08
アルベルは、最近よく家を空けるようになった気がする。
私と一緒にいるのが気まずくて、避けているのかとも考えた。
けれども、それだと同じ空間にいるときに、なんとか仲を修復しようと必死になって話しかけてくることへの説明がつかない。
今日も鍵が掛かっていることを不思議に思いながら、私は玄関を無言で開けて、中に入った。
出て行きたくないと駄々をこねていたが、もしかしたら、諦めて独り立ちをする準備をしているのかもしれない。
良い傾向だ。
鞄を部屋の隅に放り投げて、テレビのスイッチを入る。
途端に流れる、夕方のニュース。
アルベルが気を利かせて「おあしす」のとんかつでも買ってきてくれないかとぼんやりしていた時、目に飛び込んできた見覚えのある写真に思考が止まった。
確かに、顔も思い出せないくらいに頭の中では朧気な存在だった。
しかし、さすがに写真を見れば、誰なのかくらいは認識できる。
でかでかと「麻薬取締法違反」と書かれたテロップの上に表示されているのは、かつての元カレの写真。
いつかアルベルと一緒に見ていた大麻の余波が、よもや自分の知人にまで及んでいたとは。
唖然とはしたものの、悲しみは一切湧いて来ない。
むしろ、別れていて良かったと安堵したくらいだ。
私を捨てて、浮気してくれたのに、感謝するべきだろうか。
「たーだいま」
アルベルが帰って来たのに気付いたが、私は出迎えの言葉を掛けてやることすら忘れてテレビに見入っていた。
狭い玄関からも、突っ立っているのが見えたのだろう。
アルベルがもう一度、仕切り直す。
「たーだーいーま!」
ここまで催促されて、無視するほど、私は無情ではない。
テレビから視線を外さずに、おざなりに「おかえり」と言っておいた。
それでも不満なのか、むっとしている雰囲気が伝わってくるが、かつてのように抱きついて来たりはしない。
アルベルが節度を持って接してくれているようで何よりだ。
「何見てるの」
「これ、元カレ」
テレビを指さして、簡潔に伝える。
アルベルは納得したようで、あぁ、と一つ頷いた。
「やっぱり、ショック?」
気遣わしげにアルベルがこちらを見ているが、私は自信を持って、こう言える。
「全ッ然!むしろ、せいせいした」
私の答えがお気に召したのであろう、アルベルはふんわりと嬉しそうに笑った。
「そっか、良かった」
「アルベル、今日何か食べるもの買ってきた?」
「え?ううん。買ってないよ」
「じゃぁさ」
テレビに釘付けだった視線を外し、アルベルに目を向ける。
白銀の髪がさらりと揺れて、アイスブルーの綺麗な瞳が、こちらを見つめていた。
「外に食べに行こう」
無性にお祝いをしたい気分だった。
思えば、アルベルと一緒に出掛けるのは初めてだ。
近くのショッピングモールに足を運んで、ふらふらと2人で歩く。
絶対にじろじろと見られることを覚悟して来たのに、呆気無いほどに周囲はアルベルに注意を払っていなかった。
「みんな、アルベルのこと珍しくないのかな」
思わずそう零せば、本人がくすくすと笑っている。
「目立たないように、魔法をかけてるんだ」
「え?なにそれ!」
「髪の色も、服装も、ここの人たちとは違うけど、すれ違うくらいなら気づかれないよ。さすがに、正面に立って話せばバレちゃうけど」
「だから、一人で出掛けても平気だったのね」
「そういうこと」
ゲームや漫画の世界から出てきたようなアルベルが、近代色の強いお店の前を歩いているのに大変な違和感を感じる。
他の人達が見ていなくとも、私がじろじろと眺めてしまうレベルだ。
相変わらず、ひょろいな、と思いながら、脳内でアルベルにTシャツとジーンズを着せてみたが、似合わなさすぎて吹き掛けた。
今度、時間があったら試着とかさせてみよう。
残念ながら、今はお腹を満たすことが先決だ。
「何食べたい?」
「そう言われてもなぁ。こっちの料理って、カエデの作ったものしか食べたことないんだよね」
「え!?」
日中もふらふらしているから、てっきりどこかで適当に食べているのかと思っていた。
