいった。

 ああ、雑な動きだったさ。

 でも体格で勝るオレさまが、躱されるはずはなかったんだがな。あいつはオレさまの指に掴まれる寸前に、身をひねり、ちょっとだけ後ろに跳んでいた。いい動きだ。ほう。高校生レベルじゃ、そう見ねえ体さばきだな。

「……フン。やるじゃねえか。柔道でもやってるのか?それとも合気道かよ?」

「いろいろ通った」

「だろうな。んな動きだ。で?なんだ?その自慢の格闘技の腕を試したいとかか?」

 身の程知らずめ。オレさまを何だと思っている?暴力だけは素晴らしいってだけで、この十神高校に入学できた、生粋の筋肉大バカ野郎だぞ?

 六条は首をふる。ヤツは怖がっちゃいねえな。いい肝っ玉してやがるわ。

「腕試しなんかに興味はない。知りたいことを、訊いてるだけだ」

「つまり、悠斗の入院先かよ?……ハッ!意味わかんねえな。それによう……テメー、いい動きしてやがるぜ!!最近、クソカスどもばかりブン殴っててよ、オレさまがどんだけ強いのか忘れちまいそうなんだよなあ!?なあ、テメーで再確認させてくれよ!?」

「ムチャクチャな理屈だな」

 六条め、呆れてやがる。ああ、そりゃそうだ。オレさまだって自分が愚かな言動をしていることぐらい理解してる!でもなあ、しょせん、オレさまは大バカなんだよ!!こんな気晴らしでも見つけるしか、この重ッ苦しい毎日を、打破できやしねえんだよッ!!

 オレさまは牙を剥く。心の猛りのままに、親父直伝の空手の構えを取った。地面を、靴底でぶち抜くようなイメージで叩くのさ!いいぜ、オレさま、今、地球と合体してるぜ!死ぬほど速く、死ぬほど強く、動けるッッ!!

「……それに付き合ったら、教えてくれるか?」

「応よ!!……どうせ、そのつもりだったろ?どうにもテメーは、ギラついてやがるからな!!心が尖り過ぎてやがる、刃物でも持ってるのかァ!?」

「どうだろうな」

 ケッ。笑ってやがる。なんだか妙なヤツがうちのクラスに紛れ込みやがったもんだぜ、雪見のヤツは何をしているんだ?こんな『危険人物』がいるんなら、さっさとオレさまに紹介しやがれってんだッ!!

「行くぜ!!六条おおおおおッッ!!」

 手加減はしてやれねえ!!こんな楽しそうな喧嘩は久しぶりすぎるからなあ!!

 虎をイメージした。デカくて速くて強くて残忍!突きと蹴りと、手刀の連携だ!!ヤツは必死になって避けつづける。いい動きだ。よく鍛えてやがる。それに、避けながらも、逃げちゃいねえ。そこがいいぜ!!

 どいつもこいつも。

 このオレさまから逃げやがる。 

 強いからだ?怖いからだ?そりゃしかたねえだろ?そういう風に生まれついちまったんだ!生まれもっての強者だ、このオレさまは!体もデカい、運動神経もバケモノ並み!ガキの頃から空手の世界王者だった親父に仕込まれた!!

 そういう強さのカタマリだ!!

 逃げて当然だ、弱者はよ!!……だが、コイツは違う。逃げてない。避けちゃいるが、つねに必殺の何かを狙っている。なんだ、コイツは?どうなってる?おもしれえぜ!!

「だが、オレさまに勝てるはずがねえだろ!!」

 正拳突きだ。顔面に重たいの一発入れてやる!!それで、お終いさ!!

 六条はオレさまの本気の動きにはついて来れない……そうさ。避けるんじゃねえ、逃げろ。勝利をあきらめて逃げちまえ!!そうすれば、無事に済む!!そうすれば、オレさまは勝利の感覚を手に出来る!!

 あいつはオレさまの一撃をギリギリで避けようとする……いや、バカめ、避けきれねえ。強がりやがって、逃げればいいのに!クソ、正拳がヤツの眼鏡をぶっ壊しちまうぞ。まずい、六条の目玉を傷つけちまうかも―――。

 オレさまの拳が怯んでいた。あいつにケガさせちまうかもという感情が、ブレーキをかけさせていたんだよ。

 そして……そのとき、ヤツの目がギョロリと動いた。目玉だけじぇねえ。全身が、沈み、特攻のための姿勢になりやがる。ハハハ!なんだ、この気配!!スゲーぜ、コイツ……オレさまのことを、『信じてやがったぜ』ッ!!

 オレさまが自分に大ケガさせるつもりはないと信じて、わざと食い付かせたんだ!!ギリギリのところで止めてくれると信じて、その隙に全部を賭けてきやがった!!

 六条が動く!右の正拳突きを沈んで避けながら、こっちにまっすぐ近寄ってくる。速い、オレさまの知る格闘技とは異なる動きだ、だが、攻撃の意志はビンビン感じるぜ!!

 うおお、なんだよコイツは、獣みてえな動きだぞ?

 バカ親父や、親父の知り合いの空手バカどもですら、見せたことはない殺気だった。ハハハ!間違いねえぞ、コイツ、格闘家でも、ごろつきでもねえ!!

 コイツはおそらく、『狩人』だ!!殺すための技術に長けた、冷徹な男。その殺気をオレさまは浴びてしまい―――。

「ケンカなんてしちゃダメでしょおおおおッッ!!」

 その叫びで、オレさまと六条の動きはピタリと止まる。

 ……おいおい。まったく。なんてこった。

 女には弱いんだな、オレさまだけじゃなく、テメーもよ?

「こんな昼間っから、ケンカとかしちゃダメじゃないですか!!」

「……フン。夜だったらいいのかよ?」

 オレさまはからかうように言ってみた。委員長は……七瀬いのりはブンブン首を振る。

「揚げ足を取るんじゃありません!ケンカなんて、いつでもしちゃダメに決まっているでしょ!!六条くんも、一番坂くんも、やめて下さい!!」

 ああ、おせっかいな女だ。しかし、コイツも根性あるわ。オレさまたちのガチのケンカを仲裁しに入るとはな。興ざめだが、いいか。勝負はついてた。

「心配するなよ委員長。オレさまたちはスポーツをしていたのさ。武道を嗜む者同士の、ちょっとした『じゃれ合い』だ。なあ?六条?」

「そうだ」

 六条はうなずく。はあ、それだけか?無口なヤツだな。この女、お前を心配してやって来たんだからよ、もっと気の利いたセリフを言えよ?これじゃ誤魔化せねえだろ?

「そ、そうなんだ。ごめんね、六条くん……私、邪魔しちゃったんだね」

 ……ウソだろ、この女チョロすぎる!!

 ヒトを疑うとか知らんのか、この生きものは!?……いや、そーか。コイツ、六条の言葉だから、ひょいひょい信じたのかよ。でも、チョロすぎるぞ、委員長。お前、とんでもないモンに惚れてやがるんだぜ?

「もう外ではしないでね?そういうのするときは、道場とかでするんだよ?」

「おう。分かったよ」

「なら、いいんだ。じゃあね、二人とも」

「ん。テメー、どこに行くんだ?コイツと帰らねえのか?」

「え?……ちょっと、一番坂くん、こっちに来て」

 オレさまは委員長に手招きされて彼女のもとに向かう。ああ、コイツいい香りがする。なんかエロいわ……恋している女って、みんな、こんな香りがしてるよな。委員長が、オレにコソコソ小声で訊いてきた。

「あ、あのさ。私と六条くんは、まだそういう関係じゃないの」

「……そーかい。つまんねえの」

「……ていうか、なんで皆にバレバレなのよ?」

「おい。自覚がないのか?委員長の視線は、ずっと六条に向いているからだよ」

「ウソ。私、そんなにしょっちゅう見てたりはしないはずだけど。ガマンしてるし」

 ガマンしてそれなら重傷だ。クソ、校内一の悲恋伝説を打ち立てたブロークン・ハート王のオレさまの目の前で、この女、なに、のろけて来やがる?ちくしょうめ、傷口に塩を塗りたくられている気分だ……ッ。

「……六条くーん!私、今日は女の子たちだけの特別授業に出なくちゃだから、いっしょに帰れませーん!だから、気をつけて帰ってねー!!スマホ見ながら歩いたりしちゃダメですからねー!!」

 そう言い残し、委員長は体育館に向かう女子どもの列へと向かう。

「……ハア。なーんか、疲れたぜ……テメーも、変わった女につきまとわれてるな」

「かまわないさ」

「……お前までのろけてんじゃねえよ。んで、六条。悠斗の入院先だったな?」

「教えてくれるのか?」

「フン。約束だからな。だが、悠斗を傷つけるつもりなら―――」

「そんなことはしない」

「……おう。信じてやるよ。テメーからは、バカみてえに強い『信念』ってモンを感じるからなァ。何かしなくちゃいけねえと、信じてることがあんだろ?だから、オレさまから逃げなかった」

「そんなところだ」

「ククク。なーら、教えてやるよ。鬼機島病院だ。妙な名前だから、スマホで検索かけりゃ一発だろう?……アイツに会いたいのなら、オレさまのダチとでも名乗れよ。素直に通してもらえるはずだ」

「わかった。ありがとう」

「フン。面白かったぜ。久しぶりに負けちまったしな」

 ……そうだ。オレさまは負けていた。オレさまが正拳を止めちまった瞬間、コイツは接近しながら、隠し持っていたナイフを抜いていたのさ。鉄の臭いがしてやがったから、ナイフ持ってるのは知ってたけどよ?お互いのために使わせるつもりはなかったんだが―――完全に隙を突かれてしまっていたのさ。オレさまの完敗だ。

 そのナイフが制服の生地をちょっと切り裂いている。ガチで殺すつもりだったのかよ?……いや、そういう殺意があればオレさまの体が反応していたはずだ。コイツ、ナイフを押し当てて、制圧するつもりだったんだろうな。殺気に欠けてたのはお互い様か。

「……テメーよ、けっきょく何なんだ?フツーじゃねえだろ、いくらなんでもよ?」

 オレさまは六条に質問をぶつける。今このときならコイツの秘密を教えてもらえるような気がしたぜ。これは『取り引き』だからな。オレさまは悠斗を売ったんだ。ムカつく寝取り野郎だが、親友で幼なじみの幸村悠斗を。

「お前の知りたいことを教えてやったんだ。ちょっとはこっちの質問にも答えろよ?」

 ククク、どうだ?六条、お前はこのオレさまの誠意に応える度量があるのかよ?

「……人付き合いが少ない。秘密は多くない。だが話せることと話せないことがある」

「話せることでいいぜ?できれば、とびっきりの情報がいい。たとえば、そのナイフの腕前とか……どこで習ったかとか―――」

「……オレが、『母親殺しの少年E』だ。ナイフに長けてるのは、昔からだ」

 六条はそう言った。冗談とは思えない表情と、まっすぐこちらを見つめる瞳でな。いいさ、そんな顔するな、六条よ。テメーがマジなのは痛いほど伝わってくるぜ。

「ククク。なるほど、マジかよ。こりゃ、想像以上のタマだぜ。いいねえ、お前。気に入ったよ。今度は、もちっとガチなバトルをしてみようぜ?」

「……引かないのか?オレは、本当に……」

「はあ?んなもんで引くかよ?だいたい、そんなことは昔のことだろうが?」

「しかし……昔のことだからといって」

「……それに、テメーは辛そうな顔で言いやがっただろ?……さすがに、『母親殺し』だぜ?お袋死んじまってるオレさまに、自慢げな顔でそいつを話せば、ぶっ殺してやるところだが……そうじゃねえ。テメーは、それを好きでしたわけじゃねえんだろ?」

 六条は答えない。だが、それで十分さ。許してもらいたくねえんだろ?……誰にも、オレさまみたいな他人にも、その罪の意識を許してもらいたくねえのさ。そんだけの重みで事実を背負っているのなら、テメーの母親も、テメーを憎みはしねえだろうよ。

「ククク!いいぜ。オレさまは、気に入ったぞ、テメーのことをな」

「…………そうか」

 お。コイツ、笑いやがった。意外と素直そうな顔でな。ああ、くせ者の王さまみてえなヤツだっていうのによ?まったく、コイツは、変わってやがるぜ。

「……相当な変わり者だな、一番坂虎徹」

「フン。お前にだけは言われたくねえぜ、六条……っと、下の名前はなんだ?」

「律だ」

「そうか。いいぜ、覚えてやるぜ、六条律!!」

 ククク!久しぶりに楽しい気持ちだぜ。初めて、オレさまと同格な生きものを見つけられた気がする。なんだろうな、このシンパシーはよ?いるもんだなあ、オレさまと同じぐらいのレベルの『バケモノ』がよおッッ!!



『……なに、あの『バケモノ』?魔術師の律と互角以上だったわよ?』

 世の中はどうなっているのかしら?あんな怪物みたいな高校一年生と、私の六条律が同じクラスにいるなんてね?……誰かが魔術を使ったの?ううん、そうじゃない。それなら私が気づけるはずだもの。ただの偶然―――あるいは、運命。

『でも。面白い子ね。律が『少年E』だって教えても、怖がらなかった!キャハハ!まちがいなく狂気を心に飼っているわね。『ラブ・オー・ラブ』は、本当は彼に寄生したかったのかもしれない。彼の心なら、最高の『餌』にもなる。でも、あの心の強さじゃ無理ね、寄生虫は宿れないわよ。だから……周りの人物を襲ったのかもしれない』

「……だとしても、一番坂が悪いわけじゃない」

『うふふ。そうね。もちろんそうよ!悪いのは悪魔、『ラブ・オー・ラブ』……さて、電車とバスを乗り継いで35分ってところね?……病院を『巣』にされちゃうのは辛いわ。学校以上に蔓延している情念が深くて、下級悪魔を呼んじゃう場所よ?……今度も多対一ね』

「問題ない。今まで通り、こなしてみせる」

『……そう。そうね、信じてるわ、律……』

 ―――ああ、ほんと、この子はどんどん六条日暮に似ていくわね?誰よ、死んじゃったヒトとは会えないなんて言ってたヤツ?律を通して、私は毎日のようにあのバカに会えてるじゃないの?

 はあ。ほんと。どんどん似てくるわ。このままじゃ、いつか、日暮と同じように死んでしまう気がする。ああ、律。なんて可愛くて、悲しい子なのよ?

 ねえ、日暮?

 アンタの弟子を、見守ってあげてくれないかしら?あと、私の悪だくみも、出来れば許して。アンタは悪魔の『被害者』を増やすことには、いつだって反対なのでしょうけど?それでもね、私はアンタとは違う結末を律にあげたいのよ……。

 ヒトの心が創りあげた奇跡はね、『魔法』だけじゃない。

 奇跡の種類は、もっとあるのよ、六条師弟?

