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異世界の犯罪者  作者: りきやん
あちらの世界

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22/42

12

嬉しそうに笑っていたアルベルの表情が、目に見えて固まる。

私の言ったことが、まるで理解できなかったと言うように、彼は首を傾げた。


「知らないところに連れて行かれて怖かったよね?でも、もう大丈夫だから。早く、こっちにおいで」


ゆっくりと首を横に振り、先程よりも、強く言葉にする。


「ごめん、アルベル。私は行けない」


今度は間違いなく、彼に届いたようだった。

けれども、アルベルは笑って、呆れたような、困ったような表情を浮かべた。


「勝手に家を出ちゃったことなら、怒ってないよ?出れないように鍵を掛けなかった僕も悪いし」

「アルベル、その…」

「怪我はない?警備団の奴らに何もされなかった?」

「違う!そうじゃなくて、私、ここに居たいの!」


アルベルの両腕が力無く落ちていき、呆然とした様子でこちらを見つめている。

穴が開くほど凝視されている居心地の悪さに、私は視線を逸らしてしまった。

それが、いけなかったらしい。

途端に、アルベルが今まで聞いたことの無い、地を這うような低い声を出した。


「なんで」


こつり、と一歩目が踏み出される。

私は黙ったまま、近づく足音に耳を傾けた。


「なんで、僕と来れないの」


私を覆う影が、彼が近づくたびに大きくなっていく。

まるで、それに呼応するかのように、窓の外、空に散りばめられた星空も、雲が覆い隠してしまう。


「カエデをここに連れてきたのは、僕だよ」


逃がさないとばかりに、アルベルの影が私を閉じ込めた。

背筋に震えが走る。


「警察の奴らから、助けてあげたのも、僕だ」


手元にあるシーツを強く握り締める。

爪が手の平に食い込み、痛みを訴えている。


「僕がいたから、今のカエデがいる。違う?」


こつり、と最後の一歩が踏み出され、足音が止まる。

ベッドの側、手を伸ばせば触れるほど近くに立ったまま、アルベルが私を見下ろしていた。

驚くほどに冷たい、いつか見た、手配書のような視線でこちらを射抜く。

ふるりと身を震わせた私は、身体をアルベルから遠ざけるように後退した。


「カエデには、僕だけのはずなんだ」


ぎしり、とベッドが軋む。

アルベルが片足をその縁に掛けたのだ。

頭のなかで、ベッドから降りて逃げろ、と警鐘が鳴っている。

けれども、以前、アルベルが私の嫌がることを絶対しなかったことを思い出し、迷ってしまった。

そして、それが彼に私を捕らえさせる隙を与えたのだ。


声を上げる間も無かった。

両手を抑えられ、一瞬の内に組み敷かれる。

足の間に膝を割り入れられ、ぐっとアルベルの顔が近づいてきた。

白銀の髪が背中から流れ落ち、私の首元をくすぐる。

驚いて押し返そうと力を入れるが、アルベルはびくともしなかった。


「2人で、一緒に帰ろうよ、カエデ」


アルベルの吐息が、唇に落ちてくる。

弱々しく、今にも泣きそうなアイスブルーの瞳が、私を見つめている。


「カエデの好きな、ジイシャを作ってあげる。大好物の『おあしす』のとんかつだって向こうで買ってきてあげる。それで、半分こしながら前みたいに、一緒に食べよう。ここにはテレビは無いけど、星空だったら2人で並んで見れるし、眠くなったら手を繋いで寝よう?」


