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私がアルフレドさんのことを、アルと呼び出してから数日経った頃だった。
「すまない。今日は夜勤で帰って来れそうにない」
朝食の席で、申し訳無さそうに言うアルに、私は小さく笑う。
「気にしないで。留守番くらいできるよ」
「アルベルの奴が、もうその辺まで来ているらしくてな。警備も厳重になっているんだ」
言い訳のように、そう教えてくれるが、私はふーん、と相槌を打つことしかできない。
アルは、どうやら治安維持のような仕事をしているらしい。
騎士団なの?と聞けば、王を守る彼らとは違う部隊だ、と言われた。
私の世界でいう警察のような存在だと勝手に思っている。
ちなみに、左胸に輝く勲章の数々は、彼が解決した事件に対する褒章なのだそうだ。
実に優秀な人物なのだろうなぁ、と感心したことは記憶に新しい。
素直に褒め称えれば、本人は頭を使わない力技ばかりの仕事だから楽なもんだと笑っていた。
「戸締まりに気をつけろ、と言っても、魔術師相手に鍵なんてあって無いようなもんだしな」
「結界を張るとか」
「アルベル・シャトーに破れない魔法はない」
アルはソーセージをフォークで突き刺しながら、随分と頭を悩ませている。
私を心配してくれているのか、それとも、この屋敷にアルベルが来るのを懸念しているのか、どちらなのか定かではない。
それでも、少しでも気にかけてくれているのなら、嬉しいなぁと思う。
私は魔法に関してはさっぱり知識が無いので、出来ること、出来ないことの取捨選択が難しい。
無知な人間がいくら、うんうん唸りながら首を捻ったところで、良い案が浮かぶはずもなかった。
打つ手無しか、と諦めかけたとき、アルが思い出したように声をあげた。
「少しネックレスを貸してくれるか?」
「いいけど…」
首からそっとはずして、アルの手の平に乗せる。
防御の魔法が込められていると言っていたけれど、どうするのだろうか。
じっと様子を見ていれば、アルは指先でクリーム色の石の部分を撫でた。
すると、驚いたことに、石が濃い金色に変化したではないか。
それは、まるで、アルの金髪のようにキラキラと輝いていた。
「気休めにしかならないが。あまり、俺の魔力を注ぐとアルベルの奴にすぐバレるからな」
「何をしたの?」
「発動条件を厳しくすることで、防御の術を強めた」
簡潔すぎて、さっぱり分からない。
もう少し詳しく説明してくれと促せば、アルは小さく頷いた。
「今までは、魔力を感知すると問答無用で防御術が発動するようになっていた。これだと、発動条件が緩いのは分かるか?」
「魔力の感知が発動条件なら、あらゆる魔法を防げるってことよね?」
「そうだ。その代わり、防御は弱いし、発動回数も多くて1度が限度だろう」
アルは持っているネックレスを小さく掲げる。
「そのままだと、万が一の時、アルベルと対峙する可能性の高いカエデには、心許ないからな。今、変えた条件による発動なら、相手を吹き飛ばすくらいは出来るはずだ」
「一体どんな難しい条件つけたのよ?」
苦笑しながら問えば、何故かアルが神妙な面持ちをした。
翡翠の瞳がひたとこちらを見据えて離れない。
思わず、背筋が伸びた。
「術を発動させたければ、アルベル・シャトーを心の底から拒絶しろ」
それは、アルから与えられた選択肢だった。
彼はそれ以上、何も語らなかったが、これが私に対する気遣いや、優しさであることは理解した。
私が見たアルベルの姿を信じ、慕うのであれば、術が発動することはない、と。
アルベルを犯罪者として糾弾し、断罪するのであれば、彼を拒め、と。
「俺は、君がどちらを選ぼうと、口を出すつもりはないよ」
アルの手が、私の手の平に重なる。
ひんやりとしたネックレスの感触が、触れた部分から伝わってきた。
戸惑いながら彼を見つめれば、恐ろしいほどに表情が無い。
温かな手が離れていく。
そして、そのまま、一度もこちらを振り向くことなく、アルは部屋を出て行った。
残された私は、呆然とその姿を見送るしかない。
どこか落ち着かなくて、私は日課である図書室に行く気になれなかった。
今、本を読もうと思っても、何も頭に入ってこないだろう。
