05
合コンの日の夜から、アルベルは妙にスキンシップが激しくなった。
料理をしていれば、後ろから抱きついてくるし、髪を乾かそうとすれば、ドライヤーを取り上げられ、自分に任せろとばかりに私の髪を弄る。
何度やめろ、と言い聞かせても、アルベルは笑うばかりで取り合う様子はちっとも無い。
今日も、2人で並んで夕方のニュースを見ている時だった。
大学生が大麻の栽培で、逮捕されたとか何とか。
同じ年頃の人間がこうやって捕まっているなんて、不思議だなぁ、と他人ごとな感想を抱いている時だった。
隣に座っていたアルベルの手が、私の腰に伸びてくる。
声を上げる間もなく、引き寄せられ、アルベルの腕の中に閉じ込められた。
「ちょっと」
抗議の意味を込めて、腕を叩くが、アルベルは動じない。
後ろから抱きすくめられて身動きが取れないのをいいことに、首元に顔を埋めてきた。
カッと頬に熱が上がる。
最近は、こんなことばかりだ。
「ねぇ、やめてって」
「やだ」
駄々をこねる子供のようだ。
私は小さくため息をついて、諦めたように後ろのアルベルに体重を預ける。
こうした行動が、彼の馴れ馴れしいスキンシップを助長しているようにも思えたが、正直、どうにでもなれと言う気分だった。
アルベルはひっつき虫のように、べたべたと甘えてくるが、直接手を出してくることはない。
それが何故なのか不思議で仕方なかったが、私の気持ちが彼に向かっていないのを、はっきりと感じ取っているらしい。
さり気なく聞いてみたところ、無理やり事を致して嫌われるのが怖いとのことだった。
その時に、ちょっとでも手を出したら、顔を見ることは愚か、声を聞くのも、思い出すのも嫌なくらいに嫌ってやると宣告しておいた。
私の発言に、あからさまに傷ついた表情をしたアルベルを、一生涯忘れることはないだろう。
「アルベル、こんなことしたって、意味ないよ」
「アルって呼んでよ。親しい人は、僕のことそう呼ぶ」
「呼び方変えたって、好きにならないから」
私にも人並みの羞恥心はあるので、顔は赤くはなるし、こんな美青年に迫られればドギマギする。
けれど、そこで終わりなのだ。
アルベルに対して、それ以上の感情を抱けない。
「今はそうかもしれないけど、これから、きっと変わるよ」
「そうかなぁ」
「大丈夫、カエデもきっと、僕に依存してくれる」
どこからそんな自信が湧き出て来るのだろうか。
正直、今まで一人で頑張ってきた私には、誰かに依存して甘えるということは想像もできなかった。
かつて、存在した彼氏には、あまりに可愛げがないと喧嘩になり、浮気をされて別れた始末だ。
自分の男運の無さには、笑うしかない。
「カエデさぁ、バイト、辞めない?」
アルベルがしゃべるたびに、うなじに吐息がかかり、くすぐったい。
身をよじれば、逃がさないとばかりに、お腹に回った手に力が込められた。
「馬鹿なこと言わないで。バイト辞めたら、学校も行けないし、ここにも住めなくなる」
「僕が出してあげるよ」
「そうは言っても、限度があるでしょう。アルベルが持ってる装飾品を売り切ってしまったら、一文無しになるんだから」
「大丈夫。無くならないから」
「どこにそんな根拠があるのよ」
アルベルの白銀の髪が、さらりと私の手にかかる。
気まぐれに触ってみれば、随分と柔らかく、指通りが良い。
同じシャンプーを使っているくせに、一体どういうことだろうか。
私が髪を弄っているのに気がついたのか、アルベルがくすくすと笑う。
「僕の髪、気に入ったの?」
「…ものすごく、妬ましい」
「僕はカエデの黒髪の方が羨ましいけどなぁ」
ゆるゆると、頭を撫でられる。
あまりの気持ちよさに、思わず目を細めて、アルベルのしたいがままにされてしまう。
「ねぇ、やっぱり、バイト辞めようよ」
「だから、無理だって」
「カエデがバイトやめたら、もっと一緒にいる時間が増えるじゃない」
