if. カエデが迎えに来たアルベルを受け入れていたら
両腕を広げて、アルベルが待っている。
私はたまらなくなって、そのまま駆け寄り飛びついた。
「アルベルっ!」
「良かった…良かった、カエデ!」
ぎゅ、とアルベルの腕が背中にまわる。
窓が開いているせいで、少し肌寒かったが、こうして抱き合えば、気にもならない。
やっと、もう一度巡り会えた喜びに、お互いにしばらく無言になった。
「戻って、来てくれる?」
しばらくして、ぽつりと呟かれた言葉に、苦笑する。
アルベルは、私が一緒に来てくれるのか自信が無かったのだろう。
随分と怯えた表情でこちらを見つめている。
「もちろん。私には、アルベルしかいないでしょう?」
安心させるように言葉にすれば、途端に花が咲いたように明るい表情へと変化した。
相変わらず、子供のように感情の機微が表に出る。
「また、あの森に戻るの?」
「あそこは嫌?」
「うーん、出来れば街で暮らしたいけど」
「わかった。カエデがそういうなら、どこか良いところを探そう。しばらくは、放浪の旅かな」
おいで、と手を取られる。
2人で旅をするなんて、随分と素敵なことだと思う。
もう、元いた世界に戻れないのであれば、こちらの世界を楽しむのもやぶさかでは無い。
それに、アルベルと一緒ならば、きっと大丈夫だ。
アルは、彼のことを犯罪者などと言っていたが、私は信じない。
世間がどれだけアルベルを糾弾しようと、私だけはアルベルの味方でいる。
自分の目で見てきたアルベルは、怒ると怖いにしても、人を殺すような人間ではないと思うのだ。
寂しがり屋で、子供っぽくて、甘えたがり。
けれども、笑子のせいで着せられた冤罪から、助けてくれるような、いざという時は頼りになる人。
それが、私の知るアルベルだ。
「警備団の奴らに何かされた?」
「ううん。アル…アルフレドさんには、とても良くしてもらったよ」
そこで、私は首にぶら下がったペンダントの存在を思い出す。
アルベルについて行くのに、流石にこれを身につけたままとはいかない。
「アルベル、ちょっと待って」
アルフレドさんは言っていた。
私がどちらを選ぼうと、口は出さない、と。
こんなにも、面倒を見てもらったのに、最後は裏切るような形になってしまって、罪悪感で胸がいっぱいになる。
昼間に立ち聞きしてしまった妹さんの話は引っかかりはするが、私が直接目で見た訳ではない。
噂話を鵜呑みにする程、おめでたい人間でもないつもりだ。
それこそ、冤罪の可能性だって十二分にある。
首の後ろに手を回して、ペンダントのフックに指を掛ける。
アルベルが不思議そうに首を傾げているので、説明しようと口を開いた時だった。
胸元にあるペンダントが、ひやりと冷気を帯びる。
ひゅ、と息が詰まったと思えば、喉の奥から生温かい、鉄錆のような味をしたものが込み上げてきた。
「かはっ…」
びちゃ、と口から吐いた液体が跳ねて、アルベルにもかかる。
何故だか、汚して申し訳ないという気持ちが先立った。
真っ赤な色をしたそれが、何なのか、上手く認識できず、呆然とすることしかできない。
「カエデっ?!」
慌てて肩を支えてくれたアルベルの腕に縋る。
異変を察知したのか、ごめんね、という断りと同時に胸元に手を突っ込まれた。
そして、ペンダントを力任せに引きちぎられる。
床に投げ捨てられたそれは、からからと渇いた音を立てて転がった。
「呪いか…もう大丈夫だよ。解呪は訳ないし、カエデの身体もすぐに治るからね」
ゆっくりと、アルベルが背中をさすってくれる度に、苦しかった息が整う。
そして、あのペンダントの呪いによって、吐血したという事実が今更私を恐怖に陥れた。
カタカタと、手が震え、アルベルの服を掴む手に力が入る。
「あんなもの、どこで手に入れたの?」
嘘だと、言って欲しかった。
アルフレドさんは、とても親切にしてくれたではないか。
その彼が、まさか、私に呪いのかかったものを渡すだなんて。
魔法に関して、無知に等しい私を、殺すつもりだったのだろうか。
温かいあの手で、私の頭を撫でながら、アルフレドさんは何を考えていたのだろうか。
はくはくと、口が動く。
絞り出すように、なんとかアルベルに犯人の名前を告げる。
「アル…フレドさん、が」
「やはり、ダメだったか」
かちゃ、とドアが開く音がした。
警戒したアルベルが私を守るように背に隠す。
アルベルに隠れて姿が見えなくとも、声の持ち主が誰なのかくらいはっきり分かる。
毎晩のように聞いていた声だ。
間違えるはずがない。
「まぁ、いい。別に期待はしていなかった。しかし、呪いを破った上に解呪まで出来るとは、さすが天才と呼ばれただけはあるということか」
「お前がアルフレド・ラックス?」
「そうだ」
「殺してやる」
聞いたことのないような、低い声がアルベルから発される。
嫌な予感がした私は、慌てて袖を引っぱり、首を横に振った。
「アルベル、やめて」
「カエデのお願いでも聞けない」
「待って、話をさせて」
ちらり、とアルベルがこちらを振り返る。
しばし逡巡した後、しぶしぶといった様子で脇に退いてくれた。
警戒しているのは相変わらずなので、きっと、何かあればすぐにアルフレドさんを攻撃しようという魂胆だろう。
そのアルフレドさんは、ドアの前に佇んで仁王立ちしていた。
暗がりの中にいるせいか、ぴくりとも動かない無表情が恐ろしく見える。
