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異世界の犯罪者  作者: りきやん
こちらの世界
1/42

01

その日は、奮発して「おあしす」のとんかつを買って、小躍りしながら帰宅した、そんな日だった。

大学に入ってから一人暮らしを始め、奨学金とバイト代で家賃と学費、日々の生活費を賄っている身にとって、専門店の惣菜を買うことは最高級の贅沢だ。

細かく刻んだキャベツ、そして、濃い目のソースと一緒にご飯を貪り、一人ビールで乾杯しようと、妄想に浸る。

数十分後に迫る夕食の時間が待ち遠しくて仕方が無い。

気を抜けば、口の端しから垂れそうになる唾液を抑えながら、私はうきうきと帰路についていた。


曲がりくねった細い道を抜ければ、薄汚れた壁の建物が見えてくる。

その横にある、取って付けたような階段を駆け上がれば、木製でもないのにギシギシと不気味な音を立てた。

いつ聞いても、不愉快な音だ。

この体たらくで月に7万円も召し上げるというのだから、恐れ入る。

それもこれも、都心なんかにあるせいだ。

都内の住宅事情はもっと切り込んで改善されるべきだと思う。


ポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。

がちゃり、と軽快な音を立てて開いたその扉に何の疑問を持つこともなく、流れるような動作で取っ手を掴み、開いた。

そして、視界に飛び込んできた人の姿に、私は即座に扉を閉める。


「え、なに」


思わず零れた言葉を拾う人間は、周囲に誰一人としていない。

私は名前を書いていない表札の上、部屋番号をじっと見つめる。

うん、間違っていない。

302号室は、間違いなく、私が毎月、血の涙を流しながら家賃を納入している部屋だ。

それなのに、誰かが、部屋の中にいた。

おかしい。絶対におかしい。

泥棒だろうか、と閃いて、私は扉から距離を取って、即座に携帯を取り出した。

とにかく、警察に連絡しなければ。


そこで、はたと手を止める。

もし、見間違いだったら、恥ずかしいことこの上ない。

警察まで呼んで、誰もいませんでしたじゃ、あの守銭奴の大学生ついに金目のものを奪われるなんて妄想し始めたよ、などとご近所さんの噂になってしまう。

私は扉をじっと見つめ、思案する。

先程から、音沙汰も無く、犯人が中で慌てているような物音もしなければ、私の息の根を止めに飛び出してくる様子もない。

もしかしたら、入ってすぐにある冷蔵庫を人間と見間違えただけかもしれない。


私は意を決すると、再び扉の取っ手に手を掛ける。

慎重に数センチだけ扉を開き、中を覗き込んだ。

先程見た場所に、誰かがいる様子はない。

なんだ、やっぱり見間違いか。


ほっと息を吐いた私は、警察に連絡しなくて良かった、と先走らなかった自分を褒めそやしながら扉を大きく開いた。

途端、伸びてきた手に口を塞がれて、部屋に引きずり込まれた私の驚きは、言葉には顕せまい。

寿命が数年縮むのはもちろん、毛穴という毛穴から魂的な何かが一気に蒸発した気がする。

血液が一瞬にして凍りつき、心臓が数回脈を飛ばしたような錯覚に陥った。

手から離れ、アパートの扉前に無情にも落下し、部屋から締め出された「おあしす」のとんかつを目で追いながら、私は必死に口を塞ぐ手を引き剥がそうともがく。


「待って、叫ばないで。あと、暴れないで」


低い、男の声が耳元でした。

艶やかなその声音に、ぞわりと肌が粟立つ。

そんなこと言われて、誰がやめるかと更に反抗すれば、全く意に介していないように、男は軽々と私の抵抗を押し込んでしまう。

当たり前だけど、力で勝てるはずも無かった。


「うーん、仕方ないなぁ…。危害は加えないけど、少し大人しくしてね」


男の指が、するりと私の眉間をなぞった。

強盗なのか、暴漢なのか、判断がつきかねるが、眉間を触りたがる痴漢は新しいな、と場違いな感想を頭の隅で抱いた途端、手足が動かなくなる。

それと同時に、口を塞いでいた男の手が、すっと離れた。


「な、な、なに?なんで動かないの?」

「ごめんね、暴れられたら迷惑だから、ちょっとだけ動きを封じさせてもらったよ」


そのまま軽々と抱き上げられて、私の小汚い部屋へと連れて行かれる。

所謂、お姫様抱っこという奴だが、どこぞの知らん人間にされて喜ぶほど私は図太くない。

運ばれる途中、床に散乱した下着を目の端に入れて、思わず呻き声を上げた。

下着を見られることに、屈辱を感じるくらいの羞恥心はある。

そんな私の葛藤など知らん顔で男は部屋を横切ると、私をベッドの縁におろして座らせた。

驚いたことに、本当に身体が動かない。

今、流行りの催眠か何かだろうか?


