07
アルフレドさんは、次の日の朝早く、私と顔を合わせることもなく仕事に出て行ったようだ。
目覚めた時には、すでに屋敷にその姿はなかった。
仕方ないので、その辺にいた使用人らしき人に、私はどうすれば良いか聞いてみたところ、ゆっくり過ごしてくれとのこと。
どうも客人扱いを受けているようだが、何もしないというのは落ちつかない。
手錠が嵌められていた時とは違い、両手は自由なのだ。
それに、アルベルのことを考えたくなくて、どうにかして動きまわっていたかった。
裾の長いドレスを引きずりながら、うろうろと仕事を探している途中で、書斎のような部屋に行き当たる。
勝手に入って良いのか分からなかったので、これまた、その辺にいた使用人らしき人に聞いたところ、公開されている図書室のようなものだから、出入りしても問題無いとの返事を頂戴した。
個人の邸宅に、図書室ってすごいな。
アルフレドさんが言語を理解できる魔法を掛けてくれたので、本を読めるようになっているかもしれない。
私はどきどきと胸を高鳴らせながら、そっと図書室の扉を開いて中に忍び込む。
むわっと広がる紙独特の匂いに、懐かしい気分になった。
日にさらされるのを避けるためか、部屋は薄暗いが、一応明かりがついている。
蝋燭も無ければ、アルコールランプでも無い。
光がふわふわと浮かんでいる様子は、どう見ても魔法で創りだした光源だろう。
つついてみたい衝動に駆られたが、余計なことをして怪我をするのも馬鹿らしい。
ぐっと好奇心を押し込んで、私は本棚と向かいあった。
けれども、そこで私は落胆することになる。
残念ながら、本の表紙にある文字は四角形と三角形の図形にしか見えなかった。
「なーんだ」
アルフレドさんが帰って来たら、文字も読めるようにしてもらおう、と私は肩を落として踵を返す。
その時、書斎机のようなところに資料が散乱しているのが目に入った。
もう少し、片付けておけないものかと思って、私はそこに近づく。
纏めて隅に置くくらいだったら、勝手に触っても問題ないだろう。
そう思って、その中の1枚を手に取り眺めた。
そして、違和感に気付く。
「あれ…数字」
そう、数字だ。
拾い上げた1枚には、何か分からないが計算式が並んでいた。
それは、すんなりと頭に入ってくる。
数字は、読めるのだ。
思えば、時計の文字盤も、アルベルの家にいた時から理解できていたことを思い出す。
ゆっくりとその中身を見ていれば、大学で習っていたような計算式が沢山あった。
その脇に、ちょこちょこと図のようなものが書き入れられている。
どうにも、こちらの文字では無く、純粋に図形のようだった。
「なんだろう、これ」
興味が湧いた私は、計算式と図を眺めてみる。
面白くなって目で追っていたが、途中の計算が間違っていることに気が付いた。
ルートを取っている部分で、数字を導くのに失敗している。
その辺にペンは転がっていないかと見渡せば、羽根ペンとインクが見つかった。
どう使うのかは分からなかったが、とりあえず、インク壺に先っちょを浸して間違えている計算部分を直してみる。
その数字が間違っているせいで、その後の計算も大分狂っているようだ。
普段なら、面倒だと思う計算問題も、久しぶりに問いてみると楽しい物である。
アルベルのところで暇を持て余しすぎて鈍った脳みそを働かすのに、ちょうどいい。
一心不乱になって、私は薄暗い中で数字を追い続ける。
そして、いつしか集中力が切れてしまい、夢の中へと落ちていた。
「おい、起きろ」
乱暴に肩を揺すられて、意識が浮上していく。
ごしごしと目を擦りながら顔を上げれば、そこには苦笑したアルフレドさんがいた。
「こんなところで寝入っているとはな。使用人たちが姿が見えないと、随分心配していたぞ」
「え、あ、あぁ!すみません!」
跳ねるように飛び起きれば、腕の下に敷いていた紙が舞う。
しまった、と慌てて集めれば、アルフレドさんも手伝ってくれた。
そして、その内容を見ながら、目を瞬く。
「これ、カエデが書いたのか?」
「いえ、もともとあったものの間違いを訂正していただけです」
「あぁ、うん、書いたというのは、その訂正部分のことだ。元は俺が作ったものだからな」
まじまじと資料を見つめているアルフレドさんに、勝手に紙に書き込みしたのはまずかったかと冷や汗をかく。
いくら、ゴミのように乱雑に机に散らばっていたからと言って、人によっては重要書類をそうやって放る人間もいるだろう。
最後の審判を待つような気分で、アルフレドさんを伺っていると「すごいな」とお呟きになられた。
「カエデは随分と計算が得意なのだな」
「まぁ、そういう分野の学部にいたので」
「学部?」
「えーっと、学校の中での専攻分野みたいなものです」
「面白い」
立っていたアルフレドさんは、椅子を引いて腰を落ち着ける。
そして、ゆっくりと紙の内容を検分しはじめた。
腰を浮かしていた私も、ここで一人で去るのはちょっと感じ悪いだろう、と思い、再び座り直す。
「これだけ出来るのであれば、王宮の魔術開発の奴らにも引けを取らないだろうな」
「はぁ…そうですか」
王宮でも働けるってこと?
