05
なぜだか分からないが、団長と呼ばれていた人の屋敷に連れて来られた。
謎の魔法陣を馬で駆け抜けたら、大きな街に出たことにも驚いたが、屋敷の広さにはもっと驚いた。
副団長らしき人に指示を出して、団長は一人だけ軍団を離れると、私を屋敷の使用人らしき人に託す。
「風呂に入れておけ」
そしてから、私の手を取ると、手錠をじっと見つめた。
注意深く眺めていたが、期待していたものと違ったらしく、拍子抜けしたように肩を落とす。
「なんだ。何の魔法も掛かっていないじゃないか」
そして、それはそれは、まるでクッキーを割るかの如く手軽に手錠を割ってくれた。
その一瞬、光が走ったことからも、男が何らかの魔法を使ったのだろう。
本当に簡単に、それこそ、指で撫ぜるだけで手錠を壊してみせたのだ。
「…え?」
「そうか、君は魔法を使えないのだな?」
とりあえず、魔法が使えないことには頷いておいたが、アルベルが手首をふっとばさないと取れない、と言っていたのは何だったのだろうか。
もしかして、アルベルは細かい魔法が得意じゃなかった、とか?
いや、でも、異世界を渡れるような魔術師のはずだ。
目の前の人より、よっぽど繊細に魔法を操りそうなものだけど。
「アルベルは、魔法でも外せないって言っていたのに」
「そんな大嘘に騙されていたのか?」
世間知らずな、と驚いている団長を尻目に、私はがしゃがしゃと手錠を手首から外す。
アルベルが私に嘘をついていた、とは考えたくはないが、言語の事といい、手錠の事といい、少しずつ不信感が募っていく。
先程のこの人の物言いから推測するに、アルベルはどうにも世間体の良くない人物として捉えられているらしい。
奴隷商人、と言ったところか。
あの優しそうな顔で、人間を売り捌く姿なんて、想像できなかった。
とりあえず、今後、どうすれば良いのか分からなかったので、目の前の人物に尋ねてみる。
「あの、すみません。私はこれからどうしたらいいんですか?」
「とりあえず、風呂に入れ」
「それはありがたく思うんですけど、その後は?」
「俺が帰ってくるまで、ここで待っていろ。君の処遇はそれからだ」
それだけ言うと、彼はさっさと玄関から出て行ってしまう。
大方、さっきの軍団のところまで戻ったに違いない。
「こちらへどうぞ」
私は、使用人らしき女の人に案内されるがまま、その後をついて行く。
不安だらけだったが、お風呂に入れることだけは、とにかく感謝した。
脱衣所に放り込まれた私は、さっさと泥だらけの服を脱いで、風呂場へと入り込む。
コックを捻れば、熱いシャワーが上から注がれ、この数週間で溜まった汗や垢が全て洗い流されるようだった。
ていうか、アルベルは酷すぎる。
女の子がシャワーを浴びられないのが、どれだけ苦しいことなのか、思い知るべきだ。
いや、もしかして、ベッドで一緒に寝ていたくせに、唇へのキスすら許さなかった私への当て付けだったのだろうか…。
ひと通り、髪と身体を洗って、私はたっぷりとお湯が注がれた浴槽に身を沈める。
足の裏の傷が疼いたが、眉を顰める程度の痛みだ。
ほっと息をついたところで、ふと左腕に目を止めた。
いつかの日、アルベルに彫られた魔法の刺青は、随分と大きく成長していた。
左手首に巻き付くだけだった蔦の模様は、肘下まで伸びている始末である。
これが一体、何の魔法かは分からないが、見ていて気持ちの良いものではない。
勝手に成長する刺青など、不安要素にしかならないのだ。
お行儀が悪いと知りながらも、私は口をお湯に沈めてぶくぶくと泡を作る。
団長と呼ばれていた男は、何考えているかさっぱりだし、どう良く見ても、アルベルの元に返してくれるとは思えない。
そもそも、アルベル・シャトーとはこの世界ではどんな人物だったのだろうか。
宮廷魔術師か何かだと勝手に考えていたが、どう贔屓目に見ても、制服をかっちり着こなした軍団に追われるなんて、まともな職業じゃないだろう。
それとも、この人達の勘違いなのだろうか。
私が、笑子に陥れられたように、アルベルも誰かに誤解されているだけなのかもしれない。
お湯に沈めていた顔を上げると、決意を胸に脱衣所へと戻る。
用意されていたタオルで身体を拭き、下着と洋服を身につけた。
残念ながら、下着はサイズが合っていないのか、若干キツかったが、文句は言えない。
長袖の裾の長いドレスのような服も、歩きにくいなどと言える立場ではないだろう。
お風呂を終えた私が脱衣所から出ると、そこには先程の女性が待ち受けていた。
そして、再び案内されるままに着いて行けば、食欲をそそる良い匂いのする部屋に通される。
机に並んだ料理に、私は思わず歓声をあげた。
「わー!すごい!」
飛びつくように駆け寄れば、くすくすと女性から笑い声があがる。
子供のような行動だったかと、顔を真っ赤にして反省していれば「ごゆっくりどうぞ」と言って、女性は部屋から出て行ってしまった。
一人ぽつん、と残されて寂しい気はするが、私はいそいそと椅子に座って、用意された料理に手を付ける。
ハンバーグのような練って焼いたものを切ってみれば、中からとろりと緑色の香ばしい匂いのソースが出てきた。
そっと口に運んでみると、バジルとチーズが混ざったような、とてもお洒落な味がする。
アルベルの作ってくれる家庭の味のする料理とは違う、お店で食べるような洗練された味だ。
もぐもぐと口を動かしながら、私は呑気に美味しい料理に舌鼓を打つ。
腹ごしらえをしてから、ちゃんと、これからのことを考えよう。
なぜだろうか、アルベルと離れて不安があるにも関わらず、その一方で私は清々しい程の解放感を味わっていた。




