Scene2:大儀の正道
正義の力こそ至高なり。
守護の純白こそ最強なり。
我が力は守る力。
我が心は導く心。
されば暴かん、この街に巣食う数多の闇を。
悪は討つもの。
無法は裁くもの。
私は正義を執行する。
これぞ我が義。
これぞ我が法。
全ての欲望を断ち切って、世に正義の白を示す。
大儀の正道、ここに在り。
●Scene2:大儀の正道
絣友子が通りかかると、そこには人だかりができていた。
少し観察すると、十数人くらいの人の輪の向こうに、警官数人が立っており、立ち入り禁止を示すロープのさらに奥には、どちらかの腕に腕章をつけた私服姿の男たちが見えた。
彼らは「ヒケシ」だ。
都市人口に対して、絶対的に数が足りていない警官から、逮捕権の委託を受けた「自治行動代理執行団体」。
いわゆる、市政府から公認された自警団のようなものだ。
この街に住む人々にとっては、警察機構よりもずっと身近な、頼れる存在なのではあるが――友子は、あまり好きではない。
ヒケシは、公的権力を委託されていることより増長しがちだ。あいつらは、傲慢なのだ。
友子は、ひとしきり苛立ちを感じ終えると、人だかりに加わることなく、学園へと急ぐ。こっちを通ってきたのは、家から学園までの近道でもあるからだ。
ただ、気にかけるべき場所であるのも、確かなことだった。
そこは昨夜、黒狼人間と鎧の騎士とが戦った場所なのだから。
学園の時計塔が見えてくる頃には、友子と同じく道を歩く学生も多くなっていた。
人が住む場所であれば大抵は見られる、朝の風景。それだけを切り取れば、日常の象徴にも据えられそうな平和な光景である。
学園に延びる道を、思い思いに歩く学生達の間に混じるように、友子は歩いていく。
まだ予鈴が鳴るにも余裕があるため、歩くことよりも友人たちとのおしゃべりを楽しんでいる他の学生たちを、友子は次々と追い抜いていった。はたから見れば分かるだろうが、彼女の歩く速度だけが、早い。
真っすぐ進んで校門から校舎へ。そのまま階段を上がって三階の教室へ。
朝練を終えたとおぼしき、ユニフォーム姿の運動部員などともすれ違いながら、友子は歩みを進めていった。
1年B組。友子が在籍しているクラスである。教室に見える生徒の数はまだ少ないが、これから予鈴までの数分のうちに、増えてくるだろう。それがいつもの光景だ。
午前8時25分になって、予鈴が鳴った。このとき、時間にルーズな数名を除いて、大体の生徒はすでに自分のクラスにいる。
本鈴の1分前に、ドタドタと慌ただしい足音を立てながら、時間にルーズな連中や、毎度遅刻ギリギリで学校に来る生徒らがそれぞれの教室に駆けこんでいった。
B組にも数名、そういった生徒はいる。友子自身、今は違うが、去年まではそんな連中の一員ではあった。
直後に、ホームルームのために担任の教師がやってきた。そのタイミングで、ちょうど本鈴が鳴った。このクラスの担任教師は、いつも絶妙のタイミングで教室に入ってくるのだ。
「みんな、おはよう。誰か欠席者はいるか――」
担任教師は教壇に立って、教室を改めて一望し、欠席者の有無を確認する。
教室の窓側、かなり後ろの方に、誰も座っていない座席がある。しかし担任はそれをさして意識した様子もなく、「休んでるやつはいないな」と、言うのだった。
最近、友子を苛立たせている日常の一場面のうちには、こういったものも含まれている。
欠けているものを知りながら、欠けていること自体を平然と日常の中に組み込んで、素知らぬ顔をしてすごす。それが、癇に障る。
だが表情には出さずに、担任の話を聞き流し、彼女は一時限目の準備を始めた。
その席に本来座っているはずの彼女が学校に来られなくなって、もう、二週間以上も過ぎていた。そのことを、友子は一日たりとも忘れていない。
それから、授業はいつもどおり始まり、いつもどおり進んでいった。
つまりはつまらないということだ。
「絣さん、次、移動だよ」
三時限目を終えて、授業と授業の合間の短い待機時間に話しかけてきたのは、学級委員の四十万陽だった。
染めたのだろうか、やや青みがかった髪をきっちりと切り揃え、眼鏡をかけた優男、そんな印象の少年である。
「……次、なんだっけ?」
友子は机の中にゴソリと手を突っ込んで、彼の方を見向きもせずに問う。
「化学だよ。さっきも言ったけど、聞いてなかったかい?」
「聞いてなかったわ」
悪びれもせず、友子は返した。陽は「あはは」と曖昧に笑うと、
「ダメだよ、ちゃんと話聞いてなきゃ。って、前にも言わなかったっけ?」
「そうだっけ? 言われてても、聞いてなかったかもしれない」
柔らかい物腰の陽に、友子の態度はつっけんどんだった。
ここまで彼女は一度も、陽を見ようとしていない。無礼、という言葉がきっと、その態度には最も似合うだろう。
「さて、化学、化学、と……」
笑みを浮かべるだけで、何も言わない彼を眼中から外して、友子は化学の教科書を机から漁った。だが、見つからない。
「……鞄かな?」
机の脇にかけてある鞄の方へと顔を向ける。
そちらは窓側で、窓の向こうには、向かうべき化学教室がある2号校舎が見えた。
2号校舎は、今、友子がいる1号校舎よりも後に立てられたもので、背が低く、三階にあるこの教室からだと、屋上までよく見えた。
――そこに、いた。
「……え」
友子の表情が、そのとき、真っ白になった。
「どうかした?」
