10
ちょうど、笑子から預かった植物に水を大盤振る舞いしている時だった。
ピンポーン、と間の抜けたインターホンの音が鳴る。
アルベルは出掛けているが、鍵を持っているので、わざわざ鳴らしたりはしない。
宅急便だろうか、と疑問に思ったが、そんなものを送ってくる人間に心当たりは無かったし、通販など頼んだ覚えもない。
「はいはーい」
我が家の水道水を味わって飲めよ、と植物相手に凄みつつ、私は訪問者を待たせる。
プランター全部に水をやり切ったところで、じょうろをベランダの脇に置き、流し台で手を洗った。
そしてから、そっと玄関の覗き穴に目を近づける。
外にいたのは、2人組の男だった。
スーツのようなものを着ている。
あぁ、これは、ネットの通信業者か、某テレビ局の集金だろう。
ネット業者なら、はっきりと断っておかないと、また来る可能性が高い。
集金については、貴重な財産から、毎月きっちりと支払ってやっているはずだ。
私は仕方なくチェーンロックを外し、鍵を開いた。
「こんにちは。遠藤 楓さん、ご本人様ですか?」
「そうですけど」
表札に、名前は無い。
集合ポストにも、苗字しか書いていない。
何故、私の名前を知っているのだろうか、と訝しみながら男たちを眺める。
おじさん、と呼んでも遜色ない年の人たち。
真面目そうな顔つきだったが、どこか、厳しい目をしている。
嫌悪感を抱きはしないが、好感も持てないような雰囲気だった。
「あの、ネットなら必要ありません。集金なら、ちゃんと払っているはずですが」
「いえ、そうではなくてですね」
ごそごそと、もう1人よりは、年配であろう男がスーツの内ポケットを探る。
ネット業者でも集金でもないなら、新聞の押し売りだろうか、と考えたが、彼らは単体で行動するはずだ。
私は訳が分からず、男の行動をぼけっと眺める。
そして、懐から出てきたものに息が止まった。
「警察の者ですが、少しお宅の中を拝見してもよろしいですか?」
アルベルのことが、バレた。
即座にそう思った。
戸籍も何もない彼が、外で何かやらかしたのだろうか。
それとも、白銀の髪の男が出入りする様子を、ご近所さんに疑われたのだろうか。
不法入国者だと思われているのかもしれない。
幸いなことに、今ならばアルベルはいない。
彼の着ている服はあのローブだけだし、高そうな装飾品も部屋には無いはずだ。
問題があるとすれば、食器や歯ブラシが2人分あることくらいだが、彼氏の分だと言い張ればバレないだろうか。
とにかく、ここで断って、さらに怪しまれるのは良くない。
そう思って、私はゆっくりと頷いた。
「それは、問題無いですけど、あの、でも、どうして家宅捜索なんか…?」
警察に関わることなど、一生無いと思っていた私は、若干混乱しながら2人を玄関に通す。
先程、警察手帳を見せてくれた人とは別の、少し若い方の人が、にこりともせずに教えてくれた。
「最近、大学生の麻薬事件が横行していてね。それの一貫だよ」
その言葉に、私はほっと胸を撫で下ろす。
アルベルのことが、バレた訳ではなかった事に、大いに感謝した。
今なら、棚の中の私の下着まで捜索されても文句は言わない。
やましいことが無くなった私は、安堵しながら2人を部屋に通す。
「どうぞ。狭いですけど」
そう、何も心配あるはずなどなかったのだ。
私は麻薬なんぞ見たことも無ければ、触ったことも、所持したこともないはずだった。
けれども、部屋に通した途端、2人の刑事の顔色が変わる。
唇が真横に引き結ばれ、ひくり、と頬が痙攣した。
その目は、カーテンが開きっぱなしで、丸見えだったベランダに釘付けになっている。
「抑えろ」
何が起きたか分からなかった。
先程、家宅捜索の理由を教えてくれた人が、素早い動きで私の後ろに周り、両手を封じる。
私はぽかんとしたまま、抵抗もせずに、為すがままにされていた。
「え?な、何でですか?」
警察手帳を見せた刑事が、ベランダに近づき、厳しい目で笑子から預かったプランターを見つめている。
その姿に、一つの事柄に思い至った。
まさか、笑子が、そんな、いやでも、それしか考えられない。
冷や汗が全身から吹き出す。
それは、私のものではないのに。
「ちが、違うんです!それ、友達から預かったもので!」
どちらの刑事も答えない。
こんな、弁解すら聞いて貰えないなんて、酷い話ではないか。
私は、善意から、笑子の植物を預かったというのに。
それが、大麻草だったなんて!
