春の章-14 刀選び(1)
その日の夜、四人は裏庭にそびえる蔵の前にいた。
霞の蔵という名のついたその古びた二階建ての建物は、ずいぶん前から刀や槍の保管場所、つまりは武器庫として使われている。戦国時代よりこの敷地に屋敷を構える羽条家は、どこかの番組に出たらびっくりするほどに値のつく物も多々所有している。それをこんな古臭い蔵などに入れておいて良いものだろうかと春流は思う。門こそしっかりしているが、屋敷の背後はぐるりと山である。熱意と根気と体力のある泥棒がこっそり敷地に侵入してもおかしくは無い。それならばどこかの貸金庫にでも入れておいたほうがよっぽど安全である。己だけは何があっても大丈夫と、ヘタに腕に自信があったためなのか、屋敷の防犯設備などあって無きがごとし。自分は無事なのはともかくとして、今まで空き巣に入られたことがないのが奇跡のようだ。
「みなさんおそろ いですね」
静馬はそう言うと扉の取手を押し込み、代わりにせり上がってきた金属板に細い指を押しつけた。取っ手にかけられた大きな南京錠には手も触れずに、である。電子音とともに指紋認証プレートが引っ込み、続いて今にも朽ちて底の抜けそうな階段でも踏みんだ時のような音とともに蔵の扉がゆっくりと開いた。
開かれた扉を見て春流はぎょっとする。古い木の扉だとばかり思っていたそれは、分厚い鋼鉄製だったのだ。きょとんとする一同を尻目に永春と静馬はするりと真っ暗な闇の中に消える。
遅れまいと、四人が蔵の中に入ると扉がまたゆっくりと閉まった。と同時に視界が真っ白になった。一斉に電気がついたのだ。春流は堪らず目を閉じて、その瞼の裏からでも分かるほどの明るさのなか静かに目を開く。そして、まるで鋼鉄のサイコロのようだと思った。窓一つ無い蔵は正確にはわからないがすべての面がほぼ真四角だ。照明は天井の四隅から彼らを照らしている。
そこは、彼らの予想よりよっぽど近代的な空間であったに違いない。しばらくは誰も一言も発することも出来ずに呆然と立ち尽くしていた。だが、皆、気がついたはずである。その無機質な空間には、何もなかったのだ。そこに、あるべきものさえも。
「何もない・・・ね」
「春流、どういうことだ」
「まさかもう盗まれましたって落ちじゃないでしょうね?」
彼らはここに、刀を選びにきたのだ。それなのに、刀どころか全く何もそこにはなかった。しかし、春流にも返せる言葉がなかった。
なぜならば彼もまた、この蔵に入ったのは今日が初めてのことなのだ。
「心配ない。静馬」
「はい」
永春に促され静馬は、壁面の窪みにカードキーらしきものを差し込んだ。ピピっという頼りない音の数瞬あとで、床に入口が現われた。それは垂直に下へと伸びる螺旋階段だった。
「どうぞ」
静馬はそういうと、にっこりと微笑んで彼らを地下へと誘った。
階段は、お世辞にも短いとは言えなかった。
少なくとも日々鍛えている春流が額に汗の雫を浮かべる程度には長かった。秋姫など、手すりに両手をかけてやっとのことで降りきったほどだ。一方で、静馬は全く息を乱さず再び電子キーを機械に通している。この人が何者なのか、実をいうと春流はよく知らない。
冬牙の姉であり、美剣家の長女であるはずの静馬が、病弱な父親を残してなぜ羽条家の使用人のようなことをやっているのか、またなぜ直系の証であるはずの「冬」の字を頂いていないのか、そしてなぜこんなにも体力があるのか、疑問は尽きないが何となく質問するのを憚っていた。
静馬が10桁ほどの数字を入力すると、最後の扉があっけなく開く。
そこは広い地下室だった。まるで体育館のようなそこには床から天井付近まで、びっしりとガラスの陳列ケースが並んでいる。槍、薙刀、刀などのポピュラーなものから十手や仕込み傘、さらには手裏剣まで勢ぞろいだ。
「うちの地下にこんな空間が・・・」
まさか、自分の家の地下にこんなスペースがあるなんて思ってもいなかった春流は、そう呟いた後もしばらく口を閉じることがなかった。
「こんな数の刀剣がそろっているなんて」
「さすがは羽条といったところか」
夏月と冬牙は、一番手前にあるケースの上から下までを見回してそれぞれに感想を述べた。そして、だんだんと奥へ奥へと進んでいく友人達に少し遅れて春流もついていく。
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「いいんですか?部外者である私たちにまでこんなものを見せて」
その場に一人残った秋姫が永春にそう言った。
背中を向けて駆け足で去っていく春流には聞くことができなかっただろう言葉だ。
「なにが、だね?」
老人の答える声は優しい。
しかし、その奥にある鋭さを彼女は見逃さなかった。まるで静かに子供をたしなめるときのような暖かい、けれど真剣な目をこの老人は時々するのだ。ほんの少しの空気の変化と、常人よりずっと読みづらい表情を何とか読み取るすべを秋姫は知っていた。けれど、それ故に損だと思うこともある。今がまさにそのときである。
知っているくせに、という言葉は老人の雰囲気に飲み込まれ、空気を震わせることができない。
「良いか、悪いかはね、わしにもわからんのだよ」
沈黙するしかない彼女に永春は言う。
秋姫は予想とは違った答に少し驚いた。
「あなたも、家が大事でしょう?」
言葉は出来る限り選んだ。無礼なのは承知の上だ。それでも「おじい様」でも「総領」でもなくただの「永春」に秋姫は問いかける。当然イエス、だろう。ならば自動的にこの行為は羽条家にとってマイナスのはずだ。少なくとも今の状況では、の話ではあるが。
「本当に、わからんのだよ」
「なぜ?」
問い詰める秋姫から永春はすうっと目を逸らして、地下室の奥できょろきょろと興味深そうに辺りを見回す孫の背中に視線を移した。
「全てを、委ねることにしたのだよ」
「答になっていません。それに、誰にですか?・・・今度は春流ですか?」
知らず言葉尻が強くなる。爪が白くなるくらいに拳をぎゅっと握った秋姫は、責めるように老人を見上げる。老人はその瞳を真っ直ぐに受け止めて、ゆっくりと口を開いた。
「運命に、だよ」
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