 さ・あ・て。

 悪だくみを始めよう。キュートな悪魔ちゃんらしくね!!

 ……まずは、いのりんだ。さーて、あの子のスマホをジャックして……って!?……うわ、なに、この心音?あの子、どうした?死ぬの?爆発するの?

『―――男は猿と同じだ!!セックスのことしか考えていない動物だッ!!』

 うわ、ハナシの一部分だけを聞いてしまったから、誤解なしに評価するの難しいところだけど……極端な性教育の会が催されているみたいね。うーん、間違いとも思わないけど、猿と同じってのは、さすがにどうかしら?

 私の育てた律は、いのりんにはやさしくしてあげると思うのだけれど―――。

 ううん。それとも、意外と律も乱暴にしちゃうのかしら?……まあ、それはいいや。録画と検証は、そのときにすればいい。さーて、いのりんにメッセージだけ残しておこう。『鬼機島病院に来なさい』。あの子はチョロいから、これでいいはず。

 ……さて、もう一人はどうしてやろうかしら?



「次だ、次ィッ!!かかって来やがれッ!!」

「……も、もう無理だよ、虎ちゃん……っ。みんな、これ以上は……死ぬ―――」

「……チィ」

 いい調子に温まって来たってのによ、うちの門下生どもめ、情けねえ!親父のバカめ、もっと普段から仕込んでやがれってんだ!!オレさまは不満げに叫ぶ。ああ、六条と戦ったせいで、盛り上がっていたこの血潮の猛りをぶつける先がねえぞおお!!

「ハハハハハッッ!!調子に乗っておるな、虎徹!!」

「ん。親父か。ちょうどいいぜ。テメー、オレさまと戦いやがれ」

「相変わらず父親に向かって態度が悪いヤツだ。ああ、いいぞ、来い」

 親父が構える。年は行っているが、さすがはオレさまの生物学上の父親。鍛えられた体と心は、まだまだ鋭さを失っていねえ。空手の世界王者に三度もなっただけのことはあるぜ。さぁて、親子のふれあいが始まる。

 蹴りに拳が飛び交って、顔面やら腹やらに次々と打撃が突き刺さっていく。いいね、やるじゃねえか、親父。現役でプロの試合もやれんじゃねえか、短いラウンドだけならよ?



 ……しかし、こうしてバトルしててもよう。どーにも、物足りなさを覚えてしまうな。

 ぶっちゃけ『スポーツ』はよう、しなくちゃならねえことってさ、もう、ねえんだわ。知ってるか?運動生理学は証明しちまってるんだぜ?もう四十年以上も昔に、トレーニングによる競技能力の劇的な向上ってのは、すっかり無くなっちまっているんだと。

 どういうことかって?

 ヒトはもう鍛えられる限界ギリギリのとこまで行っちまっているってことさ。これからどんなに肉体を鍛えても、技術を高めても、四十年以上も前の達人と、まったく同じレベルを超えられやしないってことなんだよ。

 科学は残酷だな。無慈悲なまでにヒトの強さを観測しちまった。そのうえ、こんなに記憶媒体があふれてしまえば、忘れることも出来ない。昔なら過去の達人たちを忘れられる。でも、今はそれが許されない。そして、その達人たちを見れば分かっちまう。

 どいつもこいつも、たしかに『バケモノ』だが、だいたい同じ強さでしかない。もちろん、トレーニングのトレンドや、求められる能力の違いで、多少の結果の違いこそ出ることもあるだろう。しかし、そんなものは誤差の範囲でしかねえよ。

 同じ『バケモノ』のオレさまには分かるぜ?

 過去の天才たちも、これから生まれてくる未来の天才たちも、けっきょく、同じレベルでしかねえんだわ。人間が持ち得るポテンシャルの限界。DNAが定義する限界値。それを発揮することしか、オレさまたち『バケモノ』にも出来ちゃいねえのさ―――。

 それは、どのスポーツでも格闘技でも一緒のことだ。たとえば、野球選手が何十本ホームランを打ったところで、メジャーでピッチャーが一年間で三百個三振を取ったところで、ブンデスリーガでゴールを量産したところで、ボクシングで五十戦無敗を達成したところで。何かの種目でオリンピックを連覇したところで?

 すべて、『もう誰かがやっちまってること』の焼き直しでしかねえんだよなァ。

 スポーツにはよ、もう、しなくちゃならねえコトって、残っちゃいないのさ。やるべき記録は達成しちまってるんだよ。とっくの昔に、かつての達人どもがな。

 ―――そう考えると、間違いなく格闘技の歴史に偉大な名を残すはずの『バケモノ』であるオレさまは、ときどき、どーしようもねえ虚しさを覚えちまうんだよ。

 オレさまには、こんな昔の英雄どもの足跡だらけで、とっくに踏み荒らされて枯れ果てたような舞台しかねえのかよ……ってな?

 クソほど量産されちまった世界王者やら、何千人いるのかも分からんゴールドメダリスト?無料の動画サイトでいくらでも拝めるようなつまらん天才どもと、同じことをもう一度したとしても、コピー品でしかねえだろ?はあ、ホント、それって下らねえよなァ。

 ……でもよぅ、六条。

 テメーとやったあの数十秒は、ちょっとは楽しかったんだぜ……?テメーは、面白い。



「はあ、はあ、はあッ…………で、なんでこんなに荒れておった?」

 防御も忘れてお互い殴り合ったあげく、オレさまと親父は道場の畳の上に横たわっている。仲良し親子だ。クソ暴力的だが、良好な関係じゃあるんだよ。

「……フン。久しぶりに負けちまっただけよ」

「ほう。ワシはまた茜ちゃんのことかと」

「うるせえ。それは、まだ現役でガッツリ傷ついてるっつーの」

「そうか。まあ、若い頃はいろいろあったほうがいいだろう」

「テキトーなことほざきやがって……」

「で。どんなヤツに負けた?柔道家か?お前は組みや投げの技術は甘いからな」

「……『狩人』だろうな」

「ふむ。お前はバカのくせに本を読みすぎたのか?感受性が変わっているな、昔から」

「うるせえよ。そーとしか感じないヤツだから、そー言ってるんだよ」

「面白そうなら連れてこい。ワシとお前とそいつで、日本に格闘技ブームを起こすぞ」

「……ククク。そういうのは興味ねえだろうなぁ……アレは、もっと地味なことに命賭けてるタイプに違いねえわ」

「お前はバカなのに、勘が外れることがないからのう。残念だ、その子、お前とやれるのなら、いいプロになれるだろうに。ダイエットさせて、上手いことプロモーション組めば、軽量級のボクシングの世界王者ぐらいにはなれそうか?」

「あー……そうかもな」

「なるほど。それで顔が良ければ、ドル箱なんだが」

「ククク。まあ、もてなくはねえらしいぜ?転校して来て日が浅いってのに、とびきり美人のクラス委員長を引っかけてやがる」

「……誘え。我が道場に軽量級のスターも作りたい。お前じゃ厳つすぎて女性ファンが逃げてしまうのだ」

「金が絡むと相変わらずシツケーな。だから、あいつはそういうタイプじゃないんだって……んじゃあ、親父。オレさまは、先に稽古上がるわ」

「ん。またバイクか?ヒトをはねるなよ」

「知ってるよ」

「あと。お前も死ぬな。母さんが悲しむ。ワシもな」

「……おうよ」

 ―――この意外と良好な家族関係が、オレさまを本格的な非行の道に走らせねえのか?まあ、別にいいんだけどよ……日本の犯罪集団ごときとつるんだところで、オレさまの心を充たしてくれるほどの楽しみなんざ、得られやしねえだろうしな。

 オレさまはシャワーを浴びて、服を着替えて……スマホをチェックする。やっぱりよ、スポーツニュースのチェックはしねえとな?男の子の嗜みってヤツだ。オレさまの興味をくすぐる面白アスリートくんが誕生してるかもしれねえし……?

「……ああ?誰だ、コイツ?……『アンサング・ヒーロー』だあ?くだらねえマイナー・バンドかなにかかよ?知らねえ友達とか、うぜえわ……ッ」

 メッセージも読まずに消しちまおうとした。

 しかし、『アンサング・ヒーロー』を指で押しても反応しやがらねえぞ。クソ。スマホめ、まーた、ぶっ壊れたのかよ?修理代も安くはねえんだぞ、まったく。ん?あれ、どうなってやがる?勝手にメッセージが開くぞ?

「……う、ウイルスってヤツか?」

 まいったな。こういう機械的なことには詳しくねえぞ。親父もダメだ、オレさま以上に筋肉が脳神経を圧迫しているタイプだ。

 そうだ。他の門下生は……クソ、どいつもこいつもパンチ・ドランカーみてえなツラばかりだ!知恵の輪も筋力で外すレベルのバカしかいねえ!!

「……まいったぜ。こういうの、悠斗が得意だったんだがよ―――」

 ……『ねえ、虎っちぃ?少年Eは、幸村悠斗を殺しちゃうかもよん♪』

 そのメッセージを、オレさまは信じたわけじゃあない。

 あの六条律がヒトを殺す?……そりゃ、昔に母親を刺しちまったとかどーとか言ってたが、今のアレはそんなヤツじゃねえだろ?あいつは、オレさまに殴られるのを覚悟しても、しなくちゃならねえコトがあるよーな、とにかく忙しいヤツだ。死にかけの悠斗なんざ、いちいち殺してる場合じゃなかろうよ?

 だいたいだ、あの寝取り野郎の裏切り者がどーなろうと、オレさまの知ったことじゃねえだろう?あんなヤツ、どうだっていいじゃねえかよ?

 ……そうだよ。

 ……そう考えている。

 ―――なのによ、なんで、オレさまはこんな鬼みてえな顔で、バイクに乗ろうとしてやがるんだろうなァ?



 オレさまは鬼機島病院にたどり着いていた。そこそこデカい病院だ。昔、死んじまったじいさまもここに入院していた。来たのはそれ以来だ……それ以来だが、こんなだっけか、この病院……?

 なんて言えばいいのか、その病院はずいぶんとおかしかった。

 だいたい白が相場だろう、病院の色なんてよ?……鬼機島病院は、どんな反骨精神を出したつもりなのか、ピンク色をしてやがるぞ?なんつーリフォームかましてくれてんだ?……それに、電飾だらけって?……あと、ご休憩5000000円に、一泊10000000円の看板とかエロい―――って、高すぎだろッ!?

「……どうなってるんだ、最近の日本人は。病院をラブホ風に改築したあげく、石油王しか泊まれないレベルの入院費を請求しやがって……?」

 ああ、日本はどうなってしまうのだろう?

 大昔の英雄みたいに国の行く末を憂いでしまう。ガチなハナシ、黒船見ちまうよりも、この奇天烈エロ病院を見た方が、ちょんまげ侍どもも未来が不安になっただろうよ。自分たちの子孫が成し遂げた恥ずかしい未来を見て、子孫残す前に切腹しちまうぜ。

「……まあいいや、べつにラブホ風の病院がヒトに迷惑をかけるわけじゃねえ。むしろ、入院するならノーマルの病院より、こっちのがワクワクしちまいそうだしな?アミューズメント感強いっていうか?」

 オレさまはスマホを取り出す。絶縁状態の悠斗は電話に出ちゃくれねえだろうが、元カノの茜ならどうだろう?……多少は気まずいけど、あいつは今日もここにいるはずだ。もうすぐ死んじまう悠斗の看病を、甲斐甲斐しくしてやっているんだろうな……。

 クソ、悲劇のヒロインごっこかよ。

 ―――いや、ごっこじゃねえよな、マジで悠斗は死んじまうんだから。

「……ん。動かねえぞ?……はあ?圏外!?」

 スマホの野郎め、またヘタレやがったぞ。いや、ヘタレたのは電話会社の方か?こんな都会のど真ん中で、なんで電波届かないんだよ?……まさか、嫌われているのか、鬼機島病院の野郎!ありえるぜ、こんな腐れ病院、電波にだって避けられるかもしれねえ。

「チッ。いいさ、どーせ、ここまで来たんだ。悠斗のヤツの見舞いに行ってやるついでに……ヒットマン疑惑の六条律を捕まえておくとするかよ」

 いいか?無名のインディーズ・バンド、『アンサング・ヒーロー』の告げ口を信じるわけじゃねえ。六条律って男を、オレさまは評価しているんだぞ?

 言わなくてもいいのに、ヤツは『少年E』だと自分から明かした。得なんて、なにひとつ無いのによ?……下らんウワサで傷つくって気持ちを、オレさまは知っちまってる。なのによ、あんな辛そうな顔で教えてきたんだ。あいつは悪人なんかじゃねえだろう。

 ……だが、まあ……冷静になれば、なんで六条律が悠斗なんかに会いたいんだ?……ダチでもねえのに?フン。疑問はあるんだ。そいつを、ちょっと解決しておくだけさ。

 ……そうさ。

 それだけのことさ……。

「……ククク。自己弁護が過ぎるぜ……一番坂虎徹よ」

 そうだ。オレさまはちょっと、ビビってんだ。もしかしたら、『母親殺しの少年E』が悠斗を殺してるんじゃねえかってよ?そうなりゃ、間違いなくオレさまのせいだからな。まったく、厄介な一日だぜ。面倒くせえことのオンパレードじゃねえかよ。

「……え?い、一番坂くん!?」

「はあ?委員長じゃねえか、何してんだよ、こんなとこで?」

 鬼機島病院の玄関先に、七瀬いのりがうろうろしていた。

「それは、こっちのセリフなんだけど?……えーと、アンちゃんもいないのに、どうやって『こっち側』に来たのよ?」

「バイクでだよ」

「え?バイクって、そんな機能あるの!?」

「機能だあ?……そんなもん、道路を走れるだけだが?」

「んー……たぶん、状況を理解してもらえてない気がするな」

「どういうことだ?……まあ、いい。ちょっとそこをどいてくれ。オレさまはそのアホっぽい病院に用があるんだよ」

「いや、ここ開かないのよ」

「はあ?まだ、営業時間だろ、病院だってよ?……五時前だし、閉めるには早いし」

「でも。開かないんだもん」

 七瀬は口を尖らせて文句を言う。うお。なるほど、近くで見るとコイツ、やたらと可愛いな。明るい銀色混じりの長い髪に、すらりとした手足。あと、顔も小さくて、つくりがやたらいい。アイドルか、この生きもの!?

