03
アルベルを居候させるようになってから、3日ほどが過ぎた。
とりあえず、スペアの鍵を渡しておいて、自由にアパートへの出入りが出来るようにはしてあげたのだが、私が大学やバイトに精を出している時に、彼が何をしているのかは知らない。
敢えて聞こうとも思っていなかったし、彼も私に何も言わなかった。
非常に淡白な関係だと言っても、過言では無いだろう。
「楓、最近やつれてない?」
大学に行った時に、友人の滝 笑子にそう言われた。
名前の通り、いつもにこにことしている女だ。
植物を育てるのが好きらしく、栽培したプチトマトをお弁当に入れていたり、自分で作ったハーブエキスの化粧水だったりを持ち歩いている。
こういう人間を、女子力の塊、と言うのだろうか。
やつれる原因に思い当たる節がある私は、笑って誤魔化しておいた。
笑子は不思議そうに首を傾げていたが、それ以上詮索するような真似はしない。
私が随分とお金に困っていることを、彼女は知っているのだ。
きっと、それ絡みだと思われたのだろう。
その日も、もやしと卵を買い込んで家に帰った。
相変わらず、財布の中身は北風が吹いているため、動物性のタンパク質を買うほどの余裕は無い。
そろそろ連続もやし食は新記録を樹立するだろう。
「ただいま」
いるのかいないのか分からないアルベルに向けて、一応挨拶をする。
「おーかえり」
気の抜けた返事をしながら、ひょい、と部屋から顔が覗く。
どうやら、今日は家にいたらしい。
買い揃えた食材を冷蔵庫に詰め込みながら、バイトもせずに家でごろごろできる身分を羨ましく思った。
その時、ふと、自分が買った覚えのない豚肉のパックがあることに気付く。
誰だ、こんな無駄使いをしたのは、と内心で悪態をついた。
私はもちろん買っていないし、アルベルが買えるはずもない。
そもそも、アルベルはこちらのお金を持っていないし、私だって小遣いを渡した覚えはないのだ。
となれば、辿り着く結論は一つ。
「ちょっと、アルベル」
部屋でラグの上に座り込みながら、ぽけっとしている男に声を掛ける。
「このお肉、どうしたの」
「スーパーってところに行って、買ってみた」
「嘘おっしゃい。あなた、お金持ってないはずでしょ」
スーパーの仕組みが分からずに、もしかしたら、勝手に持ち出してきたのではないかと私は危惧していた。
そもそも、コスプレのような格好で近所のスーパーに行ったなどと、恥ずかしいことこの上ない。
よくぞ不審者として止められずに、ここまで帰ってこれたと感心するくらいだ。
それとも、最近ではコスプレをして歩いている人間は珍しくないのだろうか。
アルベルはそんな私の心中を知るはずもなく、あっけらかんと笑った。
「んふふー、それがね、持ってるんですよ」
「誰から巻き上げたの?返してきなさい」
「違うって。ほら、これ」
アルベルは懐に手を突っ込み、無造作に紙の束を取り出す。
ひらひらと、扇のように振られるそれらの全てに諭吉様が印刷されていることに気づき、私は目を剥いた。
「ちょ…どうしたの、それ!?」
「僕が持ってた時計を質に入れてみたんだ。そしたら、これで買い取ってくれた」
「時計って…そんな額になるほどの!?」
「うん。銀の懐中時計なんだけど、文字盤に宝石があしらってあるやつで。言い値で買い取ってくれたよ」
得意気にしているアルベルには悪いが、私はこの男が物の価値をしっかり把握しているのかと不安になる。
質屋の人が多めの金額にしてくれたのなら文句は無いが、世間知らずのアルベルにつけこんで、二束三文で買い取ったのであれば、大問題だ。
「アルベルが持ち物を売るのは勝手だけど…大丈夫なの?」
「何が?」
「値段よ。こっちに不利になるように買われたりしてない?」
パッと見、諭吉様は30人いても可笑しくないが、宝石の価値など私には分からない。
本当に金額が宝石付きの懐中時計に見合ったものなのか、不安になった。
アルベルはそんな心配などしていないのか、にこにこと笑みを浮かべている。
「心配してくれてるの?」
「当たり前でしょう!お金の価値観だって違うだろうし、もう少し馴れるまで、不用意なことはしない方が良いんじゃない?」
「大丈夫だよ。この3日間で、いろんな場所に行って、物の値段を見てきたから」
思わぬところで、アルベルの不在の理由を知ったが、それでも不安は付き纏う。
冷蔵庫に最後のもやしを突っ込んだところで、もう一言か二言、小言を言ってやろうと振り返る。
いつの間にか、私の背後に寄っていたアルベルに驚くが、文句を言う前に、すっと手が伸びてきた。
驚いて肩を竦めたが、なんてことはない、頭をわしゃわしゃと撫でられただけだった。
「な、なに?」
「カエデは良い子だねぇ」
