03
両親を嬲り殺し、姉兄を売り飛ばすだけでは、アルベルの心は満たされなかった。
どうにかして、この空虚な穴を塞ぎたくて、ただひたすらに自らの欲望に忠実に従う。
金が欲しいと思えば、手近にいた人間から奪い取った。
たまたま視界に入った、仲睦まじい親子を気に入らないと思えば、その場で殺した。
自らの欲を吐き出したいと思えば、適当な見目の良い女を捕まえた。
幸せの最中にいるような人間を許せないと思えば、そのまま奴隷商人に売り渡した。
全てを意のままに動かし、欲しいものは全てその手中に収めてきた。
世間から極悪非道な犯罪者と呼ばれようとも、良心は一向に痛むことは無い。
似たような仕打ちを、散々受けてきたのだ。
何故、糾弾されなければならないのか、アルベルには理解することが出来なかった。
顔を変えることも、隠すこともしなかったアルベルを、指名手配とすることは簡単だった。
その絵姿はあっという間に全土に知らしめられ、犯罪者としての姿を明らかにした。
それでも、捕まらなかったのは、一重にその魔術のおかげである。
アルベル・シャトーの持つ魔術に打ち勝てる人間は誰一人として存在しなかったのだ。
そして、いつしか、アルベルの周りには、ならず者が集まるようになる。
美しい見目で残酷な事件を起こす彼に心酔し、崇拝する者さえ現れた。
狂信者とも言える人間たちは、アルベルにとって都合の良い手駒となった。
微笑みを浮かべ、彼らが欲しがる言葉を与え、ぐずぐずに甘やかす。
仲間でない者には、慈悲を与えることなく、冷徹に接する。
徹底した態度の差に、優越感を感じた手駒たちはつけ上がり、さらなる忠誠をアルベルに誓う。
人間の機微を観察し、思った通りに動かせることが、愉快で仕方がなかった。
「あの、アル様…これ」
贈り物です、と手渡されたそれは、珍しい魔術書だった。
頬を上気させ、期待した目でこちらを見ている男は、アルベルの言葉を待っている。
正解を当てるのは簡単だ。
「ありがとう、大切にするね」
にっこりと笑ってそう告げれば、男は気絶せんばかりに喜んだ。
なんと、単純で愚かなのだろうか。
興奮をそのままに、失礼します、と吃りながら、背を向ける姿を鼻で笑う。
手に持った魔術書を検分し、呪いがかかっていないことを確認すると、ぺらぺらと捲って目を通した。
どうやら、異世界に関する記述のようだ。
馬鹿らしい、とアルベルは思う。
異世界に行けるという魔法陣を眺めてから、そのまま手の中で本を燃やした。
成功した例は、今まで1度しかない、という。
かつて、大魔術師と呼ばれ、世間の尊敬を一身に受けた男が作り出した魔法だ。
何が楽しくて、自分の見知らぬ世界へ行こうなどと酔狂なことを考えるのだろうか。
欲しいものが何でも手に入れられる世界を捨てようなどと、愚かにも程がある。
そう、思っていた。
その時は、唐突にやってきた。
「アルベル・シャトー!お前を絶対に許さない!」
心酔したふりをして、近づいてきた男がいたのだ。
手駒として潜り込み、アルベルをその手で亡き者にしようと画策していた男が。
もちろん、自分に対して恨みを抱いてるものが、心酔する者より多くいることをアルベルは理解していた。
そして、見つける度に屠ってきた。
自らに怨恨を持つ者と分かり合えることなど、一生無いのだ。
アルベル自身が、血の繋がった家族でさえ許すことを出来なかったのだから、他人であれば尚更だ。
この時も、振り向きざまに、魔術を放ち、一瞬で片付けた。
どさり、と鈍い音がして、男が倒れる。
すでに事切れていた。
「お馬鹿さんだねぇ」
魔術を使えるならまだしも、何の力もない凡庸な人間が、天才と呼ばれる己に勝てるはずがないのだ。
あからさまな嘲笑を浮かべて、アルベルは死体を爪先で蹴飛ばす。
その拍子に、男の胸元からロケットペンダントが転がり落ちた。
慎ましい模様の入った、簡素なものだ。
宝石などがあしらってある訳でもなく、魅力の片鱗すらそこに見い出せない。
そっと手を伸ばして、力任せに首元からちぎり取る。
開いて、中を見たのは、ただの好奇心だった。
そこにあったのは、男の家族だと思われる一家の絵姿。
目の前で死体となって転がっている、茶髪に碧眼の若い男。
幸せそうに笑っているのは、金髪に翡翠の瞳をした美しい女。
そして、その腕に抱かれる、あどけない顔をした赤ん坊。
たった、それだけの、よくある家族の絵姿。
けれども、目にした途端に、血が沸騰し、逆流するような怒りが込み上げる。
アルベルはロケットを投げ捨てると、男の死体と共に粉々に切り刻んだ。
血飛沫が上がり、飛び散った肉片が、アルベルの身体を、顔を汚していく。
錆びた鉄のような匂いが充満し、アルベルの白銀色の髪が真っ赤に染まる。
激しく動いた後のように、肩で息をし、強く唇を噛み絞めた。
この男に対して、己がどのような罪を働いたのかアルベルは覚えていない。
きっと、女を犯したか、赤ん坊を売り払ったか、それとも目の前で両方を殺してしまったか。
いくら記憶を探っても、見つけることは出来なかった。
震える手で、顔を覆う。
欲しいものは全て手に入れてきた。
人を嬲り、犯し、殺め、犯罪者だと糾弾されてでも、奪い取ってきたのだ。
それにも関わらず、心に空いた穴が埋まることは、一度も無かった。
その事実に気付き、どうしようもない虚無感に襲われ、吐き気を催す。
目に焼き付いてしまったロケットペンダントの中の家族の絵姿が、嘲笑を浮かべ、こちらを見つめている。
殺したはずの男が、お前の人生など無意味なのだと全てを否定し、高笑いをしていた。
耐えぬいて、我慢して、やっと手にした自由と、全てを意のままにする魔術。
それを、小馬鹿にされたような気がしたのだ。
殺した男に対して、胸を焦がすような羨望が湧き上がる。
欲しくて、欲しくてたまらないのに、その正体が分からない。
手を伸ばそうと躍起になれど、ただ空を掴むばかりで、手に触れることすら無い。
男が持っていて、自分には無かったもの。
それが何か検討もつかない。
その場に膝を付き、うずくまった。
このまま、どこか遠いところへ消えてしまいたいと願う。
満たされない苦しみから、解放され、楽になりたかった。
そして、ふと思いつく。
以前、渡された異世界への魔法陣が載った魔術書。
あの時は、この世界であれば、全てが手に入ると信じていた。
だが、今はどうだろう。
周りを見れば、そこにいるのは自分を崇め、奉る狂信者。
アルベルに奪われ、蹂躙され、恨みを抱く者。
そして、罪を裁くため、追いかけてくる者。
そこに、求めるものはあるのだろうか。
手を広げ、魔術を発動させる。
ただひたすらに可能性を求め、目の前の藁に縋りつくような思いだった。
こうして、アルベルは世界に別れを告げる。
かつて、大魔術師が完成させ、その後、誰一人として成功させたことのない魔術を使い、世界を渡った。