陽が尋ねてくるが、今の友子には、そもそもその声自体が届いていない。
「あの、絣さん? そろそろ時間……」
と、陽が彼女への言葉を言い終える前に、友子は席を立ち、駆け出していた。
「え、ちょっと!?」
陽が後ろから何か驚いたような声を挙げていたが、友子はそれを完全に無視して教室を飛び出し、廊下を走っていく。
1号校舎と2号校舎を繋ぐ、三階の渡り廊下。
曲がり角になっているそこに向かって突っ走り、曲がろうとして勢いを殺しきれず、彼女は壁に激突する前に思い切り左手で壁を打った。
その衝撃が体の勢いに角度を与えて、無事、曲がり切ることに成功する。
途中、同じ1年の女子生徒が驚いた顔でこっちを見ていたのに気づいたが、それどころではないのだ。
部活にこそ入っていないが、走ることには慣れている。廊下を少し走った程度では、息は少ししか上がらない。
2号校舎へ到着すると、化学室がある二階に下がるのではなく、廊下の先にある階段へ。そこから続いているのは屋上、生徒に開放されているスペースで、縁にフェンスがあり、幾つかベンチが置いてある。
屋上へのドアを、友子は乱暴に開け放った。
チャイムは先ほど鳴っていた。授業が始まっている。ここに来る生徒は、きっといないだろう。
この学校は、市内でも有数の進学校として知られている。要は、それだけいい子ちゃんが多いということ。授業をフケるヤツなんぞ、滅多にいない。
今、この場にいる彼女は、間違いなくフケているが。
「――どこにいるの?」
大きめに声を出して、一見、誰もいない屋上に、友子は呼びかけた。
だが声は一瞬響いたのみで、広いその場の空気に溶けて、流れて消えていく。重なるように車の通る音が聞こえてきた
出入り口のドアから、屋上広場の真ん中へ。
そこでもう一度呼びかけて、だが返事はなく、風の音だけが聞こえてくる。
さらに出入り口の裏へ回り、そこから屋上広場をぐるっと一周、だがしかし、やはりどこにも誰もいない。
「……見間違えた? いや、でも――」
腕を組んで、考える。ブツブツと一人で呟くも、自分が見たものが間違えであるはずがないという確信が、彼女にはあった。
声をかけられたのは上からだった。
「こっちだよー、こーっち」
聞き覚えのある声だった。詳しく言うのならば、昨日の夜とかに聞いた声だ。
「……そこ、か」
見上げた。出入り口がある壁の上、屋上の、さらに一段高い場所から、その少年は友子を見下ろしていた。
マコトだった。
黒狼人間と鎧の騎士の戦いを、最も間近で目撃した少年が、そこにいた。いるはずのない少年が。
「君、どうして?」
どうして、という言葉に、どれだけの意味を込めたのか、友子自身、分かっていない。ただ、その声は硬かった。
「上がってきて。見つかっちゃう」
舌っ足らずな言い方をして、マコトは友子を上へといざなう。友子は、その顔に一瞬だけ疑念と戸惑いを浮かべながらも、すぐに唇を引き結ぶと、脇にあるハシゴを上がっていった。
ハシゴを上がるのにはそこそこ力が要った。今さらながら、走った疲れが出たのか、朝から体を蝕む筋肉痛が軋む。鬱陶しい。
なんとかよじ登ってみると、そこは存外、広かった。
教室ほどの広さはないが、それに近いだけはある。少なくとも、三人がいるだけならば、お互いを邪魔に感じるような窮屈さはない。
三人。
そう、三人である。
友子と、マコトと、そこに、もう一人いた。
「来たかい」
友子が上がったその場所のど真ん中、大きくあぐらを掻いて、何かを口にくわえている少年がいる。
少年。……本当に少年と、呼べるべき存在なのだろうか。
この学校の男子生徒の制服を着ている。が、それはズボンだけで、上には黒いシャツ。そして冬用制服のブレザーを肩にかけていた。今は夏なのに。
髪の毛は伸びっぱなしにしているのか、前髪で目が半ば隠れて、その顔は正直よく見えない。髪は黒、艶はあまりない。
背は、座り込んでいるため高さは定かではないが、骨格がしっかりしている印象があった。
子供っぽさはどこにもない。少年と呼ぶよりも、男性という方が明らかに合っている風貌だった。
「よぉよぉ、悪いね。こんなところまで、呼び出しちまったみてぇでよ」
少年――いや、その男性は、何やら陽気に友子に向かって声をかけてきた。
口にくわえていたのは、煙管、だっただろうか。友子は写真や絵で見たことはあるが、実物を見たことがないので、些か自信がなかった。
「俺はアキラだ。こっちはマコトだ。ほれ、挨拶してやんな」
「うん! 俺、マコト、姉ちゃん、よろしく!」
「あ、ああ……」
いきなり砕けた口調で接してくるアキラとかいう男に友子は戸惑い、元気よく手を振り上げてくる少年に、思わず声を詰まらせながらも、そう返した。
「絣友子、だろう。アンタ」
「……どうして」
一転、友子は瞳を鋭く尖らせて、アキラを睨んだ。
彼は言った。呼び出した、と。
つまりアキラは自分を、絣友子を最初から標的として、接触を図ってきたということになる。身構えるには、十分な理由だった。
「おっと、こいつァいけねェ。別に喧嘩売りに来たワケじゃあねェぜ?」
「だったら、何?」
元の、険のある顔つきに戻って、友子はマコトとアキラを交互に見る。
「え、えっと、姉ちゃん、違う。違うよ!」
何が、ともマコトは言わない。その慌てっぷりは、余計に友子を苛立たせ、警戒させただけだった。
――『抜く』か?