ペテン師もマジシャンもびっくりの技を使う男の顔を拝んでやろうと、私は視線を上げる。

そして、息を呑んだ。

まず、明らかに日本人では無かった。

外を出歩いたらさぞ目立つであろう、雪のような白銀の髪。

後ろでひとつに束ねないといけないほどの長髪だったが、正直、ここまで長い髪が似合う男の人を見たことがない。

大理石のように白い肌に、柔らかい目元、そして、よく晴れた日の青空のようなアイスブルーの瞳。

着ている服は、たくさんの装飾品で飾られた、ゲームに出てくる魔法使いのような長いずるずるした服だったが、妙に似合っている。

簡単に言ってしまえば、完璧なるイケメンだった。

モデルだと言われても、驚かないし、あー、そうなの、やっぱりね、と言うくらいに顔も体型も整っている。

人畜無害、を顔で現したような男が、何故、人様の部屋に上がり込んでいるのか分からない。

今なら、3ヶ月分の家賃を肩代わりしてくれれば、大手を振って外に送り出してやれる程には、見た目だけで、私の心は絆されている。


ただ、これだけ褒めておいて何だが、ちょっと、線が細すぎる。

もやしと形容するに相応しい身体つきだ。

体重が標準より少し上の私を抱き上げられるくらいには、筋力はあるようだが。

もう少し、体格が良くて凛々しい顔つきならば文句なし満点だったのに。

じろじろと舐め回すように見ていたせいか、相手は優しそうな顔に、怪訝な表情を浮かべた。

けれども、それは一瞬のことで、すぐに柔らかい笑みが戻ってくる。


「えっと、突然ごめんね。僕はアルベル・シャトー。いろいろあって、この部屋に辿り着いたんだけど、家主の君が帰ってくるのを待っていたんだ」

「待って待って。いろいろあって、って。そのいろいろの経緯を聞かせなさいよ」


随分と簡略化された説明に、思わず突っ込んでしまう。

そして、家宅侵入罪を犯しておいて、家主を待っているってどういう神経をしているんだ。

どうにも凶悪犯の雰囲気がないアルベルと名乗った男に、気が抜けてしまう。


「話すと長くなるし、君の混乱が抜けてから、って思ったんだけど…。それより、名前は?」

「あんたね、帰ってきたら家に上がり込んでいた犯罪者相手に名乗る名があるとでも思ってんの?」


動かない身体で精一杯睨みつけてやれば、それもそうかぁ、と間抜けな相槌が返ってくる。


「でも、ほら、仲良くなるためには、お互いを知ることも大事だと思うんだ」

「あんたと仲良くする理由がない」

「君にはなくても、僕はここにいるしかないから、仲良くしたいんだよね」

「は?」


ここにいるしかない?

ココニイルシカナイ?

こいつは何を言ってるんだ。

男は相変わらず、にこにこと微笑みを浮かべながら、突拍子もないことを言い出す。


「異世界、って信じる?」


異世界って、あの異世界だろうか。

こことは、別にある、文化や時間の流れも違う、パラレルワールドのような世界。

こんな頭のぶっ飛んだ人間よりは、凶悪な犯罪者の方がまだ相手が楽だったかもしれない、と私は痛むこめかみを抑えようとして手が動かないことに気付いた。

もしかして、そのまた昔、友達に借りて読んだ漫画にあった「逆トリップ」というやつだろうか。

異世界の人が、こちらの世界に迷い込んでしまうという。

いやいや、でも、そんな非現実的なことがあるはずもない。

そう思いながらも、とりあえず話だけは聞いてあげようと先を促した。


「で、異世界があったとして、あんたに何の関係があるの」

「僕さ、魔術師なんだけど、他の世界からここに来たから、行く場所がないんだ。この部屋に降り立ったのも、何かの縁だし、置いてくれると助かるんだけど」

「帰れ」


咄嗟に出たのは、私の気持ちをこれでもかというほどに表わしてくれた2文字だった。

ただでさえ、家賃と学費でカツカツなのだ。

誰かを養ってやる余裕などなかった。

この男が、まだ小さい少年や少女だと言うのなら、考えたかもしれないが、どう見ても成人している。

もし、異世界から来たのだとして、この年なら一人で生きていくくらいの気概はあるだろう。

慈悲も遠慮も無く、断ってやれば、男の眉尻が下がる。

あまりにも憐れな表情に、仄かな罪悪感が芽生えたが、私は台無しにされた「おあしす」のさぼてんを思い出し、憐憫の情を心の奥底に封じ込んだ。


「ダメ?」

「ダメに決まってんでしょ!だいたい、何者かも分からない人を置いてあげるほど、親切ではないし、例え、あんたが命の恩人でも置くのを躊躇うくらい私には余裕がないの!」

「余裕って、お金の余裕?」

「そうよ」

「お金を支払えば、置いてくれる?」


異世界から来たとか言っている割に、お金はあるのか。

支離滅裂だ、と呆れ返る私の膝の上に、男は装飾品をひとつ外して放り投げた。

金メッキか何かだろうと思っていたそれは、想像よりも随分と重量がある。

私は思わず膝の上に視線を落として、まじまじと見つめてしまった。

赤く透き通った石の周りに、細かい金色の細工が施された見事なブローチだ。

見入っている私を見て、男がくすくすと笑っている。


「それ、金とルビーなんだけど。これで、しばらくの生活費にはなるかな?」

「え…これ、本物…?」

「うん、そうだよ」


明日は晴れだよね?