 こ、これは、六条のヤツが面倒くさがらないのも分からなくはないな……ッ。

 ……さて、他人の恋愛話よりオレさまの『泥沼三角関係』だぜ。今じゃ死神系の病魔どころか、謎の転校生ヒットマンに狙われてる悠斗んとこに、さっさと行ってやるか。

「……って、アレ?マジで開かねえな。自動ドアだろ、これ?電源入ってねえのか?」

「んー。どうかな?そういう問題じゃないよーな……」

「チッ。さすがに割って入るわけにはいかんよな、病院だし―――おー、インターホンがあるじゃねえか?よし、押しちまおう。すいませーん!面会客なんすけどー!」

 インターホンからは何も返事がない。もう一回やってみようか?そう思った矢先だった。自動ドアの透明のガラスに、ピンク色に光り輝く文字が浮かび上がりやがる!

「うお!なんじゃ、こりゃ!?先端技術が惜しみなく使われすぎだろ!?」

 オレさまが無学なせいだろうか?まったく読めないピンク色の文字たちが、ガラスに浮かんでいく。少なくとも英語じゃないな。アルファベットじゃねえ。なんだろ、まったく読めないぜ―――。

「えーと……『我が名は『ラブ・オー・ラブ』。望まれぬ来訪者よ、我が城に入城したければ、相応の貢ぎものを用意せよ』……」

「スゲーな、委員長!こんなワケ分かんねー文字、読めるのかよ?これ、ロシア語?」

「え?ああ、フツーのヒトには、そういう認識になるんだね」

「ん。バカにしてるのかよ?」

「ううん。違うよ。それより、お願いがあるの」

「もしかして貢ぎものか?……んー、オレさま、手持ち少ねえぞ?」

 しかし、どうなってやがるこのラブホ病院?見てくれ以上に中身も腐ってやがるぜ。見舞客に貢ぎものを用意させるだと?呆れ果てるわ。

「そうじゃないわよ。この『ラブ・オー・ラブ』の要求は、お金じゃないの」

「なんだと?ここに、そう書いてんのか?」

「うん。だからね、ここを開くには一番坂くんの協力が必要なのよ」

「協力?……で、オレさまは何をすりゃいいんだ?」

「えっとね、私に『告白』してくれるかな?」

「……ん?……えーと。すまん、もう一回?」

「だからね、『ラブ・オー・ラブ』からの要求は、ここで一番坂くんが『愛の告白』を見せること、なんだよ」

「マジか……スゲー怖いな、どんな変態院長なんだよ。逮捕されればいいのに」

「いいから!早くして、一番坂くん!私、『お兄ちゃん』が心配なの!」

「はあ?委員長の兄貴がここに入院しているのか?」

「え?……あ。ごめんなさい。まちがえた。六条くんのこと」

 委員長って、不思議ちゃんなとこがあるのか?

 六条律のことを兄貴と間違えるって、ドジすぎねえか?

 ―――いや、まてよ?もしかして、そういうプレイなのか?兄妹ごっこ?……あれ?どこかガキっぽい委員長のことが、ムダに大人っぽく見えてしまう。ヒトのこととやかく言える立場じゃねえが、テメー、なんて恋愛してんだよ、七瀬いのりサン?

「セリフも用意されているのよ。えーと、『ずっと前から好きでした、だから、オレさまと付き合ってくれ、七瀬さん』」

 心にその言葉が突き刺さった。な、なんでだ、なんでそれを知っている?『ずっと前から好きでした、だから、オレさまと付き合ってくれ、三崎茜!!』……オレさまが茜へ告白した時のセリフじゃねえかよッッ!!

「さあ、早く!一番坂くんだって、この病院に用があるんでしょ!?」

「……ああ。そ、そうだな。分かった」

 いいさ。もう散々ウワサになったんだ。もうオレさまには守るもんはねえ。オレさまは委員長の隣に立った。このちっこい女のことを見下ろす。

 委員長が見上げてきた。うわ。や、やべえ。この女、ガチでクソ可愛い顔をしている。ずるいぞ、コレ……っ。べつに好きでもないのに、ドキドキしちまう。スマン、茜。オレさまは今、新たな恋を見つけようとしているのかもしれねえ。

「……ず、ずっと前から好きでした。だから、オレさまと付き合ってくれ、七―――」

「ごめんなさい!好きな人がいるんです!」

 ガシャアアアアアアアンンン!!

「あ。自動ドアのガラスが割れた!やったね、これで中に入れるよ!」

 ……食い気味に断られちまったぜ。クソ、痛い!

 オレさまのハートがムダな傷を負ってしまったぞ。

 ああ、だいたい、この女が六条律のこと好きなのを知っているはずだろ、オレさまはよ!こうなることぐらい予測できていたはずじゃないか?……ああ、チクショウ、この女の見た目が良すぎるせいか?それとも、よりにもよってあのセリフだったせいか?どっちにしろ、ハートがズキズキ痛むぜ。

「だ、だいじょうぶ?なんだか辛そうに見えるけど」

「お、おお。心配すんなって……『ラブ・オー・ラブ』ってバカのことを、全力でブン殴りたくなっただけなんだよ。ほんと、他には何にもねえさ」

「そ、そう?じゃあ、行きましょうか?……って、そういえば六条くんってば、どこにいるんだろ?ここ、大きな病院だし、探し出すには時間がかかりそうね」

「……東棟の407号室のはずだ」

「え?そこ、誰の病室なの?」

「オレさまのダチ……だった男の病室だ。そこに六条律もいるだろう。ついてこい」

 ああ。なんて日だよ、さんざんだ。テストもおそらく赤点だらけだしよ?六条律にはケンカで負けるし、今から泥沼三角関係の現場に突入するハメになりそうだし、なんでか委員長には告白終了から推定-0.5秒でフラれちまって心が痛いし……クソ、ヒデーぜ、神さまよ。オレさまは前世でアンタの敵だったとでも言うのかい?

 ハー、落ち込むぜぇ……。

 しかし。なんでだろうな、ここ誰もいないぞ?リフォーム失敗しすぎて、患者に逃げられちまったのかよ?だったら、ザマミロだな。こんな病院つぶれちまえ。

 ……つっても、いくらんだも無人すぎるだろ。受け付けにもヒトがいないし、患者どころか、スタッフの姿もない。ああ、こりゃ、もう勝手に病室行っちまうしかねえよな?

 オレさまと委員長は薄暗い病院のなかを歩いて行く。やはり経営難なのか、電灯もケチっているぜ。医療界の未来を嘆きながら、オレさまの指がエレベーターのボタンを押す。なぜだか委員長は不安げに訊いてきた。

「コレに乗っても、大丈夫かな?」

「はあ?大丈夫だろ。バケモノが出てくるわけでもねえし」

「……そういうこと言ってたら、出ちゃうかもだし」

 なに言ってんだろう?委員長は身構えている。いや、武道っぽい構えじゃないけど。なぜか警戒しているようだ。エレベーターに悪いイメージがありすぎるな?もしかして痴漢とかにでも遭ったことがあるのかよ?なら、仕方ねえけど……チーンという音とともにエレベーターのドアが開く。中には当然だけど、変なものはいない。痴漢もいない。

「良かった。『何』も乗ってない」

 ……『誰』もじゃねえのか?まあ、いい。テスト明けで疲れているんだろうさ。

「心配しすぎだ。確かに、ここは頭がおかしい院長が君臨しているのかもしれないが、病院なんだぞ?そこら中に危険が潜んでいるわけないだろ?」

「……う、うん。その認識で、もういいよ。一番坂くんなら大丈夫だもんね、たぶん」

 今日の委員長とは、とことん会話が噛み合わない気がする。

 恋する乙女は盲目ってことかね?ああ、六条、こんなチョロそうで……いや、素直な女の子をな、泣かすんじゃねえぞ?失恋って、辛いんだからな、マジで……っ。

 エレベーターは四階にたどり着く。オレさまたちは407号室へと向かった。このフロアの病室のドアは全て固く閉じられている。『封鎖』されているみたいだな、なんというか物々しいぞ、きーぷあうと?……黒い文字が書かれた黄色いテープがどの扉にも貼られている。

「なんか、こーいうのアメリカのドラマとかで見たことあるんだけど?」

「殺人現場とかに使われているイメージよね。『立ち入り禁止』ってことだよ」

「そもそも入りたくはねえなあ?……なんか、ゾンビものの映画イメージしたわ」

「怖いんだね。私もだよ」

「そら、怖いだろ?封鎖された病室とか、どんなウイルス兵器が蔓延してんだっつーハナシになるぜ?……委員長サンは、もう帰ったら?この病院、どーも変だぜ?」

「帰らない。六条くんを探さないと……またムチャしてるかもだし」

「よー分からんが、健気なこったわ」

 まあ、悠斗は感染性の病気とかじゃねえよな?こんな悪趣味なのは『ラブ・オー・ラブ』と名乗る病院経営者のせいだろう。悠斗はたしか悪い腫瘍だろ?……つまり、ガンみたいな。それは、他のヤツに感染したりはしないはずだし。

「……ここか。407号……『幸村』。うん。間違いねえな」

「……ここに何があるんだろ」

「はあ?ここにはオレさまの元・ダチと元カノと、テメーの男がいるんだろ?」

「えーと。それって、どういう状況なの?私さ、アンちゃんに来いって言われたから来ただけで、ちょっと状況読めてないのよね」

「アンちゃんって誰だよ?……って、まさか、『アンサング・ヒーロー』か!あのバンド野郎も、ここに来てやがるのかよ!?」

「え?バンド?……うーん。たしかにそんなバンドもいそうだけど、そうじゃなくて?」

「じゃあ、手っ取り早いわ!!そのバンド野郎のせいで、オレさまの週末は台無しにされちまった気がする!!ブン殴ってやるぜ!!おい!!入るぞ、悠斗!茜!」

 オレさまはその病室のドアを思いっきり開けてやった。

 そして、オレさまは狂気を見てしまうんだよ。

「……え」

 情けねえ。その光景を見たときに口から出たのは、そんな弱々しい音だった。言葉にすらなってねえぜ。でもよ、そりゃ、そうだろ……こんなモンを見せられたって、常識がついていかねえってもんだろうよ。

 ―――それを何て言えばいいのか?

 ああ、六芒星?もしくは、紋章?とにかく、そんな呪いの模様みてえなもんが、このまっ黒な部屋の床には描かれていた。『ラブ・オー・ラブ』の変態趣味なのか知らねえけど、模様の周りにはデカい蝋燭が何十本も並んで立っていた。

 まあ、そんなことは些細なことさ。

 本当にオレさまの心に衝撃を与えたのは、上半身を裸に剥かれ、後ろ手に縛られている茜の姿だった。そんな姿の茜がぐったりとして、六芒星の中央に置かれるように倒れている。茜のヤツは、ピクリともしない。そして、その茜の腹に乗るようにして覆い被さっているヤツがいた。

 病気のせいなのだろう、すっかり骸骨のように痩せ細っちまった悠斗のヤツが、茜にのし掛かりながら、震える手でナイフを握っていやがった。

 ―――頭のなかで、何かがブツリと切れるのを感じた。

「悠斗おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

 オレさまは怪物みたいな咆吼をあげて、茜を刺そうとしていた悠斗を蹴り飛ばしていた。床に転がる悠斗が、ゲホゲホと咳き込む。オレさまは、あいつのことなんて気にしない。茜に上着をかぶせてやると、そのまま抱き上げていた。

「おい!大丈夫か、茜!おい!」

「……あ、あ……虎ちゃん……だ、だめだよ……まだ、まだ来ちゃダメなの……」

「はあ?だいじょうぶか、お前?」

「私が、悠斗に殺されないと、魔術が使えないの……みんなで、また、三人仲良く過ごすためには……『ラブ・オー・ラブ』へ、私を生け贄にしないと、ダメなの……っ」

「おい、頼むから、オレさまに分かるように説明しやがれ!?」

「一番坂くん!危ない!」

 委員長が教えてくれる。悠斗め、オレさまの脚に飛びつこうとしている。間に合う。蹴飛ばせるぜ。こんな遅い動きはよ―――だが、あの痩せた悠斗の姿を見ちまうと、どうしても蹴れなかった。ナイフがオレさまの脚に突き刺さる。

 クソ、焼けるような痛みが、右の太ももに感じる。けっこう、深く入ったぜ。

「い、一番坂くん!!」

「……大丈夫だ。こんなことぐらいじゃ死なねえよ。おい、悠斗ォ……テメー、このオレさまに何しやがんだァ!?」

「虎ちゃん、ごめん……!でも、茜ちゃんだって、苦しんでたよ!?生きていくのが辛いほどに……ねえ!虎ちゃんは、どうして茜ちゃんのところに来てあげなかったんだよ!?茜ちゃん、ずっと待ってたのに!!」

「は、はあ!?茜のヤツが、オレさまをフッたんだろうがよ!?」

「そうじゃない……そうじゃないんだ、虎ちゃん。知ってるだろ?分かるだろ?茜ちゃんは僕に同情してただけなんだよ……初めから、僕のことなんてそんなに好きじゃなかったのに。僕が、悪いんだ……このまま、ひとりぼっちで死んでいくのが怖すぎて、僕が……『ラブ・オー・ラブ』に、お願いをしてしまったからなんだ……」

「また、『ラブ・オー・ラブ』か……そいつ、何だ?お前、そいつに何を願った?」

「『ラブ・オー・ラブ』と契約したんだよ。彼は、『恋愛』の悪魔なんだ。僕の願いを叶えてくれた。茜ちゃんを、僕のカノジョにしてくれたんだ。でも、茜ちゃんは、いつも辛そうで……それが、僕には耐えられなくて、僕は……茜ちゃんを、殴ったりして」

「テメー……ッ」

「……た、たすけて、虎ちゃん……『私、悠斗を好きになったの』」

「あ、茜?」

 オレさまの腕のなかで、茜が泣きながら叫んでいた。味わったことのない不快な感情が心にわき出る。どう言えばいい、こんな辛さを、オレさまは知らない。茜が、オレさまを見上げながら、首を振っていた。

「ち、ちがう。こんな言葉を言いたいんじゃない!違うの、違うの、虎ちゃん!『私、悠斗が好きなの!悠斗が好きなの!悠斗が好きなの!!もうね、体もあげちゃった。たくさん体と体とで、愛し合ってるの!!』」

「……おい、やめろ、茜。今のオレさまに、そんな言葉を聞かせるんじゃねえ……」

 心が千切れそうだ。

 そんなに悠斗のことが好きだったのか?くそ、別にそりゃ構わねえだろ。あの悠斗だ、やさしい男だ。ああ、構わねえはずなのに、なんで、オレさまはこんなに心が痛い!!それによ……なんでだ、茜、お前は悠斗への愛の言葉を叫んでいるはずなのに、そんなに辛そうな顔で、オレさまに助けを請うような瞳を向けてくるんだ!?