胸が苦しい。

じわりと、涙が溢れてくる。

どうして、アルベルがこんなにも想ってくれているのに、瞼の裏に浮かんでくるのは、金髪の彼なのだろう。

どれだけ好意を持ってくれても、私は、それを返せないのだ。


「無理だよ、無理なんだよ、アルベル。ごめんね。一緒に行けない。私は、アルベルのことを好きになれない」

「前にも言ったよ?今は無理でも、ずっと先に好きになってくれればいいって」

「できない、できないよ。だって、私…」


アルベルしか知らなかった私ではない。

この世界で、アルベル以外の人と知り合い、その人を愛してしまった。


「私、アルフレドが好きなの」


だから、もう、アルベルを好きにはなれないのだ。

このまま彼と一緒に行っても、私はきっとアルフレドを思い続けるだろう。

そこに、アルベルが入る余地はない。


「もう、絶対に僕を好きになってはくれないの?」


切なげに掛けられた問に、私は答えられない。

ただ黙って、涙を堪えることしかできなかった。

ごめん、ごめんね、アルベル。

私は何度も何度も、心の中で、彼に向かって謝る。

黙した私の答えは、肯定なのだとアルベルは受け取ったようだった。


「はは…ははは」


乾いた笑いが、アルベルの口から漏れる。

涙に濡れていたはずのアイスブルーの瞳が、暗い色を讃え、猫のように細まった。


「嫌だよ、カエデ。誰にも渡さない。どこにもいかないで、僕を見てよ」


唇に柔らかい感触が落ちると同時に、生暖かいものが咥内に割入ってくる。

それがアルベルの舌だと理解するのに、そう時間はかからなかった。

離れようと手を突っ張るが、後頭部を抑えられ、逃げられない。

執拗に歯列をなぞられ、力が緩んだところで、舌を吸われ、目の前が真っ白になった。

甘い痺れが、ざわりと腰元で蠢いている。

アルフレドの事が好きだと言いながら、アルベルにキスをされて感じてしまう身体がどうしようもなく汚いものに思えた。

上から注がれる唾液が口元から溢れ、息苦しさに涙が零れ落ちる。

ようやく身体を起こしたアルベルと私の間を銀糸が引いた。


「最初から、こうすれば良かったんだ」


ちろり、とアルベルの舌が私の唇の端を伝う唾液を舐めとる。

せめてもの意思表示に顔を背ければ、許さないとばかりに顎を掴まれ、正面を向かされた。


「手錠だけじゃなくて、足枷もつけて、首輪もつけて、飼えば良かったんだ。あんな森の中の家じゃなくて、冷たくて、暗くて、寒い地下牢で、僕だけが暖かいところで、飼い殺しにしちゃえば良かった」


