08
宣言通り、翌朝、アルフレドさんは私服で、私が借りている部屋に来た。
「出掛けるぞ」
若干強引に連れ出されたのは、人がいっぱいいる通りだった。
見たこともない、まるで、御伽の国のような景色に、思わずきょろきょろしてしまう。
石畳の道に、両端には露天が立ち並び、頭上には窓から窓へと張られたロープに引っ掛けられた洗濯物が泳いでいる。
どう見ても、完全にお上りさん状態の私に、アルフレドさんは大きなため息をついた。
「そんなんじゃ、はぐれるぞ」
「すみません」
「しっかり繋いどけ」
躊躇いなく繋がれた右手に、ドキリと胸が高鳴る。
ちらり、と背の高いアルフレドさんの顔を伺ってみれば、なんでも無いように真っ直ぐ前を見ていた。
一応、成人しているとは告げたのだが、どうも子供扱いされているような気がする。
仕方がないか、と半ば諦めに近い気持ちになりながら、視線を周囲の露天に向けた。
そこには、青果を扱っているお店から、ジャムなどの加工品の専門店、装飾品もあれば、雑貨や本までありとあらゆるものが並んでいる。
手を繋いでもらっているのを良いことに、前を見ずに歩いていれば、彼が突然止まったことに気付かず、背中にぶつかってしまった。
「あいたっ」
「大丈夫か?」
「すみません。他所見してた私が悪いです」
ぶつけた鼻を左手で撫でながら、アルフレドさんが止まった先を見る。
そこには、随分と面積の広い掲示板があった。
所狭しと貼られている紙には、何事かが書かれているのだろうが、私に文字を読むことは出来ない。
写真という概念はこの世界には無いようで、実に写実的なイラストがそれぞれの掲示物に描かれている。
その中の1枚に見知った顔の似顔絵が載っていることに気がついた。
「アルベル…」
そう、随分と極悪な顔をしたアルベル・シャトーの似顔絵だった。
目が釣り上がり、口の端が随分と歪んだ形をしている。
食い入るようにその絵を眺めてみたが、彼がこんな顔をしていたところは見たことが無いし、想像の産物でしかないと断言できる。
「アルベル・シャトーの手配書だ」
「これ、手配書なんですか?」
そこで、アルフレドさんは私が文字を読めないことに気付いたようだ。
手を繋いでいない方の手で、するりと額から眉間にかけてなぞられる。
その後は、すぐに文字が認識できるようになっていた。
四角や三角の訳の分からない記号が、日本語に変換されて頭に入ってくるのだから不思議である。
「ありがとうございます。便利ですね、魔法って」
「カエデのいたところは、魔法が使えない人間ばかりなのか?」
「誰一人として使える人はいませんよ」
そんなびっくり人間がいたら、世界を震撼させる大ニュースになっているだろう。
私の返答にアルフレドさんは驚いて、目を丸くしているのがこれまた可笑しい。
「どうやって生活しているんだ?火も起こせないだろう」
「起こせますよ。ガスが燃料だったり、光源なら電気があります」
「なんだ、その電気というのは」
「一種のエネルギーみたいなものです。それを元に、光を発生させたり、ものを動かしたりできるんです」
「魔力とは違うのか?」
「違いますよ。人間の体内ではなく、風や火に水、原子力なんかで作り出すのが電力ですから」
「すごい世界だな。想像もできん」
心の底から感心したようなため息を零す彼に、私は嬉しくなる。
アルベルは、こちらに来た時、全くと言って、テレビや冷蔵庫などの家電に興味を示さなかったが、アルフレドさんなら私の期待していた反応をしてくれるに違いない。
そして、もう一度、先程の手配書に目を向ける。
文字が読めるようになった今、それは間違いなくアルベル・シャトーが危険人物である旨が書かれていることが理解できる。
「アルベル、本当に悪い人なんですか?冤罪の可能性は?」
「これだけ複数の罪に問われている奴が、冤罪を被っていることは、まずないな」
決めつけのように、アルフレドさんは言うが、私はその言葉を素直に信じられない。
なぜなら、私自身が冤罪を被って、自分の世界から逃げ出したからだ。
彼が悪い人だという証拠が無い限り、疑ってあげたくはない。
「まだ信じられないか?」
こくり、と躊躇いなく頷いた。
アルフレドさんは、そうか、と呟くと、私の手を引いて、その場を後にする。
そして、新聞を配っている人に声を掛けた。
「一部くれるか?」
片手で器用に代金を支払いながら、アルフレドさんは新聞を受け取る。
すぐに広げるかと思ったが、そのまま連れられて、広場のようなところに出た。
そして、その中央にある噴水の縁に腰掛けると、隣に座るように促される。
私は、大人しくそれに従った。
するりと繋いでいた手を離して、アルフレドさんは新聞を開く。
飛び込んで来た文字に、私は息が詰まった。
「一家惨殺…犯人はアルベル・シャトーか?」
声に出して読んでしまえば、アルフレドさんが大きく頷いた。
「惨殺とは書いてあるが、奴の殺人の特徴は血が一滴も流れないことだな」
「どういう…ことですか?」
「アルベルが手に掛けた者は、皆、真っ白な顔で目を剥いたまま、息絶える」
ひゅ、と喉が鳴った。
アルフレドさんの説明に、脳裏に2人の刑事の顔が過る。
あの時、アルベルが何をやっているか分からなかったから、刑事の一人と顔を見合わせたのだ。
そうしたら、急に顔色が悪くなって、目を剥いて、彼は倒れた。
アルベルの肩越しに見た時、その胸は上下に動いていなかった。
まるで、息をしていないように。
途端にせり上がってきた気持ち悪さに、思わず口を手で塞ぐ。
それに気付いたアルフレドさんが、心配そうに背中をさすってくれた。
「覚えがあるのか?」
「で、でも…アルベルは、眠らせただけって…悪夢で…」
気の毒そうな表情が、アルフレドさんの顔に浮かぶ。
私は、アルベルに騙されていたのか?