「そりゃそうかもしれないけど、お金が無ければ、人は生きていけないの」
「知ってるよ。だから、僕が出してあげる」
堂々巡りだ。
何を言っても、アルベルは私にバイトを辞めさせようとするだろう。
お金を出す、という行為が、私への生活の負担を和らげるための提案なのか、依存させるための提案なのかは定かではない。
私だって、バイトをせずにお金が入るならば、願ったり叶ったりなのだ。
けれども、いつ消えてしまうか分からない人間を宛てにするほど、馬鹿ではない。
「はっきり言うけどね、アルベルには頼らない」
「どうして」
「いつ元の世界に帰るか分からない、気まぐれに出て行くかも分からない、そんな人を頼るほど、私は弱くないの」
「…僕がいなくなるの、怖い?」
「お金を頼っている状態で消えられたら、私のお先は真っ暗よ」
「10年先くらいの貯金を用意したら、バイト辞めてくれる?」
アルベルは、何が何でもバイトを辞めさせたいらしい。
けれども、その発言の中に、とても良い取引材料を見つけた。
「じゃぁ、アルベルが30年分のお金を用意してくれたら、バイト辞める」
無理難題も良いところだ。
30年分の生活費となれば、軽く8桁は越える。
今、アルベルが着ているローブや、装飾品を売り払っても、それだけの人数の諭吉様を集めることは不可能だろう。
やれるもんなら、やってみろ、と私は心中で笑った。
けれども、アルベルは真面目に受け取ったらしい。
「言ったね?」
「えぇ、言いましたとも」
「30年分のお金があれば、バイトを辞めて、僕の側にいてくれるんだね?」
「その通り」
「約束してくれるんだね?」
「うん、約束」
アルベルの指がそっと私の左手首をなぞる。
何をしているのだろう、と不思議に思っていると、なぞられた部分が急激に熱を孕んだ。
慌てて目を落とせば、刺青のような模様が浮かび上がっており、蔦が絡みあったような刻印が、ぐるりと手首を一周している。
絶句した私は、はくはくと口を開閉するしかない。
「な、な、な…」
「約束の印。破ったら、酷いよ?」
「ちょ、ちょっと!何勝手にやってるの?!消してよ!」
「身体に害は無いから、大丈夫」
「そういう問題じゃなくて!こんなの困る!どうやったら消せるの?」
アルベルは笑うばかりで、答えてくれない。
擦ったら消えないかと、手首を擦るが、模様はぼやけもしなかった。
「魔法だから、カエデには消せないよ」
なんてことをしてくれたのだ。
怒りに震える私の身体を、アルベルは抑えこむように抱きしめる。
「いいじゃない。カエデに不利な条件じゃないんだから」
「でも!」
「僕が渡したお金を受け取って、バイトを辞めるだけだよ?」
「そうかもしれないけど、そんなの無理に決まってるじゃない!」
「約束って言ったくせに、いざ僕がお金を用意したら、はぐらかそうと思ってた?」
ぐ、と私は返答につまる。
図星なだけに、何も言い返せない。
アルベルは沈黙を肯定と取ったのか、随分と不機嫌な声で耳元で囁いた。
「へぇ。嘘、つくんだ?」
ぞわり、と背中が粟立つ。
指先が震えたのは、恐怖からなのか、至近距離で囁かれたからなのか、分からなかった。
「ま、まだ、嘘ついてないじゃない」
必死に弁解すれば、アルベルは何が可笑しいのかくすくすと笑う。
「そうだね。だから、今は許してあげる」
アルベルの指先が、ゆっくりと私の手首の上の模様をなぞる。
痛いわけでも、苦しいわけでもない。
けれども、嬲られるような感覚に、私は身動きが取れずにいた。
「カエデがバイト辞めてくれるの、嬉しいなぁ」
のんびりとした声が、耳元でする。
どうやら、アルベルの中では、すでに私はバイトを辞める手筈になっているらしい。
そこまでして、私と一緒にいる時間を伸ばしたいのか、と思うと同時にアルベルに対して、初めて得体の知れない男への恐怖を感じた。