「虎ちゃん、そうじゃないんだ。誤解しないで!『茜は最高に気持ち良かったんだぜ!虎ちゃんとは、まだしてなかったんだね!』……ちがう、ちがうんだ!」

「虎ちゃん!『悠斗』♪虎ちゃん、『悠斗』♪とらちゃあん……ッッ」

「オレさまを呼ぶな、茜……ッ。お、お前、悠斗が好きなんだろ?いいよ。オレさま、もう、ここから出てくから、あとは、お前らだけで好きにエロいことしてればいいだろ」

「……ちがうわ、一番坂くん」

 委員長がそう言いながらオレさまの頬を思いっきりビンタで張っていた。クソ、なんだこの状況ッ。オレさまは、どこまで、みじめになりゃいいんだよ……っ。

「悪魔に……『ラブ・オー・ラブ』に騙されないで!!」

「はあ?」

「この二人は操られてる。ニセモノの愛の言葉を、無理矢理にしゃべらされているだけ。だから、表情と言葉が一致しないのよ」

「……どういうことだよ?」

「言葉が封じられたのなら、頭を縦か横に振ることで答えて。ねえ、三崎茜さん。あなたは、一番坂くんのことが好きなのよね?」

 オレさまは、なぜかその言葉に期待してしまう。それでも、怖いのか。震える瞳でオレさまは腕のなかにいる茜を見た。茜は涙でびしょ濡れになった顔で、うなずく。なんども、強く、うなずいてくれる。

「……そうだよ。虎ちゃん……これ、『呪い』みたいなものなんだ。僕が、『ラブ・オー・ラブ』にさ、昔から茜ちゃんが好きだったって、教えてしまったから……そしたら、願えと彼は言ったんだ。だから!だから、僕は……その誘いに乗ってしまって……っ」

「悠斗……?」

「ごめん。ごめんよ、虎ちゃん……僕が、僕が、ひとりで死ねば良かった……」

「―――ちがう。ちがうはずだ、お前は、何か間違いを犯したのかもしれないが、それは違うはずだ!そんな言葉は、正しくねえぞ、悠斗!」

 ……クソが。どうしてこんなことになってる?どうしたらいい?……チクショウ、誰か説明してくれよ!

「がはッ!!あ、あうううッ!!」

「お、おい!茜!!茜!!どうした!!」

 腕のなかにいる茜が、大量に血を吐いていた。ゴフ、ゴフ、と咳き込む。止まらない。茜のなかから温かい血が、命が、どんどん失われていく……ッ。

「ご、ごめん。虎ちゃん……茜ちゃんも、『ラブ・オー・ラブ』と契約させられたんだよ。彼に、虎ちゃんと……ううん、僕たち三人が、また一緒にいられる時間を願ってくれたんだ……その代償に……『ラブ・オー・ラブ』は、茜ちゃんの命を求めた……」

「ど、どういうことだ!?」

「僕も死ぬ……でも、茜ちゃんも死ぬんだよ。悪魔に命を捧げてしまったから。『でも、その代わりに、救いはあるんですよう、一番坂虎徹くーん?』」

 悠斗が変わった。悠斗がしっかりとした足取りで立ち上がり、オレさまのことをニヤついた顔で見上げてくる。『誰』だ?……誰だ、コイツ?悠斗じゃねえぞ?……まさか。

「……テメー、『ラブ・オー・ラブ』か」

「『ええ。ご明察です。どうも、お馴染み愛の伝道者、『ラブ・オー・ラブ』!!……です!……ええ、以後、お見知りおきを』」

 悪魔は手指を陽気に動かして、ハートマークや丸やらを表現していた。ラブ……なるほど、テニスの0点/ラブか。バカにしてんな、このクソ道化!?

「おい、なんだか知らねえが、オレさまの幼なじみどもを苦しめてくれてるようじゃねえか!!とりあえず、悠斗から『出ろ』!!」

「『えー?私が出たら、この少年が死んじゃいますよ?』」

「なッ!?」

「『私の魔力で辛うじて生きています。もっと早くに死ぬはずだったんですが、茜さんは自分だけでなく、悠斗くんと君との……つまり『三人の和解』を望んでいたのです。だから、彼女は私に願った。自分の命を悠斗くんに少し分けてと……少しじゃ、足りませんでしたから、たくさん吸っちゃいましたあ♪』」

「そ、そんな!じゃあ、今の三崎さんは!」

「『ええ、もうすぐ死にますよ。二人とも、そのことで絶望しましてねえ、あんまり騒ぐものだから、解決策をあげたんですよ。悠斗くんが茜ちゃんのお腹を裂いて、彼女の子宮を取りだして殺してくれたらぁ……二人で決めた願いを叶えてあげると』」

「なんだと……ッ」

「『じつにアートですよねえ、幼なじみの子宮を取り出す殺し方なんて?そのあと、食べちゃうとか?いやあ、ネット受けしちゃいそうで、ワックワクぅ!』」

「うるせえ!そんなことより、どういうことだ!!」

「『アハ!どんな『願い』だったのか……アナタはそれが知りたいですよねえ?ええ、いいですよ。悪魔はいつでもヒトの叫びに答えますから。教えたげますよ、虎ちゃん♪』」

 悪魔が、なれなれしく、ダチの声でオレさまを呼ぶ。気が狂いそうだ。奥歯を割れんばかりに噛みしめながらも、オレさまはヤツの言葉に耳を傾けていた。

「『……『せめて、キレイな思い出を』。ですよ』」

「はあ?それ……どういう、こった」

「……虎ちゃん。ごめんなさい。私も、悠斗も、死んじゃうから……もう、虎ちゃんに本当のこと伝えられそうになかったから……だからね、二人で、付き合ってたことを無かったことにしてもらおうとしたの」

「……なかったこと、だと?」

「『君の認識を弄るんですよ。悠斗くんと茜ちゃんが付き合う前に、二人はもう死んでいた。そういう記憶をね、虎ちゃんにあげるんです♪そしたら、どうなるか?……茜ちゃんは、虎ちゃんの恋人のままでいられますよね?』」

「……んなもの、ウソじゃねえかよ」

「『フフフ。でもね、茜ちゃんは、それでも幸せになれるんですよ?』」

「茜が幸せになれるだと?」

「『だって、それをすると、虎ちゃんを裏切っていないキレイな心と体のままで、死んじゃったってことになれるんですよ?……そのスイートなメモリーだけが、虎ちゃんの心には遺るんです。茜ちゃんからしたら、それは素晴らしいことじゃないですかァ?……それに、虎ちゃんは、茜ちゃんにフラれなかったことになるでしょう?』」

「……ッ」

「『二人はずっと恋人のままでいられます。もっと言えば、茜ちゃんを寝取っていないことになった悠斗くんは、二人の大切な友達に戻れますよ。フフフ、ね?これで、三人仲良く、虎ちゃんの思い出の中でだけは……永遠に、そーのキレイな関係のままでいられますよねえ?……あはは!素晴らしいじゃないですかあ!甘酸っぱい!とても、うつくしい!!んー、スイートォオオ・メモリイイッッ!!』」

 クソが、感情の整理が追いつかねえ。茜は、オレさまの中にキレイな思い出として遺りたかったのか?……命を賭けてまで、腹を裂かれて殺されてでも、オレさまから苦痛を取り除いてくれようとしたのか?

「……そんなことのために……お前、死ぬつもりだったのかよ、茜」

「……うん。ごめんね……虎ちゃん。私ね……許して欲しかったんだ。だって、私、虎ちゃんのカノジョに、戻りたかった……」

「茜……っ」

「『いやあ、うつくしい愛ですよねえ?……でも、そろそろ時間切れなんですよう。私も、このお二人の恋愛と命をすすることで、ずいぶん強くなりましてねえ?そろそろ、『羽化』しますよ、ザ・ネクストステージぃいいいいいい』!!」

 悠斗の体から赤くて動く何かがあふれていく。液体なのか気体なのかも分からねえ。しかし、不気味すぎる。ああ、ちくしょう。さすがにナイフが刺さりっぱなしの脚が痛えぞ。それに……茜が苦しそうだ。

 ばたり。

 悠斗の体が力なく床に横たわった。まさか、死んだのか!?……いや、わずかに震えている。じゃあ、『出た』のか?『ラブ・オー・ラブ』が、悠斗の体から出たのか?つまり、あの赤くうごめく『何か』が、ヤツなのか?悪魔だってのか!?

 死ぬほど殴りに行きてえ。茜と悠斗の分もだ!二人の分まで、殴りに行きてえ!でも、茜が咳き込む。オレさまは、どうしたってコイツから離れられねえ―――っ!!

「一番坂くんッ!!」

 ゴガシャアアアアアアアアアアアアアアアアア!!

 オレさまと茜が、吹っ飛ばされていた。

 ―――なんだよ、今のは?一体、どうやってされたのかも分からねえ。そうだな、『見えねえ力』で吹っ飛ばされたみてえだぞ。クソ、なんでもありだな、悪魔。そのまま壁に打ち付けられてしまうが、茜は……無事だ。でも、苦しそうなままだぜ。

『……ほう。壊れない?ヒトの強さの限界にまで達しているのですかあ、虎ちゃん♪』

 赤いうねうねが、いや……赤い『大男』に姿を変えた『ラブ・オー・ラブ』が、この狂ったデザインのサバト病室の真ん中にいた。しかし、この部屋……今さら気づいたが、ムダに広い。というか、それどころじゃない。どうなってやがる?ちょっとした体育館みてえな広さじゃねえか。ありえんだろ?

「……もしかしてだが。ここは、フツーの世界じゃねえのか?」

『そうだよ。虎ちゃん。ここは僕たち悪魔が、君たちの世界を、魔界に引きずり込むことで生まれた世界なのさ。本物に比べて、ずいぶんと歪んでいるだろう?』

「まったく。ホント、今日はワケ分かんねーことだらけだわ……」

『……ねえねえ。虎ちゃん。君、スゴく強いんだねぇ。じゃあさ、もう茜ちゃんのことはそこらに置いておいて、僕と戦ってくれないか?この新しい体をね、試してみたい!』

「はあ?」

『君だって、僕のことが大嫌いでしょう?幼なじみ二人を死に至らしめた存在になるんだものね?ああ、茜ちゃんを人質にしたりとかはしないから、安心して』

「……信じられっかよ」

『じゃあ。茜ちゃんごと嬲るよ?』

「チィッ。さっそく人質にしてんじゃねえか!」

「……一番坂くん。三崎さんをこっちに」

「委員長……すまん。頼むわ。あと、悠斗のことも」

 オレさまは茜を悠斗のそばに置いた。ふたりはもう意識がない。七瀬は彼らのそばに座る。コイツに何が出来るってわけじゃない。でも、なんでかコイツ……七瀬はあきらめていない。強い瞳だ。ぜんぜん似ちゃいねえはずなのに、なぜだか六条律が浮かぶ。

「あきらめないで。かならず、助けが来るから」

「……六条か?」

 コクリ。まったくの疑いを持っていない顔で彼女はうなずく。フフフ。あいつ、スゲーな、七瀬のためなら魔界にでも来るってのかよ?……まいったぜ、また負けちまった。オレさまは、同じ学校で、同じ街で暮らしているってのに、茜のところにも行けてやれなかったんだぜ?悪魔に操られて、ヒデー目に遭わされてたってのによ。

「……バケモン退治か。やってやるぜ」

 オレさまは手のひらに拳を叩きつける。ガシン!と骨に衝撃が響く。脚に刺さったナイフを抜いて、歩く。血が吹き出やがる。想像以上にクソ痛え。だが、まあ、仕方ねえさ。昔の武人の気持ちをつくる。連想する。

 ここは、戦場だ。

 今から、オレさまは殺し合いをする。

 息を吸い、気を練り上げる。明鏡止水の文字を心のなかに掲げる。心と体を最適の形にしあげる。現状で可能な限り、最適な構えを、オレさまの体は勝手に選ぶ。

『……すごい落ち着きようだね。さすが空手の天才少年?』

「来いよ。人類史上最強の男の強さを、思い知らせてやるぜ」

『アハ!いいね。すごくいいよ、この体格差を前にして、君ってヤツはそんな大きなことを口にす―――』

 悪いが、先手必勝だ。オレさまは二メートル近くもある『ラブ・オー・ラブ』の懐に一瞬で飛び込んだあげく、右のオーバーフックを叩き込んでやった。ヤツのピエロみてえな顔が無様に歪む、しかし。巨体ゆえの耐久力か?いや、人間なら今ので脳みそ揺れてぶっ倒れるはずなんだが、ヤツは倒れない。

「フン。さすがは、悪魔ってとこだな―――ッと!!」

 オレさまは続けざまに左のアッパーをヤツの下あごに突き立ててやった。赤いピエロの頭が縦揺れして、その体が何歩も後ずさりした後で、床に沈んだ。『飛びかかって殺す』。そのイメージはあるが、脚が踏み込めねえ。

 三歩……いや、二歩か。それ以上はつづけて歩けそうにないな。無理するとナイフで断たれた脚の筋肉が裂けちまう。別にこのピエロ殺せれば、歩けなくなっても構わねえけど。まだ、戦いは続くんだ。まだ無理できねえ。

 万全ならこんなモンごときに負けるとは思わねえが、茜を庇って壁にぶつかったせいで背骨は痛いし、悠斗にやられたせいで脚はこんなで……いや、ちがうな。どっちも、『ラブ・オー・ラブ』のクソ外道のせいだわ。

『……ハハ。お、おどろいたよ。どーなってんのさ、君?』

「人類史上最強の男なだけだ。立てよ、痛めつけてやる」

『無理しちゃって。悠斗の記憶のなかにある君なら、こんなチャンスを逃さなかったはずだよね。まあ、そりゃそうか、脚がズタボロだもんね?追撃なんて、出来ないんだ』

「バレバレかよ?まあ、いいハンデだ。来いよ、クソ野郎?」

『フフ。そんな体なのに、僕みたいなバケモノにケンカ売るんだ。君ってさ、やっぱり心の強さがハンパじゃない。ああ、欲しかったよ、君のハートがさ。そのままじゃ食べられないけど、ぶっ壊れて、砕けてしまえば、食べれたはずなのに……そしたら、悪魔を超えて、僕は『魔法』へ昇華されたかも?』

「意味分からんことをダラダラしゃべってんじゃねえよ」

『んふ。じゃあ、教えたげる。僕たちってねえ、実はヒトに創られたんだよ』

「あ?……んだそりゃ、つまり……テメーは『兵器』ってことか?」

『そういうのもいるよね。でも、もっと広義の意味でのことさ。たとえば、僕なんかはヒトの『恋愛』感情という情念から形作られたんだよ?始まりは、いつだったか覚えていない。千年前ぐらいだった気もするし……もっと、はるかに大昔だったかも?原始人が恋するヒトのために花をつんだそのときから、僕はいたのかもね!』

 ヒトの感情が、コレを生んだだと?……しかも、よりにもよって『恋愛感情』がかよ?なんか、ムカつくぜ。

『大勢のヒトの心の残滓が集まって、僕ら悪魔は形作られる。自然にも生まれるし、優秀な魔術師がそれなりの対価を支払えば、故意にも作れるだろう。つまり、僕たち悪魔はね、ヒトの『願い』から生まれたのさ。『恋愛』の悪魔である僕はね、恋する若者すべてが願う『愛する人を我が物に』……っていう欲望の化身なのさ』

「フン。恋愛なんぞを語るわりに、じつに狭量な哲学じゃねえか?」

『フフ。そうかもね。でも、『恋愛』が美しいものばかりじゃないって、君もその心と体で理解しちゃったんじゃない?』

「うるせえよ」

『でもね、たしかに虎ちゃんの言う通りかもしれないのさ。僕たちはね、それぞれが背負ったテーマから見れば、とっても不完全なんだよ』

「はあ?」

『僕もねえ、自分が真の『恋愛』の化身だとは思ってはいないのさあ。だって、見たまえ、僕の所業の結末を?……素敵な三角関係など、ないじゃないか?あるのは、死にゆく愚かな男子と、心が砕かれて自暴自棄な女子、あげく、絶望を背負わされる君!!こんなのは『恋愛』じゃあないよねえ?』

「フン。自覚してんなら名乗るなよ、『恋愛』の化身だなんてよ、不愉快だぜ」

『そうだね。僕は不完全。だから、悪魔なんだよ?』

「なに言ってんだ?」

『僕ら悪魔は、不完全。それゆえに己を補完しようとする。完璧になりたいのさ。だからね、君たち人間を『捕食』するんだよ!』

 『ラブ・オー・ラブ』がそのピエロみたいな大きな口を広げる。ナイフみたいに鋭い牙の列がそこにあった。捕食者。たしかにそのイメージを感じさせるな。

『僕はね、人間たちの『恋愛』を『捕食』して、学ぶ。力を蓄えていく。完成に近づくのさ!!でもでも、僕に喰われた君たちの『恋愛』は、ムダじゃあ無いんだ。僕のなかでひとつに融け合って、僕を構成する術式にフィードバックされていくのさ』

 つまり人間を騙して喰らうほどに、こいつら悪魔ってヤツらは『完成形』とやらに近づくということなのか?