「はぁ…?」
どういった経緯でそのような結論に至ったのか疑問だが、優しく撫でられる手は嫌ではない。
私は大人しく、アルベルがしたいようにさせておく。
「本当は、この紙切れ、全部カエデにあげても良いんだけど…」
「ダメに決まってんでしょ!そんな大金、受け取れない!」
「そう言うと思った」
頭を撫でていた手が、離れていく。
アルベルは苦笑とも取れるような笑顔を浮かべた。
「だから、お肉をプレゼント」
「ま、まぁ、現金渡されるよりは、そっちの方が有り難いけど…」
「それで、僕に美味しいごはん作ってね」
「うーん、こんなことなら、ちゃんと野菜を買ってくればよかった」
事前に知っていれば、生姜焼きでも、アボカドの肉巻きでも、それなりのものが作れたのに。
残念に思いながらも、現実的に考えてみたら、野菜を買う余裕などなかった。
やっぱり、もやしで正解だ。
豚肉ともやし、卵に塩コショウをすれば、それなりに食べられるものになりそうだな、と頭の中で料理をシミュレーションする。
アルベルの腹を満たすことが出来るかは甚だ疑問だが、もやしと卵だけの炒めものよりは随分と豪華になるだろう。
「お人好しな上に、素直、かぁ」
白銀の髪を揺らし、そう呟きながら、アルベルが部屋へと戻っていく。
もしかしなくても、私のことを言っているのだろうか。
「馬鹿にしてる?」
あまり褒められているような感じがしなくて、片眉を吊り上げて聞いてみれば、アルベルは首を横に振った。
「まさか。僕の周りにはいなかったタイプだから、珍しいなぁと思って」
「一体、どんな環境にいたのよ」
アルベルは小さく笑うと、聞きたい?と首を傾げる。
よく分からない素性の男の過去を聞けるなら、もちろん、聞きたいに決まっている。
私は大きく首を縦に振った。
「僕の周りはねぇ、粗野な人が多かったかな」
「粗野?」
「男ばっかりだったよ。女の子と会う機会なんて、滅多になかった」
一体、どんな場所にいたというのだろうか。
こんなひょろひょろの身体で、粗野な男たちの中にいたなんて、想像ができない。
おまけに、とても綺麗な顔をしているのだ。
男社会の中で、その貞操を奪われていたとしても可笑しくないような気がした。
下世話なことを考えながら、アルベルの職業に考えを巡らせる。
「もしかして、騎士団に所属してたとか?」
当てずっぽうの推理は、笑顔で一蹴された。
「僕が?それって、とんでもなく面白い冗談だね」
割と真面目に言ってみたのだが、本人には大受けだったらしく笑い転げている。
「だいたい、騎士団に魔術師はいないよ。脳筋ばっかりの組織だから」
「騎士団の人は、魔法使えないの?」
「中には使えるのもいるけど、魔術師に比べたら、膝下に届けば良い方」
ふーん、と私は曖昧な相槌を打っておく。
粗野な人間が多い、男社会なんて、他には思いつかない。
良い線を行っていたと思うのだけれど、ふりだしに戻ってしまった。
「結局、アルベルは何をやっていたの?」
「魔術師だよ」
「それは、わかるけど」
当たり前の答えを返されて、多少の不満を感じる。
けれども、もしかしたら、アルベルのいる世界では、魔術師という職業が確立しているのかもしれない。
ウエイトレスとか、会社員みたいな感じで。
「そっちの世界に行ったら、私も魔法が使えたりする?」
興味本位だった。
自分に無い力が、もしかしたら、違う世界では使えるのではないだろうか、という。
その言葉を聞いたアルベルが、面食らったように目を丸くして、笑顔を引っ込めた。
「こっちに来たいの?」
どうやら、勘違いをしているようだ。
残念ながら、微塵も行きたいとは感じない。
この世界で、何のために、苦労して有名大学に入り、死に物狂いでバイトと勉強に精を出しているのか分からない。
「全然。ただ、魔法が使えたら素敵だなぁって思っただけ」
私の答えに、アルベルは再び笑みを戻す。
安心したように胸を撫で下ろす様子を見て、そこまで一緒に連れ帰りたくないのかと半眼になった。
やはり、漫画の中の逆トリップのように「君と離れたくないんだ!」みたいな展開は望めないようだ。
最も、そんなこと塵ほども望んでいないけれど。
「残念ながら、カエデは魔力が無いからなぁ。使えないと思うよ」
「ふぅん。そんなもんなんだ」
「ただ、こっちに来たら、魔力を込めた道具なんかは使えるよ」
「なにそれ」
「魔力を持たない人間の為に、開発された製品」
全員が全員、魔法を使えるわけではないのか。
無駄に異世界の知識を増やしながら、私はそこで話を切って、夕飯の準備を始める。
魔法が使えれば、格好良かったのに、とアルベルが見せてくれた星空の魔法を思い出しながら、少しだけ悔しく思った。