01
とても貧しい村のはずれにある、粗末なあばら屋で、一人の赤ん坊が生を受けた。
その日は、今までに例を見たことのないような、吹雪の酷い日だった。
強風に煽られ、小屋のドアは耐えずガタガタと軋んだ音を立てている。
雪解けと共に芽を出すはずだった木々は、雪の重みに耐え切れず、その枝を無残に落とした。
畑に植えられた作物は、雪に埋もれてしまい、根が腐り果てる未来が容易に想像できる。
元々貧しい村にも関わらず、この吹雪の被害で更に窮屈な生活を強いられるのが目に見えていた。
怪物のような唸り声を上げる風の音と、元気な産声だけが、部屋の中に響き渡る。
赤ん坊を取り上げた産婆はもちろん、母親、そして、父親でさえも生まれた子の姿に絶句し、声を失った。
「白い…髪の子供」
茶髪の母親と、黒髪の父親の間に通常生まれるはずの無い色彩。
先に生まれている姉や兄にも、白銀色の髪を持つ子供はいなかった。
まるで、吹雪を引き連れてやってきた、雪の化け物。
祝福されない子供は、アルベルと名付けられた。
◆
アルベルは両親と姉や兄にいじめられながらも、なんとか生き長らえていた。
食べ物で差別をされることはもちろん、他の姉兄に比べて、与えられる仕事の量も格段に多く、休む暇など無いに等しい。
「アルベル!早く水を汲んできて頂戴!」
「あ、水汲みに行くなら、ついでに草抜きもしてきて」
「おい、草抜いたら、薪を切っとけよ」
やせ細った身体には大きすぎる水桶を押し付けられても、持ち上げるのがやっとの斧を持たされても、アルベルは頷くだけで、文句ひとつ言わなかった。
その様子は、両親や他の兄弟の目には異様に映る。
駄々をこねることも無ければ、我儘を言うことも無い。
理不尽な言いがかりに声を上げて泣くことすらしない。
ただ俯いて黙っているだけの、薄気味悪い子供。
「うぅ…」
けれども、そんなアルベルの胸の内はとても単純だった。
欲が無い訳でもなければ、感情が無い訳でもない。
仕事を押し付けられれば嫌だと思うし、心ない言葉を掛けられれば傷つく。
自分の皿に乗った、姉や兄と比べると、家畜の餌のような食事を見れば、落胆もする。
それでも、彼が何も言わず、じっと我慢し、沈黙を貫く理由は一つだけ。
『嫌われたくない』
我儘や文句を言って、今以上に嫌われることが怖かったのだ。
黙って耐えながら言うことを聞いていれば、いつかは優しい言葉をかけてくれるかもしれない。
人と違う髪色を悪く言われても、化け物だと罵られても、良い子にしていれば、いつかは褒めて貰えるかもしれない。
幼いアルベルには、そう信じて日々を過ごす他無かったのだ。
温かい手の平が、頭を撫でてくれる日を夢想しながら、過酷な労働を熟すだけの毎日。
けれども、その終わりが見える日は一向に来ず、些細な願いが叶うことはない。
アルベルが生まれてから、毎年冬は吹雪で荒れるようになった。
吹雪の日は、決まって理不尽なことで怒られ、罵られる。
アルベルは、雪の日が大嫌いだった。
そして、彼が、更に不幸のどん底へと落とされることになった日も、やはり雪の酷い日だった。
姉兄が小さく火が灯る暖炉の前で、最低限の暖を取っている傍ら、アルベルは部屋の隅の暗がりに丸まっていた。
目立つところになどいれば、罵詈雑言が飛んで来るのは目に見えている。
最近では殴られることはもちろん、蹴られることも多くなっていた。
壁の隙間から入ってくる風を避けるように、ボロ布に包まる。
今日はろくに食事も与えられず、普段よりも余計に働かされた。
空腹を訴える腹の音を無視し、体力を使わないためにも、寝てしまおうと目を閉じた時だった。
バタン、とドアが開き、冷たい風と、吹き荒ぶ雪が部屋の中に入り込む。
驚いて身体を起こせば、そこに立っていたのは、先ほど出かけたはずの父親と知らない男だった。
アルベルは異様な風体をした男を不気味に感じ、身を小さくする。
姉と兄も同様に、2人で寄り添って恐怖の表情を浮かべながら男を見ていた。
その中で、事情を知っているであろう母と父だけが平然としている。
「で、どいつだ?」
男の声は随分と低く、腹の底に響くような音だった。
黒いコートに、黒い帽子、黒い髭で覆われた顔は、さながら死神のよう。
アルベルは視界に入らないように、ますます縮こまった。
「あそこにいるチビだ」
父親が指を差した先は、間違いなくアルベルを向いている。
他に誰かいないか、周りを見回したが、ついぞ無駄に終わった。
「へぇ。白い髪とは珍しい。てめぇらから生まれた子供だとは思えねぇな」
男は大股で近づいてくると、アルベルの腕を掴んで立ち上がらせる。
抵抗したが、痩せこけ、弱り切った身体では勝てるはずもなかった。
無理やり顎を掴まれ、上を向かされる。
アイスブルーの瞳に怯えが走り、涙が浮かんだ。
「よし、良いだろう。言い値で買ってやる」
男は懐から、小さな麻袋を取り出すと、父親の足元に放り投げる。
金属がぶつかる音から、アルベルはそれがお金だと気付いた。
そして、今、自分が陥っている状況を即座に理解する。
売られる。
血を分けたはずの両親に、見ず知らずの男に売られるのだ。
あんな、小さな麻袋に収まる額で。
優しくしてもらったことも、褒められたことも、頭を撫でてもらったことも、一度として無かった。
それでも、アルベルは一方的な信頼を僅かに置いていたのだ。
いつもは冷たくても、何かあった時は、きっと、父や母は助けてくれるのだと。
「やだ…」
そして、初めて、アルベルは我儘を口にした。
「やだ…やだよ!父さん、母さん、僕を売らないで!いい子にするから!もっと仕事もする!だから、ねぇ、お願い!売らないで!」
必死の叫びは、誰にも届かない。
母は顔を背け、父は足元に投げられた麻袋の中身を確認している。
姉は自分で無くて良かったとばかりに笑っているし、兄は安心したように暖炉の前に寝転がり、くつろいでいる。
アルベルはそこで悟った。
味方など、ここには誰もいなかったのだと。
僅かな信頼も、期待も、全てが粉々に打ち砕かれる。
そして、アルベル・シャトーは絶望を胸に抱きながら、男に連れられて行った。