周りには、警備団の人は誰もいない。
単身でここまで乗り込んで来たのか。
アルベルを捕まえたいならば、大勢いた方が有利だろう。
そこに、違和感を覚える。
「あの、アルフレドさん。どうして、呪いなんか…」
アルベルの前で、アルと呼ぶのは憚られた。
敢えて他人行儀にすれば、アルフレドさんの口の端が嘲笑の形に歪む。
「口は出さないと言ったが、手を出さないとは言っていない。アルベル・シャトーに与する者は何者であろうと、俺は断罪する」
試されていたのか。
与えられた選択肢は、アルフレドさんの優しさなどでは無かった。
私が彼の言うことを疑っていたように、彼もまた私を疑っていたのだ。
なぜ気付かなかったのだろう。
悔しさに奥歯を噛み締める。
思い出してみれば、その片鱗は見受けられていた。
良い雰囲気になっても、困ったような表情、苦しそうな表情しかせず、決して頬を紅潮させるようなことはしなかった。
今朝だって、振り返りもせずに食卓を後にしたではないか。
私がかつて、合コンに出掛ける時、アルベルにした仕打ちと同じだ。
相手に興味が無い。
一応、人並みに優しくはする。
けれども、それだけだ。
敵に回れば容赦なく攻撃できる。
アルフレドさんにとって、私はそういう存在だったのだ。
あわよくば、アルベルを捕まえる駒として使おうという魂胆だったのだろう。
「アルフレドさんにとって、アルベルは、他人を呪ってまで捕まえたい存在なんですか?もし、アルベルが呪いを解けなかったら、私は死んでいたんじゃないですか?」
「その通りだ。その大罪人の目の前で苦しんで死ぬことになってただろう」
「なんで…そんなこと」
「アルベル・シャトー。貴様にとって、この女は特別な存在である。違うか?」
突然話を振られたアルベルは、不愉快そうにしながらも、小さく頷く。
「だったら何?」
「俺は、奪われた分、奪ってやろうと思っただけだ。随分と入れ込んでたみたいだからな」
くくっ、とアルフレドさんが喉の奥で笑う。
翡翠の瞳が、窓から入る星明りを受けて、キラリと光った。
静かな怒りを孕んだその色に、ごくりと生唾を飲み込む。
「アルベル。貴様は殺した人間のことを覚えているか?」
問いかけに、アルベルは無言を貫いた。
否定も、肯定もしない。
それでも、アルフレドさんは構わず続けた。
「俺の妹は、貴様に殺された。その身を弄ばれ、森に捨てられたんだ。甥も殺されて、残った義弟も、目も当てられないほどに細切れにされていた」
どこまでが、本当なのだろうか。
本人の口から話されるのであれば、妹さんの身に降りかかった悲劇は真実なのだろう。
けれども、その犯人がアルベルだと断言できるのか?
私のように、冤罪を被せられている可能性も皆無ではない。
異世界へ渡れる天才魔術師なのだ。
不可能を可能にする力があるならば、アリバイなど無くとも世論が犯人に仕立て上げることもある。
「いつものお仲間を連れて来ないで、1人で乗り込んで来たのは、復讐のため?」
「そうだ。本当は、弱ったところを警備団で攻め込むつもりだったんだけどな。誰かさんのせいで予定が狂った。部下を無駄死にさせる訳にはいかない」
「ってことは、死ぬ覚悟は出来てるんだね?」
ずい、と再びアルベルが前に出る。
最早、アルフレドさんと話すことなどなかった。
彼のアルベルに対する怨恨はあまりにも深い。
どれだけ説得しようと、平行線で終わり、分かり合えることはないだろう。
「手段を選ばないってことで有名なのに、部下の命は大事にするんだね。意外だよ」
「あまり死者を出しても、昇進に響くのでね。カエデ1人くらいならば、何ともないだろうが」
アルフレドさんが、腰に下げた剣を抜き、構える。
アルベルはそれを眺めて、ただ笑っているだけだ。
丸腰で佇む姿に不安を覚えたが、それは杞憂に終わる。
パキリと音がしたと同時に、アルフレドさんの持っていた剣が砕け、身体が不自然に宙に浮いたのだ。
そして、吹き飛ばされるまま、鈍い音を立てて壁にぶつかる。
「僕に勝ちたいなら、せめて、魔術師を連れておいで」
行こう、と手を取られる。
振り返った先には、痛みに呻くアルフレドさん。
私は、口の中だけで小さく、さよなら、と呟く。
そして、引かれるままにアルベルの胸に飛び込んだ。
結局、この世界で信用できるのは、アルベルしかいないのだ。
親切に見えたアルフレドさんも、裏では私を呪い殺しても何とも無いも思っていた。
そして私も、真実を知った後は、アルフレドさんがアルベルに殺されても構わないと思ったのだ。
けれど、彼は生きていた。
それは、アルベルが人殺しではなかったからに他ならない。
間違っているのは、世間だ。
こんなにも優しいアルベルが糾弾され、アルフレドさんのような酷い人間が尊重されるのは可笑しい。
「私、もうアルベルしか信じない」
出し抜けに宣言すれば、アルベルがきょとんとする。
「他の誰が疑っても、私はアルベルの味方だよ」
「嬉しいこと言ってくれるねぇ」
指を絡めて繋いでいた手に自然と力が入る。
この世界も、私がいた世界も、敵だらけだ。
唯一の味方は、アルベルだけ。
もう、アルベルさえいてくれるなら、他はどうでも良いと思えた。
ゲスフレドさん
本編では、カエデ -> アルベル の興味と アルフレド -> カエデ の興味度合いが同じだったということ。
いてもいなくても、問題無い相手だったというだけ。