「じゃあ……人間は……いや、悠斗も茜も、お前の餌にされたってことかよ」

『ああ。そういうこと!だから、僕らは悪魔って呼ばれてるんだよお。たしかに、僕らはヒトの願いを叶えてしまう。ただし、君たちヒトからすれば不完全な形でねえ?願いは叶っても、けっきょくは絶望するんだよ。愉快なことにね、いつも願いが叶ったことを、悔いながら死んじゃうのさあッ!!』

「……たしかに、テメーは悪魔だよ」

『うん。でも、僕たち悪魔が君たちを捕食するのは、完璧になる過程の必要経費さ。さっきも言ったように、『僕に喰われた君たちの恋愛』はムダじゃない。僕は学び、進化して、いつか完成する!誰の『恋愛』も完全な形で叶える『恋の魔法』になるんだよ』

「くだらねえ。何が『恋の魔法』だ。バカじゃねえのか」

『そうかな?きっと、誰もが欲するよ、その『魔法』をね?考えてよ、あらゆる人物を己の虜に出来る究極の力。『完璧な恋愛を築ける力』さ!そんな素敵なミラクル・パワー。欲しがるヒトは、いくらでもいるよねえ?……事実ぅ。悠斗くんも、茜ちゃんも、不完全な僕の力でさえも、命がけで求めちゃったじゃないかァ?』

 ……そうだな。場合によれば、オレさまだって求めただろう。相手と完璧な恋愛が出来る力?そんなものがあるんなら、欲望のままに使うのが人間ってもんだ。でもよ。

「……やっぱ、テメーは大バカじゃねえか」

『え?』

「そんなモン、どこまで行ってもニセモノでしかねえだろうが?無理矢理に作った恋愛感情だと?ハッ!下らん!……いらんわ、そんなクソみてえな力なんざよ」

 オレさまの言葉がハートに刺さったのかね?『ラブ・オー・ラブ』の顔が歪む。ざまあねえぜ。どうだ、痛いだろ?自分を拒絶されるのって、痛いだろ?コイツが、貴様がくれやがった失恋で得た、オレさまの知恵だぜ!!

「ハハハハハハハハハハッ!!魔法だか何だか知らねえが、そんな姑息な力つかって手に入れたモンでよ、満足できるようなクソみみっちい器なんざ、このオレさまは持っちゃいねえんだよ!この無能!!このバカ!!クソ役立たず!!ハハハハハハッ!!」

『ぼ、僕を、この僕をバカにしやがって!!ゆるせないぞ!!せっかく、時間を与えてやったのに!教えてやったのに、悪魔の使命と生い立ちを!!それなのに、君は!!』

「……ああん?時間稼ぎしてたの、テメーだろうが?下らねえおしゃべりして、オレさまの脚から血が抜けちまうの待ってたろ?……ったく、ビビりだな?手負いのオレさまさえ怖いのかよ?ククク!それで悪魔たあ、笑えるね!!この、出来損ないがァ!!」

『うおおおおおおおおおおッ!!僕を、『出来損ない』と呼ぶなあッ!!』

 弱者ゆえのコンプレックスだな。テメーが不完全ってのなら、この言葉はキくと思っていたぜ?……ぶっちゃけ、脚が死にかけてる。下らんトークのあいだも、血は失われてたからな。そうさ、もうロクに動けん!だから、テメーから殴って来やがれ!

『死ねえええ!!』

 ヤツの大振りのストレートがオレさまの頬を打つ。ククク!いいパンチだ!ヘビー級のボクサーのパンチよりもスゲー威力だな!でも、オレさま、こんなモンで死ねるほど雑魚じゃねえんだよ!!

 オレさまは笑う。ヤツをにらみつける!オレさまを殴ったヤツの右腕をつかむ。ヤツがビビる。出来損ないめ、こちらの気迫に圧されたか?まあ、なんでもいい!オレさまの番だ!渾身の力を込めた右のアッパーをヤツのみぞおちに叩き込む。

『ぐええうッ!?』

 ヤツがうめいた。そうさ、ここは鳩尾。急所だ。いい感じにハマったぜ。拳が筋肉の壁を押し込んだぞ。これで肋骨にもヒビが入るし、横隔膜は痙攣。息も出来なくなる。人間相手なら、完璧なKOの手応えさ。だが、悪魔は沈まねえ。

 もう歩けねえんだ。これが最後のチャンスだってことは重々承知しているんだよ。オレさまは左腕でヤツの頭を絡め取る。そして、拳を続けざまにヤツの腹や胸に叩き込んでいくのさ。そう、クリンチ・アッパーだ。総合格闘技の古典技だな。拳に殺意を込めた。怒りを込めた。何度も叩き込む!

「茜を、弄びやがって!!悠斗を、追い詰めやがって!!」

『ぐ、ぐおお!!や、やめろお!?』

 ヤツが必死になって体を揺らす。肘を振り回してきた、チィッ。額に重たいのもらっちまったぜ!目尻が切れて出血が始まる。でも、まあ想定内ってものさ。

 こっちは脚が死にかけてるんでな。避けてる場合じゃねえ。避けてしまえば、その隙を突かれて逃げられちまう。そうなりゃ、もうテメーに追いつけん。ククク!そんなことは、させねえよ!痛くても、かまいやしねえ!!

 食らいつくんだ、みじめに飢えた犬みてえに!勝利に、ヨダレ垂らして喰らいつけ!

「―――テメーだけは、ゆるさねえぞ」

『ひいッ!?』

 飛び上がり、ヤツの頭に頭突きを叩き込む。ピエロの鼻がへし折れる。いい感じだぜ、ヤツの体勢が崩れる。オレさまは痛む脚に最後のムチャをさせる。床を踏みつけ、一歩だけ接近してみせた。ああ、傷口から熱い血が吹き出るぜ。脚はこれで死んだな。

「オラオラオラオラオラオラぁあああッッ!!」

 左右の拳の乱打を叩き込む。『ラブ・オー・ラブ』を仕留めるつもりだ―――ボコボコにしてやった!全身に強打をぶち込んだぞ!ああ、さすがにヤツも無事じゃねえ!だけどよ……オレさまの脚は、後ろにヨロヨロと『逃げた』あいつを追えなかった。

 まずいな。距離を取られたら、こっちに勝ちの目はないんだが―――。

『う、うそ。君、人間か、本当に……悪魔を殴り殺しそうになるなんて!?……いや。いいさ。遊びはお終い。僕は、悪魔だ。こんなことも出来るんだ!魔術の風よ!!』

「ぐふッ!?」

 また見えない何かでブン殴られる。ボディにキツいのもらっちまったぜ。クソ。ヤツを調子に乗せてしまった。バカは『それ』を連続で使ってくる。腹に頭に脚に、透明な打撃が降り注いでくる。

 しっかし、一体なんなんだよ、これは?5メートルは離れているのに。なんだよ、このリーチ、反則だろうが?……ああ。まいったね、気配で『何か』が来ているのは分かるんだけどよ、さすがに見えもしねえんじゃどうしようもねえわ。ああ、脚さえ無事なら、避けられもしたんだろうがな……こりゃ、どうにもならんぜッ。

『ハハハハハ!このまま、なぶり殺しにしてやるよ!!』

 ―――チィっ、みじめだ。このオレさまがよ?暴走族の群れを蹴散らしても、楽勝だったこのオレさまが?こーんな変態みてえなカッコした悪魔とやらに、やられっぱなしかよ?……でも、意地は見せたぜ。時間は稼げただろ?まあ、上出来―――。

「虎ちゃぁああああん!が、がんばれええええええ!!」

 それは。

 悠斗の叫びだった。床に転がるやせ細ったあいつが、昔みたいに応援してくれる。

 ああ、いつもそうだった。コイツはヒトのために叫べるんだ。オレさまにはやれなかったぜ?真の強者には出来ねえ行いだ。

 自分のためでもねえのによ、あんなに必死になって、オレさまに何かを期待してくれている。どうしてだ?わからんぞ。自分のことじゃないのに、オレさまが勝つと、なんで、あんなに嬉しそうに笑ってくれた?

 そう言えばよ……。

 ―――不思議なことに。コイツの『それ』を聞いていると、ちょっとだけ、いつもよりスゲー自分になりたくなんだよなァ!!

『これで、お終いだ!!』

 気配がオレさまに迫る。今までで一番つよくて、威力がありそうだ。見えねえし、ワケわかんねえよ。でも、人類史上最強のオレさまが、無様にこのまま負けてられっか!茜を守らなくちゃならねえんだ!それに、悠斗が応援してくれてんだろうがッ!!

 迫り来る『何か』。そいつをオレさまはにらみつける。

 見えんが、気配は十分伝わる。なら、行けるぜ。『何か』に対して右と左の腕を伸ばす。この指は、『虎の爪』さ。獲物を引き裂く虎になりきって、オレさまはその『何か』に爪を立てて、左右に切り裂いていた!

 『何か』が割れる感触をつかむ。そして、オレさまの左右の床が、ビシリ!と音を立てて割れていた。ククク、やったぜ。多分、『魔術』ってヤツを引き裂いてみせたぞ!!このムチャで指と腕は死んじまったが、どうだ?スゲーだろ、茜?見たかよ、悠斗?お前たちの幼なじみは、やっぱり人類史上最強の男なのさ!!

 『ラブ・オー・ラブ』が愕然としていた。ヤツは後ずさりする、震える。怯える。

『う、うう、ウソだ!魔術を、素手で引き裂くなんて!!ムチャ過ぎるだろッ!?』

「……おう。指摘通りの大ムチャだよ。おかげで、もうボロボロさ。さんざん、やりやがって……まったく。こんな雑魚によ、実力で負けたわけじゃねえんだぞ?……だけど、今日はお前に譲ってやるよ、六条律」

「六条くん!!」

 委員長の声が聞こえた。ああ、やっぱり、お前かよ、六条。ククク、『ラブ・オー・ラブ』よ。恋する女の子の声って、いいもんだなあ。はずんでやがる。心を込めて、あいつの名を呼んでる。ククク、死にゆく貴様が耳にするには、もったいねえ音楽さ。

『―――待たせたな』

 『異形の男』がそう言った。六条律の声で。

 どうやったのか知らねえが、そいつはこの黒い空間を切り裂いて現れていた。そうだ、まさに空間を力で裂いて、ここに道を作ったんだろう。よく分からんが、そんな感じだ。六条も魔術ってもんを使えるんだろう。

 そいつは漆黒の装甲に身を包み、目は赤く、その背中にはデケー黒い翼が生えてやがんぜ!くくく、ガチで悪魔みてえだが、いいぜ、六条!そのデザイン!ライダーみてえだ!日本の男子は、やっぱ、そういうのに反応しちゃうだろ、変身ヒーローッッ!!

『あ、ああああ!?『アンサング・ヒーロー』ぉおおおおお!!罠にかけたはずなのに!お前は、下級悪魔の群れごと、魔窟に閉じ込めてやったはずなのに!!』

『ああ。全部倒して、ここまで来たぞ』

『う、うそだああああああ!!あ、あんな数、倒せねえよお!!』

『できるさ。オレとアンに、やってやれないことなどない。オレは『アンサング・ヒーロー』!暗黒魔術師、六条律だ!!』

 六条律がその手に赤い光を集める。『ラブ・オー・ラブ』が六条に飛びかかる。だが、その飛びかかりが六条律に当たるわけがない。ヤツはあのときみたいに、『ラブ・オー・ラブ』の拳と蹴りのコンビネーションをかいくぐり、接近する。

「そこは、六条律の間合いだぜ」

『う、うわあああああ!!く、くるなああああ!!』

『―――消えろ』

 そして、その赤い光を帯びた手刀が、一気に『ラブ・オー・ラブ』を切り裂いていた!ヤツが断末魔の叫びを響かせながら、その全身から血よりも赤い光をぶちまけていく。

 赤い光に照らされる世界のなかで、六条の『変身』も解けていく。あいつから闇が分離する。その黒があいつから離れて、空中で一匹の大きな犬に……いや、『狼』に化けた。あれと『合体』して悪魔に変身するってのか?変わった人生送ってやがる。

「お兄ちゃん!!」

 七瀬のヤツが六条に抱きつく。わんわん泣いている。そうか、そりゃそうだ。女の子だもんな。怖かったんだろうよ、こんな変な場所に来ちまうわ、『ラブ・オー・ラブ』なんてバケモノを見ちまうわ。ああ、六条め。あいつも、えらく、ボロボロだな……あいつも、オレさまの知らないところで、相当苦戦してやがったのかよ?