ふらふらとあてもなく、屋敷の中を彷徨い歩く。
顔見知りになった使用人の方々に小さく挨拶をしながら、中庭へと出た。
「寒い」
吐息が、白く染まる。
いつも屋敷の中にいるせいか、気付きもしなかったが、すでに冬に差し掛かっているらしい。
アルベルの小屋から連れて行かれた頃は、まだそれなりに暖かかったはずなのに。
随分と寒暖の差が激しい世界だ。
いつまでもこんな場所にいては、風邪を引きそうだ。
お世話になっている上に、病気で倒れてはアルに申し訳が立たない。
中庭の散歩は諦めて、大人しく室内に引き返そうとした時だった。
「アルベル・シャトーが?」
「旦那様が、無事に仇を討てると良いのだけれど」
ふいに飛び込んできた会話に、思わず息を呑んで、その場に固まってしまった。
盗み聞きは良くない、と思っても、足が動いてくれない。
「妹君のことを大層可愛がられていたからねぇ」
「強姦された上に、森に打ち捨てられていたんでしょう?恐ろしいわ…」
「甥御さんも殺されたとか。まだ赤ん坊だったのに…。」
「妹君の旦那様は、バラバラに引き千切られて、見る影も無かったそうよ」
どくどくと、心臓が嫌な音を立てて暴れまわっている。
これ以上、聞きたくない。聞いては、いけない。
その時、一際強く、冷たい風が吹く。
顔を打つ冷気の痛みに我に返った私は、慌てて屋敷の中へと駆け戻った。
小さく上がった息を、肩で整え、胸を抑える。
浅い呼吸が、口から漏れた。
「アルの、妹…アルベルが…?」
所詮は、使用人の噂話だ。
アルは、一度として、自分に妹がいるなどと語ったことはない。
けれども、もし、あの内容が真実だったならば。
アルにとって、アルベルはどれほど憎い存在なのだろうか。
そして、そのアルベルと一緒にいた私を、あまつさえ、好意を持っていたと言った私を、どう思っているのだろうか。
あまりにも恐ろしくて、事実を確かめる勇気など無かった。
夜が更けて、時計の針が2を回っても、私の目は冴えたままだった。
胸にぶらさがった、アルの髪色と同じ金色の石を握りしめながら、ぼんやりとシーツに包まる。
アルベルが近くにいるかもしれない、と思うと、どうしてだか眠れる気がしなかった。
それが、嬉しさから来るものなのか、恐怖から来るものなのか、最早分からない。
ただひとつ、はっきりとしているのは、もうアルベルと一緒には行けないということだ。
昼間に盗み聞きしてしまった件が真実かどうかは分からないが、それでも、今まで得た知識を総合すると、どう頑張っても、私はアルベルを信用できない。
もし顔を合わせることになったら、何て言えばいいのだろうか。
拒否をすれば、また、怒ったアルベルに左腕を弄られるかもしれない。
それは、出来るだけ避けたかった。
ぐるぐると目まぐるしく、言い訳が頭の中を回っている。
けれども、アルベルと和解できそうなものは1つとして浮かんで来ない。
静寂が支配する中、カタン、と静かに窓が開く音がした。
アル、と声を出しかけたが、彼は家長なのだから、堂々と扉から入ってくるはず。
そうなると、答えは自然と出てくる。
アルベルが、来た。
そう思った途端、呼吸が止まり、心臓が狂ったように暴れだす。
私は握りしめたネックレスに今一度、アルの魔法を使わずに済むようにお願いしてから、胸元に隠した。
そっと忍び寄る影が、視界に入る。
ゆっくりと身体を起こせば、そこには、以前よりも少しやつれた、けれども、何度も見たものと変わらない微笑みを浮かべてアルベルが立っていた。
「遅くなってごめんね。迎えに来たよ、カエデ」
両手を広げて、アルベルが待っている。
きっと、私はそこへ飛び込んで、抱きつくことを期待されているのだろう。
でも、それはできない。
してはいけない、ことなのだ。
私は一度、瞼を落としてから、大きく息を吸う。
荒れ狂う心臓を落ち着け、そっと目を開いて、窓から見える星空を背負ったアルベルを視界に入れる。
皮肉なことだ。
彼が、初めて私に見せてくれた魔法は、今日のように満天の星が散りばめられていた。
「ごめん、アルベル」
山のように考えた言い訳も、弁明の言葉も、全て頭からすっぽ抜けていく。
彼に向かって言えたのは、たったこれだけだった。




