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――それでは、時間軸を戻させてもらおう。
川北の誘いを残念にも断り、我が家にひっそりと帰った後のところだ。
「んんんん! んー!?」
俺の足元でんーんー唸っているのは、皆さんご存知のM子ちゃんだ。こいつは昨日、やるなと言ったことをやったのでお仕置きの最中である。猿轡と高手後手である。
この娘、関節が柔らかいためについ張り切って縛りの極意を披露してしまったが、中々色っぽい。
……や、や、以前行った悪行を性懲りもなく繰り返した故、学校への出がけに折檻をかましただけの話だ。
「んんんー!」
恨みの籠った視線がこちらを刺すので、やむを得ず猿轡だけ外してやる。
「っぷは、アンタね、これちょっとやりすぎでしょ! 腕攣りそう! 外して!」
「反省したか?」
「……そんなに怒んなくても……。ちょ、ちょっと資料集めに熱中しちゃっただけじゃない……」
「お前にとって持ち帰るべき資料ってのはエロ本しか該当しないのか」
この星の文化でお前が学ぶべきは色事だけか。そんなに地球現世の文明には価値がないか。
それともなんだ、エロ方面が進化しすぎたのか。だとしたらお前の今の状況は望むところだろうが。倒錯の極みだぞ。
「いいから外してよ! も、もう限界……」
股間のあたり、太ももをすり合わせているところを見るに、成程、成程。
「トイレか」
「で、デリカシー!」
「プライバシー」
「……」
返事が単語で帰ってきたので、こちらも同様に返す。
とはいえ、部屋の畳を取り換える余裕があるほど俺の財布はあったかくないので、渋々外してやる。
自由になった途端よちよちとトイレに駆け出したM子ちゃんだが、まだ彼女の口から反省の言葉が聞けていない。
……俺がそんなに甘い男だと思われていたのなら心外である。
トイレのドアの前で、取っ手を二、三度ガチャガチャやったらしい音が聞こえた後、M子ちゃんから必死な声が聞こえてきた。
俺は、先に伝えたとおりの薄い財布から、十円を取り出す。
「閉まってる閉まってる! 開けてぇー! 開かないぃぃー! なんでぇー!?」
「反省したかと聞いたんだが、返事がまだ無いようなんでな」
「反省したわようー! ……っゆ、許して……ダメダメ、お願いしますぅ―!」
最早らめぇーとだけ叫ぶようになった面白生物の様子を見に行けば、内股でくねくねもぞもぞ、どこぞの怪談みたいな動きをしている。やはり色っぽいが、流石にこれ以上の無体はやりすぎだろう。
畳ではなくフローリングに粗相したとして、結局水気で少しは傷んでしまうことだろう。
こちらとしても十七歳の身空でマニアックプレイに傾倒するのはよろしいことではない。俺は純愛が好みだ。自分の人生の内に、女性に対する憧れを残しておくことは罪に問えまい。
その大半は……言葉にするにもおぞましいが、これまで同棲状態を続けてきたM子ちゃんが垣間見せる不審な挙動で打ち砕かれてきたわけだが。
「次はないからな」
そう言って、十円玉でガチャリと家を出る前に閉めておいたカギを開けてやれば、M子ちゃんはよろりよろめきトイレの中に飛び込んだ。
……言っても分からんなら畜生と同じである。言葉が分からん相手を躾けるには、痛みが伴わねばならない。具体的には、もう少しいじめておく。
……この安普請に音消しの機能などついているわけがない。
「……おい、もうちょっと静かにできんのか。音が」
「聞くな聞くなドドS! 変態! 変態!」
「お前はMなんだから、こういうのが嬉しいんだろうが」
Mじゃないしー、との悲痛な叫びは努めて無視する。
怒られると分かっていての行いであるのだから、俺が彼女をMと判断するのは自然であって。俺としては特に彼女の評価を変えるつもりもない。彼女には、これからも……残りの半年間も、いい声で鳴き続けてもらうことにする。