友子は考える。
その足元に、アキラが何かを放り投げた。見ると、それは四角いメモ帳のような……
「生徒手帳……! なんで、おまえがこれを持ってる!?」
今度こそ驚きに、友子は声を荒げた。
それは友子の生徒手帳だった。いつもは気にしてはいないが、それでも身分証明には使えるだろうと持ち歩いていたものだ。
「お~いおいおいおいおい、友子ちゃんよォ」
アキラが、ケラケラ笑いながら、指に挟んだ煙管をプラプラ。
「別に盗んだとかそういうんじゃァないぜ? なァにこいつはよォ、アンタが落としたのさ。昨日、あの場所でな」
彼はそう言うと、持っていた煙管を再び口にくわえて頬杖をついた。
明らかに張り詰めている友子に比べて、アキラの様子はいかにも泰然自若としていた。間にいるマコトは、あわあわと彼女と彼とを交互に見ているが。
「結局、おまえ、何なの?」
警戒を解かずに、友子が問う。マコトの存在が、そもそもあり得ない。どうして、この少年がここに――
思った瞬間に、アキラが口を開いていた。
「マコト、もういいぞ」
「え、で、でも兄貴……」
「うるせェ、失せな」
言った瞬間に、友子の目の前で、マコトの姿自体が陽炎のような揺らめきを見せた。
身が竦んだ。その光景の異質さと、驚愕によって。
「これが、コイツがアンタの前に顔を出せた理由さ」
あぐらをかいたまま、頬杖をついたまま、アキラは前髪の隙間から覗く瞳で彼女を見据えて、皮肉げに笑っている。
驚愕の波が過ぎ去って、友子は改めての苛立ちに顔を歪ませた。全てが、納得いった。
「アキラ、だっけか……。つまりあの子はおまえの……」
「何も言わないで済むってェのはありがたいねェ。手間がかからねェ」
アキラが、笑みを深めた。そして彼は言う。
「――出せよ。持ってンだろ」
「…………」
友子は、極論、この場から離れることもできた。
生徒手帳を拾い上げて、このまま、彼を無視してここを離れたって、彼女にとっては何も問題はない。授業をフケた。マイナスポイントは、精々その程度。
しかし――そのつもりは元よりなく。横一文字に結ばれていた唇を薄く開かせて、
「気安く言ってくれるね」
「フレンドリィだろォ?」
アキラの態度は変わらない。幾ら友子が凄んでも、涼しい顔をして受け流すだけだった。
「いいよ、見せてやる」
《……刮目せよ! 我が正義!》
友子が握った拳を掲げ、『力』を宿した言葉を紡ぐ。
それは常人には聞こえぬ声。常人には届かぬ叫び。『力』あるがゆえ、聞き届けるは人ではなく、世界そのもの。
《――抜き放つ、【大儀の正道】!》
刹那、友子の身体がまばゆい光に包まれて――
(……あン?)
白の光柱としか呼べないそれは一秒も経たずに収まって、友子の姿が再びアキラの視界に映る。
その傍らに立つ、背の高い鎧の騎士もまた、彼の瞳にしっかりと映っていた。
「なるほど、ね……。そいつがアンタのかい」
「……そうだ。これがあたしの、【守護者】だ」
「しかし、【大儀の正道】、ねェ……。随分と大仰な名前じゃねェかい?」
そんなアキラの言葉に、しかし友子はフンと鼻を鳴らして腕を組んで、宣言するように返した。
「あたしが正義だ。何が悪い」
Scene2:大儀の正道――Fin
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