ここ最近、昼ごはんをアルベルのために作っていた記憶はない。
「お昼、食べてなかったの?」
「うん。まぁ、一日一食でも問題無いし」
「身体に悪いよ」
「もやしばっかり食べてたカエデに言われたくないなぁ」
全く以ってその通りで、返す言葉もない。
ぐぅ、と言葉に詰まって黙り込めば、隣のアルベルが笑った。
「でも、アルベル、料理できるよね」
「一応は」
「この前作ってくれた、アレ、なんだっけ。おじいさん、みたいな名前のやつ」
「ジイシャね」
「あれ美味しかったなぁ」
「テウに似てる味がこっちの調味料にあって良かったけど、やっぱり本物とはちょっと違うよ」
アルベルが料理をする時は、向こうの料理を作ってくれるのだ。
実は、それだけは、彼と一緒に過ごす時間の中で、唯一楽しみだといえる時間だったりする。
親戚の家ではコンビニ弁当を与えられていたし、自分で作る料理はもやしのレパートリーしか無かったので、誰かの手料理を食べられるのはとても嬉しいことだった。
「カエデに、本物食べさせてあげるよ」
「それなら、そっちに行かなくちゃね」
「連れて行ってあげる」
「帰り方も分からないくせに、どうやって」
本当に、アルベルはいつ帰れるのだろうか。
彼は自分の素性を何も話してくれないけれど、きっと心配している家族や知り合いがいるだろう。
少なくとも、私がこの世界から消えたら、笑子は必死に探してくれるに違いないと思う。
噂をすれば影、というのは本当のことだったようで、アルベルと一緒に歩いている道の先に、見知った姿を見つける。
向こうも私に気がついたのか、大きく手を振って、にこにこと笑いながらこちらに駆け寄ってきた。
「楓!どうしたの、珍しいね」
もちろん、こんなところにいるのが珍しいのである。
節制を心がけている私が、こんな、娯楽品や外食を提供する場所しかないところにいるはずがないのだ。
「今日はちょっと、外食」
「えー!そうなの?!じゃぁ、私も…って、そちらは?」
笑みが絶えないはずの笑子の顔が、若干強張っている。
そういえば、アルベルが正面立って話すとバレるとか言っていたのを思い出した。
「あー、えっとー、留学生のアルベル」
「え、うちの学校?」
「いや、違くて、他のとこの知り合いで…」
助けろ、と視線で訴えれば、アルベルは面白そうに成り行きを見守っていたのを辞めて、笑子に挨拶をする。
「はじめまして。アルベル・シャトーです」
「滝 笑子です。よろしくお願いします。それにしても、アルベルさん、日本語お上手ですね」
アルベルが差し出した手を握りながら、笑子が首を傾げる。
言われてみれば、確かにアルベルは日本語をスラスラ話すし、漢字だってなんの障害も無く読んでしまう。
異世界から来たくせに、ちょっと色々な能力値が高すぎるんじゃなかろうか。
「昔からこの国が好きで、勉強していたので。今回、こうして留学出来て光栄です」
「そっかぁ。楓にいろんなところ、案内してもらうと良いですよ」
するりと、2人が握手していた手が離れる。
にこにこと相変わらず楽しそうにしながら、笑子は私に、じゃぁね、と手を振った。
流れるような別れの挨拶に、目を瞬いて笑子を見つめる。
突然、帰ることにした彼女に私は驚くしか無い。
先程、私も…とか言いかけていたはずなのに。
「あれ?夕飯一緒に食べないの?」
「うん。帰って、お花にお水あげないといけないの忘れてた!」
「あ、あぁ、そう、なの?」
笑子が植物のことを忘れるなんて、珍しいな、と思いながら、私とアルベルも手を振り返す。
来た方向を駆けて行く後ろ姿を見送り、さて、と仕切り直した。
「で、結局、何にしようか」
「カエデのオススメがいいな」
「じゃぁ、イタリアンにでも行こうか」
偉そうに場所を指定しているが、支払いは全てアルベルなのである。
こっちだよ、と彼を先導しながら、私は呑気にカルボナーラとボロネーゼのどちらにしようか悩んでいた。
この時、笑子の様子がおかしかったことを、少しでも気にかけていたのなら、私の人生はもっと違うものになっていただろう。