「―――へへへ。まったく。とんでもねえ一日だぜ」



 オレさまの名前は、一番坂虎徹。

 人類史上最強の男だ。

 こいつはオレさまと六条律の、悪魔狩りの物語さ。



「いいか、死ぬほど反省しろよ、アホなガキどもめッッ!!」

 さんざん続いた説教のあげく、雪見はようやく帰ってくれた。雪見のくせに、『長門先生』をしっかり演じてやがる。まあ、うぜえけど、こんだけ熱心にやれるなら、教師ってのは天職だったんじゃないか?『元・師範代代行』サマよ。

「あー、ようやく帰ってくれたぜ。とんでもねえ日だ。てか、マジで見えてねえのな、雪見のヤツにはよ?」

 オレさまは病室のベッドに上半身を沈ませながら、横目で床の上に座っている巨大な狼を見下ろしながら、狼に……いや、『アンサング・ヒーロー』に言った。その黒い紫色の毛並みをした狼はニヤリと笑いやがる。

『言ったでしょ?他の人たちには『見えない』って。ステルス機能も私の力なのよ』

「やっぱ、お前も悪魔なのな?」

 正直、悪魔にはいいイメージがない。そりゃそうだろ?『ラブ・オー・ラブ』にオレさまたちがどんな目に遭わされたと思ってるんだ?

『安心なさい。私は、善良な悪魔なんだから』

「ウソくせえ……でも、まあ、じっさい助けてもらったんだ。敵とは思わんが……お前もアレだろ?……ヒトを喰って、『魔法』になりてえってヤツなのかよ?」

『いいえ。私は『特別』なの。ヒトを食べたりしないわ。だって、私はね、ある男の『悪魔を許せない』という願いによって編まれた悪魔なのよ』

「フン。えらくシンパシー感じちまう願いだぜ!」

『だから、私はヒトを殺さない。私はね、ただひたすらに悪魔を殺して喰らうだけ。つまり、『悪魔の天敵』なのよ?信じていいわ。嘘じゃないから』

「ああ。今んところ信じちまってるわ。お前たちは実際、オレさまたちを助けてくれたわけだしよ。それに、雪見の様子からして、たしかに、お前の説明通りみたいだ」

『うんうん。論より証拠よね。貴方には獣並みの勘がある。直感を信じなさいな?……それが悟っているんじゃないかしら?……私と律は、貴方の『仲間』だって?』

「……おう。まあな。てか、テメー、さっきからよ?」

『あら、なにかしら?』

「オレさまが説教くらってるあいだ、雪見の後ろで変な動きして、笑わせに来るんじゃねえっつーの!!そのたびに、雪見のヤツを怒らせちまったじゃねえかよ!!おかげで、説教時間30%増しだったぞ、絶対ッ!!」

『あら?貴方のサーセンって言葉に誠意が足りなさすぎるせいよ?謝る気ないでしょ?ほんと、ガサツな男ね。上っ面だけでも、ちゃんと謝ることぐらい出来ないの?』

「うるせーよ。そもそも、オレさま、あんまり悪くねえはずだし?」

『まあね。貴方は完全に『被害者』だし、そのうえ、事件解決の功労者でもあるものね。疎んじられる謂われはないわね』

「だよな?」

 自分が悪いコトして説教食らうのは分かる。それは構わん。でもよ、無実の罪で文句言われるなんて耐えられねえっつーの……。

「オレさま、そこそこ、がんばったよな?」

『ええ。幼なじみのために戦った貴方は、なかなかクールだったわ。律の足下には及ぶかもしれない程度のカッコ良さだったわよ?』

「……ったく、こいつも六条信者かよ」

 六条は変なヤツにばっかりモテるんだな。いや、七瀬は美少女だから、うらやまだけど。これは?……なんだ?狼で悪魔で、インディーズ・バンドみてえな名前してやがるけど。あいつ、なんて人生歩んでいやがるんだよ?

 ―――しかし、コイツの言った通りだったんだよな。

 確かに世界が『変わってる』。

 『ラブ・オー・ラブ』が滅びたせいで、当事者以外の認識が変わるだろうって狼は説明していたが、マジで言う通りになっていた。オレさまと六条のケガは『ラブ・オー・ラブ』に傷つけられたわけじゃなく、なんと、ふたりして学校の階段から落ちてケガしたってことになってやがるんだぜ?そして、この病院に運ばれたんだとさ?

 つまり、アホな男子どもがふざけててドジって大ケガして、そんな無様な失態のせいで副担任さまは病院に駆けつけて来たんだとよ……バカを叱りつけるために。

 悠斗に刺された脚の傷も、階段の下に置いてあった演芸用のスコップが刺さったとか言われてるんだから恐ろしい。んなもんで出来た傷じゃねえだろ?……医者だって分かるはずなのに、疑われることなく、すんなり処置されてしまった。

「……オレさまのような、金髪にピアスつきの悪ガキが、刺されたとしか思えん傷を作って病院に来てるってのによ?まったくケンカを疑われることもなく、ウルトラ級のドジなケガ扱い?……ほんと、違和感満載だぜ」

『悪魔が滅びるとね、その悪魔がしてきたことも消滅するわ。でも、完璧にはなかったことには出来ないの。だって、因果のうちの原因が消えても、結果の方はもう残っているのだから。するとね、世界はその矛盾を解決しようと歪むのよ』

「―――悪魔がやらかしたことに、別の原因が置き換わるってことか?……結果を説明できりゃ、原因のほうが多少歪んで変わっても、周りのヤツらは気付ねえってのかよ?』

『そゆこと。意外と賢いのかしら?』

「つまり、えーと。たとえばだ!この一連の事件が元々5+6=11ってんなら、5の悪魔をぶっ殺して消しても、答えの11は変えられねえから……なんつーか、2+3+6=11みたいなことに変わるってカンジか?」

『うん。なんか、一気に貴方のことがバカに見えてきたわ』

「んだよ?こういうので、まちがっちゃいねえんだろ?」

『まあ、そうだけど。その程度の低いたとえ話に、ガッカリしただけよ』

「うるせえよ!こんなにワケの分からんことが連続してんだぞ!?理解できる高校生がいてたまるかっつーの!!……ていうか、茜と悠斗は、大丈夫なんだろうな?」

『―――うん。『ラブ・オー・ラブ』の干渉は除去された。当事者の彼らには、記憶こそ鮮明に残っているだろうけど……三崎茜に関しては、ヤツに吸われた命は元に戻っているはずよ。安心しなさい、あの子は死なないわ。あの子はね』

「……そうか。よかったな、茜……でも、その言い方じゃあよう?」

『うん。幸村悠斗に関しては、ゴメンね。私たちにしてあげられることは何もないわ。なぜなら、彼の持病は悪魔のせいじゃないもの。彼の運命だったから』

「あいつの、『運命』……なあ。そんな言葉で、片付けてもいいのかよ?それは、ちょっと理不尽すぎるんじゃねえか?……だってよ、悠斗のやつ、まだ、16才なんだぞ?なのに、死んじまうのが、『運命』……?」

『気に障ったのならあやまるわ』

「……いや。ちがう、こっちが八つ当たりしてる。すまねえ。お前、何でも知ってそうだからよ、つい、答えようのないことまで訊いちまってた」

『いいのよ。悲しい運命に怒り、悩み、苦しむことで……人類はね、医学ってものを発達させてきたのよ。もしも、貴方が医学者ならば、友達のことを想う心は、未来を変える力のひとつになったでしょうね』

「ああ。なんか、医者やらなんやらが必死に研究とかしちまってる理由が、ようやく身に染みて分かった気がするぜ……」

『その気持ちを大事になさい。貴方はバカだから研究者にはなれないだろうけど。でも、いつか得意の格闘技で大金を稼いで、医学の研究に寄付する未来だってあるのだから』

「へへ。バカにされてるのか、褒められてるのか」

『バカにしてるし、褒めてるのよ』

「ケッ。素直なヤツだ。でも、正直者は好きだぜ……なあ、正直者よ。悠斗のヤツは、いつまで生きていられるんだ?」

『……『ラブ・オー・ラブ』はね、あの宿主を利用してはいたわ。けれど、たしかに彼の生命を支えてもいたのよ』

「それ、あの悪魔がいなけりゃ、悠斗はもっと前にくたばってたとでも?」

『ええ。正直者として全部、教えたげるわよ。ここの病院の電子カルテを盗み見させてもらったけれど、医学的には奇跡ってレベルね。あの病とあの進行状態で、よく今まで意識を保てていたものね。ここの医者たちは、奇跡だと思っていたことでしょう』

「悪魔が作った奇跡かよ……どーせ、代償ってモンがあるんだろうな」

『もちろんね』

「……つまり、茜の命を使って、生きながらえていたってことなのか?」

『あら?バカなのに勘はいいのね。その通りよ。でも、あいつが使っていた魔術も消え去ったわ。三崎茜の命は、幸村悠斗から抜けて、三崎茜に戻った。三崎茜は大丈夫よ。あの子は潜在的な魔力も強いから。でも、彼の容態は急変している。今は手術台の上ね』

「はあ!?手術中!?おい、悠斗はだいじょうぶなのかよ!?」

『……心臓に負担が出たと医師は判断したみたい。今、彼のことをね、生命を維持してくれる機械につなげているのよ。おそらく、今夜は生きぬく。ここの医者、腕はいいから。でも。肉体もだけど、魂の方こそ朽ちようとしているの。だから、意識は戻らない』

「え……」

 正直者の悪魔は、容赦なく真実を教えてくれる。それがコイツなりの誠意の示し方ってもんだろうか?たしかに、オレさまは真実を求めている。慰めはいらない。でも、ショックだった。意識が戻らない?……その言葉が、時間とともに心に突き刺さっていく。深く、深く。言葉の意味がにじむように心へ広がっていく。もう、話せない。もう、会えない。そういうことなのだと。

 『アンサング・ヒーロー』は、真実を語る口を止めない。

『今夜から、ずっと昏睡状態になるでしょうね……『ラブ・オー・ラブ』が抑えていた合併症も一斉に動き始めるわ。薬でそれを抑制しながらも、命はどんどん削られていくことになる……無理矢理に生きさせようとすることになるけれど、限界はすぐに来る。あの子の命は、一週間も残されていないわ』

「クソが!!……悠斗のヤツと、もう二度と話せねえってのかよ……ケンカしたまま、お別れってことなのかよ……ッ!?オレさまは、あいつに見舞いも言えてねえッ!!」

『―――いいえ。もう伝えたいことは、伝わっているはずよ。貴方たち三人は、とっても仲の良い幼なじみに戻れているのだから。とても複雑で、あまりに残酷な道を歩かされたけど、貴方たちは、悪魔に勝利したのよ』

「……勝利か。まあ、実感は、ねえんだけどさ」

 これを勝利と言うのなら、あまりに空しい勝利だった。どんなに小さな大会で優勝しようとも、どんな大きな大会で優勝しようとも、茜も悠斗も、喜んでくれていた。なんだ、この勝利は、誰も喜んでいるヤツはいねえぞ……。

『失ったものが大きすぎるかしら?色々な痛みを、受け入れられない?幸村悠斗は死んじゃうわ。そのあとで、三崎茜とふたりっきりになるのが、怖いのかしら?』

「……それは、そうだな。いろいろ、ありすぎてるし、気まずすぎるだろ?たぶん、お互いによ、オレさまたちは変わっちまった。もうすぐ悠斗も失ってしまう。そうなりゃ、もうガキん頃みてえには、平気な顔して仲良く笑っていられるワケがねえだろ……」

『うん。でしょうね。時間はかかるわよ、きっと。でも―――』

「―――でもよ、オレさまさ。茜のヤツに、いつかまた告ってみるわ」



 そう言いながら笑ったとき、この金髪マッチョの野蛮な少年のことが、とても逞しく思えた。ああ、バカだけど明るいわ。この子は未来を信じる力を持っている。

 ……この子を巻き込んでも、いいのかしら?この子ならば、いつか三崎茜を救えるだろうに。私は、少しだけ……ううん、確実に決意が揺らぐ。悪魔と生身で互角以上に戦える子よ?この彼が『仲間』になれば、律の負担は大きく減るじゃない。

 でも、この子と三崎茜の幸せを邪魔するのは辛いわ。悪魔との戦いに巻き込めば、ケガだけじゃすまないかもしれないから。死ぬかもしれない。悪魔にこれだけ人生を狂わされた子供たちが、また苦しむことになる。彼は、あの子に寄り添いつづけてあげるべきじゃないかしら。彼なら―――。

「―――お前なら、絶対に彼女を支えられる」

 律の声だった。

 ああ、律といのりんが帰ってきてた。三崎茜の病室から。

「お、おう。聞こえちまったのかよ、六条……それに委員長にも……」

「カッコいいわ、一番坂くん!惚れない程度にカッコ良かったよ!」

「うぐッ!お、お前用のセリフじゃねえし!微妙にダメ出しすんなっての!!お前はどんだけ無邪気に、オレさまにトラウマ刻みつけて来やがる!?」

「あ。ごめんね」

「……まあ、いいけどよ。で。茜のヤツは、どうだった?」

「体調は回復してるよ。意識も戻ったし、私たちが知っていることは伝えられた。さすがに、元気はないけど、悪魔のことも元から知っていたから、混乱もしてないわ……いろいろなことを受け止めるには、時間がかかるだけだと思う」

「七瀬が説明上手で良かった」

「う、うん……でも。六条くんのが専門家のハズなんですけどね?……なんかこう、話術が……ね。もっと、がんばりましょう、六条くん?」

「……善処する」

 ああ。この様子だと、律はいのりんが魔術師になったことを認めたのね。まあ、記憶を消そうとしても、この子にはもう効かないだろうし。魔力も上がっているし、この子の強すぎる恋心がそれをさせないはず。

 この子は戦力になるわ。昔と違って社交性は高いしね。律じゃ交渉とか無理だもん……いのりんなら、虎っちいからこの病院の情報だって、3分あれば聞き出せそうね。昔の不良マンガみたいにバトルして情報聞き出すなんて野蛮なことしなくても。

 ―――まあ、いのりんがいてくれるなら、虎っちいがいなくても……。

「―――で。六条律よ」

「どうした、一番坂?」

「……テメーはよ、いっつも、こんなことしてんのか?悪魔との戦いに、わざわざ自分から顔突っ込んで、毎度そんなボロボロになってまで戦ってやがるのかよ?」

「ああ。そうだ」

「なんでだ?」

 虎っちいは律を睨むように見つめる。ああ、この子は見定めようとしている。自分の選択しようとしている道に、価値があるのか、知りたがっている。そして、いのりんも律のことを見ている。彼女もまた知りたいのだ、律が戦う理由を。

 律は人差し指で眼鏡の位置をなおした。真剣な顔になる。覚悟を語るときの目は、やっぱり六条日暮に似ている。似すぎてしまっている―――このままでは、行き着く運命も同じことになるのではないか、その不安がよぎる。

 律は語り始めた。いつものように、静かな言葉に力と意志を込めながら。

「……昔、オレは悪魔に人生を狂わされた。そのせいで、大切なヒトたちを失うことになったんだ。だから、自分と同じ目に遭っているヒトたちを、見過ごすことは出来ない。アンがいれば、オレは悪魔を倒せるからな」

 迷いのない純粋な言葉だ。それを、おそらく一番坂虎徹は気に入ってしまうだろう。この少年は、まるで義侠心のある武人そのものだから。

 いのりんは、ああ……ぽーっとなってる。ああ、惚れ直してるの?……まったく、チョロすぎるわよ、いのりん……それとも、『大切なヒトたち』に含まれているから、うれしいの?記憶がなくても、体とか心で感じてるのかしら?さすがに魔術師の才があるってことかしら。勘がいいのね。

 一番坂虎徹が、ニヤリと笑う。虎みたいに大きな牙が見える。この子もまた、いのりん級に分かりやすいわね。良くも悪くも、まっすぐなんだから。

「……ククク。そうかい。ああ、いいぜ、六条律!まったく、分かりやすくて、共感できる理由じゃねえかよ。なあ、テメー、マジモンのヒーローみてえだな」

「『アンサング・ヒーロー/謳われぬ英雄』、だがな」

「知ってるけど、そーじゃなくて。ああ、もうとにかく!……いいぜ、気に入ったわ。いいか、六条律!!今度から、クソ悪魔にケンカしかけるときはよ、このオレさまを呼びやがれ!!混ぜろや、テメーの戦いにッッ!!」

「……だが、これは危険なことで」

「だからこそだろ?いいか、人類史上最強のオレさまが、テメーの『用心棒』ってヤツになってやるよ。それで、今度の『借り』を返すぜ。いいな?決まりだ!!」

 ああ。虎っちいの方から言い出すなんて。でも、律は……受け入れるかしら?