うん、そうだよ。


それくらい、軽い会話だった。

イケメンな上に、金持ち。

性格は分からないが、口調も柔らかいし人当たりは良さそう。

完全に、性格以外のパラメータは上限を振り切れている。

真実かどうかは分からないが、一生涯手にすることのないような装飾品を膝に乗せている事実に、喜びよりも恐れが走った。


「む、無理…こんなの、受け取れないし、受け取ったからって、置いてあげられない」

「うーん、強情だなぁ。普通は、ここで頷いてくれると思うんだけど…」


男はため息をついて、私の膝からブローチを取り上げると、元の場所に戻す。

それから、再び私の眉間に指を置いて、円を描くようになぞった。

その途端、ぴくりとも動かなかった手足が、嘘のように私の意のままになる。

自分の手の平をまじまじと見つめながら、私は男に問いかけた。


「ねぇ、今の、なに?」

「魔法だよ。ごめんね、身体に悪いことは無いと思うけど、気分が悪くなったりはしてない?」

「え、あ、平気…だけど」


素直に謝る男に、驚きのあまり、怒りも何処かへ飛んでしまう。

逆トリップなんて、物語の中でしか見たことがなかったし、半信半疑だったが、もし本当ならば、随分と心細いのかもしれない。

話を聞いてもらおうとして、乱暴な手段、男の言う魔法に頼ったのを咎める気にはならなかった。


「僕もね、本当なら一人で生活できれば良いんだけど。こっちの生活様式もさっぱり分からないし。本当に困ってるんだ」


ベッドに腰掛けている私の目線に合わせるように、男がしゃがむ。

長身の彼を見上げているのは疲れるので、その心遣いに少し感謝した。


「ずっととは言わないし、僕が馴れるまでで良い。数日で良いから、この世界のこと教えてくれないかな?」

「そうは言っても…」


もごもごと口答えをするが、反論の意思は今や急速に萎んでいた。

どういう理由かは分からないが、突然違う世界に放り出されたのならば、男の戸惑いや不安は想像出来ないくらい大きいものだろう。

笑顔でいるせいか、平然としているように見えるが、見た目で損しているだけかもしれない。

異世界の人間なのだと、目の前で証明してくれるのなら。

でも、そんなのどうやって証明すれば…と考えて、私はハッとした。


「魔法!」

「え?」

「魔法、見せて。ちゃんと、私に、手品やペテンじゃないって分かるくらいの、すごい魔法。そしたら、異世界の人間だって信じてあげる」

「魔法を見せたら、ここに置いてくれる?」

「…まぁ、考えなくもない」


否定も肯定もしづらいので、曖昧に言葉を濁したにも関わらず、男は花が咲いたように笑う。

床についていた膝を上げ、立ち上がると、見てて、と言いながら両手を広げた。

その手が、空中にある何かをなぞるように怪しげな動きをする。

それに意味があるのか無いのかは、さっぱり分からないが、男を中心として部屋に暗闇が広がった。

ちょっと待って、こいつは何をするつもりだ。


「な、なんで、暗くなってんの?!」


私の動揺に、男は答えない。

魔法に集中しすぎているのだろうか。

ベッドの縁に腰掛けていたが、足元はすでに暗闇に飲み込まれ、男を止めようにも踏み出せばまっ逆さまに落ちてしまいそうで身動きが取れない。

闇は止まることなく、部屋全体に広がり、ついには私の座っていたベッドまで完全に覆ってしまった。

恐ろしくて固まったままだが、お尻にあるベッドの感触はそのままだ。

もしかして、光を奪う魔法か何かなのだろうか、と訝しんだその時、暗闇にぽつりぽつりと明かりが浮かぶ。

まるで、星が煌めくように、大小様々な光源が姿を現し、暗闇を照らし出す。

夜空に放り出されたような感覚に、恐怖を覚えるよりも先に、感動に心を動かされた。


「すごい…」

「綺麗でしょう?」


魔法を掛け終わったのか、男がにこにことこちらを振り向く。

星明かりに照らされた男の白銀の髪は、とても美しかった。


「これで、認めてくれるかな?」


ここまでしてもらって、魔法じゃないと否定することなど出来ない。

私はゆっくりと頷いた。

そして、先程までの態度を改めようと、居住まいを正す。


「私は、遠藤 楓」

「…もしかして、名前?」

「うん。いろいろ疑ってごめんね。置いてあげるかどうかは別として、あなたが他の世界から来たって信じるよ」


アルベルが、面食らったような顔をした後、嬉しそうに笑った。

こうして、私とアルベルの奇妙な生活が始まる。


この出会いが、私の人生をどこまでも狂わすなどとは、この時、微塵も予感することなど出来なかった。

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