狂気がアルベルを覆っていく。

歪んだ口元から、くすくすと小さな笑いが漏れた。

顎を掴んでいた手が、私の左腕に伸びる。

ゆっくりと嬲るように上下に撫でられて、以前与えられた痛みが脳裏に蘇り、背中に悪寒が走った。


「印だって、カエデが痛いの可哀想だと思って、下手に弄らなかったんだよ?でもね、今は早く花が開いて欲しいんだ」


指先がするりと左手首を撫でる。

恐怖に目を見開いた私は、震える声で懇願するしかなかった。


「や、やだ…やめて、アルベル…」

「どうして?なんでやめないといけないの?」

「い、痛いの…や…やなの…」


ふーん、とアルベルは気の無い返事をすると、私の左手首を自分の唇へと宛てがう。

痛みが走ると身構えた私は、身を縮めて、ぎゅっと目を瞑ったが、予想していたような熱さは走らなかった。

代わりに、生暖かい感触がして、驚いて手を引くがそれは叶わない。

ゆっくりと、丹念に、アルベルの舌が左手首を這っている。


「お願い…アルベル…いや…!」

「じゃぁ、好きって言って」


熱い吐息が、左手にかかる。


「僕のこと、好きだって言って」


はくはく、と口が動く。

あぁ、だって、好きではないのだ。

アルベルのことを、好きになれないのだ。

私が好きなのは、アルフレドただ1人。

ここで嘘を口にしてしまえば、アルフレドを好きでいる資格が無くなってしまう。


「できない…できないよ、アルベル…」


蚊の泣くような声だった。

まるで、自分が発したとは思えないような、か細い、今にも消えそうな音。

それでもアルベルにはしっかり届いたらしく、悲しそうに微笑んだ。


「なら、壊してあげる」


ちゅ、と左手首に唇が落ちた。

途端に、そこから熱が広がり、腕の中を何かが蠢き暴れまわる。

痛みに耐え切れなかった私は絶叫に近い声を上げようと口を開いたが、素早くアルベルに押さえ込まれた。

丸めたシーツの端を口に詰め込まれ、うつ伏せに引き倒される。


「舌噛んじゃ、大変だからね」


場違いに呑気なアルベルの言葉が、右から左へと通り抜けていく。

痛みと熱さでそれどころではない私は、何とか逃れようと暴れまわった。

けれども、抑えこまれた手足は、アルベルを退かすほどの力を持ってはいない。


「誰かの物になるカエデなんて、見たくないよ」


ふわりと、アルベルの指先が私の髪を撫でる。


「うん、やっぱり、力任せにねじ伏せる方が簡単だ」


髪を撫でていた指先が、左腕に降りてきた。

触れられた部分が今まで以上に熱を伴い、私を苛む。

火傷をしたのか、皮膚を切り裂かれたのか、それとも、ただの幻覚なのか、最早判断が付かなかった。


「ねぇ、カエデ。壊れる前に、本当のことを教えてあげる」


まるで、懺悔でもするかのように、アルベルの声は静かだった。

あまりにも落ち着いているせいで、いっそ不気味に聞こえる。


「僕ね、沢山悪いことをした犯罪者なんだ」


手配書のアルベルの顔が、頭を過る。

アルフレドの言っていたことは、本当だった。

冤罪でもなんでもない。

私とは違う、本当の犯罪者。


「でもね、どんなに宝石や金を盗んでも、人を殺しても、心は満たされなかった。そして、あまりにも虚しくなって、そっちの世界に逃げ込んだ」


あぁ、だから、彼は最初、帰りたがらなかったのだ。

いつでも帰れるくせに、私に嘘をついて、さも帰り方が分からないように振る舞った。


「そこで、カエデに出会って、カエデが欲しくなった。食べ物を分けてくれたカエデが、この忌まわしい白銀の髪を綺麗だと言ってくれたカエデが、欲しくてたまらなかったんだ」


マシュマロの溶け込んだココアよりも、アルベルは私に甘い甘い、毒にも近い愛情を注ぎ続けた。

自分に依存させるために、自分無しでは自立出来なくなるように。


「欲しいものは、今まで、ぜーんぶ力づくで手に入れてきたし、僕のものにならないものなんて、ひとつも無かった」


アルフレドが言っていたではないか。

アルベル・シャトーは凶悪な犯罪者だと。

それでも、心のどこかで、優しく微笑むアルベルは冤罪を着せられて苦しんでいるのだと、見捨てることが出来なかった。


「だからね、カエデを犯罪者に仕立て上げ、君の世界から追放させた」


ぱきり、と心のどこかで割れる音が鳴り響いた。

息も絶え絶えだったが、顔を上げて、アルベルを睨みつける。

今、この男は、何と言った?

白銀の髪の男は、ゆるゆると口角を上げると、嬉しそうに笑った。


「ひとりぼっちで、こっちの世界に来たカエデには、僕しかいない。手錠をしたままで、不自由なカエデは、僕に頼りきり。僕だけが、カエデを助けてあげられる唯一の存在」


暗い森に囲まれた、小さな小屋。

アルベルと話すことだけが、唯一の楽しみで、何一つ、自分ですることが出来なかった。

二人きりの、異常な世界。

それが、意図的に、作り上げられたものだったとしたら。


「教えてあげたよね?人形遊びは出来るって」


瞬間、全てが繋がった。

2人で見ていた、大麻草の栽培で捕まった大学生がいるというニュース。

元彼からもらったネックレスを捨てて、アルベルに話した直後に、麻薬取締法違反で捕まったあの人。

ショッピングモールでアルベルと握手をした後、不自然に帰宅した笑子。

そして、突然旅行の予定が出来て、私の元に預けられた大麻草とテディベア。


「アルベル・シャトー…っ!」


口からシーツを吐き出し、痛みに耐えて、腕を突っ張る。

胸の内から、呪いの言葉と、激しい怒り、そして憎しみが湧き上がった。


「私は…あんたを、許さない…っ!」


それは、はっきりとした拒絶だった。

途端、胸元のネックレスが眩い光を放つ。


アルベルが何か言ったような気がしたが、視界を覆う真っ白な景色に怖気づき、聞き取ることは出来なかった。

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