09
ご飯を食べて、暇な時間は図書室で本を読み、またご飯を食べて、寝る前まで本を漁り、仕事帰りのアルフレドさんと少しだけ話して眠る。
いつしか、それが私の日課になっていた。
図書室には沢山の本があり、退屈する時間など一時も無い。
この国の歴史はもちろん、経済や政治的な観念、加えて宗教観など記されたものが山のように存在している。
貪るように目を通しても、一向にその数が減る気配はなかった。
「カエデ、大丈夫か」
頬杖をついて、一心不乱に本を読んでいたところに、仕事帰りのアルフレドさんが姿を見せる。
この人は、忙しいだろうに、毎日、必ず、律儀に私の顔を見に来るのだ。
「おかえりなさい、アルフレドさん」
「ただいま」
アルベルの間の抜けた「たーだいま」という挨拶とは違う、しっかりした発音。
アルベル・シャトーが私に何を求めていたのか、何がしたかったのか、いくら考えても答えを出せない。
好意を抱いていた、という割には、なぜ、このような魔法の刺青を私に施したのか、まるで理解できなかった。
「今日は何の本を読んでいたんだ?」
「えっと、これ。この国の歴史についてです」
ほら、と読んでいた本を机に広げれば、アルフレドさんは優しい瞳で私を見つめる。
「また難しい本を。俺にはさっぱりだ」
「アルフレドさんの図書室なのに」
「父上から譲り受けた本が多いからな。俺が読んだのは、両手で足りる数くらいだ」
どうやら、座学はあまり好きではないらしい。
この前の書類の計算間違いと言い、完璧そうに見えて、案外抜けているところが可愛らしいと思う。
黙って無表情でいると、取っ付きにくい印象をしているけれど、本当はとても優しい人なのだと数日過ごしただけで分かった。
「カエデは賢いし、努力家だな、きっとそれは、ここで生きていく上で、君の助けになるだろう」
頑張りが、認められる。
手放しで、褒めてもらえる。
今まで、どれだけ努力しても、それこそ大学に合格した時でさえ、誰も私のことを認めてくれなかった。
親戚は厄介払いができると喜び、学校の先生は不合格だった生徒たちのフォローでそれどころではない。
アルフレドさんが、こうして、私の努力を認めてくれるのが、とても嬉しかった。
アルベルならきっと、こう言っていた。
『そんなに頑張らなくても、僕がカエデの面倒を見てあげるし、守ってあげるよ』
そして、私から本を取り上げるのだろう。
自分に甘えろ、頼れ、依存しろ、と言いながら。
そのぬるま湯が、とても心地良かったことは否定しない。
けれども、それよりも、私はこうして自分を認めてくれる人の側にいる方が合っているのだと思う。
とても、薄情なことをしている自覚はある。
あれだけ、尽くして良くしてくれたアルベルを、どんどん忘れていく。
その代わりに、私は今、目の前に座って優しく笑っているアルフレドさんに惹かれていくのだ。
「どうした。眠いのか?」
「少しだけ」
「眠る前に、これをカエデに」
そっと右手を取られる。
ぎゅ、と握りしめられたと同時に、手の平に何か冷たいものが落ちてきた。
ぼんやりした目でそれを見つめてみれば、丸いクリーム色の石が嵌めこまれたペンダントトップのついたネックレスだった。
きらきらと光る石の中に、何か紋様が書かれている。
「綺麗…」
「この前、君が計算式を直してくれたおかげで、無事に完成した。どうやら、理論は合っていたようだ」
光源に掲げていたネックレスを、アルフレドさんの指先がちょん、と突つく。
ふらふらと、私が持っている箇所を軸に鎖が揺れた。
「気休め程度だが、君を守ってくれるだろう」
「ありがとう、アルフレドさん」
「お礼を言うのはこちらだ。カエデのおかげで、術が完成したんだ。ありがとう」
つけてやろう、と言いながら、アルフレドさんは私の手からネックレスを取ると、後ろに回りこむ。
そっと首元に落ちてきたペンダントトップの冷たさに、ぴくりと身体が震えた。
そして、すぐにうなじあたりに感じた、彼の指先の感触に顔に熱が集中する。
なぜだろうか。
アルベルには、もっと恥ずかしいことだってされていたのに。
額や頬にキスされている訳ではない。
ただ、首筋に指が触れただけだ。
それだけなのに。
「そんなに真っ赤になられると、こちらも恥ずかしいな」
終わったぞ、という言葉と共に、指が離れていく。
思わず振り返った先には、困ったような顔をして、頬を指で掻いているアルフレドさんの姿があった。
「えっと、あの…」
お礼を言うべきか、謝るべきか踏ん切りがつかないまま、言葉を零せば、まるで子供を扱うようにアルフレドさんの手が頭に乗せられる。
そんなことですら、嬉しいと思ってしまう私は、もう完全に彼に心を奪われているのだろう。
「似合っている。良かった」
嬉しそうに笑うアルフレドさん。
翡翠色の瞳が、綺麗に細まり、眩しそうに私を見つめている。
『僕が守ってあげる』
それと同時に、アルベルの声が心の中で反響した。
アルフレドさんに惹かれていくたび、心の中でアルベルが私を責める。
僕を忘れるの、好きになってくれないの、と叫んでいるのだ。
アルフレドさんよりも、ずっと長いこと一緒にいたはずのアルベル。
その彼を忘れて、他の男の人をこんなにも簡単に好きになってしまう自分が、とても浅ましく思えた。




