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直接的な描写はありませんが、BL(?)を匂わせる表現があります。苦手な方はご注意ください。
連れて行かれた先は、この世の地獄だった。
首輪に繋がれ、逃げられないよう足枷を嵌められて、好色な貴族の相手を強要される。
陽の光を浴びることも出来ず、薄暗い部屋の中に閉じ込められ過ごす日々。
肌を滑る不愉快な指の感触に奥歯を噛み締めて耐えれば、薬を飲まされ啼かされた。
背中を鞭で打たれ、痛みに涙を流せど、慈悲もなく塩水を浴びせられる。
声が枯れるほどに泣き叫び、助けを求めれば、愉悦に歪んだ声が、表情が襲いかかる。
欲望の捌け口として都合よく使われるだけの毎日に、自由は一切存在しない。
犯される度に憎悪が湧き上がり、行われる行為の理不尽さに憤怒した。
欲しいものは、全て我慢してきた。
いつか、優しい言葉を、ぬくもりを与えて貰えると信じて、黙って俯き、耐えてきた。
その見返りが、このような仕打ちだというのか。
圧倒的な暴力の前には、積み上げてきた努力は無意味なのだと思い知らされる。
感情論で訴えようと、理論で武装しようと、力任せにねじ伏せられれば、それまでなのだ。
謂われなく振るわれる暴力に、いつしか心は砕け散り、どす黒い感情が渦巻くようになる。
絶望が、憎悪が、憤怒が、アルベルの全てを塗りつぶしていった。
転機が訪れたのは、日付を数えるのも億劫になり、自分の年さえも分からなくなった頃だった。
相手は、頻繁にやってくる常連客。
宮廷に仕える、老齢の地位ある魔術師の男。
アルベルの服を脱がしながら、自分の服も脱がせるように男は命令する。
アルベルは何も感じることの出来ない心で、機械的に、相手のローブに指を掛けた。
その時、ふと、そこについているブローチに目が向く。
今まで気づくことが無かったが、真っ赤な宝石の中に、薄くであるが魔法陣のような模様が刻まれていた。
吸い寄せられるように見入ったアルベルの視線を追い、魔術師が口の端を歪めて笑う。
「それは、炎の魔法陣だよ。アルには発動できないさ」
アルベルは生まれてこの方、魔術の才を現したことなど一度もない。
魔術に関する知識は貴族のものであり、一介の村民が学べるものではないのだ。
己に魔力があるとは思っていない。
学んだことも無いものを、使えるとは思っていない。
それでも、願わずにはいられなかった。
もし、この男ごと、己を繋いでいる忌まわしい空間を燃やすことができたらならば。
全てを灰とし、消し去ることができたならば。
気がつけば、指を伸ばし、その宝石の表面を撫でていた。
歯を食いしばり、溜め込んできた負の感情、凶暴な衝動を叩きつける。
燃えてしまえ、塵一つ残さずに。
みんな殺してしまえばいい。
今まで、全てを我慢し、耐えてきた。
もう、十分なはずだ。
己の欲望のままに生きても、許されるはずだ。
強く願う。
みんな死んでしまえ、と。
「ぎゃぁああああああ!」
突如として、熱気が襲いかかる。
服を脱がしていたはずの老人から炎が上がり、醜い声で叫んでいた。
苦しみに悶え、こちらに手を伸ばし、必死に助けを求めている。
アルベルはローブについたブローチを素早くもぎ取ると、中途半端に脱がされていた服を着込む。
目の前で炎に包まれた人間を見て、心が高揚した。
自分を蹂躙し、見下し、高笑いしていた人間の末路。
喜びに思わず笑みが溢れた。
生まれてこの方、感じたことのない興奮が湧き上がる。
不可能を可能にした自分の力に、最早疑いを持つことは無かった。
首輪に繋がれた鎖を握り、壊れてしまえと念じる。
数年間、己を縛り付けていたはずの金属は、あっさりと音を立てて壊れていった。
なぜ、どうして、もっと早くに自分の可能性に気付かなかったのだろうか。
「ははっ…あははっ!僕は…僕は、自由だ!」
魔術という力を得たアルベルは、生まれ変わった。
欲しいものは、自分の力で手に入れる。
与えられるまで、じっと耐えて待つ子供ではなくなったのだ。
自由になったアルベルが向かった先は、懐かしい故郷だった。
旅人を殺して奪い取った路銀を使い、のんびりと旅路を進む。
己を裏切った家族をどう甚振ってやろうかと考えると、心が弾んで仕方なかった。
何度も何度も繰り返し、頭の中で想像する。
僅かな金で、この身を売り払った両親は、自らの手で殺めることに決めていた。
楽に死なせなどしない。
この世のありとあらゆる苦渋を舐めさせ、人間としての尊厳を奪い、死を渇望するほどの苦役を強いる。
最後、八つ裂きにしてしまい、骨も残らないほど無残な形にする瞬間に想いを馳せれば、自然と口角が持ち上がった。
肥えて殺されるのを待つ豚の方がましだと思えるほどの扱いを想像するだけで、アルベルの心は歓喜に踊り狂う。
そして、姉と兄には見知らぬ他人に身体を犯され、嬲られる苦痛を味わわせるつもりだった。
あの吹雪の酷かった日に、アルベルは代わりに売られてやったのだ。
その場にいた誰もが、あぶく銭と引き換えにその身を引き渡されてもおかしくはなかった。
暖炉の前でぬくぬくと過ごし、笑っていた2人が、今度こそ、その身を売られる番である。
「ただいま、父さん、母さん」
そう言った時の両親の様子を思い出すと、アルベルは今でも笑いが込み上げる。
母親は手にしたブリキのミルク差しを取り落とし、父親は後ずさった拍子に椅子に引っかかり、そのまま床に尻もちをついた。
その表情は驚愕に彩られ、みるみる白く青く顔色が変わっていく。
恐怖と絶望、そして、混乱。
言葉を失ったかのように、ただ口を開け閉めするだけの間抜けな人間。
こんな人間を僅かでも信頼していた自分が、とても惨めで、滑稽で、馬鹿らしく思えた。
アルベルの顔に、嘲笑が浮かび上がる。
「姉さんも兄さんも、元気だった?」
姉と兄は、恐怖に震え、後ずさる。
兄が咄嗟に近くにあった農具を手に取ったが、アルベルは魔術で弾き飛ばした。
何が起こったか分かっていない兄は、目を白黒させている。
完全に、過去の時とは立場が逆転した。
ここでは、アルベルが強者であり、絶対的な力を持っている。
目の前には、自分を蔑ろにし、化け物と罵り、邪険にしていた人間たちが、為す術もなく立ち尽くしていた。
その事実は、アルベルにとって最高に愉快なことだった。
「あの時は、よくも売り飛ばしてくれたね」
にっこりと笑顔を浮かべ、何度も何度も想像した報復の場面を現実へと落としこむ。
後に、アルベルの名が大罪人として知られることになる最初の事件でもあった。