「わかった。よろしく頼む。一番坂」

 ……え?あれ?ウソ……すんなり、認めちゃった。

 ひとりで戦うって、あんなに言ってたのに。

 ひとりでもいいって、ずっと意地張ってきたのに。

 何度も殺されそうになっても、誰も、巻き込もうとしなかったのに……。

「おうよ!まあ、戦力考えれば当然だな。毎度ボロボロだと?ガチでそのうち死ぬわ、そんなこと続けているとよ。今後は、テメーの背中はオレさまに任せとけ。次こそ、悪魔ってのを、ぶちのめしてやるぜッ!!」

「……うーん。そうだよね、ひとりでムチャとかダメだよ、六条くん。ヒトは協力し合って生きていくものなのよ!私も、がんばってサポートするから!」

「……ああ。そうだな」

 そして、律がほほえんだ。

 ……あれ?この三人、なんだか……あのときの『実験室』にいた日暮たちみたい。

 ああ。そうか、律。貴方に、『友達』が出来たんだ。六条日暮の遺言に従って、ただただ悪魔を憎んで、戦いばかりしていて、ひとりぼっちで……荒んだ野良猫みたいな目になって……いつのまにか、日暮になりかけていた貴方が、ヒトの輪のなかに入りたいと願ったのね。願ってくれたのね!

 ああ、日暮!日暮!

 アンタもあの世で見ているかしら?

 これは、きっと『魔法』を超える奇跡なのよ!

 私の名前は、悪魔・『アンサング・ヒーロー』。

 これは私と律と、その仲間たちの物語。



幕間劇    六条くんは入院中。



 ―――こうして、私たちは、『仲間』になったのだ。暗黒魔術師でヒーローの六条くんと、アンちゃんと、アンちゃんから魔術を教えてもらっている新米魔術師の私と……自称・史上最強の男の子、一番坂虎徹くんだ。悪魔と戦うパーティ結成だよーっ!!

 えへへ、これで、六条くんはひとりで戦わなくてすむよ。やったね。

 あと。私は、お父さんにウソをついちゃったなぁ。いや、あんまりウソじゃないんだけど。友達がケガで入院してしまって、その子は家族と離れて一人暮らしだから、私がその付き添いになって今日は病院に泊まるからって。

 まあ、ウソじゃない。

 私は六条くんから鍵を預けてもらって、タクシーで彼の自宅に向かう。スマホに潜んだアンちゃんのおかげで、運転手さんには分かりやすい説明が出来た。

 そこはフツーのマンションだった。六条くんの家に入るの、照れる。でも、いいや。アンちゃんにからかわれながらも、彼の部屋に入ってしまう―――。

 本だらけだけど。意外と、片付いていた。アンちゃんが語る。

『整理整頓は徹底させているのよ。まあ、あの子ズボラだから、口うるさくしないとすぐ汚すけどね。そもそも、ここ、家賃払っているの私なんだから、掃除するの当然!』

「え?アンちゃんが払ってるの?収入とか、あるんだ、悪魔」

『……まあ、色んな手段でね。私、スマホ用のアプリとかも作ってお金稼いでるの。生身のエンジニアじゃ無理な速度でプログラム作れるのよね、けっこー重宝されてるわよ』

「スゴい。なんだかデキるヒトっぽい。で、ここにあるのは、アンちゃんのパソコン?」

『そうね。専門的な処理をさせるには、こういうのもあった方がいいの』

 おー、大人の世界を垣間見た気がする。六条くんの家のリビングは、殺風景で、大きなパソコンがあった。なんだかゴチャゴチャ色んな機械がくっついている。あれで性能を上げているのかな、よく分からないけど。

 でも、アンちゃんってば、『犬モード』でこのキーボードとか打っちゃうんだろうか?えへへ。想像すると、ちょっと、おもしろい光景だ。でも、たぶん、パソコンに乗り移って動かしているんだろうな……スマホみたいに。

『じゃあ、そこが律の部屋ね』

「う、うん。お、お邪魔します」

 ああ、どうしよう。好きな男の子の部屋に、入っちゃう……。

 そこは、六条くんのにおいがした。

 やっぱり本だらけだ。新しい本もあるし、昔の本もある。古典文学に……解剖学?医学書?あと手塚治虫の画集?たくさんだ。ジャンルなしに本が好きって本当なんだ。文学少年さんだよ。眼鏡は、知性の表れだったんだねえ。

『ジロジロ見すぎじゃない?』

「うわ!!で、でも、い、意外と、キレイだね。男の子の部屋って、もっとアレかと」

『律はだらしないけど、私が監視してますので』

「な、なるほど。アンちゃん、お姉さんみたいだよ。でも、へー……」

『物色するのはいいけど。律の着替えもお願いね』

「りょ、了解!」

 私はアンちゃんの指示に従い、彼の……ふ、服とか、し、し、下着が納められているクローゼットの前に立つ。それを開けた。考え得るな、七瀬いのり。これは痴女的な行為とかじゃないよね。仕事だもん、ミッションだもん。さて、い、いきます!

「え、えーと、Tシャツと、し、し、下着って……これで、いいのかな?」

『貴女の好きな柄にしたらいいじゃない?』

「な、なんで?どうして?そ、そんな……男の子は、みんなお猿さん……っ」

『え?なによ、その呪文?』

「エッチなことはダメです!誘惑しないでください、この悪魔め!」

『あら、そうなんだ?じゃあ、あそこに隠してある律のエロ本もバラしちゃダメか』

「え、えろほん!?」

 六条くんのエッチ!!で、でも、男の子はみんなケダモノだから、し、仕方ない。そういうので、もてあましている性欲を処理しないと、爆発して死んじゃうような悲しい生きものだって安岡先生も言ってたし。

「う、うん。軽蔑することじゃないよ。健全なこと。だって、爆発して死ぬよりいい」

『爆発て。どんな性教育されたのよ?……でも、興味ないのかしら?』

「女の子の、は、裸とか載ってる本でしょ?私が見ても、しょうがないじゃない」

『あら?バカな子ね。それを見ることで、律の好みの女が分かるわよん?律がぁ、どんな子がタイプなのかぁ、興味ないの?』

 あ、あ、悪魔的誘惑キターッッ!!

『それに、どんなプレイが好きだとか、参考にならないかしら?……練習とか、覚悟がいるようなプレイを求められてしまうかもよん?』

「ぷ、ぷれい!?……そ、そんな、私、お兄ちゃんのこと、信じてる!!」

 そうだよ、変なプレイとかで迫らないはずだもん!きっと、ふ、フツーの……ああ、でも、どうしよう。男の子はみんな、エッチなお猿さんだもん。じゃあ、お兄ちゃんも、け、獣のよーに、わ、私のことを……だ、だとしたら、もう捧げるしかないよう……っ。

『ああ。フリーズしちゃってるわ……ホント、ほら、もうからかったりしないから、さっさと働きなさいな』

「りょ、了解であります!!」

 ―――私は機械のように固く動いて、さっさと荷物を回収し、すみやかに撤収する。軍人だ。モノノフだ、女侍、くのいち!私は任務に忠実な犬でありませう!!

 物資を回収したのち、タクシーを呼んで、乗った。無心無心。何も考えない。私は任務に全てを捧げるのだ。

 すぐに病院に着いた。フフ。どうだ、完璧な軍人の仕事だ!!ムダなんて一秒もなかったし、ムダな歩きも一歩もなし!!―――しかし!!

 しかし、ですねえ。なんと言いますか、入院した六条くんのために着替えを彼の家に取りに行くってさ?なんだか恋人みたいで、うへへってなるの、ガマンできにゃい。



 ふたりの病室にあともう少しでたどり着こうとしていたとき、病室から厳ついオジサンが出てきた。ああ、どう見ても、一番坂くんのお父さんだよ。顔とか体型がそっくりだもんDNAが濃い。ということは、一番坂くん。将来、ハゲちゃうんだ。まあ、スキンヘッドも似合いそうだよ。元気出せ、がんばって!私はタイプじゃないけど。

「あれ?」

 私はハゲた一番坂くんに見つかった。

「おお。君が六条くんのカノジョか?」

「か、カノジョじゃないですし!ま、まだ!」

「おお。そうか、スマン。オジサン、余計なこと言っちまったな」

「い、いえ」

「それじゃあ、オジサンは帰るわ。君は?何なら車で送るけど?」

「いえ、だいじょうぶです。私は、六条く……ふたりの、付き添いを……」

「ふーん。なるほど、健気だねえ」

 肌色の多い一番坂くんはニヤリとしながら聞いてくる。彼は私が六条くんに媚びうるために付き添いしてるんだと考えているみたいだ。まあ、否定は出来ませんけど?一秒でも長く親密なイベントをこなすことで、愛をゲットできるとか企んでいますけど?

「がんばりなよ」

「い、いえ。そういうのじゃなくて!……私、だって、クラス委員ですし?」

「ククク。まあ、仲良くやんな。命短し恋せよ乙女ってね?……へへ。悠斗くんのことを考えると、ほんと、近頃は子供らの恋愛も複雑だぜ。オジサン、あの三人のこと小さい頃から見てきているからよぉ……なーんか、辛くてねえ」

 そうか。オジサンは幸村くんや三崎さんと一番坂くんの『悪魔級な泥沼三角関係』のことも知っているのか。たしかに、彼らの恋は複雑だった。複雑すぎた……ひとりは、もうすぐ亡くなってしまうし。

 私は、正気の幸村くんと話したことがない。だから、あまりいいイメージはない。でも、死の恐怖に駆られたら、ヒトは弱さをさらけ出して、己の欲望や恋心に忠実になるのかも?……もしも、私があと一週間で死ぬとすれば?

 ……私は必死になるだろう、六条くんの心に遺りたいと願うだろう。手段を選ばないかもしれない。六条くんのやさしさや、性欲につけ込む形でもいい。彼と、エッチなことをしてでも、彼の心を捕らえたいと考えるかもしれない。

 三崎さんの気持ちが分かる。自分が死ぬ理解したとき、大切なヒトの心にキレイな形で遺りたいと、彼女は願ったのだ。私は、彼女の気持ちが痛いほど分かる。

 もしかしたら、幸村くんもそうだったのかも?……ひとりで死ぬのが怖くて、三崎さんという昔から恋心を抱いていたヒトを、親友の恋人を、求めてしまった……。

 彼らの恋愛は、悪魔のせいで複雑さを増してしまったけれど、とても苦しくて、悲しくて、命がけの恋だったのだと思う。

 この恋愛の結末は、幸せ一色にはならないだろう。でも、みんな、必死だったよね?必死になって、幸せになりたかっただけだ……だから、誰が、悪いとか、そういうのじゃなくて……これって、きっと……なんていうか……ッ。

「―――なあ、お嬢ちゃん。君が泣かないでもいいんだよ」

「ず、ずみまぜん……わ、私、第三者なのに、さ、三人のこと、よく知りもしないのに、すみません……っ」

「あやまることはない。君が悲しんでくれるのは、あいつらにとって良いことなのさ。君は本当にいい子だよ」

 私は、いい子なのだろうか?私は、彼らのために何か出来たかな……思い返せば、何も役に立っていない気がする。私だって、一応、魔術師なのだ。『アンサング・ヒーロー』の第二契約者なのに……。

 こ、こわくて……あんな邪悪で大嫌いな『ラブ・オー・ラブ』と戦えなかった。魔術の炎も、呼べたはずなのに!怖くて、呼べなかった!!私は、なんて弱いんだろう!!

「私……やっぱり、いい子なんかじゃないです。みんなのために、役に立ってない」

「そんなことはないさ。他人のために流す涙はね、慈悲の心の現れさ。その心を持っている人間は、とてもやさしくて、立派な人間だ。その涙や気持ちは世界に必要なんだよ」

「そ、そうだと、いいんですけど……」

「君、六条くんが好きなのかい?」

 一番坂オジサンは突然、そんなことを訊いてきた。私は、泣きながら、うなずく。

「はい……好きです!私、六条くんのことが大好きなんです!!私、役立たずかもしれないけれど……彼の役に立ちたいし、彼のそばに、いたいんですぅ……っ!」

「うんうん。君の恋心は、まっすぐだね。だから、オジサン、君のこと、応援するよ」

「……おじさぁん……っ」

「もしも両想いになれたらさ、君は、彼のことを離しちゃダメだよ」

「は、はい……了解、です!……私、二度と、あの人と、離れたくないんですぅ」

「ありゃりゃ。一途だけど、なんだか複雑さも感じちゃうね。でも、だいじょうぶだ!君なら、きっと一緒にいられるさ。がんばってね、じゃあ、おやすみ!」

「が、がんばります!なんか、泣いちゃうわ、励まされてしまうわ……ほ、ほんと、すみませんでした、一番坂くんのお父さぁんッ!!」

 ハゲた一番坂くんは、こちらを振り返ることもないまま、片腕を上げて返事してくれた。うん。いい人だよ、ああ、どこまでも一番坂くんに似ている。

 まったく恋心がわかないけれど、いい人だって、ちゃんと思えるもの。ああ、一番坂毛……じゃなくて、一番坂家に幸あらんことを!神さま、お願いします!彼らは、いい人たちです!一ミリもタイプじゃないけれど!!