良くわからないけれど、褒められてはいるのだろう。
しかし、国の機関で働いている人間が大学生と同じレベルって大丈夫か。
それとも、ここはあまり学術が発達していないのだろうか?
馬に剣を使っていたことからも、車や銃が開発されていないことは見て取れるのだが。
「この紙に書いてあるのは、俺がお遊びで開発していた魔法なんだが、どうしても上手くいかなくてな。そうか、計算が間違っていたのだな」
うんうん、と嬉しそうに書類を眺めているアルフレドさんを見て、私まで嬉しくなってくる。
自分が一生懸命勉強して身につけた知識が、役に立っているのだ。
今までの血を吐くような努力が無駄では無かったのだと、感じさせてくれることに喜びを感じた。
「防御魔法の一種なんだが、理論そのものは合っていたのだろうか。これは、後で試してみる価値がありそうだ。カエデ、良かったらお前も…」
言いかけて、アルフレドさんは言葉を止める。
なんだろう、と首を傾げれば、申し訳無さそうに謝られた。
「すまない、魔法は使えないんだったな」
「あー、いえ、別に気にしてないんで、大丈夫ですよ」
お前も試してみるか、とでも言おうとしたのだろう。
少しだけ気まずくなってしまった空気を払拭するように、アルフレドさんは咳払いをする。
そしてから、話題を変更した。
「ところで、君の処遇についてなんだが」
これまた重い話が来たな。
普通、気まずくなった空気に重ねて、こんな話題を持ってこないだろう、とズッコケそうになる。
なんだか不器用なアルフレドさんが面白くて、思わず笑ってしまえば、訝しまれた。
「なんだ、何が面白い」
「いえ、何でもないです。続きをどうぞ」
先程のアルフレドさんのように咳払いをして笑いを誤魔化せば、彼は眉根を寄せながらも渋々、先を話してくれた。
「しばらく、君を俺の屋敷で預かることになった。アルベル・シャトーの今後の動きによっては、すぐに解放することもできるだろうが、どうやら君を血眼になって探しているらしい」
「あの、アルベルのところに帰るって選択肢は…」
「なしだ。君は奴の事を分かっていない。そんな危険に晒すような真似は、出来ないんだ」
即座に却下されてしまい、私は肩を落とす。
アルベル、大丈夫だろうか。
突然いなくなってしまって、私を心配してくれているのか、それとも怒り狂っているのか…。
どちらなのか判断はつきかねるが、ともかく探してくれていることに関しては、嬉しく思った。
頬が緩んだのを、アルフレドさんは見咎めたのか、表情を厳しくする。
「奴への信頼を今すぐ捨てろとは言わないが…現実を見てくれ。あいつは、犯罪者だ」
「そう言われても、私の知っているアルベルは、優しい人でしたよ。そりゃ、怒ったら怖かったですけど」
「明日、俺は休みなんだが」
話の脈絡が無さ過ぎて、ついていけない。
私はぽかん、と口を開けてアルフレドさんを見つめる。
「アルベル・シャトーについて、君に知ってもらおうと思う」
ここで、はぁ、と間抜けな返事をした私は、別に悪くないだろう。




