8話 浅堂雫花 <現実>
話数を振ってますが、この8話までは序章のようなものです。
一応この話までは、1話での主人公の回想にあたります。
次話からは、ゲームの現状と共に、ゲーム、現実でと物語が進展していきます。
よろしくお願いします!
「雫花ッ!」
自宅である一軒家へと飛び込んだ俺は、真っ先に雫花の名前を呼んだ。
だが、すでに学校から帰宅しているはずの時間だというのに、雫花の姿はない。1階にも、雫花の部屋がある2階にも。
明かりのない暗い部屋が広がり、不気味なほどに静まり返った我が家。
「……まさか」
額を、一筋の汗が滑り落ちた。
脳裏に焼きついた、男のあの言葉が蘇る。
――『人質』。
男の身勝手な行動により、ゲームの世界へと囚われた人々。プレイヤーがゲームをクリアしない限り、解放されない存在。
「そうだっ、電話!」
慌てて鞄から携帯を取り出し、雫花の携帯へとかける。液晶画面に羅列する番号。コール音の鳴る、些細な時間までもが煩わしい。
しかし――出ない。
耳には、無機質なコール音が虚しく響き渡るだけ。いくら待てども、雫花の声が聞こえてくることはなかった。
「…………」
――何処かに寄り道しているのかもしれない。着信に、気がつかなかっただけかもしれない。
自らに言い聞かせ、ドカッとリビングのソファーに座り込む。
気を紛らわせるために、徐にテレビのリモコンを手に取ると、電源を入れる。
やっていたのは、ニュース番組だった。
フランスの新作映画がどうだやら、俺にとってはわりとどうでもいい内容だ。
俯き、ガシガシと頭をかきむしる。が、テレビから聞こえた言葉に、俺はバッ、と勢いよく顔を上げた。
『ここで、緊急のニュースです』
食い入るように画面を見つめる。
テレビの画面に映っているのは、原稿を読み上げる、若い女性の姿。
『ただ今入りました情報によりますと、世界中で謎の失踪事件が頻発している、とのことです』
『失踪しているのは、中学生や高校生などの若い男女が多く、目撃者の話によると、まるで最初からそこに存在していなかったかのように唐突に消えた――』
テレビからは事件の内容を伝える女性の声が朗々と聞こえてくるが、頭に入ってこない。
「……マジかよ……」
信じていないわけではなかった。あんな体験をしたのだ。信ずるに足る要素はあった。
だが、信じ切れていない自分がいたのも事実。それがたった今、真実だと証明された。
「ハッ…………ハハッ……はぁ」
渇いた笑い。次いで、溜め息。
脱力して、ズズッ、とソファーから滑り落ちる体。
『――では、続いてのニュースです。フランスの人気俳優、クロード・イディエーラ――』
特に詳しい情報は報道されず、ニュースが切り替わった。ニュースキャスターである女性の声。その淡々とした口調を聞きながら、俺はうつらうつらと微睡みへ落ちていった。
※※※
「……さん……起き…………兄さん」
体が揺れるような感覚を覚え、瞼を開ける。
ぼんやりとした視界。目を乱暴に擦り、瞬く。
すると、すぐ目の前に一つの人影があるのが分かった。
それは、俺の体に手を添え、顔を覗き込んでいる、一人の少女の姿。
可愛いというよりも、綺麗である、と言われるであろう整った顔立ち。その下には、スタイルのよい身体。そんな少女が、ふわりとした柔らかな笑みを浮かべながら、俺を起こしていたのだ。
黒、よりはどちらかというと茶色に近い、彼女の長く伸ばされた髪が、腕にさらさらと感じられる。
「……雫……花?」
夢ではないのか。或いは、あの男が俺をからかうために幻を見せているのではないか。
そんなぼんやりとした考えが、脳裏に浮かぶ。
普段であれば疑う、というのはありえなかったが、あのような事が起こったことで、俺は自身で思っている以上に混乱していたのかもしれない。
「はい、雫花です。寝ぼけてるんですか、兄さん?」
しかし、彼女――俺の妹である浅堂雫花は、クスクスと小さく笑いながら、俺の言葉を肯定した。
壁にかかっている時計を見る。俺が帰宅したのは、16時。だが、時計の針はすでに、18時をまわっていた。
随分呑気に寝ていたものだ、と俺は寝ぼけ眼で欠伸をしようとして――。
俺は勢いよくソファーから身を起こした。
「……雫花ッ!」
俺が大きく声を上げると、雫花はリビングを出ていこうとした足を止め、こちらに向き直った。
「どうしたんですか、兄さん?」
振り返った彼女の、その端正な眉目が、僅かに顰められている。
確かに今の俺は、他者から見ると変に映るかもしれない。だが、聞かずにはいられなかった。
「ちょっといいか?」
はい、と答えながらも、雫花は小首を傾げながらこちらに歩み寄ってくる。
「いつ、帰ってきた?」
「ついさっきです。友達の家に行っていましたので」
「……変わったことはなかったか?」
「変わったこと……ですか? ……ええ、特には」
「…………」
その返答を聞いて、俺は困惑した。
ならば、あの男は本当に雫花にはなにもしていないのだろうか。
……もしかすると、ただの脅しなのかもしれない。いや、しかし――。
意味もなく、視線を彷徨わせる。
が、ある一点を捉えて、釘づけとなった。
テレビに映るのは、『不可思議な失踪事件』の文字。
「……この事件がどうかしたんですか?」
俺の視線の先を追ったのだろう。雫花もまた、テレビの画面を見ていた。
「い、いや! ……ただ、不気味な話だな、と」
変に、声が上ずる。
「私も、先程知りました。……まだ、解決していないんですね」
雫花の声が、不安そうな声を帯びる。
真相を知っているなど、ましてや解決する条件を知っているなど、到底言えまい。
だが、正直な話、俺は安堵していた。雫花が巻き込まれていない、という事実に。
「……ねえ、兄さん」
「ん?」
気づけば、雫花はテレビから目を離して俺を見ていた。
その表情には、僅かな陰り。
「もし……もしも、です。私がこの事件に巻き込まれたとしたら――兄さんは、また私を助けてくれますか?」
「……ああ、もちろん」
こうは答えたものの、実際はどうだったろうか。
俺は、この失踪事件を、被害者の条件を知っている。ゆえに、もうこれ以上の被害者が出ないことも知っている。だからこその、打算的な答えだったのかもしれない。
だが――。
「でしたら、安心です」
そんな内心も知らず、雫花はそっと俺に向けて微笑んだ。
それは、言葉通り――まるで心底安心したかのような、安らかな微笑みで。
「……っ!」
俺は、その眩い笑顔を直視することができなかった。
リビングを出て、階段を上る。向かう先は、2階にある自室。
そして、その扉に手を掛けた、瞬間。
「くっ……」
身に覚えのある頭痛、眩暈が俺を襲った。
朦朧とする頭。ガンガンとする痛みをこらえながら扉を押し開け、フラフラとベッドに近づく。
ドサッ、とベッドに倒れ込んだと同時に、遠ざかる意識。
そして気づけば俺がいたのは――赤の村と呼ばれた、あのレンガ造りの街だった。