 ―――うおお。委員長と親父のヤツ、会話ほとんど丸聞こえだったんですけど!?ここの病院、壁薄いし、大声過ぎだし、なにやってんのあの二人?

「お、乙女として、うかつすぎんか、あの生きもの!!ポンコツめ!!で、肝心の六条、爆睡してやがるしいッ!!そこは、聞いとかなくちゃダメじゃねッ!?」

 オレさまは隣のベッドで爆睡している六条を、白い目で見ていた。この男、あんだけの美少女にあれだけ露骨に愛されているのに、なーに、一仕事成し遂げました感まる出しで、安らかに寝てやがるんだよ?お前、恋愛イベント、ガッツリとスルーしたんだぞ?

「まあ、こいつも何だかボロボロだし。疲れちまっているのは事実だろうけど……でも、タイミング悪いなあ、おい……いや、むしろ、いいのか?」

 七瀬いのりサンの告白は、偶然、コイツに伝わっちまうとかより、もっといいパターンがあるはずだよな?うちのハゲ親父との恋バナ?で、うっかり六条に恋心が伝わっちまうとか、女子高生としてダメすぎるだろ?おい、いくらなんでも、色気がなさすぎるぜ……。

「うん。やっぱり寝てて良かったぜ、ヒーローさんよ」

 ……あー。野生の勘が告げているぜ。

 まずは、委員長。

 あの女、たぶん、オレさまの悪口を心のなかで思っていやがる。首の後ろにザワザワする気配がするんだよね、陰口言われていると?オレさまの首の後ろ、ザワザワしっぱなしだわ。親父を見てのオレさまの悪口だあ?十中八九、ハゲ坂とか思っていやがるな。あいつが男だったら殴るのに……クソ、美少女だから一生殴れねえよ!!

 だがな、委員長!よおく聞いとけ!!オレさまの母方の祖父は、モッサリだ!大丈夫なはずだ、医学の力も日進月歩してやがるんだからな!!

 そして、のんきに寝ているがテメーだ、六条!!

 オレさまの超絶鋭い野生の勘が告げていやがるぜ。

 オレさまは、コイツのフォローをさせられまくるに違いねえ。バトルだけじゃねえ、たぶん、あの恋愛ポンコツ美少女のサポート役もやらされる気がする。ヒトさまの恋愛事情をとやかく言える立場じゃねえのは知ってるけどよ。テメーらの恋愛もややこしそうだ。『お兄ちゃん』とか呼ばれていたな、テメー?んでよ、テメーは、『母親殺しの少年E』なんだろうが?……てことは、お前の殺した『母親』ってのは、まさか―――。

 ……いや。

 いいさ。

 どうでもいい。

 過去なんて意味はねえ。

 近親相姦だったとしてもオレさまは見過ごす。まあ、ぜんぜん外見は似てねえから、多分そういう兄妹じゃねえとも思うしよ。委員長、なんか銀髪だし、白人とのハーフっぽいもん……六条にはそういう要素は全くねえしな。和しかねえ、黒髪黒目。

 まあ、ようは本当に好きかどうかってことだぜ?

 ……六条よ、大切だってなら、守ってやれよ、あのどこか危うい女のことをよ?そんで、オレさまはテメーらを守ってみせるぜ。そいつが、茜と悠斗とオレさまを救ってくれた、テメーへの礼だぜ、ヒーロー。

 いいか?

 オレさまの名前は、一番坂虎徹さまだ!

 人類史上最強の男である。

 これはオレさまが守る、六条律と七瀬いのりの物語だ!!



 ―――夢のなかで、銀色の髪の女の子が泣いている。ボロボロになったウサギの人形を片手にもって、もう片方の手で、涙が止まらない目をこすっている。

「……やだ。もう、ぶたないで、ママ……私のことを、いじめないでよう」

 それは叫びではなかった。弱々しい懇願だ。

 殴られても、タバコの火を押し付けられても、どんなヒドい言葉で罵られても、ゴハンを食べさせてもらえなくても、押し入れに閉じ込められても……その子は、拒絶したりしない。ママが大切だから、ママが大好きだから。

「『あんたなんて、産むんじゃなかったわ!』」

 その言葉で、その子は、涙さえ流せなくなる。自分の存在を否定されてしまったから。産んでくれた人に、自分を産んだことを後悔されたから。『私』は、あやまる。ママを失望させてしまった自分が、悪いんだから。

 あやまる。あやまった。ずっと。

 でも。許してくれなかった。

「『うるさいわね!黙りなさいって言ったのに!何度も殴ってるのに、なんで分かってくれないのよ!!……いいわ、もうマジで殺すわ。アンタを殺して、あのヒトの生け贄にする!そして、あのヒトの魂をね、戻してもらうのよ!『グラン・グラール』に!!あの子の体に『それ』を入れて、また、恋人同士になるのよ!!』」

 私はまた、ぶたれる。あやまる。許してもらおうとする。もう、しゃべらないから。もう二度と口は開きません。だから、おねがい……ころさないで、ママ……っ。

 でも。遅かった。

 ママは私を許してはくれなかった。包丁が、私のお腹に刺さってしまう。痛いよ、熱いよ、やだよ……死にたくない。たすけて……たすけて、お兄ちゃん!!



「……お兄ちゃんっ!!」

 私は消灯された病室で目を覚ます。全身にいやな汗をかいていた。室温は病院らしく高めに設定されている。それなのに、ガタガタ震えてしまっていた。自分の身体を自分自身でギュッと抱きしめる。

 六条くんのにおいがした。だから、少しだけ安心できた。六条くんのシャツを借りて寝ていたんだ。ここ六人部屋だけど、六条くんたちしかいないからベッド空いてて……一番坂オジサンの知り合いだって言う院長先生が、私にここを使っていいよって言ってくれて。ありがたく、借りたんだ。

 そして、眠って。

 悪い夢を見た……ううん。夢じゃない。アレ、お父さんとお母さんに引き取られる前の記憶だと思う。PTSDっていうのかな?……忘れてたんだ。子供の頃の記憶、みんな忘れてた。私は、自分がどこの誰かなのか知らない。『七瀬いのり』は、与えられた存在だ。私はママに殺されかけた。お腹に包丁を刺されたんだった。

 私はシャツをめくり、お腹を出す。傷痕は、ない。でも、それが一つの証でもある。事実が変わったんだ。悪魔を誰かが退けてくれたんだよ。一番坂くんの傷だって、『ラブ・オー・ラブ』が倒されたとき、半分近く治っていた。あのとき彼が負った傷は、今ほど浅い傷なんかじゃなかったはずだ。

 私の『これ』も、そうだったんだ。

 知っていたはず。

 でも、思い出せなかった。

 怖いから?……ううん。思い出さずに済むようにしてもらっていたからだ。六条くんとアンちゃんが、守ってくれていたから。ずっと―――そのおかげで、私は苦しむことなく生きて来れたんだ。ママにいらないって言われて、心が壊れてしまったことも忘れて……。

「……七瀬。だいじょうぶか?」

 六条くんの声だった。やさしい声。心配してくれている声。

 私はカーテンを開ける。六条くんがいた。ああ、安心してしまう。今の彼は子供のときみたいに眼鏡はしていない。だって、あれ、ダテ眼鏡だもんね。かけなくても視力は問題ないよ。私は、心配そうな顔の彼に、強がって微笑んでみせる。

「うん。だいじょうぶだよ。怖い夢を見ただけだから」

「……そうか。今日は怖い思いをしたもんな」

「だいじょうぶ。心配はいらないよ。私、もう子供じゃないもん」

「……ああ。そうだったな。怖かったら、起こしてくれ。じゃあ、お休み」

「うん……おやすみ」

 六条くんはカーテンをしめる。そして、またベッドに戻ったみたいだ。私は……毛布をかぶる。寝ようとした。でも、ダメだ。ひとりになって、静かになると、体が震えてくる。頭のなかでママの声が聞こえるんだ。

『お前なんて、産むんじゃなかった』

『お前なんて、産むんじゃなかった』

『お前なんて、産むんじゃなかった』

 ―――その言葉に、私が耐えられるわけがなかった。その言葉はとても冷たいんだ。私の心を凍えさせてくる。震えが止まらなくなった。私を拒絶するママの声に、耐えられなくなって私は飛び起きていた。

 私は、ベッドから抜ける。

 そして、カーテンを開けて、六条くんの名前を呼んでいた。彼は、心配そうだ。うれしい。彼を見ていると、安心してしまう……自分が生きてていいんだって自信がわいてくる。生きていたいと思えるからだ。ヒトを好きって、すごく強い気持ちだ。

「……どうした、七瀬?」

「怖いの。すごく、怖くて……そっちのベッドでさ、いっしょに寝てもいいかな?」

「ああ。かまわない。おいで」

「うん。ありがと、お兄ちゃん」

 六条くんがちょっと横に体を移動して、私のための居場所を作ってくれる。私は、ベッドによじ登る。そして、六条くんのそばに横になった。温かい。ベッドに、六条くんの体温が残っている。それに、目の前に六条くんがいてくれるから。六条くんが毛布をかけてくれる。えへへ。守ってもらえている気持ちになる。

 でも、足りない。

 もっと欲しい。

「……昔みたいに、ギュッとして欲しいな」

 ねだってみる。六条くんは私の願いを叶えてくれた。左右の腕で抱きしめてもらえる。

「震えてるな、怖いか?」

「うん。あ、六条くんがじゃないよ。夢のほうだからね?……だから、もうちょっと、このままでいさせて」

 ああ、温かい。恐怖が、どこかに溶けて消えていくみたいだよ。安心できる。

「……震えなくなったな。もう怖くない?」

「うん。でも、このままがいいな」

「ああ。わかった…………いのり、そんなに怖いなら、オレが消してやれるぞ」

「え?」

「オレは、アンと契約した暗黒魔術師だからな。記憶の操作ぐらい、出来るんだ。どうしようもないほどに怖くて辛い『記憶』なら……それを消すことも出来る」

「……ううん。いいよ。ママに殺されそうになったことも思い出しちゃったけど、守ってくれたヒトのことも、思い出せたもん。だから、いいんだ。がんばれるよ」

「……そうか。強い子だ」

「うん。私、昔よりも、ずっと強くなったよね。成長したんだから」

「ああ」

 そうだ。あなたの言葉があれば、強くなれる……昔も、今も、これからも。

「このまま寝るんだ。もう、怖い夢は見ないだろ」

「うん。もし見たら、もっと甘えて慰めてもらえるし……寝るね」

「ああ、お休み」

 私は六条くんの腕に頭をあずけて、そのまま眠りについていく―――。

 私の名前は七瀬いのり。

 ちょっとはフツーじゃない女の子。

 これは、私と六条くんの物語。



 ―――ていうかよ。

 どうして、委員長はオレさまがすぐ近くにいるってことを想像せずのろけまくるんだ?だから、お前ら、丸聞こえだっつーの!!ひらひらのカーテンしかないのに、もぞもぞゴソゴソするなっての!!オレさま、どーすりゃいいんだ!!

 なんて居心地が悪いんだ。脚が元気だったら、コッソリとここから出て行くのに。なにやってんの、コイツら?オレさま、すぐ隣にいるんだから、もっと節度をもっていちゃついてくれません!?気まず過ぎるぜ!!オレさまはスマホに思いをぶつけて、あいつに向かって送信する。

虎『おい、どーせ、どっかで見てんだろ?どーにかしろ、アン!!』

狼『あら?べつにいいじゃない、本番が始まるわけでもないし』

 本番とか書いてるんじゃねえよ、この悪魔め!

虎『オレさまが居心地悪いの!!』

狼『知らないわよ。カーテン開けて、イチャついてんじゃねえよ!って叫べば?』

虎『できるか!そんなの、どれだけ空気読めてねえ人間なんだ!?』

狼『空気とか読まなくていいでしょ?それに、添い寝しているだけなんだからセーフ』

虎『そうなの?判定あまくね?』

狼『サイアク、避妊すれば問題ないし』

虎『バカ野郎!そんな状況になったら、オレさまどーすりゃいいんだ!?』

狼『のぞいちゃう?童貞くんには参考になるかも?』

虎『バカにすんな!!』

狼『まあ、気にするほどのことじゃないわよ?エッチな動画とかで見慣れてるでしょ』

虎『え?紳士のオレさま、そんな動画とか見ねえし?』

狼『そう?貴方のスマホがどんなサイトにアクセスしてるか、私、調べれるけど?』

虎『まじかよ?』

狼『晒してあげようか?そのサイトの画面映ったままフリーズさせられるけど?』

虎『ウソです。すみません。オレさまはヒト並みにスケベですからやめれ』

狼『キャハハ!修理に出したとき気まずいわねえ?ケータイ屋って、窓口に女多いし』

虎『この悪魔ああ!!』

 ―――これ以上のステルス舌戦は、オレさまに不利な気しかしねえ。くそ、撤退だ。もう戦えん。気づけば、隣も静かになってやがる。お、終わったのかよ?……じゃなくて、始まってもいないんだからセーフだ。って、オレさまは何を言っている?

 だが、ようやく寝れる気がする……もういい。何も考えず寝ちまおう。起きていたら、ムダにエロいこと考えて気まずくなっちまうし。いいんだ。とにかく寝よう。するならすればいいじゃん。もう、しらん。オレさま、ワルクナイ!!



悪魔と空手高校生の肉弾戦でした。あくまでも史上最強の人間たちと同じレベルの一番坂と、悪魔が戦えばこんな感じと。


打撃戦だけですね。彼は基本的には空手家なので、武器とか使わないのです。さらに脚も負傷していたので機動力も描けなかったな。でも、それなりにはバトル描写も出来たような気がします。バトルは次の話からは魔術による戦闘描写もありますので、おたのしみに。


『ラブ・オー・ラブ』はけっこうイヤな感じの敵として描けたような気がしていますが、もっと形状とか描写したくもありました。愉快な動きをするピエロみたいなイメージだったんですが……もっとピエロを研究して書けば良かったかな。


悠斗に印象を与えるためにナイフで一番坂を刺させたりしたものの、『ラブ・オー・ラブ』対一番坂を地味にしてしまうことになったかもしれません。でも、一番坂が元気なら、『ラブ・オー・ラブ』は圧倒されていたことになりますし……まあ、『一番坂=魔術師でないのにムチャクチャ強い=人類最強の男』みたいなイメージを、少しは刻めたかもしれないかなと。んー、難しい。要研究です。

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