7話 制約と力 <ゲーム→現実>
バッ、と勢いよく背後を振り返る。
しかし、そこには誰の姿もない。
『そう身構えないでくれたまえ。なに、ここで君をどうにかしようとは思っていない』
次いで、右から声が響く。
だが急いで視線を向けても、やはり声の主の姿はない。
『むしろ、君には期待しているのだ』
「……期待?」
今度は、左。
もはや男の姿を捉えるのを諦め、言葉に耳を貸す。
が、俺は思わぬ言葉に眉を顰めた。
あれだけ大勢の人間がいたにも関わらず、なぜ俺なのか。
勉学に秀でているわけでもなく、運動能力も並。これといって他人に誇れる点はない。
……それに、この男のいう面白そうな人間だとも思えない。
『そう、期待だ。君のとる行動、私は大いに興味がある』
……俺は一体、何をしたのだろうか? この男の興味をひくようなことを。
記憶を探ってみても、答えは出ない。
いや、むしろなにもしていないはずだ。この世界へと来て、あの男が現れてから。
『これは、君を含め限られた人間にのみ教える事項なのだが、この勝負実は――全プレイヤーが公平、というわけではない。君達の初期ステータスは、ある条件によって設定されている』
急激に、声が遠ざかった。
正面、頭上からだ。俺が顔を上げると――そこに、それはあった。
『その条件とは、コインの投入額。もちろん高額なほど能力値は高く、有利な状況からゲームをスタートさせることができる。……だが、ここで問おう。ゲームの始まりとは、一体いつだ?』
大地から噴き出る2本の火柱。丁度、その中間に位置する場所。
そこにあるは、一つの人影。遠すぎて顔や背格好は分からない。
そして、そこに翻るは、彼の物が身に纏う純白の衣。
『君達プレイヤーがこの世界へと降り立った時? 否。では、この私がゲームの開始を宣言した時? 否。 そうっ、このゲームの始まりとはっ! ――プレイヤーがコインを投入する、まさにその時から始まっていたのだよ!』
まるで、その宣言に共鳴するかのように、ドドドッ、と一斉に数多の火柱が噴き上がった。
が、俺はその様を胡乱げに見ていた。
一連の流れで男に対する憤りは鳴りを潜め、いまや胸中にあるのは、呆れと、困惑。
つまり……この男は一体何がしたいんだ?
『全てのプレイヤーの情報が私の元に寄せられるが、その中において君のコインの投入の仕方は特異だった。あまりに予想外で、面白かったよ。そして、私はこう思った。――君は普通ではない、とね』
「…………」
『故に、普通を求めていない私にとって君は、非常に興味深い研究材料なのだ』
……心外だ、と思う。
確かに、その行動は普通に思えなかったのかもしれない。だが、そうだとしたら普通でないのは俺ではない。俺に500円を渡したアイツだ。
あくまで俺は、普通なのだ。 ……いや、そもそも普通ではないとはなんだ?
しかし、そんな俺の心境をよそに、白衣の男の勘違いは進む。
『そこで、君には特別な力を与えようと思う。だが、それではただの依怙贔屓だ。なので同時に制限も与える。そしてその制限とは――武器及び攻撃魔法の使用禁止。モンスターとも、他のプレイヤーとも、君にはその身体で戦ってもらおう』
「……は?」
俺は、その言葉に絶句した。
正直な話、武器などを持っていてもまともに戦えるかどうか疑問だというのに、生身で戦えというのか。
「そんなの、無理に決まってんだろ!」
『いや、理論上は可能だ。なに、君の初期ステータスなら、序盤に登場するモンスターなら倒せるはずさ。上手く体を動かせばね』
「…………」
『さて、こっちが本題。君に与える力だが、それは――秘密だ』
「秘……密……?」
『そう。だが、これだけは言える。その力は使用者の腕によって、最強にも、最弱ともなる、ワイルドカードにして、トラブルカード。君が大空へと飛翔する翼となるか、それとも地べたを這いずり回る枷となるか。……その力に気づけばよし。気づかないまま倒れるのであれば、所詮君はその程度だったというだけの話だ』
理解してくれたかね? そう、男は締めくくった。
だが、それならこちらにも考えはある。
「……なら、俺は戦わなければいいだけの話だ」
なんの取り柄も無い人間が、その上丸腰で。まったくもって話にならないだろう。