ハッとして、もうひとつの、笑子から預かったテディベアに目を向ける。
その視線を、刑事が見逃すはずもなかった。
アルベルがいつも寝ているソファに歩み寄ると、それを取り上げ、じろじろと眺める。
何度か腹の部分を強く押して、顔色を変えた。
「裂くけど、構わないね?」
疑問系で問われてはいたが、それは有無を言わせないものだった。
私が何かを言う前に、年配の刑事はテディベアの縫い目に手を掛け、引き裂いてしまう。
割れ目を大きく開き、逆さまにすると、ぽろぽろとビニール包装された粉薬のようなものが落ちてきた。
テディベアの中身は、綿で出来てなどいなかったのだ。
「黒だ」
短いその言葉は、私の目の前を真っ暗にするには十分だった。
なんで、どうして、という言葉がぐるぐると頭の中をまわる。
どうにか切り抜けないと、ここで私の人生は終わってしまう。
不思議と、誰かに助けを求めようとは思わなかった。
神様にでさえ、縋る気になれない。
がしゃん、と手首に冷たい感触が走る。
両手首に銀色の拘束具、そう、手錠が掛けられたのだ。
ちらりと見える、左手首の模様に、私が逮捕されたらアルベルはどうするのだろうか、と場違いな心配をしてしまう。
「とりあえず、署まで来てもらおう。話はそこで聞く。いいかい?」
素直に頷いておいた。
ここで抵抗しても、仕方がない。
手錠を掛けられた以上、私はここから逃げることすら出来ないのだ。
それに、あからさまな証拠を目の前にして、友人から預かったなどと喚いても、容疑を深めるだけだろう。
諦めて、2人に着いて行こうと足を動かした時、玄関から間の抜けた声が聞こえた。
「たーだいま」
刑事たちの足が止まる。
今までで、最悪のタイミングでの帰宅だった。
何故、こんな時に帰ってきたのかと、私は恨めしい思いでいっぱいになる。
「カエデ。今日は…あれ?」
ひょこり、という効果音と共に部屋に顔を出したアルベルは、2人の刑事の顔を順番に眺める。
あからさまに、表情に「誰だこいつら」というのがありありと浮かんでいた。
そしてから、アルベルの目が、私の手に止まる。
正確には、そこに掛けられた、手錠に。
「カエデの事、連れて行くの?」
「遠藤さんの、同居人かな?」
年配の刑事は、慣れているのか、アルベルの言ったことを全く無視して問いかける。
彼の異様な髪や服装に言及すらしない。
荒事に慣れている、というよりも、ひょろいアルベルに万が一にも負ける訳が無いという自信があるのだろう。
「この部屋は遠藤さん1人で入居するという契約じゃないのかい?」
「さぁねぇ。僕は知らない」
へらり、とアルベルが口角を上げて、笑みを形造る。
けれども、その目が笑っていないことに気付いてしまった。
「カエデを連れて行くのは、僕だよ」
こんな時に、何を馬鹿なことを言っているのだろうか。
アルベルが年配の刑事の横をすり抜け、真っ直ぐ私に向かって来る。
すれ違い様に、何故か、労るように刑事の左肩に手を置いた。
「あ、アルベル…?」
彼の行動が意味不明すぎて、ぽかんと口を開け、その様子をじっと見守る。
私を抑えていた、刑事の手の力が強まった。
「だから、返してね」
ぽん、と友人にするように、アルベルが私を拘束していた刑事の左肩に手を置く。
何をしているのかさっぱり理解できず、思わず刑事と顔を見合わせてしまった。
怪訝な表情をしていた刑事。
けれども、その顔色が急に蒼白になり、目玉がぎょっとしたように剥かれる。
「あの、どうし…?」
言葉はそこで引っ込んだ。
私を拘束していた手が緩み、力無く、刑事が床に倒れこむ。
年配の刑事も同じように、音を立てて転がった。
室内に静寂が訪れる。
「行こう、カエデ」
アルベルだけが、何事も無かったかのように、この異様な部屋に佇んでいた。
私は驚いて固まったまま、答えることができない。
「僕の世界に連れて行ってあげる」
アルベルが、私をそっと抱きしめる。
それなりに背が高いアルベルだが、その肩越しに、様子を見ることはできた。
転がった刑事さんが、動く様子はない。
真っ白な顔で、胸が上下すらしていないのだ。
確かめる術はないが、死んでいるのかもしれない。
アルベル・シャトーがこの殺人を犯したなどと、誰が証明できるのだろうか。
そして、大麻及び覚せい剤の所持は友人に図られたものだったと、誰が証明できるのだろうか。
そう、ここにいれば、私は重罪を背負った犯罪者でしかない。
私は、アルベルに抱かれたまま、そっと目を閉じる。
もう、どうにでもなればいい。
有名大学に入るために一生懸命勉強したことも、学費と生活費のために一生懸命働いたことも、全て無駄でしかなかったのだ。
私の人生なんて、そんなものだ。
足元に光が広がる。
アルベルが、私を、彼の世界に連れて行くのだろう。
あれだけ、行きたくないと思っていたのに、今は逃げられるのであれば、それで良いやと投げやりな気持ちになる。
その日、遠藤 楓という存在は、世界から消え失せた。