――――――――――――
さて置きまして。二人して居間に戻り、一服している最中。
ふと疑問に思ったことを聞いてみようと思う。
「なあ、M子ちゃん」
「何よ」
ほれみろ、M子ちゃんで返事するんだからMなんだろうが。そう思ったが、話が脱線したまま主題を忘れそうなので無視して続ける。
「今更ながらに気づいたんだが、さ」
「うん?」
「アルコンの奴らについてだが……行方不明になってる人たちを警戒するだけじゃ駄目なのかな」
「……本当に今更ね」
我ながら馬鹿らしいが、よくよく考えれば奴らが人間を乗っ取った後に活動するにあたり、タイムラグがあるとの事であった訳だし。
敵を絞ることが出来るのは、こちらとしてはありがたい話であるのだけれども。
「……まあ、常識的な着目点よね。今まで言われないものだから、答えを想定してのことだと思ってたわ」
「想定って、何をだよ。俺は頭が悪いんだ、教えてくれんと分からんぞ」
「アルコンが活動し始めるタイムラグっていうのは、一定じゃない。素体との相性もあるし、下手すれば一日未満で動ける奴がいてもおかしくない」
「ふむ」
「それにね。今までアナタが殺……」
一息。
「……私たちが犠牲にした人達。事前に行方不明者としてニュースとかで挙げられていたかしら」
「……そういえば」
そんなことはなかった気がする。少なくとも、町の張り紙でもテレビでも見たことがない顔だった。
逆に、俺が手を出してから初めてニュースになったのは知っている。
二件だ。最初のと、三番目。
俺が始末した四人については、死体は見つかっていない、ハズだ。だからか、彼女と彼女の事件は、あくまで行方不明事件の一つとして取り扱われていた。
……ニュースなんて見たくなかったけど、最近は見るようにしている。
当たり前だ。見ないでいいなら見たくなんか、ない。
「つまり、そういう事よ。敵を見定める手段として確実性がないどころか、この半年間の経験から言えば……その方法は悪手でしかないわ」
「そっか」
――事件の渦中にある伊神町の路地裏で、血痕が見つかりました。
当局の調べによりますと、一連の行方不明事件に巻き込まれたとみられている『五傳木可奈恵』さんのものとDNAが一致しているとのこと――
……つけっぱなしのテレビから聞こえてくる、キャスターの声。
学校帰りにはしょっちゅうこの声が陰鬱なニュースとともに流れてくるものだから、耳障りな気もするし、聞こえないと逆に寂しかったりする。
……名前。
親からつけてもらった大事な名前。それをこんな風に、演技ぶった悲しみを伴いながら読み上げられるなんて。
ひどい侮辱だと、そう思う。
こんな状況を引き起こしているアルコン、こいつらはどうも……邪悪だ。正直許せないし、許したくない。
奴らこそが俺をこんな目に遭わせている原因だということ、それを差し引いたとしても許せそうにない。
間接的にはアルコンに。
直接的には……俺の手によって未来を奪われることになった人達の事が想起される。
というか、近頃は大体常にその人たちの事が頭をよぎっている。
……この半年間で俺が殺した最初の人は、この世を去ってから二日後にニュースに名前が出たのをふと思い出した。
ああ、彼女の名前は……結城さん。『結城陽菜』。可愛らしい、ほっとするような優しい笑顔で俺に近づいてきたんだった。
俺はテレビに映った彼女の笑顔の写真を見て、先の五傳木某さん同様名前が読み上げられるのを聞いてはじめて彼女の名前を知ったんだ。
そうだ……俺はあのとき、彼女の名も知らないまま、その存在をアルコンともどもこの世から退場させたんだった。
――できれば、また少し話を聞いてほしい。
死者の事を、誰かに話して教えるというのは、その人に対する何よりの……なんというんだったっけか。
……そう、そうだった。供養だ。供養だと思うから。