なにより、この男の手の上で踊るというのが癪だったのかもしれない。
『――ふぅん?』
しかし、俺の答えを聞いた瞬間、明らかに、男の声のトーンが変わった。
まるで辺り一帯の温度が下がったかのように、冷たい声が場を支配する。
あちこちからは火柱が噴いているというのに、突如猛吹雪の中に放り込まれたかのような錯覚を、俺は感じた。
『――浅堂隼斗。君には妹がいたね? 確か名前を、浅堂雫花といったか』
「なんで知ってるっ!?」
確かに、コイツに言うとおり、雫花は俺の妹だ。俺なんかよりも、出来のいい妹。俺と違って他人に誇れるような、そんな妹。
だが、何故コイツがそれを知っている? 嫌な予感が、俺の脳裏をよぎった。
『フフン、あまり私を甘く見てもらっては困るね。その程度の情報、私には手に取るように分かる』
「……何が言いたい?」
『いいや、別に。でも、君の妹だ。それだけで――私にとっては充分な理由となる』
「ふざけんなっ!」
体が熱い。頭が、四肢が。
一瞬にして、この男に対する怒りが沸き立った。
宙に翻る白衣に向け。そして、未だなおその姿を見せようとしない男に向け、俺は叫んだ。
「アイツも巻き込むつもりかっ!?」
『そうは言っていないよ。――ただね、君は戦わなければいけない。そうしないと、君はプレイヤーに簡単に殺されてしまうだろう』
「…………」
『……フフッ、しかしやはり君は面白いね』
しかし、男は俺の怒りなど意に介さず、小さく笑った。
瞬間、浮いていた白衣が変化を見せた。否、白衣だけではない。噴き上がる火柱も、レンガ造りの建物も、まるで溶けるようになくなっていくのだ。
『怒っているかい? もし、私にその怒りをぶつけたいというのなら――生き残ることだ』
ひどい頭痛がする。まるで両側から締め付けられるような、そんな痛み。
その辛さに耐えかね目を閉じると、俺は頭を押さえた。
しかし不思議なことに、男の言葉だけは、遮られることなく、明瞭に耳へと入っていく。
『この狂った世界を、誰よりも強く。誰よりも長く。どんな手段でもいい、どんなに無様でもいい。誰よりも生き残れ。そうすれば、答えは見えるかもしれない』
――果たして、君にそれができるかね?
その言葉を最後に、俺の意識は深く沈んでいった。
※※※
「……ト……おい……」
なんだろう。誰かの、声が聞こえる。
だが、何を言っているのか、誰を呼んでいるのか――。
「……おい、ハト!」
目を、開ける。すでに頭痛はない。
灰色の道路。前方にそびえる、高層マンション。
ここは――。
「ハト! 大丈夫か!?」
「……ユウ?」
俺の顔を覗き込んでいるのは、紛れもなくユウだ。
――ここは、そうか。
「……戻ってきたのか……」
「はあ?」
徐に、ポケットを弄る。
――あった。
俺の指先にあたったもの。慎重に手繰り寄せる。
感じるのは、僅かな重み。存在を感じ取れるかどうかという、微かなものだ。
――しかし、俺の命でもある。
手に取り、眼前に持ってくる。
鈍色の光、鐘を模したかのような造形。
やはりあれは、現実の出来事だった。
俺がまじまじとコインを見つめていると、それをひょいと横から掠め取った手があった。
「このコインがどうした? ……ただの500円玉じゃんか」
ユウだ。
んー、と声を上げながら、訝しげにコインを眺めている。
だが反応から見るに、もしかするとあのコインはプレイヤーにしか見えないのかもしれない。きっと、普通の人間にはただの500円に見えるのだろう。
――いや、そんなこと今はどうでもいい。
「ワリィ、返してくれっ!」
ユウからコインを取り返し、走り出す。
「お、おいっ!? ハト! ゲーセンは!?」
「急用を思い出したっ! また今度!」
ユウの戸惑うような声を背に受け、走る。
向かうは、自宅。この時間なら、すでに雫花は帰宅しているはずだ。
「頼む……」
口から漏れ出たかすり声は、すぐ隣を追い越して行った車のエンジン音で呆気なく掻き消された。
自宅は、さほど遠いわけでもない。だが、今この時になってはその距離すらもどかしく。
俺は、全力で帰路を駆け抜けた。
ちなみにトラブルカードという言葉は、私が勝手に造りました。……実際には多分ないと思います。
意味はそのまんまです。捉え方は複数あると思いますが、それはご想像にお任せします。