それとも、アルフレドさんが私を騙そうとしている?
しかし、その手の中に握られた新聞、そして、先ほどの掲示板が、この国の大衆は、アルベルが犯罪者だと認識していることを私に知らしめる。
何を信じて良いのか分からない。
何が真実なのか、分からない。
アルベルに対して、以前痛みを与えられた時の恐怖が蘇り、思わず左手首を擦った。
それに目敏く気付いたアルフレドさんが、背中を擦っていた手を止め、私の左手を取る。
そして、止める間もなく袖を捲りあげられた。
何だ何だと驚いている内に、すぐに袖は元に戻される。
説明を求めてアルフレドさんを見つめれば、とても厳しい表情が返ってきた。
「これは、アルベルが?」
「刺青のことですか?そうですけど…」
「何も知らない子に、なんて酷いことを」
確かに、成長する訳の分からない刺青を勝手に入れられたことは酷いと思う。
けれども、そんなに神妙な顔をされるような代物なのだろうか。
怖くなった私は、彼に尋ねてしまう。
「あの、これ、なんなんですか?」
アルフレドさんは、言いづらそうに唇を真横に引き結ぶが、小さく首を振ってから、教えてくれた。
「俺達が、奴隷の印と呼んでいるものだ」
「ど、れい…?」
そんな、馬鹿な。
これは、私があちらの世界にいた時に、アルベルにやられたものだ。
私に好意を抱いた、と言っていたはずのアルベルが、なぜ、奴隷なんて。
閉口してしまった私に、アルフレドさんは詳しく説明してくれる。
「魔法を使える主人が、気に入った奴隷が逃げないように施す印のことだ。刺青が成長し、花が開けば、印をつけられた者は主人から魔力を得られないと、死の瀬戸際まで追い込まれ、悶え苦しむことになる。魔法による制限で、自殺はもちろん、他殺でさえ不可能だ。主人が死んで良いと許可する日まで不死になる、最も非人道的とされ、使う人間は蔑視される魔法の1つだな。奴隷に施すことが多いことから『奴隷の印』などと呼ばれるが、実際は特定の人間を自分の側に縛りつけるためのものだ」
アルフレドさんが言っていることは理解できた。
これが、何の魔法なのかも、しっかり把握した。
けれども、アルベルが何を思って、施したのかだけは、さっぱり理解できない。
身体に害は無い、と確かに言っていたはずなのに。
アルベルは、大嘘をついていたということだろうか。
「私、どうなるんですか?」
「まだ、花は開いていないようだし、アルベルの側にさえいなければ、これ以上刺青が成長することもないだろう。術者の側にいる、もしくは、魔力を注がれることで侵食が進み、完成する魔法だからな」
ということは、アルベルの側に戻ったら、刺青は成長し続け、文字通り彼無しでは生きていけなくなるのだろう。
アルベルが異常なまでに、私に依存して欲しいと言っていたのは覚えているが、それは、精神的な意味だけでなく、身体的な、生死さえも依存して欲しいということだったのか。
両腕で身体を抱きしめるように、身を縮ませれば、アルフレドさんが心配そうに見つめてくる。
「随分と、気に入られてたのだな」
「そう、なんでしょうか。私、もう、アルベルが分からない」
彼に抱きかけていた好意が、飲み込まれる程に、不信感が募っていく。
いつしか、私の中で優しく微笑んでいたアルベルの顔は、真っ黒に塗りつぶされていた。




